三話
広場は賑わいに賑わっていた。
一人の男、一つの荷台を中心に、男も女も集まって、わいわいきゃあきゃあと騒いでいる。
箱型の荷台は巨大で背が高く、戸を開くと中から棚が滑り出て、ずらりとならんだ商品が見られる移動屋台のようだった。
商品は色とりどりの服、また服に、装飾品やら靴やらだ。
商人は御者台に乗り上がり、朗々と宣伝文句を謡っている。
「さぁさぁごらんよ来てみてこらん! 没落貴族の質流れから、舞台女優の払い下げ! 出所不詳の怪しげな品々に至るまで、安さと品質をそなえた一級品が勢ぞろい! お、そこのお嬢さん! ずいぶん背が高いじゃないか、いつも服にお困りだろう? ご心配なく! 当店の品ぞろえなら、必ずぴったりの一着が見つかるはずだ!」
「女物しかないのかって? 冗談をいっちゃいけねぇや! 裏をごらんよ、男物だ! 行き倒れ騎士からかっぱいだ鎧から、食い詰め芸人の一張羅まで、どんなやぼったい男でも、うちの店で服をそろえりゃ女どもが放っておかないって寸法よ!」
「そして重要なのはここからだ! 要らない服があるだろう? もう着ない服があるだろう? もってきてくれ、俺が買う! 差額で新しい服が手に入るなんて、最高だと思わないか? さあ、思いだしたか? 要らない服があったなって? 急いだ急いだ! 家に戻って取ってこい!」
商人は御者台の上から身を乗り出し、ほとんど飛んだり跳ねたりしながら、遠巻きに見ている村人まで巻き込んで広場に熱気の渦を巻き起こしている。
商人に煽られて、いそいそと家にとって帰す村人がバラバラと現れる。
俺とゼロとクマはそんな商人を遠巻きに見て、ただただポカンと立っている。
「なんでこんな田舎の村で、わざわざあんな商売してんだ、あいつ」
「分かんねぇけど、この村に魔女がいるって確認したら、急に店を広げちまって……」
「まあ、我輩は存在を隠しているわけではない。噂話で聞いたのならば、知っていても特に不思議はないのだが……」
やたらと機敏に動くくせに、えらくずんぐりとした体形の男だった。
陽気に喋るが人相は悪く、つるりと禿げた頭は日の光を受けてピカピカと輝いている。
そのハゲが、ふと人垣を挟んで俺達の存在に気が付いた。
視線が絡む。
その時。
「――あ」
「……おお」
「あっぁあああああぁ!」
俺とゼロと商人が、ほぼ同時に声を上げた。
声を上げると同時に、俺は全身の毛を逆立て、ゼロも無言で半歩下がる。
クマはそんな俺達を見て「なに? 知り合い?」と状況が理解できていない様子だが、ありていに言ってしまえば「お会いしたくない」部類の知り合いだ。
だが、どうやら向こうにとってはそうじゃない。
「いたぁああぁ! いらっしゃった俺の女神ぃいい!!」
商人は叫ぶなり、信じられない機敏さで人垣をすり抜け、ゼロに向かって突っ込んできた。
俺はゼロを後ろに下げて前に踏み出し、跳び込んできた変質者を、拳で地面に叩き伏せる。
「ぎゃぴ……ッ」
と、変な音がなった。
いや声か?
なんでもいいが、殴られた衝撃で地面に半ばめり込んだ商人は、それでもめげずに体を起こし、鋼の精神でゼロに這い寄ろうとする。
容赦はしない。
俺はそのハゲ頭を踏みつけた。クマが青ざめて俺の肩を掴む。
「お、おいおいおい傭兵! さすがにまずいだろ! 商人相手にこんな――!」
「こいつはいいんだよ」
「いいって、何が!」
「おい変態ハゲ店主。てめぇなんでここにいる」
「決まってんだろうが! 愛ゆえにだよ!!」
元気よく言い返した商人に顎をしゃくって、俺はクマに「ほらな」と示す。
殺しても死なないしぶとさをもった商人だ。
そしてその原動力は、主にゼロに対する変態的な欲求による。
どうしたって歓迎できる相手じゃない。
「どういう知り合いなんだ……?」
「いや……何年か前にな、こいつの店で魔女の服を買ったんだよ」
はぁ、とクマは「そりゃ服屋だからな」と言わんばかりの声を上げる。
「そのときこいつが魔女の魔性の美貌にあてられてな。もともと変態だったのが、魔女の靴下を手に入れるためにウェニアス王国の主席魔法使いに脅迫状を送るような凶悪な変態に成り下がった」
「うわぁ、やべぇな」
「だろう?」
「異議あり! 異議あり異議あーり! それはお前らが俺の宝を奪っておいて、約束を守らなかったせいだ! 俺だって好きでやったんじゃねえ!」
「うるせぇ喋んな。変態がうつる」
地面に伏したままじたばたと手足を振り回す商人を、俺はさらに強く踏む。
ゼロは俺の後ろからそろりと顔をのぞかせて、めげない商人の姿に「恐るべき執念だな」と他人事のような言葉を吐いた。
「俺は……俺はなぁ……! お前にふん縛られて、お嬢さんの靴下と一緒に店の床に転がされて、一晩身動き取れずに過ごしたんだ……! 分かるか!? 俺は一晩もの間、お嬢さんの靴下の鮮度をただただ劣化させちまったんだぞ!!」
クマは俺を見る。
「靴下の鮮度って?」
「俺に聞かれてもな……」
「っていうか、なんでゼロの靴下と一緒に?」
「色々あってな」
説明するのも馬鹿らしい経緯がそこにある。
馬鹿らしすぎて記憶から消していたくらいだ。
「それで、どうするのだ? 傭兵。商人の来訪は、村人にとってはありがたい事件のようだが……」
ゼロは、俺達を遠巻きに見守っている村人たちに視線を投げる。
この変態から服を買うために集まった客たちが、何がおこったのかと不安げに俺達を見ていた。
「いくら商人がありがたいっつっても……こいつじゃなぁ……」
「なぁに偉そうにふかしてんだ、毛玉野郎。俺は商売はきちんとやるぜ! しかもこの村は俺の女神の村だ! 聞いたぜぇ? この村、交易してねぇんだってな? 商人も立ち寄らねぇんだってな? 隣村と物々交換だけだってなぁ!」
「なんで詳しいんだよ、殺すぞ」
俺の脅しをものともせずに、商人は頭から俺の足を押しのけ、体中の泥を払いながら立ち上がった。
この図太さ、しぶとさには恐れ入る。
「俺だって商人よ。勝算のない商売をする気はねぇさ。つまりこの村は、どこの商人も手をつけちゃいねぇって事だろう? 魔女がいるってのに、ああもったいねぇ!」
「まさか魔女の服でも転売する気じゃねぇだろうな」
「そんなもったいない事誰がするか! 女神の柔肌にふれた聖遺物だぞ!? 俺が責任もって保管するに決まってんだろうが!」
気持ち悪い。
マジで。
気色悪さが留まるところを知らない。
上限ぶち破って気色悪い。
――だというのに。
「俺はもともとウェニアス王国の商人だ。ウェニアス王国っつったら、生きたおとぎ話――古の魔女、偉大なるソーレナよ。知ってるか? ソーレナの作る薬ってのは、どんな病気もたちどころに治しちまうって評判だった。だが商売人の手には絶対に渡らなかった」
「だから、うちの魔女に薬を作らせようって?」
「話がはえぇじゃねぇか毛玉野郎。そうだ、俺はここに来るまでの間、魔女ってぇ存在についてとことん調べた。そしたらまあ、出てくる出てくる、便利そうな不思議道具の情報の数々! 薬に限定はしねぇが、お嬢さん――あいや魔女様なら、何か魔女ならではの商品を生み出せるんじゃねぇかって考えよ!」
ここだけまともだ。
まともな商人の理論展開だ。
俺の後ろに隠れていたゼロが、ようやく少し前に出てくる。
「ふぅん……つまり君は、我輩の作るものに値段をつけて買い取り、それを町で売りさばこうというわけか?」
「そうです、魔女様! この商人ブロドラの名に懸けて、魔女様に損は絶対させやせん!」
「え、お前名前あったのか……? 変態って名前じゃなかったのか?」
「んなわけあるかだぁってろ毛玉ぁ! 俺は今魔女様と商談してんだ! その高く売れそうな毛皮だけおいて消えろ!」
今のは毛並みを褒められたのか? それともケンカを売られたのか?
まあどっちでもいい。
俺はゼロを見下ろした。
「商談だとよ。するのか?」
「渡りに船ではあるな。――変態よ」
「はい! 変態です!」
俺はゼロの肩を叩いた。
「せめて商人って呼んでやれ。ガキの教育に悪い」
「おお、そうか。――では商人よ。君は見たところ古着屋だが、そのほかの商品も扱うのか?」
「俺ぁなんでも扱いますですよ。ええもう、魔女様が扱えって言うならなんだって」
「村に商店を開くのか?」
「それはもうちょい先になるでしょうなあ。村の連中に服を売ろうとした感触だと、ここで店を開いても、村の連中には俺の店に払う金がねぇ。まずは、俺がこの村であれこれ買い取って、それをよそに売りに行く。そっから始めようとは思ってる感じですわ」
ゼロは俺を見上げた。
「まともだぞ、傭兵」
「曲がりなりにも、ウェニアスに店を持ってただけのこたぁあるわな……」
「なあ、商人さん。魔女の作ったもの以外だと、どんなのを買い取ってくれるんだ? さっき古着を買い取るって言ってたけどよ」
クマの質問に、商人は「よくぞきいてくれた!」と胸を張る。
「俺は基本は古着屋だからよ、当然古着を買いとる。だが、ただの古着じゃねぇ。おう兄ちゃん、なかなか見てくれいいじゃねえか。画家を呼ぶから似顔絵を描いてもらえ」
「はぁ? なんで似顔絵」
「そんで、似顔絵付きで古着を売る」
「……はぁ?」
俺とゼロとクマは、全員同時に聞き返した。
似顔絵付きの古着って言ったか、こいつ。
なんだそれは。どういう意図だ。
「俺は気づいたんだ……気づかされちまったんだ。俺が魔女様の服を求めたように、世の中の男どもは顔のいい舞台女優の古着に馬鹿みたいな金を出した。女どももそうだ! 人気の役者の腰ひもを競り合った!」
商人は目を血走らせ、唾を飛ばして熱く語る。
「古着は売れる! 有名人の古着じゃなくてもいい。見た目のいいやつの似顔絵をつけりゃあ、五倍十倍の値段で売れる! 可愛い女の下着は男に売れる。色男の下着は女に売れる! ところで魔女様! じつは質のい~い靴下がたくさんありましてね? いやいや、こいつらはもちろん新品で。魔女様がい、い、今おみ足にめしていらっしゃる靴下を払い下げてくださるんでしたら……!」
俺は再び商人を殴った。
正面から、顔面を。
商人はゼロに迫るだらしのない笑顔のまま昏倒し、今度こそ地面に伏したままピクリとも動かなくなる。
ゼロはそんな商人を見下ろして、
「……まあ、魔女の村に出入りするなら、これくらいのイロモノでなければやっていけないかもしれないな……」
とどこか遠い目で言った。