今回は小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』をご紹介します。
映画『ブレードランナー』の原作としても有名な小説です。
まずタイトルがいいですよね。
いかにも海外SFという感じがしてとても魅力的です。
だけどタイトルがあまりにも謎めいていますから敬遠している方ももしかしたらいらっしゃるのではないでしょうか。
電気羊とは1体何?
とブログ管理人も思いましたよ。
普通の生き物の羊と、どこが違うのかと思いましたよ。
そこでこの記事ではあらすじのご紹介とタイトルの意味を解説しようと思います。
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
映画『ブレードランナー』の原作としても有名なこの小説は1968年にアメリカのSF作家、フィリップ・K・ディックによって書かれました。
『ブレードランナー』の映画は観たけど原作は読んでないという方は一度読まれることをおすすめします。
どちらが先でも大丈夫なのですが、もし迷っている方がいらっしゃるのならば世界観を理解する上で楽だと思いますので、先に原作を読むことをおすすめします。
というのも映画と原作では全然とまではいきませんが、結構設定やストーリーが違うんですよね。
ですが基本の世界観は一緒なんです。
ところがその基本的な部分の説明が映画ではあまりされていません。
だから原作で事前に情報を得てからの方が両方の理解が深まると思いますね。
まずタイトルの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』自体の意味。
これは簡単に言えば「人間とは何か」ということだと思うんです。
「生きている人間は羊の夢を見るが、アンドロイドは電気羊の夢をはたして見るか?」ということですね。
物語の後半で主人公のリックが自分もアンドロイドではと悩むシーンがあることから、自分は人間なのかアンドロイドなのかわからなくなっているのでしょうね!
気になる部分は「電気羊」の部分、なぜここが生きている「羊」ではなくて造られた「電気羊」なのかということですが、ちゃんと理由があると思うんです。
そもそも「電気羊」が何なのかというとですね。
この物語では戦争の影響で動物や虫は絶滅の危機に瀕しています。
そのせいで生きている動物や虫は希少価値が高く、高値で売買されているんですね。
そこで本物の動物は高くて飼えないという人たちのために、安く造られた電気動物がいます。
安く造られたといっても本物と見分けがつかないほどのクオリティなのです。
つまりタイトルの「電気羊」とは単純に命があるように見える無生物の代名詞だとみてもいいと思います。
なぜ「電気羊」なのかということですが、それにはこの物語の軸である人間とアンドロイドを区別する感情移入が関わっています。
人間は生物にはもちろん、無生物にも程度の差はあれど感情移入することができます。
まるで生きているかのように振る舞う物であればなおさらですね。
ではアンドロイドはどうでしょうね。
作中ではアンドロイドは生物にも無生物にも感情移入出来ません。
怪我をしようが死のうが壊れようが可哀想とも思わないのです。
そこが人間との決定的な違いだと作中では示されています。
逆に言うと見た目は関係なく、他者を思いやれるならそれは人間とどこが違うのかと言いたいのだと思います。
つまり人間は自分たちと同じ生きている物、あるいは生きているように見える物の夢を見るけど、アンドロイドは自分たちと同じ造られた物の夢を見ますか? って質問してるのだと思うんですね。
だから「人間」に対する「羊」であり、「アンドロイド」に対する「電気羊」なのだと思いますヨ。
つまりタイトルの意味とは
「人間」と「アンドロイド」は何が違うのですか? という問題提起のように思えます。
もし夢を見たり他者に感情移入出来る様な造られたモノがあったとしたら、それは「人間」とは違うのでしょうか?
核戦争によって人間が住むのに適さなくなった地球では、火星への移住が推奨されています。
そして火星への移民には無償でアンドロイドが貸与されます。
しかし労働力として利用されるアンドロイドの中には反乱し地球へ逃亡してくるものもいます。
主人公のリック・デッカードはそれらを始末する警察公認の賞金稼ぎなんです。
リックは「電気羊」を飼っているのですが、周りには本物の羊だと偽っています。
本物の動物を飼うのがステータスであり、人間であることの証明にもなるからです。だから敢えて、偽ってでも周りには本物の動物を飼っていると思わせているのです!
本作のアンドロイドは外見では人間とは区別できないほど精巧に造られていて、人工の記憶も簡単に移植できるので、造られた環境によっては本人ですら自分は人間だと思い込んでいるほどなのです。
だから自分が生物を飼っている=生物に感情移入できる=人間であると周りに言えるのですね。
ところが第三次大戦後の世界である本作では、放射能の影響であらゆる動物の絶対数が減っています。
そのため本物の動物は高値で取引されており、造られた動物である「電気羊」しか飼っていないリックは本物の動物を飼うために懸賞金のかかっているアンドロイドを始末していくのですね。
なんてところから物語は始まります。
リックが自分もアンドロイドではないかと葛藤するシーンや
終盤のアンドロイド達が無感情に生き物に危害を加えるシーンなどからわかるように、ディックは人間とアンドロイドの違いを書き切りました。
ディックの世界が荒唐無稽と言えなくなってきた現代におすすめの一冊です。
この作品は1968年に出版されていますが、現在にも通じる問題を提起しています。
今後私達が直面するであろう人工知能、即ちAIの問題を、それを利用するアンドロイドという形で表しています。
AIを利用することが実用的になってきた昨今、一体どこまでをAIに任せればいいのか、
またどこまで信用できるのか、実務的な部分ではAIによって仕事を失う人もいるでしょうし、この話のように人間と区別がつかなくなった場合に無機物として簡単に廃棄処分できるのかという人間の本質に迫るような問題も出てくるでしょう。
AIに関わる様々な問題が容易に想像できます。
ディックは1968年にすでにそれらのことを予見していたのです。
作中には他にもいくつかガジェットが出てきますが、そのどれもが現在の私達が利用している物を想起させます。
ディックの先見性を賞賛すべきなのでしょうが、逆に私達の方がディックの世界に近づいているのでは、などという錯覚を起こしてしまいそうになります。
ディックが思い描いた空想の世界が、我々の現実の世界になる日も近いかもしれないですね。
ブログ管理人は自分のブログの中で
「戦艦ワルキューレの航海日誌」というSF小説を連載中です。
副長は人工知能搭載のアンドロイドですが
自分に、果たして人間であるみらあじゅ艦長と同じような感情というものがあるのかどうか葛藤します。
2月最後の日曜日。
SF小説好きなブログ管理人は
今月はSF小説のご紹介で締める事にしました。
3月にはフロイト博士の研究室が一層にぎやかになりそうですし、それに対抗して留吉も子分増やしそうですよ〜。