一話
「パンと塩漬け肉と葡萄酒を。あと……もしあれば野菜を少し」
そう言って、カウンターに銅貨を数枚置いたのは、この村での教育を一手に担っている先生だ。
もともと北部で家庭教師をやっていたが、町が滅んでウェニアス王国に流れ着き、新しい村での生活に「教育が必要ですね!」とばかりに、メガネをきらめかせてこの村にやって来た。
その胸に秘めた情熱を体現したような赤毛に、針金のようにピンと伸びた背筋――そして、絶望的に低い身長。
これが先生を表す全てだ。
「野菜ねぇ。この前、隣村の連中から大量に仕入れたばかりだし、こいつはいらねぇよ」
俺は先生に銅貨を返す。
基本的に、村の内部で貨幣のやり取りは行われない。
それは「みんなで村を作る」という一つの目的があるからだ。
酒場は店ではなく、いわば食糧の供給場所で、一定の供給量を超えた「贅沢」を求めるときだけそれに見合った金を取る。
野菜はこの村では高級品だ。
自分の家の庭先で野菜を作ってる奴らもいるが、そもそもこの村は農村じゃない。
大規模な畑もないし、あれこれ忙しいなかで人手の大半を畑仕事に割くなんて事も不可能だ。
最初は「小麦粉がないとパンが作れねぇ」って事で小麦畑を作ったが、隣村が肉と小麦を交換してくれるようになってから、さほど畑づくりに力が入っていない。
もちろん、凶作や交易断絶なんかの可能性を考えると、小麦畑くらいはあった方がいいんだが……。
なにせ現状、この村の交易先は隣村だけだからな。
そこが命綱って状況は、はやいところどうにかすべきだ。
「なあ先生。やっぱり畑仕事に本腰入れるべきだと思うか?」
「それは、私が野菜をくれと言ったから?」
「村っつったら農村って印象もあるしなぁ」
俺が返した銅貨を指先で引き寄せながら、先生は溜息を吐いた。
「まあ……たしかに。一次産業をおろそかにしておきながら、これと言った二次産業もないのがこの村です。ゼロさんが占いで獲物の場所を特定できなければ、傭兵さんによる狩りの成功率もまちまちでしょうし……不安定ではありますね」
「ちょい待ち」
俺はさっと手を上げた。
先生は首を傾げる。
「産業がなんだって?」
「一次産業と二次産業?」
「馬鹿にも分かるように」
ああ、と先生は頷いた。
こほんと咳払いする。
「失礼しました。ええと……採取と加工です。木を切ったり、作物を育てたり、獲物を狩ったりが一次産業ですね。二次産業は、家具づくりとか、鍛冶とか、何かを作る仕事のことです」
「なるほど」
「そして、二次産業の人々は作ったものを売る事で、一次産業の人々から食べ物を買うわけです。一次産業に従事していれば、お金がなくても最低限食べ物は自分で作れますが……」
「この村には、売って金に換えるものもないのに、自分達で食い物を育ててもいないと」
「そうなります」
「なんとなく、一年間狩りと隣町との交易だけでやってきたが、やっぱり微妙にヤバくねぇか?」
先生は眉間にしわをよせ、うーんと悩んだ。
会話をしながらも、俺は皿の上に塩漬け肉とパンと野菜を盛りつけて、ワインを注いでカウンターに置く。
「確かに、傭兵さんとゼロさんがいなくなれば、この村は飢えるでしょうね。ですが、農村だって安定しているわけじゃありませんよ?」
「というと?」
「天候に恵まれずに作物が実らなければ、農村であろうと飢えるでしょう?」
「そりゃそうだが……」
「その点、二次産業に不作はありません。原材料を手に入れられないという問題は発生する可能性もありますが……どこかで原料を買ってくる事はできる。種をまいたのに実らないという事が起こらないのが二次産業です。原料がありさえすれば、包丁は必ず作れる。そして包丁は誰もが欲しがりますから、それを原価以上の値段で売ればいい」
「じゃ、二次産業の方が安定するのか?」
「唯一無二の包丁を作れるのなら、そうだと言えますね」
俺は悩んだ。
結局のところ、だ。
「食糧を作るか、包丁を作るか、どっちかはした方がいいって事だよな?」
「森での狩猟に頼っていても、現状では問題ないですが……そうですね。狩猟をこの村の産業にするのなら、それにもそれなりの備えがいります。村を立ち上げたから一年と少し――余力も出てきましたし、産業について考えるのはありかもしれませんね」
うんうんと頷いて、先生は葡萄酒を傾ける。
「この村の場合、やはり魔女であるゼロさんの存在が大きいですから、それをもとに何か考えられればいいんですけど」
「あいつの下着でも売るか?」
だん! と食事ナイフがカウンターに突き刺さった。
無表情に俺を見る先生の目が怖い。
俺はすいと視線をそらし、
「下品な事言ってすみませんでした……」
とガキのように謝罪した。
しかし産業……産業かぁ。
「とりあえず――という事なら、狩りにともなう二次産業もありますよ?」
傭兵さんは狩りが得意ですから、と言いながら、先生はカウンターに突き立てたナイフを引き抜いた。
「例えば?」
「まずは毛皮です。綺麗になめせば十分に売り物になる」
「ああ……なるほど?」
「牙や爪も、加工すれば武器や装飾品になる。狩猟を生業にしている村は、肉だけではなく動物から得られる様々なものを売り物にするのが常です。今までは、この村での生活に使うために加工してきましたが……」
この村は大陸の南寄りにある。
暖かい気候だが、冬になれば雪も降るし、毛皮の外套は“毛深くない”人間にとってはありがたい。
もちろん、自前で毛皮を持ってる俺には無用の長物だが……。
「村人全員に必要なだけ生き渡ったのなら、町まで売りに行くのもありかもしれませんね」
「さすが先生、色々考えてんだなぁ」
「もちろんですとも! この村の発展計画は、この私の双肩にかかっていると言っても過言ではありません」
先生は胸を張り、鼻息荒く断言した。
ぐいと葡萄酒を飲み干して、この村で誰よりも上品に皿の中を平らげる。
実際、ゼロは天才だが世間知らずだし、俺は村での生活については素人だ。
まっとうな人間として生きてきた、きちんとした教育を受けた人間がいるのは、心底心強い。
俺は改めて、しげしげとこの小さな賢人を眺めた。
そして、おやと思う。
「先生、その服――破けてるぞ」
「え!?」
「襟んところ」
「やだ! 本当ですか!?」
途端に、先生は真っ赤になって服の襟を引っ張った。
そうすると生地が伸びて、擦り切れた布に開いた穴がよく目立つ。
「お恥ずかしい。子供達の規範となるべき私が、こんな……すぐにつくろわないと」
「ていうか、買った方がよかないか? だいぶ擦り切れてるように見えるが……」
先生が不機嫌そうに顔をしかめ、俺を睨んだ。
「質素倹約を心掛けて生きているんです。まだ着られるのですから、新しく買ったりなんかしません」
「いや、そりゃ素晴らしい心掛けだが……先生ぐらいの年頃なら、もうちょいそのー、なんだ? おしゃれっていうか……したいんじゃねぇかって……」
「町に出かけて、誰に見せる当てもない服を見繕うくらいなら、同じ労力とお金で子供達に読み聞かせる新しい本を買います」
「それはそれは……ご立派な先生に俺から奢りな」
そう言って、俺は空になった先生のゴブレットに再び葡萄酒をなみなみそそぐ。
この村には服屋がない。
破れた服を繕うくらいならだれでもできるが、一から服を――しかもオシャレな女物の服なんてのを仕立てるのは不可能だ。
どう考えても専門の技術が要る。
何より、町での買い物には銅貨なり銀貨なりの貨幣が必要になってくるから、そういうのを効率よく集めるしたたかさがない連中は、村に来るときに持っていた蓄えのみが全財産になる。
そこで、ふと思った。
「先生、この村で金をもらうような仕事って、したことあったっけか?」
沈黙。
うわぁ、マジか。
俺はぺたりと耳を伏せる。
ガキ共に勉強教えたり、字が読めない奴の代わりに読んでやったり、代筆したり、村の事について考えたりして毎日忙しそうにしてる先生が、この一年間、誰からも銅貨一枚も受け取ってないって事か?
俺は引き出しにしまってある革袋の中から、銀貨を一枚取り出し、先生の前に滑らせた。
その瞬間、かっと先生の目が吊り上がる。
「傭兵さん。これはどういうつもりです?」
「報酬だ」
「一体、なんの? 私は施しをいただくほど切迫してはおりません! 馬鹿にするのは――」
「先生、あんた報酬についてどう考えてる?」
「――は?」
俺は椅子を引き寄せて、どっかと腰を下ろした。
酒場の店主は一瞬休業だ。
先生は俺の勢いに押されて、気まずそうにもじもじとしている。
「上流階級の人間に多いんだがな、“報酬を要求するのはいやしい”とか思ってるんじゃねえのか? あんたたしか、もとは貴族の家で雇われてた家庭教師だったもんな」
「それは……その……!」
「なあ、先生よ。あんたが俺にくれた助言ってのは、“価値のない助言”か?」
「そ、そんな事はありません!」
「ガキに勉強を教えるのは? 読み書きができない奴への代筆は? 何の価値もないことか?」
「ちが……違います! 絶対に価値のあることです! 必要な事です!」
「じゃあなんで報酬を受け取らない? いいか? 報酬ってのは責任のやりとりだ。あんたの価値を保証するのが報酬だ。報酬を受け取らずにやる事は“道楽”だよ。貴族の間では“慈善”って言うんだったか? 先生よ、さっき“施し”って言葉使ったな。あんたがやってるのはソレって事だ。馬鹿にしてるのかって? 誰が、誰をだ?」
ガタン、と音を立てて先生が立ち上がった。
俺は立ち上がらず、銀貨を爪の先でコツコツと叩く。
「受け取れ。受け取らないんなら、俺は二度と先生の助言を聞かねぇ」
先生はカウンターの銀貨をひったくり、くるりと踵を返して酒場から飛び出していった。