160 男(?)同士の打ち合わせ
大変お待たせしました
惑星マルクェクトの衛星軌道上……の、どこでもないどこか、通称「神様スペース」で、わたし――魂と輪廻を司る神アトラゼネクは戸惑っていた。
「何が起きているの?」
スキルやステータスを支えるシステムは、いまだに不安定な状態から抜け出せていない。
「精霊核はエドガーが修復してくれた……まさか、システムの不調は精霊核の損傷のせいじゃなかった?」
神でありシステムの管理者であるわたしでも、システムのすべてを把握できているとは言い難い。
地球のコンピューターシステムとは異なり、この世界のシステムは決められた規則に基づいて自生的に発展していくようプログラムされている。
たとえるなら、庭に花壇を作り、その世話をすることはできても、個々の植物が光合成をしたり根から栄養を吸収したりする部分まではコントロールできない、といったところか。
しかし、使徒が働いている間、わたしだって手をこまねいていたわけではない。
「システムに大量のジャンク情報が紛れ込んでいる。そこまではわかった」
本来であれば、システムにこんな情報が入り込む余地なんてない。
このシステムには管理者である神――そう、わたししか触れることができないのだから。
「経年による劣化? これまでそんな兆候はなかったのに?」
物質的な「部品」を使っていない以上、このシステムは経年劣化もなければ部品を交換する必要もない。
ただ、悪神モヌゴェヌェスも、自らの使徒のために同じようなシステムを構築しており、その相互干渉がシステムに歪みをもたらしている可能性はあるかもしれない。
「でも、これは歪みなんてものじゃない。明らかな誤動作。不正な情報があちこちに溢れている。でも、その情報を捉えようとすると逃げられる。作為的なものを感じるわね」
まるで地球のコンピューターウイルスのようではないか。
「だけど、それもここまで。ジャンク情報をフィルタリングして一箇所に集約するサブルーチンを構築した。一網打尽にしてあげるわ」
わたしは心の中のエンターキーをッターン!と叩く。
すると……出るわ出るわ、システム内に巣食っていたジャンク情報がごっそりと集まってくる。
……って。
「ち、ちょっと! こんなに多いなんて聞いてないんだけど!?」
ジャンク情報は今わたしの目の前に析出している。
それぞれは微粒子ほどの大きさで、精霊の何百万分の一というサイズにすぎない。
にもかかわらず、ジャンク情報は坂を転がる雪玉のように大きくなっていく。
いや――
「人型になってる!?」
黒い雪玉が、徐々に人の輪郭を取りはじめた。
もちろん、わたしのサブルーチンにそんなことをするコードはない。
輪郭は――男だ。
背は高く、肩幅が広いが、全体的には細身で、細面。
整った容貌は利発そうとも冷酷そうとも言える。
衣服は何もまとっていない。
ヌードと言うには、全身が黒っぽく、ポリゴンのような不自然な凹凸がある。
男が、にやりと笑った。
「魂と輪廻を司る神、アトラゼネク」
男が、わたしの名を呼んだ。
「おまえは……」
男の顔には、見覚えがあった。
「善神の主神たるその
男の言葉に気圧される。
(そんなバカな……)
神を相手に何を言っているのか。
システムを乗っ取ったところまでは、なるほどこちらの負けだった。
しかし、システムを乗っ取るのと、神の座を奪うのとではまったく話が違う。
「怯えている……神の中の神、アトラゼネクが。私の意図がわからず怯えている」
「怯えてなどいないわ」
男はわたしの言葉が耳に入らなかったように含み笑いをする。
「どうやって? と言いたいのでしょう?」
「……システム内にあったジャンク情報。それは断片化されたあなた自身の情報だった。そこまではわかるわ」
「さすがは女神様。理解が早くて助かります。ならば、私が所有していた特殊なスキルについてもご存知でしょう?」
「なるほど。あのスキルを使えば、自己をいかようにも定義できるわね。たとえば情報を運ぶウイルスとして定義することもできる」
「いえ、正確には、そこまでのことをやっていたわけではありません。私はあくまで私。私は自分自身の自我同一性に対する強いこだわりがありますからね。これは一種の保険だったのです」
「保険?」
「私のプライマル――オリジナルの私が何を考えていたのかは、私にはわかりません。あくまでも私は複製です。プライマルの欲望を叶えること。それが私の存在意義」
だとすれば、あの男は確かに死んでいたということになる。
しかし――
(かえって厄介かもしれないわね)
生身の肉体を失い、情報のみの存在と化したこの男。
いや、もはや「男」とすら言えないだろう。
わたしは、男の名前を口にする。
「でもね、
わたしが自信を取り戻して言うと、男――そう、あの男、杵崎亨のコピーだ――は、再び含み笑いをする。
「もちろん了解していますとも。しかし、認識が甘いのはあなたのほうだ」
「なんですって?」
「プライマル――杵崎亨という人間の情報を複製、増殖させた断片がシステムに紛れ込んでいたというのがどういうことか。あなたは身をもって知ることになる」
「何を――ああああっ!」
わたしの全身が、前触れもなく痙攣した。
人間が感電したような強い衝撃。
わたしは自分の腕を見る。
「こ、これは……」
わたしの腕が、黒く染まっていた。
まだらに、わたし自身の組織と、黒い組織が入り混じり、黒い組織がわたしの組織を食っていく。
「くくく……どうです? 自分の身体を侵蝕される感覚は?」
「一体……何を!?」
「あなたは悪神の汚染したカースを浄化してギフトにする際には、悪神の力に影響されないよう、細心の注意を払うでしょう?」
「それがどうし……まさか!」
「ええ。私のプライマルの情報は、悪神側の使徒に限らず、健全なステータスにも感染していました。その健全なステータスの持ち主が死ぬと、神から与えられていたギフトは、あなたのもとに還流する。しかし、あなたはこの時は特別な注意は払わないはずだ」
「ギフトを……再利用する時に、わたしが一度身体の中に取り込むことを利用して……」
「そのようにして、あなたの体内にプライマルの情報は蓄積されていったのですよ。もちろん、すぐにはバレないよう、情報は休眠状態にありました。それが今、必要な閾値を超えたことで、意味のなくなった擬態をかなぐり捨て、宿主へと襲いかかっているのです」
「なんてこと……」
神としてのわたしを直接侵蝕する。
まさかこんな手に出てくるとは……。
(いえ、違うわね。杵崎亨は十年前に死んだ。それから十年も経っている。だから、これはおそらくは偶然がもたらした結果……)
杵崎亨がそこまで読んで手を打っていたかどうかは疑わしい。
だいたい、自分が死んだ後にコピーが生き延びることを、あの利己的な男が望むとは考えにくい。
「く……偶然だからこそ、気づけなかった……か」
「その通りなのでしょう。私にしても、いつコピーとして十分な量の情報を集められるかはわかりませんでした。私に自我と呼べるものが発現したのすら、つい先ほどのことなのです」
わたしはうかつにも、ジャンク情報をまとめて処理しようとしたことで、杵崎の情報を一箇所に集めてしまったのだ。
「――さあ、あなたの力、根こそぎいただきますよ」
男が笑う。
(やられたわね)
侵蝕は進む。
このままではわたしは杵崎へと書き換えられてしまう。
神の力を奪われるのは痛いが、もはやなりふり構ってはいられない。
「あなたの欠点を教えてあげましょうか?」
わたしの言葉に、杵崎が眉を跳ね上げる。
「興味があるでしょう? なにせ、あなたは自分のことが大好きだものね?」
「……何が言いたいのです?」
「こういうことよ」
わたしはまとっていた外衣に神としての自分の身体を押し込める。
そして、わたしの核となる意識だけを、現実界へと墜落させる。
「あなたは詰めが甘いのよ、杵崎亨!」
その言葉とともに、わたしの意識はマルクェクトへ向かって落ちていった。
†
俺は、バルバロッサで一番の高級宿を取った。
遠慮する美凪さんとサンシローを説得して同じ宿に泊まらせる。
……もちろん、「ダブルで」なんて言ったりはしない。
俺の部屋と、美凪さん・サンシローの部屋を別々に取ったさ。
美凪さんは、この世界にやってきて以来、気の休まる暇がなかったらしい。
宿につくなり倒れ込むように眠ったと、サンシローから聞かされた。
サンシローには、俺の部屋に来てもらっている。
なるべく早く、お互いの情報を交換するべきだと思ったからだ。
『あなたもお疲れではないのですか?』
サンシローが気遣いの言葉を口にする。
「いや、俺は疲れないんだ」
『……どういう意味でしょう? 別の言い方で試してみてください。』
こいつは思い出したようにロボット然としたセリフを吐く。
冗談で言ってるのかもしれないが。
苦笑しながら俺は言う。
「そのまんまの意味だよ。俺は【不易不労】という特殊なスキルを持ってるんだ。眠らず、疲れない。それだけのスキルだけど、使いようによってはとても便利だ」
『なるほど。ロボットのように動けるということですね。』
「……ロボットに言われると釈然としないが、その理解で間違ってない」
このサンシローというアンドロイド、どこかポンコツというか間の抜けたところがある。
いや、俺の生きていた時代の常識から考えればとんでもなく高性能な人工知能のはずだが。
サンシローに、これまでの事情を説明してもらう。
サンシローに内蔵されたタブレットを利用した、わかりやすいプレゼンテーションだった。
『――以上が、地球でレティシア・ルダメイアが起こした騒動の一連の流れとなります。』
「とんでもないことになってたんだな……」
まさか、アメリカの大統領を籠絡して世界大戦を起こそうとするとは……。
レティシアの能力は、マルクェクトよりもむしろ地球向きだったのかもしれない。
サンシローはマルクェクトに再構築されてからのことも語った。
『というわけで、美凪は私の電力供給源として必要な精霊核のかけらを入手しました。しかし美凪が気にしているのは――』
「わかる。キザキトオル――確実にそう言ったんだな?」
『美凪には確信があるようでした。彼女にとっても、忘れがたい名前ですから。』
「そりゃそうか。あの時あの場にいたんだものな」
精霊を崇拝しているはずのエルフエレメンタリストが精霊核を破壊しようとした。
それ自体おかしなことだが、さらに彼らが「キザキトオル」の名を口にしていたとなるとただごとではない。
俺の見えないところで、何か大きな動きが生じている。
その中心となっているのはおそらく――死んだはずの杵崎亨。
証拠はないが、少なくとも、そう思って動くべきだ。
その意味では、サンシローの情報提供はとてもありがたかった。
俺はサンシローに、杵崎亨が悪神の使徒として転生していたこと、そして十年前に仕留めたことを伝える。その時の激戦のこと、徹底した事後処理のことも。
『だとすれば奇妙ですね。杵崎亨は、この世界の常識を考慮に入れても、完全に滅んだとしか思えません。』
俺の説明は前後してわかりにくかったが、サンシローにとっては問題じゃない。
思い出したままに役に立ちそうなことを片っ端から話していく。
俺は【不易不労】で疲れないし、サンシローはロボットだから疲れない。とりとめのない話に退屈したりもしない。
聞き手としては最高だ。もっとも、これに慣れてしまっては話し手が堕落しそうではあるな。
俺とサンシローは、お互い疲れ知らずなことを利用して、夜通し情報の共有につとめた。
サンシローから得られた情報は多岐に渡るが、中でも驚いたのは、サンシローが地球のインターネットに接続できることだ。
「おいおい……インターネットが使えるなら、これまでできなかったあんなことやこんなことが……!」
『それだけではありません。私と美凪はグリンプス社の全面的なバックアップを受けています。』
「検索最大手のグリンプスか! ヤバすぎる! これでこの世界の文明水準を数世紀は上げられるッ!」
テンション爆上がりになる俺に、サンシローが冷静に言った。
『まだ、私たちはあなたに協力するとは言っていませんよ?』
「それは……」
たしかにそうだ。
俺は美凪さんから告白を受けた。
返事はまだだ。
この状態で協力を頼むのは虫が良すぎる。
というより、
「交渉をしたいんだな? 今後のことについて」
この十年で政治的な場面にも何度となく出くわしてきた。
その多くは、俺自身が自分で考えて判断を下す必要があった。
そのすべてで成功してきたとはとてもじゃないが言えそうにない。
しかし、多くの経験を得てきたことも事実だ。
『はい。美凪はあなたのことを信用しきっていますが、私はまだ、あなたについて判断する材料が足りないと思っています。』
「それは当然だな」
いきなり告白してくるほど俺のことを想っていた美凪さん。
そりゃ、男としては嬉しい。嬉しいに決まってる。
だが、一人の女性として見た場合、危ういようにも思えてしまう。
『私があなたに要求したいのは、美凪の保護です。あなたにはそれだけの力があるのでしょう?』
「ああ。問題ない。というか、頼まれなくてもそうするつもりだった」
『告白に応える場合でも、拒む場合でも変わりませんか?』
……こいつは、どこまで俺の内心をわかっているのだろうか。
「もちろんだ。美凪さんだけじゃない、サンシローのこともきちんと守る」
『あなたは、私がインターネットに接続できることを喜んでいました。その私の力を使って、あなたは何をしたいのですか? この世界の権力者になりたいのでしょうか?』
「権力になんて興味はないさ。結果的に結構な権力を持ってるかもしれないけどな」
『では、なぜ?』
「この世界を豊かにしたい。日本じゃ、豊かさ以外にも大事なものがあるなんて言われてたけど、この世界はまだそんな段階には達してないんだ。多くの人が、飢餓や理不尽な暴力に晒されてる。それをなんとかするのが――特別な力を持ってしまった俺のミッションなんだと思ってる」
俺は、サンシローの目を真っ向から見てそう言った。
サンシローの目を見ることにどれだけ意味があるかはわからなかったが。
『嘘を言っているようには見えませんね。あなたが天才的なペテン師でもない限りは。』
サンシローがため息をつく(動作をして、そのようなサウンドを出した)。
『わかりました。美凪もあなたのことを信用しているようですし、言動に矛盾もありません。お互いに協力し合う、ということでよろしいでしょうか?』
「ああ。よろしく頼む、サンシロー」
俺とサンシローは握手した。
機械の冷たい手。
人類の叡智もついにここまで来たのかと感動した。
その後、美凪さんのもとに戻るというサンシローと別れて、俺は自分の部屋で、得られた情報の整理を行う。
「気になるのはやっぱ『キザキトオル』か」
精霊核の破壊に一体どんな意味があったのか。
たしかに善神側への嫌がらせにはなるだろうが、今ひとつ、向こうの目的がはっきりしない。
「でも、今のところはなんとかなってる……のかな」
今のところ、精霊核は無事に修復できている。
「何より、そういった連中が暗躍してるって情報が得られたのは大きいな」
連中の企みがなんであれ、俺たちに尻尾を掴まれた時点で終わっている。
今の俺に勝てる存在など、マルクェクトの中にいないと言っていい。
自惚れじゃない。女神様を始めとする神々からの手厚い加護。積み重ねてきた鍛錬。始祖エルフの発明狂アルフェシアさんらとともに開発した魔法の武器・兵器の数々。明日、十万の大軍と戦えと言われても問題なく勝てるだろう。俺の力は、世間の水準を超越している。
十年前はそうではなかった。悪神の使徒は俺よりも強力だった。投槍のゴレス、ガゼイン・ミュンツァー、そして勇者アルシェラートになりすましていた杵崎亨。どれも実力以上の強敵で、死力を尽くしてかろうじて勝てたというのが実情だ。
今回は違う。有利なのはこちらだ。相手がどんな陰謀を巡らせていようと、圧倒的な打撃力で粉砕する。そういうことが、俺にはできる。
考えているうちに、宿の窓が白んできた。
一般的には徹夜したことになるのだろうが、眠る必要のない俺にはいつものことだ。
「……何度目だろうな。眠らずに朝を迎えるのは」
精霊核がダメージを受けたことで、女神様の張り巡らせたスキルシステムには微妙な障害が発生している。【不易不労】はその影響を強く受けているらしい。
いつもなら精神的にも疲れないおかげで、一人で迎える夜明けに、アンニュイな気分になることもない。しかし今はどういうわけか虚しさを感じた。
(夜眠り、夢を見て、朝日とともに目を覚ます。隣を見ると愛しい人の寝顔がある。そんな、ごくあたりまえの生活がうらやましい)
俺は世の中の道理から外れた存在なのだと痛感する。
スキル上げ、MP上げ、クラスの強化、前世知識による技術革新と、できることはやりつくした。
これ以上、何をやればいいというのか。
カンストの果てに見えてきたのは、「これ以上は何もない」という現実だ。
(そろそろ、次のステージに進むべき時だ)
そのための覚悟はもう決めた。
「よし! やるぞ!」
俺はガッツポーズして立ち上がり――
同時に、上から降ってきたものに圧殺された。
あけましておめでとうございます。
NO FATIGUEもそろそろ佳境、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
平成29年 正月
天宮暁