134 東京激震
サンシローと陰陽師がわたしに何も言えないでいる時に、ふすまの奥から声がかかった。
「来客中ぞ?」
「大変な事件が持ち上がりました。首相からも相談の打診が入っております」
陰陽師の答えに、童子の声がそう返す。
童子は陰陽師の許可を得てふすまを開けた。
童子は陰陽師に近づいて耳打ちをする。
陰陽師の顔色が変わった。
「何っ!? テレビを持て!」
陰陽師の言葉を受けて、童子2人が50インチくらいの大型ディスプレイを持ってくる。
陰陽師はその電源プラグを部屋の隅にあるコンセントに差し込み、電源を入れる。
……このどこにあるのだかわからない謎の部屋にも電気が通っているのだなと場違いな感想を抱いてしまった。
映し出されたのはNHKのようだった。
画面の左上に緊急放送の文字が踊り、右上には「在日アメリカ大使館でテロ発生か」のテロップがある。
放送局の現場が混乱していることが、キャスターの後ろを行き交うスタッフや電話の鳴る音、怒号や罵声などからもよくわかった。
「テロ、じゃと?」
老陰陽師がうめく。
「アメリカ大使館……過激派のしわざかしら?」
わたしのつぶやきに、陰陽師が首を振る。
「それはありえぬ」
「……どうしてですか?」
「どうしてこの国がテロリストの攻撃から無縁でいられたと思う? 欧米諸国は軒並みイスラム原理主義勢力などのテロ被害に遭っているというのに」
「それは……ヨーロッパと極東では地理的に離れているからでは?」
「グローバル・ジハードに地理など関係あるものか。この国の政府中枢や主要国の大使館、在日米軍基地、原子力発電所など重要施設にはわしら――宮内庁陰陽部が人払いの結界をかけておるのじゃ。害意のある人間は近づくことができぬ」
「そんなことが……」
この国の背後ではそんな暗闘が繰り広げられていたらしい。
陰陽師と話している間に、テレビの画面が切り替わった。
縦長の動画。スマートフォンで撮影されたものらしい。テロの現場を居合わせた者が撮影した動画なのだろう。
動画には異様なものが写っていた。
「ぬぅ……?」
陰陽師が眉根を寄せる。
そして意外に機敏な手つきでリモコンを操作し、直前の場面をもう一度再生する。
「何これ……?」
そこに写されていたのは、白い化け物だった。
近くにいる米軍兵士が子どもに見えるほどの大きさ。身長は3メートルを超えているかもしれない。
巨人は細身で、全身が白い肉質に覆われている。
両腕は枯れ枝のように細く長い。赤いぎょろりとした目。耳まで裂けた口と、そこからのぞく無数のねじくれた牙。首はなく、頭部は肩に直接つながっていた。
特撮ヒーローに出てくる悪の怪人のような姿だった。
米軍兵士が手にしたライフルで化け物に向かって発砲した。
化け物の白い肉にいくつもの弾痕ができる。
が、化け物は身じろぎひとつしなかった。
ライフルの掃射を受けながらゆっくりと――しかし大股に兵士へと近づいていく。
来るな、来るな! 米軍兵士が叫んでいる。
化け物は、背を向けて逃げ出そうとした兵士の頭を後ろからつかんだ。
枯れ木のように節くれだった細長い腕がぐわんとたわむ。
次の瞬間、兵士の頭が身体から引っこ抜かれていた。
動画はそこで終了し、「しばらくお待ち下さい」の画面に切り替わる。
「妖魔のたぐい……では、ありえぬな」
陰陽師はリモコンを再び操作し、同じ場面をリプレイする。
「この化け物には実体がある」
陰陽師は化け物の白い肉に穿たれた弾痕を指差して言った。
『弾痕が黒いですね。』
サンシローが指摘する。
「うむ。この化け物は白い肉が薄墨色に染まっている。血液が黒いということじゃな」
『静脈血は赤黒いものですが、この弾痕には赤色の成分がありません。赤血球を持たないか、ごく少数しか持っていないことになります。この化け物は酸素を必要としていないことになるでしょう。』
「その弾痕も、数秒後には白い肉に埋ずまり見えなくなった」
『強力な再生能力を持っていることになりますね。言うまでもないことかと思いますが、地球上にこのような生物は存在しません。推定される骨格では、そもそもあの長身に見合う体重を支えることができないはずです。』
陰陽師とアンドロイドの議論が進んでいる間に、キャスターが入ってきた情報を読み上げた。
『――この件について、訪日中のトンプソン合衆国大統領が緊急記者会見を開くとのことです。……えっ? もう!?』
キャスターが素で驚いた声を上げた。
カメラが切り替わり、星条旗と日本国旗が掲げられた会見場を映し出す。
鋭い目つきの大柄な白人男性――トンプソン大統領が、足を肩幅に開き、がっしりした体格を見せつけるように演壇に立つ。トンプソン大統領は元ハリウッド俳優だ。このような異常事態にもかかわらず落ち着き払い、私に任せれば大丈夫だとでも言いたげな堂々たる様子で語り始めた。
『アメリカ大使館近傍で、正体不明の攻撃が発生しました』
トンプソン大統領がそう言った。
攻撃。ずいぶん抽象的な言い方だ。
『私は軍に、即座に攻撃者を撃破するよう命じました。結果として、攻撃者の一部を撃破することに成功しました』
会見場からはバタバタと物音が聞こえる。大統領はすべてのメディアが入るのを待たずに会見を始めたようだ。
『しかし、攻撃者の一部は都内へと逃亡、潜伏していると思われます』
会見場がどよめいた。
『既に竹中首相からの要請を受け、在日米軍が都内に展開中です。もちろん、竹中首相は自衛隊にも出動命令を出しています。日米の共同作戦です。攻撃者の捕捉、撃破は遠からず成し遂げられることでしょう』
会見場はどよめきを通り越して、悲鳴とも怒号ともつかない叫び声で埋め尽くされた。
当然だろう。日本の首都・東京が、自衛隊だけでは対処できないような未曾有の危機に襲われているというのだから。
いつまでも静まらない記者席にトンプソン大統領が苛立ちを見せた。
『うろたえるな!』
大統領の一喝に、会見場が静まり返った。
『かつてない事態であることは事実です。しかし、日米同盟は世界最強の同盟です。いかなる事態にも対処できると確信しています』
そこで、演壇に1人の男が飛び込んできた。
中肉中背、特徴的な黒縁の眼鏡をかけた日本人。
竹中
『サク、続きを頼むよ』
トンプソン大統領が冗談めかして言った。
トンプソン大統領と竹中総理は「サク」「ロジュ」と呼び合う仲だと言われている。
中曽根・レーガン時代以来の日米蜜月の時代だとメディアでは言われていた。
『代わりました、竹中です。緊急事態につき、挨拶は省かせていただきます』
竹中は演台袖から差し出されたコップの水を飲み干した。
『失礼。まず、本案件に対する日本政府の対応です。つい先刻、トンプソン大統領及び警察からの報告を受けて内閣総理大臣竹中参作は自衛隊に緊急展開を命じました。既にアメリカ大使館を中心とする半径3キロの範囲内を封鎖済みです。範囲内にまだ残っている国民の皆さんにも避難いただいている最中であります』
会見は質疑応答へと切り替わった。
『先ほどから『攻撃』や『攻撃者』という言葉を使われておられますが、その正体については判明していないのでしょうか?』
記者の当然の質問に、ロジャーとサクが顔を見合わせる。
竹中が進み出て答える。
『残念ながら現時点では不明と答えるしかありません』
『ネット上にはテロを録画したとされる動画が多数出回っていますが、政府としてはこれらの動画についてどのようなご見解をお持ちでしょうか?』
『動画についてはまだすべてを確認できてはおりません。ただ、『攻撃者』が何らかの生物兵器ではないかという疑惑は討議されています』
竹中総理の発言に記者たちがざわめく。
その後も、両国首脳は詳細は不明の一点張りで埒があかないまま会見は終了となる。
テレビから視線を戻すと、老陰陽師は携帯電話を片手に誰かと話していた。
「……そうか、わかった」
陰陽師が電話を切る。
『何かわかりましたか?』
サンシローが聞く。
「うむ。日米両国政府はあれは生物兵器だという線で捜査を行っているらしい。化け物はあれ1体だけではなく、十数体出現し、うち3体を米軍が、1体を警察の特殊部隊が撃破している。最初に出動した機動隊には多大な被害が出ておるようじゃ」
『ライフル弾が効いていないようでしたが?』
「対戦車ロケットや攻撃ヘリの大口径機銃は有効らしい。それとて化け物が完全にバラバラになるまで撃ち込んでようやく仕留められたらしいのじゃが」
『警察の特殊部隊はよく撃破できましたね?』
「外国軍の小部隊が上陸しても対処できるだけの装備を持つ特殊部隊じゃったからな。運がよかったともいえる」
陰陽師が短く息をついた。
「こうなってみると、今日こうして美凪殿たちに来てもらったのは正解じゃったな」
『オールド・マギ。あなたはレティシア・ルダメイアと名乗る女がこの件の背後にいると考えるのですか?』
「他にどう考えようがある? 異界が存在するかいなかについてはわしの知る限りの魔術の知識ではわからぬ。それこそバチカンの異端審問官であれば知っておるかもしれぬがな。が、杵崎ノートに記されていた言語をしゃべる女は今東京にいるのだろう? ふたつの異常事が偶然同じ時期に起きたとでも言うつもりか」
『その可能性は低いでしょう。』
「レティシアと呼ばれる女については既に確保するよう官房長官に進言しておいた」
今の電話の相手は官房長官だったようだ。
「……が、どうも嫌な予感がしてならぬ」
「予感、ですか?」
「ただの予感ではない。呪術者としての直感的なものじゃ。わしは何かに違和感を覚えておる。しかしその正体がわからぬ」
『その予感と一致するかはわかりませんが、サンシローは不確実ながら気になる現象を確認しています。』
「ほう? 教えてくれぬか」
『アメリカ合衆国大統領ロジャー・サリヴァン・トンプソン氏は、ミナギ同様の洗脳状態にあるおそれがあります。』
サンシローの言葉に、わたしと陰陽師が凍りついた。
「なんじゃと!?」
『呼吸のリズム、瞬きの回数、視線の変動等、特徴的な変化がありました。もっとも、洗脳状態における生理的な変化については研究データが極めて少ないため、あくまでもその可能性があるという程度にすぎません。ただし、就任以来のスピーチの動画と比較検討したところ、以上のような特徴は今回の会見に特異的に見られるものでした。』
「なんであれ普段と様子が違うことは事実ということじゃな。それならば最悪を想定して動く必要はあるか。……竹中総理は?」
『今のところ、変化は観測されていません。』
「不幸中の幸いじゃな。しかしだとすると、トンプソン大統領は事態の黒幕とつながりがありながら事態の対処にも当たっているということになるが」
『トンプソン大統領がその状況を認識しているかどうかはわかりません。大統領は元俳優であり、嘘をつく必要のある場面でもその徴候を押し隠すことができる可能性が高いと思われます。』
「知らずにやっておるのか、知っていて演技しておるのか、か。だが、このようなことをしてアメリカに何の得がある?」
『それは違います、オールド・マギ。レティシア・ルダメイアにどのような得があるのか、です。』
「そうじゃな。レティシアという女は、単独で行動しておると見ていいのか? あるいは、異世界からの尖兵と見るべきなのか?」
陰陽師が心配しているのは、レティシアさんの背後に異世界の勢力がいるかどうかだろう。
異世界からの侵略。その可能性に気づいてゾッとした。
『可能性は低いかと思われます。ミナギに対してレティシアが発した質問からは、個人の好奇心を満たしたいという以外の動機は感じ取れません。』
「しかし大統領を抑えられては、日本国政府がレティシアを拘束することは難しいやもしれぬな。いや、美凪殿のように、近づいただけでマインドコントロールされるおそれがあるのじゃったな。これでは不用意に近づけぬ」
『それだけではありません。合衆国大統領が洗脳されているのでしたら、その周辺も洗脳済みと見るべきでしょう。日本国政府内にもレティシアのスパイと化した人間が複数いると考えるべきです。』
「おぬしにであれば、洗脳されているかどうかを識別できるのか?」
『その人物の普段の様子がわかれば可能ですが、大統領のようにはいかないでしょう。』
「それでも閣僚級ならば国会答弁等と比較すればわかるかの?」
『わかります。』
「今できるのはそれくらいか。じゃが、その女は結局何を欲しているのじゃ?」
『それは……サンシローには判断できません。インチューイション3は人間の行動動機についてはごく表層的な理論モデルを構築するにとどまっています。ミナギの見解はどうですか?』
「えっ、わたし?」
いきなり話を振られて驚く。
『ミナギはレティシアと短時間ながら濃密な関係にありました。』
「濃密、ね……」
洗脳によってレティシアさんに魅了されたわたしは、たしかに彼女に対して強い感情と関心を持ってその時間を過ごしている。
「レティシアさんにあるのは、破滅願望じゃないかしら」
「破滅願望じゃと?」
「はい。レティシアさんは退屈なんです。彼女は頭の回転が早く、記憶力も抜群です」
『ミナギも頭の回転が早く、記憶力が高いですが、比較してどうですか?』
「さぁ、自分ではわからないわね。ただ、単純な記憶力ではレティシアさんの方が上でしょう。というより、彼女は目にしたものを簡単には忘れられないようなの」
『瞬間像素質者、でしょうか。』
「かもしれないわね。とにかくレティシアさんは幼い頃から辛い目に遭って、しかも記憶力のせいでそれを忘れられない」
『深刻なPTSDを患っているということでしょうか?』
「わたしは精神科医ではないからわからないけれど、その可能性もあるわ」
「そのことと破滅願望がどう結びつくのじゃ?」
「レティシアさんは最悪の過去を忘れられない。知らず知らずのうちに、その最悪の過去が人生の基準になってしまっているの。最悪の過去は最悪の感情を巻き起こすけれど、彼女にとってはその最悪が普通の状態なのね。だから、世の中の大半のことが、凡庸で刺激が少なく、退屈極まりないことのように感じられる。レティシアさんは最悪の過去を超えるような『最悪』を追い求めているの。それによって最悪の過去を上書きして消したいのかもしれない。あるいは、自分の退屈を埋めるにはそれしかないと思っているのかもしれない」
「……ふむ」
わたしの説明はたどたどしかったが、陰陽師は頷いて考えこむ。
「わしは戦後の生まれでな」
陰陽師が唐突に言った。
「父は中国大陸にいた軍人じゃ。父は精神の平衡を欠いていた。戦争は刺激的だった、また戦争をしたいと常々繰り返していた狂人じゃった。高度経済成長を遂げる我が国を見て、つまらぬ、つまらぬと言っていたよ」
わたしとサンシローは顔を見合わせた。
「わしはそんな父が嫌いじゃった。憎んでいた。しかし同時に呪縛されてもおった。じゃから呪術の世界に魅せられた。日常の裏に潜む神秘。父に戦争などつまらぬと言い返したいがために深入りしたが、結局わしも日常はつまらぬと思っておったということじゃ」
『レティシア・ルダメイアもそうだと?』
「それはわからぬよ。他人の心のうちなど誰が読めよう? とまれ、その女は危険じゃな。今回のことはこれから起こることの端緒に過ぎぬであろう」
「でも……どうすれば……」
わたしのつぶやきに、陰陽師もアンドロイドも黙りこんだ。
その沈黙を、機械音が破った。
わたしのスマートフォンの着信音だ。
あわててハンドバッグからスマートフォンを取り出す。
そして、画面に表示された名前を見て、わたしは動きを止めた。
――レティシア・ルダメイア。
レティシアさんからの着信だ。