▼行間 ▼メニューバー
ブックマーク登録する場合はログインしてください。
NO FATIGUE 24時間戦える男の転生譚 作者:天宮暁
113/186

110 アスラとナイト

 エレミアが夜中に訪ねてきて、アスラがいなくなっていると言った。

 エレミアは、俺が作り、みんなに配っているステータス異常対抗薬を飲んでいたのに、意に反して眠りに落ち、悪夢にうなされて覚醒した。途中で目が覚めたのは薬のおかげだろうが、俺の用意した対抗薬をすり抜けてエレミアが眠りに落ちたというのは穏やかじゃない。


「アスラ、か……」


 俺だって、何の疑いも抱いていなかったわけじゃない。

 だからこそ、王様にも自分たちで引き取ると言ったのだ。その動向を監視し、危険がないことを確認するために。


 しかし、普段のアスラはあまりに自然で、無邪気な子どものようにしか思えなかった。

 だからいつしか俺はアスラへの警戒を怠るようになっていたが、エレミアの方は、アスラと最も仲がいいのにもかかわらず、懸念を捨ててはいなかったようだ。


 エレミアはどうやらアスラが俺たちに送り込まれたスパイであることを懸念しているようだったが、俺としては最近取り込んだ〈バロン〉と〈クイーン〉やその配下であるアンデッドたちの影響だという線も捨てきれないと思う。

 しかし、起きていた(というか寝ていること自体最大MP拡張の時以外にはないのだが)俺の【気配察知】すらくぐり抜けて出て行ったのだとすると、ただごとでないことは確かだった。


 父さんや母さんやステフを念のために起こし、事情を説明しておく。

 ただし、3人には屋敷で待機してもらうことにした。

 こと「追跡」ということに関しては、〈八咫烏(ヤタガラス)〉で御使いとしての訓練を受けていた俺とエレミアに一日の長があるし、俺は〈仙術師〉、エレミアは〈アサシン〉で身体能力を強化することができる。素早さにおいて俺やエレミアに追随できる者は他にいない。


 加えて、メルヴィにもついてきてもらう。

 メルヴィはこのところ屋敷と妖精郷を行ったり来たりだったが、今夜はちょうど屋敷にいた。


「メルヴィ、俊哉を出してくれるか?」

「だからトシヤじゃなくてトゥシャーラヴァティちゃんだってば!」


 文句を言いつつメルヴィが俊哉を出してくれる。

 アスラの気配は独特らしいので、俊哉の【波動検知】で見つかるのではないかと思ったのだ。

 案の定、俊哉はサボテンの腕?をぐぐぐっと曲げてある方向を指?さした。

 ……というか、俺はこいつが動くのを初めて見たんだが、どういうリアクションをしたらいいんだ?


「――行こう、エドガー君!」


 珍しく冷静さを失っているエレミアが俺をそう急かす。


「落ち着け、エレミア。鎮静の呼吸」


 俺はエレミアに、ガゼインから習った「鎮静の呼吸」をさせる。

 〈八咫烏(ヤタガラス)〉を思い出させることはしたくないのだが、ガゼインから教わった技術は、戦闘に関するものにせよ、作戦立案に関するものにせよ、それ以外のものにせよ、便利すぎて使わないのがもったいない。その点はエレミアも割り切って使っている。


 エレミアが落ち着いたところで、俺とエレミアは屋敷を出て俊哉の指し示す方向へと駆け出した。

 俊哉の腕は微妙に上を向いているようだったので、俺とエレミアは隣の屋敷の屋根へと無断で上り、屋根の上を音もなく走り始めた。


 ――アスラを見つけるまでに、それほどの時間はいらなかった。


「アスラちゃん!」


 ある貴族の邸宅の瀟洒な彫刻の施された煙突の上に、アスラがつくねんと佇んでいた。

 たしかここは、サーガスティン侯爵(つまりミリア先輩のお父さん)の屋敷だな。

 とはいえそれは偶然のようで、アスラは空にかかる満月を目を細めて眺めている。その目が――紫色に光っているように見えた。


 エレミアに呼びかけられ、アスラがこちらを振り向いた。


「おぬしらは……」


 アスラの様子には違和感しかなかった。

 いつもの無垢な童女っぽさが消え去り、ぞっとするほど冷たい目と表情をしていた。

 その表情に、俺は見覚えがあった。

 他でもない、〈クイーン〉の表情だ。


「……ひょっとして、〈クイーン〉なのか?」


 俺はアスラに取り込まれた〈クイーン〉がアスラを乗っ取ってしまったのかと思ったのだ。


「いや、()と彼女とはたしかに同族だが、私が〈クイーン〉に乗っとられたわけではない」


 口調がまるで違う。

 いつものアスラは、小さい頃の俺みたいにもっとろれつの回らないしゃべり方をする。

 今の口調はそれに比べて――いや、比べるまでもなく、大人びたものだった。大人びたというより、老成した、といった方が近いかもしれない。


「あんたは……誰だ?」


 俺が聞く。


「私は……」


 アスラ?は言いかけ、困惑したように口を閉ざす。

 俺はふと思いついて、アスラ?に【真理の魔眼】を使ってみる。


 ???/アシュラ(エンブリオ接種者(タイプC)・《万魔殿(パンデモニウム)》・《謎の少女》)

 17歳

 魔族ヴァンパイア

 状態:????ブ??オ・??ート??ォ????


 レベル <!情報が不正です!>

 HP <!情報が不正です!>

 MP <!情報が不正です!>


 アビリティ

 飛行 ★★★☆☆

 夢魔の瞳 ★★★☆☆(見つめた対象の精神を眠りへと誘う。魔法や薬物による状態異常と異なり、睡眠状態は通常のものだが、通常の睡眠より悪夢を見やすい。)

 虫の知らせ ★★☆☆☆(善きもの、悪しきものの波動をある程度察知できる。)

 <!存在しないアビリティを参照しています!>


 <!カテゴリが不正です!>

 <!存在しないスキルを参照しています!>


「……わからぬ。私は何者なのか……」


 戸惑うアスラ?に聞いてみる。


「ひょっとして、あんたが『アシュラ』なのか……?」


 ステータスが少しだけまともになったことからそう聞いてみると、アスラ?の表情が急に険しくなった。


「私をその名で呼ぶとは……まさか連中の手の者か? それにしては幼いが……」

「おまえとどっこいくらいだと思うけどな。……ていうか、俺がわからないのか?」

「わからぬ。私はつい先刻目覚めたばかりなのだ。私はこの娘の中で眠っていた。そこに懐かしい同族の気配を感じたことで目覚めたのだろう。もっとも、同族と言っても既に死した存在のようだが……」


 同族というのは〈クイーン〉のことか。


「そうか……俺は、エドガーという。アスラ――おまえの宿っているその子を保護している者だ」

「嘘をついているとは思えぬな。善神の力を受けているようでもある」

「……わかるのか?」

「私は、ヴァンパイアと呼ばれる種類の魔族だ。……その、はずだ」

「……どうして自信なさげなんだ?」

「この娘の中には、たくさんの魔物が詰め込まれている。魔族は魔物ではないが、その中には数人の魔族も含まれていたようだ。

 その中で唯一意識を残すことができたのは、精神生命体としての性格も持つヴァンパイアの私だけのようだ。残りの者たちは、娘の脳内の領域の奪い合いに敗れて人格を維持することができなくなり、断片的な記憶や能力のみを残して消えていった……」


 アスラ?の虚ろな表情に、俺は絶句するしかない。

 代わって、エレミアが聞く。


「じ、じゃあ、普段のアスラちゃんは?」

「わからぬが……素体の中に含まれていたハーピークイーンには、群れを率いる能力があった。それは精神的な感応作用によってハーピーどもに漠然とした印象を伝え、行動を変化させるというはなはだ曖昧なものではあったのだが、この場合はそれが幸いした。ハーピークイーンの意識は他の意識の断片を整理・統合し、元のハーピークイーンとも異なる新たな人格を形成することに成功したのだ。それが、おぬしが『アスラ』と呼んでおる娘の正体だ……」

「そんな……」


 だとしたら、「アスラ」は魔族や魔物の精神を寄せ集めて作った人造の人格だということになる。


「……誰が、そんなことをしたんだ?」


 そう言った俺の声は、自分でもわかるほど固いものだった。


「わからぬ。私も、合成された後の混乱でそれ以前の記憶を大きく失ってしまったのだ。

 奴らは大陸中から珍しい魔物や魔族、エルフやダークエルフ、ドワーフ、竜人(ドラゴノイド)などを集めては、その肉体と精神とを弄んでいた。

 私は奴らが『ラボ』と呼んでいたその場所を脱走したのだが、その時点で力を使い切り、この身体の支配権をおぬしらが『アスラ』と呼ぶ人格に奪われた。

 とはいえ、私は消滅したわけではなかった。外界の情報こそ入らなかったものの、この身体の中で夢を見ているような形で微睡んでいたのだ」

「つまり、アスラの中には『アスラ』とあんたの2つの人格があるってことか……」

「正確には、人格を形成するに至らない精神の断片が他にもいくつも存在する。それらを統制し、延命させているのは『アスラ』の人格だ。私もまた、脱出の際に力を使い果たしたことで、『アスラ』の統制下で生き延びていたようだな」

「アスラが魔物や死霊を『しまう』ことができるのは?」

「この身体とこの精神――連中が『アシュラ』と呼んでいたこの個体は、自我の境界が曖昧で、他の生物や精神体を自由に取り込むことができるのだ。これは、連中にとっても副作用と言うべき発見だったようだ」

「《万魔殿(パンデモニウム)》……」

「そう、そのように呼ばれていた……」


 アスラ?の説明によって、アスラにまつわる謎の大きな部分が解けた。


「……そういえば、あんたの名前は?」

「わからぬ。合成による混乱で記憶が撹拌され、頭に浮かぶどの名前が自分のものなのかがわからぬのだ。都合が悪ければ、好きに呼ぶがいい」


 好きにと言われても難しいな。

 俺は隣りにいるエレミアとついてきているメルヴィを見る。

 まず、メルヴィはない。俊哉みたいな名前をつけられたら呼びにくくて困る。

 エレミアは……視線を送ると、俺に任せるというように頷いた。


「じゃあ、『ナイト』というのはどうだろう」

「ほう……どういう意味なのだ?」

「俺の生まれた国の言葉で、『夜』あるいは『騎士』だな。ヴァンパイアだから『夜』、アスラをラボとやらから逃がしてくれたから『騎士』だ」


 もちろん英語のスペルは違うが、ここはマルクェクトだから構わないだろう。

 我ながら安直なネーミングだと思うが、目の前の少女は存外気に入ってくれたようだ。


「よかろう。私は騎士というよりは、姫に近いような立場だった……と思うのだが、戦いは得意な方であった」

「それならナイト、他にもいろいろ聞かせてほしいことが――」


 言いかけた俺を、ナイトが手で制した。

 そして、煙突の上から旧市街の方を睨みながら言う。


「……おぬしは気配を見る限りでは相当な戦士だと思うのだがな。あの手の者(・・・・・)と戦ったことはないと見える」

「――エド、エレミア! 強力なカースの反応が近づいてくるわ!」


 ナイトと同時に、メルヴィが警告の声を上げる。

 メルヴィの隣で俊哉が発光して震えているのを尻目に、俺はナイトの視線を追う。


「……靄?」


 それは、黒い靄に見えた。

 その靄が徐々にまとまり、人型に近い形になっていく。

 靄は、身長2メートルほどの山羊の頭をした人型の怪物へとその姿を変じた。

 その背には、巨大な蝙蝠状の羽がある。


「――悪魔。中級……だろうか」


 ナイトがつぶやく。


「だが、あの程度なら問題ない。私はヴァンパイアでありながら神術に適性がある変わり種だ。【神聖魔法】で――いや、しまった!」

「ど、どうしたんだ?」

「脱出の際に力を使い果たしたと言っただろう。私の力は、私の中にある混沌とした領域に呑まれてしまって、今は使うことができぬ……!」


 そう聞くやいなや、俺は用意していた《フレイムランス》を【無文字発動】で悪魔に向かって叩き込む。

 が、悪魔は《フレイムランス》をあろうことか顔面で受け止めた。衝撃を受けた様子すらなく、悪魔は俺たちへと近づいてくる。


「〈バロン〉か〈クイーン〉なら対抗策があると言っていた! ナイト、2人を出せないか!?」

「無理だ! 取り込んだものはアスラの統制下にあるのだ!」

「あんたがアスラに戻ることは?」

「できん! そもそもどうやって私が表に出てこられたのかもわからんのだ!」


 俺とナイトが言い合っている間にも、エレミアが〈黒魔術師〉の力を使ってありったけの魔法を叩き込んでいるが、悪魔は哄笑とともにエレミアの魔法を受け続けている。

 悪魔は精神生命体だから物理的な攻撃や自然現象を利用する魔法は効かないんだったな。

 迷った挙句、俺はひとつだけ効きそうなものを思いついた。


「――喰らえっ!」


 そう言って俺が投げつけたのは剥落結界の砕片だ。あらゆる攻撃を薄片一枚で無効化していたこれならばどうか。


 ――グゥッ!


 砕片は悪魔の頬を切り裂き、そこから紫色の霞状の何かが吹き出した。

 が、大した傷ではなかったようで、悪魔は忌々しげに俺をにらみ、俺へと向かって宙をふわりと飛んで来る。

 俺は砕片を次元収納から取り出しては投げつけていくが、〈シューター〉の補正がかかっているはずの投擲でも、かすり傷しか与えられないようだ。


 悪魔がにやりと嗤い、俺へ飛びかかろうとしたその時。


「……悪魔か。こいつらは厄介ですよ。存在の位相が私たちとはズレていますから」


 押し殺された気配とともに、見知った人物がひらりと俺の目の前の屋根へと飛び乗ってきた。

 褪せた金髪と空色のスカーフ、精緻な彫刻の施された白銀の鎧を身にまとったその人物は、既にその人物の象徴たる聖剣〈空間羽握(スペースルーラー)〉を握っていた。


「シエルさん!」


 そう。唐突に現れたその人物はシエルさんだった。

 シエルさんは俺たちを肩越しにちらりと見ると、正面にいる悪魔に向かって聖剣を構える。


「――悪魔は、こうやって狩るんですよ、エドガー君! Ч(エンチャント)(ディメンション)――《次元刃》」


 シエルさんは【次元魔法】の魔力を聖剣にまとわせて悪魔へと斬りかかる。

 悪魔はその攻撃をかわすが、返す刀で胸を逆袈裟に斬られた。

 これまでは砕片以外の攻撃が効かなかった悪魔の皮膚がざっくりと切り裂かれていた。


 ――グギャアアッ!


 悪魔は悲鳴を上げて跳び退り、周囲に闇色の火球をいくつも生み出す。

 火球はシエルさん目がけて放たれるが、シエルさんはステップを踏んでその全てを紙一重でかわすと、再び悪魔に斬りつけた。

 今度の斬撃は、悪魔の表面を浅く斬り、紫色の煙がわずかに立ち上っただけに終わる。悪魔側が何らかの防御策を取ったのかもしれない。


 シエルさんが悪魔から間合いを取りながら、いつもと変わらない軽い口調でこう言った。


「本当は【神聖魔法】やら【聖剣術】やらがあれば楽なんですけど、あいにく私にはそちらの適性が悲しいほどないんですよねー。ま、適性があってもほとんど失伝してる伝説上のスキルなんですけど」


 たしかに、こうしてみると、シエルさんの攻撃は()効ではあるのだが、悪魔に対して()効ではないという感じだった。


「でも、相手が一体しかいないんだったら、一撃で倒す必要なんてないんですよ」


 言葉の通りにシエルさんは手数を増やし、悪魔を徐々に圧倒していく。

 悪魔もさっきの火球の他に瘴気の雲や血色の針などのよくわからない攻撃を使っているが、シエルさんはそのいずれをもギリギリで見切ってかわしている。【空歩】を使って空中を駆け巡り、全方位から攻撃を仕掛けてくるシエルさんに、悪魔は翻弄される一方だった。


「す、すごい……」


 隣でエレミアが呆然とつぶやいた。

 たしかに、まるで殺陣のような鮮やかな戦いだ。


 が、見ていてだんだん種がわかってきた。

 シエルさんは悪魔を周囲の次元ごと力任せに切り裂いているのだ。

 もちろん、効率は悪い。しかし、実体を持たないという悪魔にも一定のダメージを与えられているようだ。


「……悪魔の相手なら、私よりもよっぽど向いた勇者(ひと)が何人かいるのですけど……」


 シエルさんは目にも留まらぬ(俺の〈仙術師〉の視覚強化なら見えなくもないが)斬撃を繰り出しながら、なおも余裕の口調で続ける。


「私でも、倒せないわけではないです。まぁ、ご参考までに」


 そう言ってシエルさんが【次元魔法】をまとわせた聖剣を斬り下ろす。

 悪魔が断末魔の悲鳴を上げて掻き消えた――と思ったのだが、


「ちっ……」


 シエルさんが舌打ちを漏らす。

 シエルさんに斬り捨てられたはずの悪魔の姿が、10メートルほど先の中空にあった。


「幻影を斬らされましたか……いえ、トカゲの尻尾切りといったところですか」


 シエルさんの言うように、今斬られたと見えたのは幻影だったようだ。いや、正確にはトカゲの尻尾切り――実体のない悪魔は自分の一部を切り捨てることで囮として脱出を図ったのだろう。

 悪魔はそのまま黒い靄へと戻り、眼下の路地へと逃げこんでいく。


「追わないんですか?」


 俺が聞くと、


「逃げに徹した悪魔を捉えるのは、私にはちょっと……」


 シエルさんがバツが悪そうに言った。


「助かりました、シエルさん。悪魔の気配を感じてここに?」

「いえ、たまたまです。夜の散歩中に戦いの気配を感じたので見に来ただけです」


 たしかに、シエルさんのステータスには悪魔の気配を直接捉えられそうなスキルはなかった。


「夜の散歩? ひょっとして切り裂き魔(リッパー)対策ですか?」

「いえ……そういうわけでは……」


 シエルさんは口を濁した。

 プライベートな話だろうか。


「……気に入らんな」


 俺とシエルさんの会話に割って入ってきたのは、アスラ――いや、ナイトだった。


「貴様、様子を伺っていただろう? 私やエドガーが悪魔に対抗できるかどうかを見定めてから現れたな?」


 えっ……そうなのか?

 俺の〈仙術師〉による気配の察知にはシエルさんの気配は感じられなかった。

 にもかかわらず、ナイトはシエルさんの気配を察知していたのだという。


「……どうしてそう思うんです?」


 シエルさんは肯定も否定もせずに聞き返した。


「おまえの持つ聖剣の気配は濃密だ。ことに、カースをその身のうちに取り込んでいる存在にとってはな」

「なるほど……しかし、いいのですか、そんなことを言ってしまって。勇者である私は、不穏分子であるあなたを斬るかもしれませんよ?」

「そのつもりなら、とっくにそうしていよう。……本当に何を考えている?」


 シエルさんはナイトが睨むのなど意に介さぬまま、肩をすくめて言った。


「バレてしまいましたね。実際、エドガー君が悪魔にどう対応するのか、見てみたいと思ったのはたしかですよ」


 シエルさんとナイトはその後もしばし対峙していたが、シエルさんがカチッと音を立てて聖剣を鞘に収めるのと同時に、ナイトがぐらりと立ちくらみを起こした。


「お、おい、ナイト! 大丈夫か!?」

「ナイトちゃん!?」


 俺とエレミアが慌てて駆け寄ってナイトを抱き留める。

 ナイトは、ゆっくりと目を開いた。いや――


「……おにーちゃん、おねーちゃん」

「ひょっとしてアスラか?」


 目を覚ました時、ナイトはアスラへと切り替わっていた。


「……大丈夫ですか?」


 シエルさんが心配そうに聞いてくるのに、俺は小さく頷いた。


 ――と、シエルさんが急に横を向いた。その視線の先にいたのはエレミアだ。


「えっ……な、何ですか?」


 エレミアがたじろぎながら言う。


「いえ……あなたは……」


 シエルさんはエレミアと手にした聖剣を交互に見つめ、最後ににやり(・・・)と笑った。

 その笑みは――長い間探し求めていた何かをついに見つけた……というふうに俺には見えた。


「エレミアちゃん……でしたね?」

「は、はい」


 シエルさんはいきなりエレミアの耳に口を寄せると、何事かを囁いた。


「……どういう、意味です?」


 エレミアが戸惑ったように言う。


「他の人には秘密にしてください。とくに私には(・・・・・・)、今のことについて絶対に質問をしないでください」

「え、ええ……っ?」


 エレミアが困惑するのはもっともだ。

 他人に言わないというのはともかく、言った本人に聞いてはいけない?


「……この話は、これまでということにしてください」


 シエルさんは、口を開こうとした俺に先回りしてそう言った。

 浮かべている笑みに反して、その意思は固そうだ。

 内容によるだろうけど、後でエレミアに聞けば教えてくれるかもしれない。

 俺はそれ以上は追求しないことに決め、


「じゃあ、今日はもう帰ることにします。助けていただいてありがとうございました」

「いいですよー。貸しひとつと思っていただければ」

「か、貸しですか?」

「ええ。イケメン貴族を――」

「紹介するのはちょっと無理ですね」


 俺の言葉に、シエルさんはがっくりと首を落としたのだった。



 ◇


 帰り道に聞いてみると、アスラはこれまでにも何度かエレミアを眠らせて夜の空中散歩に出かけていたことがあったそうだ。

 無理をしたら羽を痛めかねないというのに……それほどまでに、アスラの空を飛びたいという欲求は強いようだ。

 ナイトは、『アスラ』の人格の中心となっているのはハーピークイーンだと言っていたから、ハーピーとしての本能のようなものなのかもしれない。

 だとしたら、あまり押さえつけすぎても可哀想だ。しかし、俺たちの中に空を飛べる奴なんていない。せめてアスラではなくナイトであったら、余計な危険に巻き込まれることもなさそうなのだが……。


「ところで、夜に空を飛んでいたなら、怪しい人物に気づかなかったか?」


 俺はアスラに聞いてみる。

 アスラが夜の空中散歩をしていたのなら、切り裂き魔(リッパー)事件に関する何かを目撃している可能性があるのだ。


 アスラは第三の事件の起きた日に俺たちに保護されている。

 だから、まずは第四・第五――二重殺人のあった夜のことを聞いた。


 が、


「ううん……したは、あまりみてなかったから」

「そうか……他におかしなことはなかったか?」


 俺が聞くと、アスラは少し悩む様子を見せてから言った。


「なにかが……びゅって、そらをとんでた」

「何か? 人? 竜騎士か?」


 空を飛ぶ存在の筆頭候補といったら竜騎士たちだ。


「ひと、じゃない……。もっとちいさいもの」

「飛行できる動物や魔物かもしれないね」


 エレミアがそう言ってくる。


 しかし、「人より小さい」のだとしたら、その動物なり魔物なりは人を乗せてはいなかったことになる。

 だとしたら、事件とは無関係の、群れからはぐれた魔物か何かだろう。


 と、思ったのだが、アシュラが意外なことを言った。


「うーん……いきものじゃ、ないとおもう」


 生き物じゃないものが、空を飛んでいた?

 びゅん、ということは、自由に飛んでいたというより、一定の経路を高速で通り過ぎたような感じだろうか。

 そこまで考えて、俺はひとつ該当しそうな存在を思いついた。


「ひょっとして、それって橋の辺り?」

「うーん……あっちのほう?」


 アスラが指さしたのは、東側――金門橋と新市街の一部を通り、海へと至る方向だ。

 金門橋にはロープウェイがある。夜間に荷物が送られれば、そんな音がするのではないだろうか。


「かなりの速さだったんじゃない?」

「……だとおもう」

「ひょっとして、そのしばらく後に、物音がしなかった?」

「……した」

「どういう?」

「……なにかのわれるようなおと」

「最初の音と、その割れるような音の間隔は、けっこうあった?」

「ううん、すぐ」


 あれ? 俺の「思いつき」では、最低でも十数分はかかるはずなんだが……。

 まぁ、アスラが全ての音を聞いていたわけではないから、説明のつけようはあるだろう。

 一度でカタのつくような作業ではないと思うし。


「エドガー君。何か分かったの?」

「確証はないけど、目星はついたかな」


 そう答えると、エレミアは「さすがエドガー君!」とでも言いたげな目を向けてくる。

 ……まだ仮説段階なんだけどな。


「じゃあ、アスラちゃんは事件には関係ないんだね!?」


 勢い込んで聞いてくるエレミアに、俺は大きく頷いた。


 が、エレミアのその言葉を聞いて、アスラがぷくーっと頬を膨らませた。


「……うたがってたの?」


 ジト目でエレミアを睨むアスラに、エレミアがバツが悪そうに謝った。


「う、ごめん」

「ぶーっ」


 アスラはますます膨れ、その夜はずっと怒りが収まらないようだった。

 そのせいで、俺はさっきシエルさんがエレミアに何を耳打ちしたのかを聞きそびれてしまった。


 ――このアスラの怒りは疲れて寝込んで起き出してきた後にもまだ続いていて、俺やエレミアはその怒りを解くのに四苦八苦することになった。

次話>2、3日後の予定です

  • ブックマークに追加
ブックマーク登録する場合はログインしてください。
ポイントを入れて作者を応援しましょう!
評価をするにはログインしてください。

感想を書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。