プロローグ
村の暮らしってのはいいもんだ。
血なまぐさい仕事で金を稼がなくても飯にありつけるし、盗賊を避けて木の上で眠らなくても部屋に戻ればベッドがある。
あてにしてた水場が干上がっていて乾き死にしそうになる事もないし、うっかり崖から足を踏み外して転落したり、その挙句人様が手塩にかけて作ったスープに頭から突っ込んじまう心配もない。
とはいえ、村での暮らしが完全に平和かといえば、当然そんな事もない。
ゴタゴタはある。
毎日のように。
例えば――。
「街道に盗賊が出たらしい! 隣村の連中が襲われたって!」
だとか。(俺が出向いて半殺しにしてきた)
「おい、ヤバいぞ! 魔女さん家が燃えてる!」
だとか。(ただの魔法実験の失敗だった)
「大変です! 老朽化していた廃屋がついに倒壊を……!」
だとか。(村人総出で取り壊した)
別に不満はねぇけどな。
むしろ俺は、こういったささやかで、可愛らしく、頻繁に舞い込んでくる面倒ごとが嫌いではなかった。
気に入ってすらいる。
少なくとも、「おい。貴族にたてついた農村を潰してこい」とかいう命令に逆らって、殺気立った兵隊共に何日も追い回される流れの傭兵生活よりは百倍もいい。
そしてこの日も、事件はそんな風にして起こった。
「おい、ちょっと来てくれ! レナが大ゲンカして帰ってきた! 隣村の子らと殴り合いになったって!」
日の暮れかかる時刻、酒場は晩飯の支度に追われる。
村で唯一の酒場の店主である俺は、鍋の中身をかき混ぜてスープの味を確認し、締めたばかりの鶏に塩を振り、大量の野菜を刻むのに大忙しだった。
そこに飛び込んできた大男――クマというあだ名で呼ばれる大工を、俺はちらと横目で見やる。
「へー、そりゃ豪儀じゃねえか。元気があっていいこった」
別に、忙しいから軽く受け流したわけじゃない。
ガキは喧嘩をするもんだし、レナは特に負けん気の強いわんぱく盛りの十歳だ。
隣村のガキと殴り合い?
大いにけっこうじゃねえか。
十五歳で金貰って戦争やってた俺の若い頃にくらべりゃあ、健全過ぎて比べるのもおこがましい。
レナには――というか、この村に暮らしている子供には親がいない。
全員が孤児で、行き場がなくてこの村にやってきた。
そしてこの村の大人たちも、何らかの理由で居場所をなくした連中だ。
自然と、村の連中にとってガキどもは、ほとんど自分の子供のような存在になった。
ガキどももまた、村の大人たちを自分の親か――そうれなければ舎弟か下僕か悪友か、そんな風に思って日々を過ごしているから、村全体が一個のでかい家族のような雰囲気だった。
だからまあ、たかだかケンカでも、クマが大騒ぎする気持ちもわかる。
俺はスープの味を見る。
バターをひとかけら足しながら、酒場の入口に突っ立っているクマに言った。
「別に大したケガじゃねえんだろ? 先生が叱りすぎないように見張っててやってくれ。先生はすぐ、女の子が喧嘩なんてするもんじゃありませんとか言い出すからな」
俺はこの村で唯一の教師を思い出し、カラカラと笑った。
村の子供達や、希望があれば大人たちの教育を一手に引き受けている、情熱溢れる女教師だ。
「笑い事じゃないぞ、傭兵」
クマは珍しく深刻な声で言った。
傭兵ってのは、まあ俺の事だ。
今は酒場の店主だが、この村に落ち着く前は傭兵稼業をしていた俺は、気づけば村の連中からそう呼ばれるようになっていた。
「笑い事じゃないって……」
俺はようやくまともにクマを見る。
「大怪我なのか?」
「枝で足を刺された。今は診療所だ」
俺はすべての料理の手を止めて、診療所にすっとんでいった。