二話
「聞いたぞ、傭兵。先生を泣かせたそうではないか」
小さい村はこれだから嫌なんだ。
先生が店を飛び出していった翌朝、店にやってくるなり核心をついたゼロを、俺はじろりと睨み下ろした。
「泣かせてねぇよ。ご注文は?」
「噂話を一つ。酒場では噂話を仕入れるものだと、我輩は君から教わったのだ。我輩も一度やってみたいと思っていてな。ここにくる道中で耳に挟んだ噂話の真相を、是非とも銀貨一枚で買い取りたいと思っている」
キン、とゼロが銀貨を一枚、指ではじいて俺によこした。
俺はそれを会計用の革袋に押し込んで、「“いつもの”だな」と言って料理に取り掛かる。
「む……! ど、どういう事だ、傭兵! 我輩は噂話を買うと言ったのだ!」
「俺は売るとは言ってねぇ。お前が勝手に払ったんだろ」
「こ、この会話……どこかで見た事があるぞ。主にがめつい店主が、さらなる銀貨を要求する時の問答ではないか!」
「おあいにく様。世間知らずは悪徳酒場で巻き上げられるのが世の常だ。今の銀貨は勉強料だと思うんだな」
俺が舌を出して言うと、ゼロは楽しそうにくつくつと笑った。
「で? どんな噂を聞いたんだ?」
「しかも我輩から情報を聞き出そうと言うのか? あきれた悪徳店主もいたものだな」
「いくらで話す?」
「肉を一枚余分に焼いてくれ。それで――」
「先生を泣かせたそうですね、傭兵」
俺がゼロと取引ごっこに興じていると、なぜか神父がやってきて、ゼロと同じ質問を口にするものだから、俺は膝から崩れ落ちそうになった。
「泣かせてねぇよ! なんでお前まで知ってんだよ!」
「教会にもまた、迷える民草の悩み事が集まるものです。ハルスフル女史は自分の傲慢さを傭兵に指摘され、苦悩の果てに懺悔しに私の教会へ」
「誰だって?」
「先生の名前ですよ。腐臭がすると思ったらあなたの脳みそでしたか」
だから北部の人間の名前は長ったらしくて覚えにくいんだって。
俺は舌打ちした。
「で、先生のひそやかな懺悔を、お前が村の連中に吹聴して回ったのか? ――ご注文は?」
「ゼロと同じものを。――昨晩、代筆を頼まれていたハルスフル女史は皮なめし職人の店に向かい、仕事の最中にしくしくと泣き出したそうです」
「え、な、泣い――マジでか!? なんで!」
「あなたがいじめたからでは?」
さらりと言われて、俺は急に落ち着かない気持ちになる。
怒って出て行ったんだと思ってたが――まさか、あの時先生は泣いてたのか。
「職人は火傷でただれた自分の顔に先生が怯えて泣き出したのだと思い込み、代筆なんて頼んで済まないと謝罪しました。それを聞いたハルスフル女史も慌てふためき、“違うんです。ただ自分の傲慢さが許せなくて”と胸の内を打ち明けた。これは自分一人では手に負えない問題だと考えた職人は近隣住民を集めて先生の相談を聞き、先生は彼らにぐいぐいと背中を押される形で私の教会へ懺悔にきたという運びです」
立て板に水でとうとうと語る神父の声に、耳を塞ぎたい衝動をどうにかこらえた。
俺は二人に背を向けて料理に取り掛かりながら、もごもごと、口の中で言い分を転がす。
「俺は別に、泣かせようとおもったわけじゃ……ただ、もっと自分を大事にしろって言うか、労働にはそれなりの対価をっていうか……」
「それを、か弱い婦人にどう伝えたんですか?」
「どうって……そりゃ、いつも通りに……」
なに、とゼロが声を上げる。
「では脅したのか」
「脅してねぇよ!」
「言い方を変えよう。その鋭い目を恐ろしげに細めて背を丸め、カウンターに身を乗り出した挙句、声を低くして反論を許さず責めたのか?」
俺は昨夜の自分を思い出す。
なんだか急に脅したような気がしていた。
「まあ……報酬を受け取らないなら、もう助言はきかねぇとは言ったな……」
「不機嫌そうに?」
「じょ、上機嫌ではなかったしな……?」
ははぁ、とゼロは頷いた。
「脅したんだな」
「脅したんですね」
「脅したよ! あぁ脅したともよ! はいはい俺がわるぅ御座いましたよ! だってしょうがねぇじゃねえか、か弱いご婦人にどう接していいかなんて知らねぇんだから!」
「だからと言って、我輩に対するように接してどうする。我輩ですら、君の心無い言葉には時々心を傷つけられるというのに」
ゼロが胸を押さえて苦しげに眉をひそめた。
そんなゼロを、神父が「かわいそうに」とわざとらしく慰めている。
「くだらねぇ猿芝居に払う金はねぇぞ……! ほらよ、とっとと飯食って帰れお前ら!」
俺はゼロと神父の前に、料理を並べる。
ゼロは嬉々としてフォークを手に取り、焼き立ての鶏むね肉を頬張った。ニンニクで香りをつけて、軽く塩を振っただけの簡単な逸品だが、肉は柔らかくなるように叩いてある。
「しかし、傭兵。君はこうして料理を振る舞う事に、金銭を要求しないな」
「そりゃそうだろ。俺が店の献立に値段付けて並べて見ろ。村中の人間があっという間に破産して餓死者が出るぞ」
「思うのだが……何も料理をしなくとも、村人に家族単位で小麦や食材を供給するだけでいいのではないか?」
「……へあ?」
俺は間抜けに聞き返した。
スープを口に含みかけていた神父が、そんな俺の間抜けな声に軽く吹き出してむせ返る。
だが、神父の事はどうでもいい。
俺は何度か口を閉じ開きし、咄嗟に出てこなかった答えを求めて視線をあちこちに走らせた。
えーと、あれだ。
たぶんそうだな。
「む、村人それぞれに食糧を配布するより、俺が作っちまった方が無駄が少ない……から?」
例えば、十人分の卵料理を作るとする。
十人がそれぞれ作れば当然卵は十個必要だが、まとめてつくると8個くらいで済んだりする。
料理ってのは基本的に、作る量が少ない程効率が悪くなる。
「しかし、君は毎日献立を変えるだろう? それに客が選べるように、数種類の献立を用意している。真に効率よく食糧を供給するためならば、君は画一的な食事を決められた時間に決められた量だけ配給すればいい。――違うか?」
「それは……そうだが……」
俺はゼロに向かってぐいと身を乗り出した。
「……おまえはそれでいいのか?」
「我輩は絶対嫌だが」
ゼロは自分の皿に乗ってる料理を守るようなしぐさをしつつ、「しかしだ」と俺を見る。
「我輩が言いたいのは、だ。君はその料理の腕を、“報酬を得るべき技術”としてまるで考えていなかった。とすると、先生もそれと同じなのではないか? できるから、やっている。やりたいから、やっている。特にそれが特別な事だとも思わずに」
「そ……れは……」
言われてみれば、そうかもしれない。
実際俺はこの一年で、先生が周りに施しを与えていると感じた事は一度もない。
先生のおかげで、読み書きができるようになった村人がいる。
村のガキどもは、恐るべきことに計算ができる。
それを、先生は「私の誇りです」と胸を張って言っていた。大工が自分の立てた家を誇るように、俺が自分の料理を誇るように。
「君は、君の料理が“村人にとって絶対に必要なものだ”と感じていたから、対価を取らずに働いていた。そして先生も、自らの行動が傭兵の料理のようなものだと考えていたから、対価を取らずにいた。――とすると、先生に報酬を取れと進言した君こそ、先生の仕事を“村の発展には不必要な贅沢である”と考えていた事にはなるまいか」
なる。
うわぁ、なります。なってしまいます。
俺は壊れかけたくるみ割り人形みたいにぎこちない動きで、神父を見た。
気づいてたのか? なあおまえ、俺のこの傲慢に気づいてたのか?
神父はぺろりと食事を平らげ、さっそうと立ち上がる。
「解決したようですので、私は帰ります。先生の相談もまさにそこでしたので」
「へぁ!?」
「彼女は私にこう言ってきたんですよ。“私の仕事は村にとって不必要なのでしょうか。いちいち金銭を要求しなければならないほどに。自分が必要とされていると考えていた私は、傲慢だったのでしょうか”と」
うわぁ、すげぇ罪悪感。
「や……しかし……けど……だって、じゃあ先生はどうやって稼ぐんだよ! この一年、先生は銅貨一枚も村人から受け取ってねぇって言うんだぞ!」
「新しい商売を提案すればいいのでは?」
「たとえば?」
「手紙の代筆に絵を付けるとか――先生は絵も上手なんですよ」
知ってましたか? と聞かれて、まったく存じ上げなかった俺は神父への敗北を認めざるを得なかった。
こいつは確かに村の神父で、村人の事をよく知ってる。
対して俺は自分の常識を先生に当てはめて責めたクソ野郎だ。
翠髪をなびかせ、さっそうと去っていく神父と対照的に、俺がカウンターに突っ伏して頭を抱えると、ゼロの手が伸びてきて俺の頭をわしわしと撫でた。
「価値観の相違というやつだな。しかし結果として、先生も君と同じく“価値”というものについて考えるだろう。自らの労働と、他者の労働を貨幣という数字に置き換え、等価になるように立ち振る舞う。我輩も、そろそろなにか“売り物”という概念を考える時かもしれないな」
「売り物……そうだ……昨日の夜、先生と産業がどうのって話してて……俺はただ、先生の助言には報酬を出す価値があると思ったから……」
村の発展に不必要だなんて、少しも思っていなかった。
そして同じように先生も、村人に施しているなんて少しも思っちゃいなかったんだろう。
価値観の相違――。
そうか、俺から見た価値と、先生から見た価値と、同じものに対する評価でこうも違うものなのか。
当たり前のことだ。
知っていたはずだ。
なのに、俺は自分の価値観を押し付けた。
根無し草の傭兵生活なら、気づかずに通り過ぎて行ったはずの価値観だ。
それが同じ村で暮らしていると、事故のように正面からぶつかり合う。
「俺、先生に謝んねぇと……だよな……」
「銀貨一枚で、付き添ってやってもいいぞ?」
くくく、とゼロは笑う。
情けない事に、本当に払ってついてきてもらいてぇ気分だ……。
そこに、三人目の来客が飛び込んできた。
「おい、傭兵――!」
「先生を泣かせたんだって? って聞いたらぶっ飛ばすぞクマ!」
筋骨隆々の大男――大工のクマだ。
俺が先手を取って怒鳴りつけると、クマは店の入口で固まって、広場の方を指さす。
「ああ、あの噂マジだったんだな。そんな事より、ちょっと来てくれ! 広場に商人がきてるんだ!」
「商人!? なんでこの村に!?」
「知らねぇけど……あいつ、ここに魔女がいるって知ってる!」