三話
「剣の王とパンの賢者――か。愉快な昔話だったぞ、傭兵。単純だが教訓に満ちている」
診療所を後にすると、閉めてあった俺の酒場で、ゼロが一人林檎を齧っていた。
勝手に食糧庫から持ち出したらしい。
俺は尻尾を軽く振り上げ、溜息を吐いてカウンターに入る。
「聞いてたのか?」
「思わず、聞き入った。是非とも、我輩の寝所でも昔語りを聞かせて欲しいものだな」
「立ち聞きをするような悪い子ちゃんに、話して聞かせる昔語りはねぇよ」
俺が吐き捨てると、ゼロは唇を尖らせる。
「我輩、なにも悪趣味で立ち聞きをしていたわけではないぞ、あまりにも収集が付かなくなったら、助け舟を出そうと思っていたのだ。むしろ良い子ちゃんだ」
「へーそう。何も起こらなくって残念だったな」
「ひねくれた言い方をするものではないぞ、傭兵。レナにはあれほど優し気だったのに、なぜ我輩にはもう少し優しくできないのだ」
「魔女が嫌いだから?」
「しかし我輩は好きだろう?」
言い返せない。
俺の負けだ。
「しかし君は、思いのほか子供の扱いが上手い。――ああ、そうか。前例もあったな。うむ。君は子に好かれる」
昔を思い出すように言ったゼロに、俺は吐き捨てる。
「ガキを扱おうなんて思った事はねぇよ。いつだって必死で全力だ」
「それが相手にも分かるのだろう。幼子は鋭い」
「……なあ魔女。お前今から隣村行くんだよな? ガキの怪我治しに」
「そのつもりだ。今、馬車の用意をしてもらっている」
「俺も行っていいか?」
「食い殺しにか? さしもの我輩も推奨しかねる」
「食わねぇよ!」
怒鳴って、俺は食糧庫からシカ肉の塩漬けを引っ張り出してきた。
隣村の連中は狩りをしない、根っからの農民だ。
なので、肉を手土産にすれば大歓迎される。
「挨拶に行くんだよ、挨拶に」
「それは、いわゆるオレイマイリとかいう……」
「違う!」
ゼロがけらけらと笑った。
「あれほど外の人間との接触を厭っていた君が、どういう風の吹き回しだ? この村の顔役だと言うのに、商談に顔を出しもしない」
「俺が商談の場にいたら、脅しにしかならねぇじゃねえか……」
「そう……そうだ。君は恐れられている。分かっているのか? 傭兵。子供は大人の写し鏡だ。隣村の子らが傭兵を化け物と罵ったという事は、隣村の大人もまた、傭兵を化け物と言っている」
「分かってる」
俺は即答した。
「だから行くんだ。出て行こうが、行くまいが、どちらにせよ怖がられてこうなっちまうなら、俺がちょくちょく顔出して、俺に慣れてもらった方がいいだろう」
ふぅん、とゼロは赤い唇を吊り上げて、真っ赤な林檎に噛り付く。
「――恐怖は無知よりやってくる。ならば周りに知らしめてしまえばいい。だから、我輩と君は村を作った。魔女の我輩と、獣の戦士たる君とで。我輩達という存在を、人々に当たり前のものとして思わせるように。ようやくその気になったようだな、傭兵」
俺は溜息を吐いた。
この村は、廃村を利用して一年前に作られた。
魔法国家ウェニアス王国の支援を受けて。
ウェニアス王国の主席魔法使いいわく、「南部ではまだ魔女狩りがあるから、よき魔女の代表みたいな顔して、南の人たちに愛されてきてね!」との事だが、とりあえず村での衣食住を安定させることにこの一年は必死で、対外的な活動はほとんどやってこなかった。
つい最近、村で祭りを開いてみたが、町に張り紙を出したら「魔女狩りをする」と脅しをかけられ、結局村の内輪だけで行われる運びになったしな。
ちなみに張り紙に魔女狩りの予告を書いたクソ野郎、本人曰く「目の見えないひ弱な神父」の手によって捕縛され、正式に村へ謝罪にやってきた。
見る限り、相当ビビり上がっていたあたり、口にするのもはばかられるような恐ろしい目にあわされたのは間違いない。
断言するが、この村で一番狂暴なのは神父だ。
出合い頭に大鎌振り上げて襲われた俺が言うんだから間違いない。
「ま、手始めに隣村に行くだけだ。そんなに大げさな話じゃねえよ。すでにいくらか交流はあるし……今回の一件がある。俺が出向いたところでさほど違和感もねぇだろう」
「報復に来たと思われ、襲われるやもしれんぞ?」
「魔女と獣の傭兵に襲い掛かるのがどれほど馬鹿な事か、隣村の連中は分かってるはずだ。それでも襲ってくるなら、交易はご破算だな」
その時だ。
「傭兵! ちょ、ちょっと来てくれ! 広場に! 隣村の連中が!」
本日二度目の、慌てふためいたクマがきた。
俺とゼロは顔を見合わせる。
「――どうやら、出向く手間が省けたようだな」
「おい勘弁してくれよ……武装してねぇだろうな、その連中」
「武装っていうか……とにかく来てくれ! 今神父様が対応してる!」
「武装してねぇだろうな!?」
俺はカウンターを飛び越えて、のんびりしているゼロを担ぎ上げた。
仮に隣村の連中が武装していたとして、神父が対応してたとしたら、阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられる事になる。
俺がゼロを担いで広場に駆けつけると、隣村の連中が五人ばかり、荷馬車の傍に立っていた。
よかった、死んでない。
そして神父も武器を構えていない。
あわくって駆け付けた俺を眼帯越しに見て、
「飢えた犬でももう少し上品ですよ」
と言い捨てたほどだ。
「一体――」
何があったんだ、と問おうとした俺の前に、隣村の一人が歩み出た。
そして、
「すまねぇ、うちの息子が、おたくらにえらい失礼を……」
ぺこりと頭を下げる。
俺は面食らって、思わず半歩下がった。
「なんだって?」
「なんでケンカになったのか、息子に話を聞いたんです。そしたら……おいこら! この悪たれが! 隠れてねぇで出てこい!」
「や、やめろよ! 分かってるって!」
父親に小突かれて、腕に包帯を巻いたガキが気まずそうに顔を見せる。
「……レナは?」
「今、呼びにやっています」
「よ、呼ばなくていい! オレが謝りにきたのは、そっちのばけも――」
「こら!」
「よ、傭兵さんだから!」
父親に怒鳴られて、俺を「化け物」と呼びかけたガキは言い直す。
妙な感じがした。――このガキ、俺に怯えてない。
俺を化け物と罵る連中は、俺を前にしたとき必ず何らかの悪感情を見せる。
嫌悪だったり、怯えだったり、憎しみだったりさまざまだが、このガキにはそれがない。
「あの……化け物って言って……ごめんなさい……」
「ああ、いや……別に俺が直接言われたわけじゃ……って言うか、謝るところそっちなのか? レナをさしたほうじゃなくて?」
「だってあいつが先に噛んだし」
「なるほど……」
「俺が悪かったのは、レナの村の人を悪く言ったとこだけだから……ごめんなさい」
俺はガキの親父を見る。
親父の方は、自分の息子がきちんと謝罪できたことに、少しばかり安堵の表情を浮かべていた。
「改めて、俺からも謝らせてくだせぇ。ほんと、体ばっかでかくなりやがって、頭んなかはからっきしで……うちの村としちゃあ、傭兵さんが流してくれる肉にかなり助けられてるんです。魔女殿の薬も、怪我や病気したときにめちゃめちゃ心強い。村長にどやされました。俺んとこの息子のせいで、魔女の村との交易が終わったらただじゃすまねぇって」
「そりゃあ……うちの村としても、そちらさんの村から農作物分けてもらえるのは助かってるから、もちつ持たれつって感じだけどよ」
俺はゼロと顔を見合わせる。
思っていたのと、対応がだいぶ違う。
そこで、ゼロが切り込んだ。
「子が、傭兵を化け物と呼ぶ――その理由は大人にあると、我輩達は思っていたのだ。てっきり、君達は我輩達を疎んじているものとばかり思っていたのだが……」
「とんでもねぇ! いや……ただ、町で悪い噂を聞く事もあるんです。ガキのくせに、いらねぇ事を覚えてきやがる。それに――」
「それに?」
「うらやましかったらしくて……」
「……はぁ?」
俺は盛大に聞き返した。
今までの話と、「うらやましい」という言葉に、なんの脈絡も見いだせない。
父親は、再度息子を小突いた。
「だってレナが……」
息子は顔を真っ赤にして、絞り出すように言った。
「レナが村の自慢ばっかりするんだもん! なんでもできる綺麗な魔女がいて、すげぇつよい傭兵がいて……俺の村にはなんにもねぇって、笑ったんだ! だから悔しくて……!」
俺は唖然とした。
悪意ではない――子供らしい嫉妬心。
うらやましくて何かをけなすって事は、大人にだってよくある事だ。
それでも、思い至らなかった。
俺の存在が、妬まれるという事に。
俺はゼロを見た。
ゼロもまた、うろたえた表情で俺を見る。
そして、気まずそうに苦笑した。
「我輩、少しばかり反省だ。気づけば我輩も、君や我輩が迫害される事をすべての前提として考えていたらしい」
「……の、ようだな」
「少年、レナには我輩から伝えておこう。どれ、傷を見せてごらん」
微笑んで、ゼロは涙をこらえてうつ向いている息子の前に膝をつく。
ぎょっとした息子の手を取って、包帯をほどいた。そこにはレナの歯形がくっきりとついていて。黒い糸で縫い合わせてある。
ゼロは傷口に手をかざした。
たちまち傷が塞がり、縫合糸も風化して風に溶けていく。
息子はぽかんとして、完全に消えた自分の傷を見た。
そして、さらに泣きそうになる。
「やっぱりずるいよ……! ねえ、とうちゃん! なんで俺の村には傭兵も、魔女もいねぇの!?」
それを聞いて、ゼロは声を上げて笑った。
今から五百年前、魔女と教会の戦争があった。
悪しき魔女は教会に打ち倒され、いらいずっと、魔女狩りを恐れて世界の片隅でひっそりと生きてきた。
その魔女と教会が和解を決めたのが、今からほんの一年前だ。
ゼロは百年以上の歳月を、魔女の隠れ家である穴ぐらで隠れ暮らしてきた。
生まれたときからずっとだ。
人に飢え、人との会話に飢え、外の世界に出てきたゼロが、魔女と教会を和平のカギとなった。
村の連中は知らない。
ゼロが世界を救ったことを。
だが別に、俺はそれで構わなかった。
何せ今は、それよりも重要な事がある。
隣村が謝罪の品として置いて行った新鮮な野菜の数々――それをどんな料理に使うかだ。
そして当のゼロ本人も、俺が今夜どんな料理を酒場で出すか、それが気になって仕方がないようだった。