一話
「相手のガキはどこだ! 俺が食い殺してやる!」
俺が怒り狂いながら診療所に飛び込むと、村の連中の半分は診療所に集まっているんじゃないかという勢いだった。
神父に、教師に――村はずれに住む魔女に。
その大人たちの中心で、むっつりとしてレナが包帯を巻かれた足を投げ出している。
「めったな事を言うものではありませんよ、傭兵。あなたの場合、シャレになりません」
「うるせぇ! 俺は本気だ!」
「なお悪い」
俺の怒声に呆れたように、神父が溜息を吐いた。
両目を眼帯で覆った盲目の神父だが、その眼帯の向こうに隠された目がどれほど冷ややかに俺を見ているか、俺には嫌でも想像できる。
だが、その程度で収まる怒りじゃない。
「レナが刺されたんだぞ? ガキのケンカで済む話じゃねぇ!」
「こちらは相手に六針縫う噛み傷を与えたそうで」
「はっ……噛み傷!?」
「レナは往診に出かけた院長の助手として、隣村に行ったんです。そしてその院長が、その手で六針縫ったと言っている」
俺は神妙な面持ちで座っている院長先生を見た。
白髪交じりの、四十がらみの中年が、苦虫をかみつぶしたような表情で俺に頷き返す。
急に、怒りがどこかにふっとんだ。
俺は間抜けに口を開け、レナと神父を交互に見る。
「……どっちが先だ」
聞くと、レナはむっつりとして俺を見た。
「レナが先に噛んだ」
「なんでまた! お前……噛みつきはダメだろ! 人として!」
「うるさいなぁ!」
レナはいらいらとして、短く切った髪をがしがしとかき乱す。
「ケンカしてたら、あいつがレナの髪の毛引っ張ってきたから噛みついたの! そしたら相手がビックリして、地面にあった木でグサってやれられたってだけ!」
「だけって……おまえ……!」
「ねえ、大したことじゃないでしょ? こんな大騒ぎしなくていいじゃん!」
「馬鹿野郎!」
俺は吼えた。
ふてぶてしかったレナの体がびくりと跳ねて、さっと俺から視線を逸らす。
「血が出る怪我を“大したことない”で片付けていいのは戦争屋だけだ! 加減ができねぇならケンカなんかするんじゃねえ! そもそも、なんでケンカに――」
「あまり喚くな、傭兵。すでに叱った」
怒鳴りかけた俺を、魔女が制した。
長い銀色の髪をゆったりと結び、腰まで垂らした息を呑むような絶世の美女だ――名をゼロと言う。
だが、その美貌も俺を止められない。
怒りは吹っ飛んだ。だがまだ俺は激高している。
「喚くに決まってんだろ! 下手すりゃ死ぬ怪我だ!」
「我輩がいれば、この程度の傷で死にはしない。仮に重症化しても魔法で癒せる」
「ああ、そうだな。だが刺されたのが足じゃなくて腹だったら、その場で死んでたかもしれねぇ。首を刺されてたら、院長だけじゃどうにもならなかった」
「それは……」
「相手のガキだってそうだ。縫うほどの噛み傷だと? どこを噛んだ? 手首か? 犬にかまれただけで血が噴き出す急所だぞ! たまたま大事にならなかっただけだ。結果的に死ななかっただけだ!」
噛み傷も、刺し傷も、下手をすれば死人が出る。
傷が癒えても病気になる可能性だってある。
そして、再び最初の質問に戻る。
「なんでケンカになった?」
レナは温和な性格じゃない。
ケンカだってよくするし、何をしたら相手が怪我をするかはちゃんと分かっていたはずだ。引き際も知っている。
なのにまさか、縫わなきゃならんほど噛みつくなんて――。
「……だって」
レナは言いよどむ。
ちらと、レナがゼロを見た。ゼロは天井を仰ぎ、頷く。
なんだ今のは?
一体なんの目配せだ?
「……化物って言ったんだ」
レナはぽつりと言った。
その目がじっと俺を見る。
レナの大きな瞳に、俺の姿が写り込んでいた。
全身を覆う白い体毛と、大型肉食獣の顔、鋭い爪をもつ半人半獣の俺の姿が。
それを「化け物」と形容する事を、俺はよく知っている。
少し学のあるやつなら「獣堕ち」と呼ぶだろう。
ごくごく普通の両親から、突然獣の姿で生まれてくる、まったくもって呪わしい存在だ。
「あいつ、よーへいの事化け物って言ったんだ。いつか村のみんなを食べる気なんだって。危ないから、今のうちに殺しちゃった方がいいって」
「そ……れは……」
中々過激なガキどもだ。
殺せるもんなら殺してみろと、言えれば楽だがさすがにそれは角が立つ。
「だからレナ、怒って……でもあいつら全然話聞かなくて……ケンカになって……!」
レナの目から、ボロボロと涙が溢れて落ちた。
俺は間抜けに立ち尽くし、鋭い爪の光る自分の手を見る――実際に、何人も人を殺してきた自分の手を。
怒りも、激高も、完全に全部が吹き飛んだ。
なんてこった。
つまりレナを泣かせたのは俺だ。
――俺の存在そのものだ。
「だからって……」
自分でもわかるほど、ひどく情けない声が出た。
診療所に飛び込んで来た時の勢いは、もはや見る影もない。
「怪我をさせるのは……なしだろ……?」
「っ……!」
俺の言葉に、レナがくしゃくしゃと顔をゆがめた。
「分かってるよそんなこと! もう二度と村からでないから、それでいいだろ!」
叫ぶように言って、レナは診察台から飛び降りた。
そのまま痛む足を引きずって、診療所の二階へと駆け上って行く。
なるほど、足の調子はそれほど悪くなさそうだ――なんて、楽観的に笑えるような状況ではねぇな。
実際俺は、レナを追いかけようと一歩踏み出した状態のまま、威嚇に驚いた野生動物みたいに固まっている事しかできない。
そんな俺の背中に――。
「お見事ですね。正論が得意なようで」
鋭い皮肉が突き刺さった。
俺は澄ました顔で立っている盲目の神父を肩越しに睨む。
「じゃあなんだ? “俺のために怪我してくれてありがとうよ”って言うべきだったのか?」
「半分は正解ですね」
「そいつは驚いた。神父様が暴力を肯定するとはな」
「そっちは不正解の半分です。私が正解だと言ったのは、傷ついた子供をまず肯定する姿勢ですよ」
俺はピンと耳を立て、目を丸くして神父を見る。
神父は杖を振り上げて、その石突を俺の心臓に突きつけた。
「レナはあなたの誇りのために戦った。暴力に訴えたのはもちろん悪い。ですが仲間の誇りのために立ち上がった姿勢は評価すべきだ。あなたが来る前、我々はレナにこう言いました。“傭兵は怒るでしょうが、あなたの気持ちは伝わるはずです”と。ですが――」
「よせ! それ以上言うな!」
俺は手のひらを神父に向かって突き出した。
よくわかった。俺は無神経で考え無しのダメな大人だ。
神父は俺の胸に突きつけていた杖をついと振り上げ、とんとんと自分の肩を叩く。
「次からは感情に任せて怒鳴り込んでくる前に、まわりの誰かに状況を詳しく聞き、何を言うかを決めておくことですね」
「次からは俺が怒鳴り込んでくる事を見越して、診療所の前に立ってていただけるとありがてぇんだがな」
「目の不自由なか弱い神父に、あなたのような猛獣を止めろと?」
ことさら軟弱ぶって言う神父に舌打ちし、俺は静観を貫いているゼロを見た。
するとゼロは首を傾げ、
「我輩は止めたぞ。喚くな、すでに叱った――とな」
言われた。確かに言われた。
こうなってはもう、返す言葉もない。
「それで――」
俺は手のひらで顔を覆い、肩を落としたまま誰にともなく質問を投げた。
「この先はどうするのが正解なんだ?」