二つの星から一つを選んだ花園たえにもし、選べる星がないまま時間が過ぎていたら。
そんなもしもを詰め込んだ、花園たえが天に輝く星に向かって拳を突き上げる物語。
さぁ、Raise your hands,now!
ただ、ただただ、ぼくの感情に振り回されてほしい。ぼくの感じた、エモさというのを、文字だけではあるけれど、感じてほしいなと思いました。
夕暮れ、私はイツモの場所にアンプを置いて、ギターケースを開け、チューニングをしていく。弦が震えて、音が道行く人たちの数秒、たった数秒だけ、鼓膜を震わせていく。ピックを構え、誰かに合図を取るわけでもなく、好き勝手に歌い始めていく。
「──いっせーの、せっ!」
掴みは完璧で、明るいナンバーを歌い上げていくと道行く人に立ち止まってもらって、手拍子をもらって、拍手をもらって。歌い終わって、頭を下げていく。それに続けて二曲目はかつてのバイト先、SPACEで何度も聴いたグリグリの『Don't be afraid!』を演奏した。この間思い付いたぬか漬けの歌は……また今度でいっか。
「……寒くなってきた」
二曲だけだけど、全力で歌って演奏した。はずなのに、私の身体は秋風の前に急激に冷やされてしまって、くしゃみをする。もう、冬服の制服でも、夜の屋外は風邪を引いちゃいそう。
──どれだけいっときの路上ライブで熱を帯びても、喝采を浴びても、私は満たされない。むしろ渇きが強くなる。
『今や各地で大会も開かれますし、ガールズバンドの時代が来てますよね!』
『火付け役と呼ばれたのはグリグリこと──』
耳に入ってくるそんなバラエティ番組を横目に、私はギターを背負い家路に向かう。私も、いつか……そのいつかはある日突然叶わなくなることを、思い知ってしまった。それが、まるで塞がらないキズアトになっているみたい。
「……花園にはまだ言ってなかったね。SPACEを閉めるよ」
「どうして、ですか……?」
「私はもうやりきった」
待って、私はまだ、まだ何もやり切ってない。やり切ってないのに! そんな風に叫びたい気持ちを必死で堪えた。オーナーは足を悪くしていて、年齢のこともあるから。でも、私は
でも、バンドも組めていない私に何かができるわけもなく、結局最後の日、私はグリグリやチスパ、Roseliaのステージを遠くから見守ることしかできなかった。その時に、私は何かをぽっかり失った。
「はぁ……明日も、バイト。終わったら……」
ううん、いっそ失ってしまっていればよかった。叶わなかった私の夢は、夢を撃ち抜くこともできなかった私は、それでも宙ぶらりんに、空っぽのままライブハウスやスタジオ、フェスのバイト、ほんの時々バックバンドと、終わった夢にしがみつくような生活が続いていた。
──息苦しい。水の中に顔だけつけて、思いっきりイキを吸ってしまったような、静かな叫び、肺に水が満たされてく苦しさを味わい続けて。
「……私、なんでギター……やってるんだっけ」
そんな簡単なこと、絶対に忘れるハズがないと思っていたヤクソクすらも、涙の中に滲んでしまって、見えずにいた。ユメもヤクソクも、もう見えなくて、なのにやけに眩しい部屋の照明に手を伸ばして、マブタを閉じた。
──どんなに離れたって、この空は繋がっている。そう歌ったような、気がする。ダイスキって、どうしてそう歌ったんだっけ。
そんなカンタンなこともいつの間にか忘れたまま、私は気づいたら高校二年生の秋に、SPACEが閉まってから一年以上の時間が流れていた。
「はぐみー!」
「あ、こころん!」
「さぁ、練習しに行きましょう!」
「チサトさん! 今日は一緒にお仕事ですよね!」
「ええ、一緒に行きましょうか」
クラスメイトの中でもある程度仲のいい子たちもみんな、それぞれのバンドをしていて……羨ましくないと言えば嘘になる。でも私はそのための努力をしてこなかった。漠然と、今思えば呑気にギターケースを入れるためのナップザック作りに居残りとか、してる場合じゃなかったのかも。結局すぐ底に穴が空いてダメになっちゃったし。
「──ちょっと、弾いてから帰ってもいいですか?」
マイナス思考に陥りそうになった時は、家にいるウサギたちのことを考えるか思いっきり掻き鳴らす。スタジオのバイト終わりに店長に許可をもらって、頭を下げて部屋を借りた。いつも真面目にバイトしてくれてるから特別だよ、と言われるのはほんの、ほんの少しだけ嬉しい。
音楽は、向き合ったら向き合っただけ、ちゃんとナニカを返してくれるものだと思った。思ったのに。
「泣かない、それでも私は、絶対会えるって……信じてる」
ふと、いつ作曲したかも忘れちゃったような歌詞を口ずさむ。中学の頃だったかな? そのころはすごく努力家の知り合い、友達がいて、私もそれに影響されて一日一曲作ることを習慣にしていた。その中にはもちろん納得いかなくてお蔵入りしちゃったモノも、作曲はリメイクも含まれてる。この『ナカナ・イナ・カナイ』はリメイクした回数が多すぎて、だから一回目がいつか、いつの間にか忘れちゃってた。でも、今日はすごく泣きたくなったから、泣きたくなったから、路上ライブはこの曲を演奏しよう。
──そう決めて、店長にありがとうございましたと、お疲れ様でしたと挨拶をしていつもの場所、大塚駅の前に向かった。
私は、仕事で音楽がしたかったんじゃない。ただ純粋に、ヘルプでもバックバンドでもなく、私の歌を、和奏レイの歌を聴いて欲しかった。そう気づけた私は、ネコのシルエットを象った可愛らしい名刺に記されていた電話番号をスマホに打ち込み、可愛らしい音楽プロデューサーに連絡を取った。
「私が歌いたいのは私の歌、それでもいい?」
「オフコース! そうでなくっちゃ世界最強のガールズバンドはジツゲンしないわ!」
「……あと、もう幾つかワガママ言ってもいい?」
「ええ、ええ! あでも内容によるけれど」
そこまで無茶ぶりする気はないから大丈夫。そう言って私はチュチュのスタジオで曲を数曲披露した。一つ以外は私が温めていた曲で、一つは最初に歌ったのはもう六年も前のことだった。作詞したのは、私の大切なヤクソクをした人……ハナちゃん。
「これを、曲にしてほしいんだけど」
「まだドラムもギターも見つけていないのにこのタスクをこなせ、というの?」
「チュチュなら、できるでしょう?」
「──上等ッ!」
チュチュはそれだけ言うと録音したものを持ち帰って自室に篭ってしまった。もしかして怒らせてしまったのだろうか、そう思って少し立ち尽くしていると、お疲れ様です〜とパレオがお茶とお茶菓子が乗ったお盆を差し出してくれた。
「チュチュ様はやる気になられているのだと思いますよ?」
「そう、なのかな」
「笑っていませんでしたか? こう、まさに悪役がするようなカンジで」
そう言われるとそうだったかも。するとパレオはそんなチュチュとは真反対の天使の微笑みをしてから、チュチュ様は嬉しいのですよと、一番長く、それこそチュチュがチュチュとなる前から付き添っている彼女らしい声で歌うように主人と慕う子のことを教えてくれた。
「この間は商店街の方まで行かれてようですから、きっともうドラムの方の目星もついていると思います。それに、チュチュ様はできると思ったからこそ、上等だ、と目に光を宿したのです」
「そっか」
その言葉に安心して、私は帰り道に思い出の公園にやってきた。ここに来ると、いつも思い出す。六年前、小学生だった頃の私は孤独だった。音楽スクールに通っていても、音楽の授業でも、私は自由を奪われていた。
──子どもらしくない、ヘンな歌い方、ずっとそう言われ続けてきた私が自由な音楽というものを知ったきっかけが、この場所だった。
「花ちゃん……」
聴こえてくるから、自由に。花ちゃん、花園たえちゃんはそうやって私にアメをくれた。アメに打たれていた私に傘を差してくれた……ううん、傘なんていらない、快晴にしてくれた。だから、ギターのスカウト候補はもう少し待ってほしいというワガママもチュチュに伝えていた。バンドを組みたい相手がいるというのは、私がスカウトされた時に言っていたこともあったから、思っていた以上にあっさりと頷いてくれた。
「ただし!」
「うん」
「期限はトーゼン設けるわよ」
「わかった」
「オッケー! 頼んだわよレイヤ!」
チュチュ様はとても、優しい方ですから。今ならその言葉の意味も少しはわかるかも。音楽に関してのチュチュのスタイルは本当に、尊敬できる。だからこそ後ろを任せられると思ってる。
「花ちゃん……今、何してるの? ギター、続けてるよね」
そんな思いで探し続けて、演奏を、歌を磨き続けて期限の半年が近づいてきたころ。少し冷たくなった風を感じながら、駅に差し掛かった時だった。人ごみを見つけて、こんなところで路上ライブでもやっているのかな、と思って少し立ち止まっていた時だった。
「……見つけた!」
六年ぶりの再会で、すっかり身長も何もかもが変わってしまっていたけれど、あの長いストレートの髪の毛、あの雰囲気、間違いなく花園たえだった。ただ、その音楽はひどく様変わりしているようにすら感じた。
雨は降っていないのに、思わず空を見上げてしまうほどに、彼女の思い出は土砂降りの中で煙ってしまって……一瞬、声を躊躇った。
──レイヤ、そのギタリストはワタシの世界最強のバンドで奏でられるほどの演奏ヂカラがあるのでしょうね?
そんなチュチュの声がふと過って、本当にイマの花ちゃんに私たちの、私の歌を支えてくれるようなギタリストとしての力があるのだろうか? もしかして私は、過去をあまりに美化しすぎていたのか。そんなふうに思っているうちに一曲演奏し終わって、花ちゃんは息を吸って、苦しそうな表情で歌い出した。
「──またあえる、しんじてる。ならんで空をみあげる」
ああ、違う。違う、なんでこんなことを一瞬でも考えたのだろうと自分の考えを恥じた。花ちゃんが雨に打たれたくらいで諦めるわけがないのに。力がないなんて、そんなことあるわけがない。私が信じ続けてきた、ヤクソクを違えることはないって。
「おなじ夢と、おなじ月ずっとおいかけつづけてた──」
あの頃、一緒に作った歌。私にとっての全ての原点であり、ヤクソク。飛び入りなんてしてしまったけれど、これを歌い終わったらなんて言えばいいのかな? 迎えにきたよ? 約束、覚えてる? ううん、そのどれでもない。私が真っ先に伝えたい言葉は──
今日も、駅前の夜空は冷たい晴れ模様だった。お月様が憎たらしいくらいに顔を覗かせていて、思わず舌を出してソッポを向きたくなった。でもそんな気持ちを歌に込めて、即興で音楽にして、でもこれもあんまり良くないな、お蔵入りか、もっと作り直そう。そんなことを思いながら、歌い終えた。今日もパラパラ、パラパラ、まばらな拍手をもらって頭を下げて、最近ずっと頭の中に残っているこの曲をゆっくりと息を吸った。
──思い出したくて、思い出せない。でも、確かにこの曲に私の原点があったはずだと想いを込めて。
「またあえる、しんじてる。ならんで空をみあげる……」
そのタイミングで隣に誰かが近寄ってきたのが端っこに映った。誰だろう、そう思って見上げた瞬間、私の頭の中で分厚い雲を形成していたその先にあったものを、六年前の記憶がフラッシュバックした。そうだ、この歌詞に込めたメッセージは、ヤクソク。再会のための合言葉のような歌だ。この歌を書いたのは、私じゃない。私だけじゃなくて──彼女の歌でもあったんだ。
「──おなじ夢と、おなじ月ずっとおいかけつづけてた」
「どんなとおくはなれても」
「この空はつながってる」
だから、サヨナラは言わないで笑おうって、進もうって、だから、だから私は……私たちは、泣かない泣かない、ナカナイ。もう、私の雲は晴れた。言葉じゃなくて、音楽で伝え合うことができたから。ヤクソクを、守ることができそうだから。
「……レイ?」
「ただいま──花ちゃん!」
それはずっと私が欲しかった言葉だった。直前になってから思い出したのは……うん、言わなくてもいっか。だってもう、こんなに胸が熱くなってるんだから。秋の風なんかじゃ冷ますことなんてできないんだから。そんな万感の思いに浸っていると、レイは手を差し伸べてくれた。
「行こ!」
「──うん!」
これまでの全てのモヤモヤを全部その場に置いて行って、私はレイと一緒に走り出した。迷いはない、もう迷うほどの道は見えなくなった。今は、レイが連れて行ってくれる一本の、一つの星に向かう道が光輝いていた。
「ここは?」
「私の、ううん……私たちの新しいホームだよ」
すごく高いビルのエレベーターに乗り込み、その一番上で止まって、開いたその先にはとっても広い部屋が広がっていた。ここは、レイが借りてるの? 周囲を見回して、おっきな窓から夜景を見ながら訊ねると、後ろで声がした。
「パレオ〜? 帰ったんじゃ……レイヤ、と?」
「コッチ、この家の持ち主の、チュチュ。音楽プロデューサーをしてて、私をスカウトしてくれたんだ」
「この子が……プロデューサー」
なんというか、小さい。間違いなく私より年下であろう女の子がプロデューサーで、レイをスカウトしたということがちょっと信じられないでいると、レイは今度はカラダの向きを変えてチュチュって子に私を紹介してくれる。
「チュチュ、彼女が、私がずーっと探してたギタリスト、花園たえ」
「ナイストゥ、タエ・ハナゾノ。ワタクシ、チュチュと申します」
「あ、え、っと、は、はろー。まいねーむいず」
ぷっ、と音がして隣を見るとレイが面白いものでも見たように笑っていた。やった、笑いが取れた? そんなことを言うと余計にレイは笑い出して、本当に、変わらないね花ちゃんはと嬉しそうに涙を拭っていた。
「日本語でオッケー!」
「そ、そっか……えっと、よろしく?」
何がなんだかちょっとだけついて行けなかったけど、チュチュとレイは私を別の部屋に案内してくれる。そこにあった部屋、音楽スタジオにびっくりしすぎて目がまんまるになっちゃった。チュチュってお金持ちだ、そんなことを本人に言う前にチュチュは早速だけどテストさせてもらうわよ! とやっぱりテスト、だけ印象的な発音で。
「タエ、あなたの演奏ヂカラがどれほどのものなのか、私に見せなさい! 曲はこれよ!」
そう言って、流された打ち込みの音源を聴いた瞬間、ビビビってきた。知らない曲で、チュチュが作った曲なんだろうなって言うのはすぐにわかった。知らない、知らないのに、この曲には電気が込められてる。ここに私たちが演奏して、レイの歌が乗る。バンドだから当たり前の、そのシビれるような、震えるような。
──これが私がずっと、夢にまで見てきた、宙ぶらりんだった夢の先にあるもの。チュチュの音楽は仮音源でありながら惰性だった私の叶わない夢を、見事に撃ち抜いてくれた。
「花ちゃん、行けそう?」
「イケる。ヤレる!」
「……うん!」
一度聴いただけだったけど、十分だ。あとは私が、私がこの音楽のギターを作っていく。私の音楽にしていく。心のままに、情熱のままに、衝動のままに。荒削りだけど、今はそれでいい。私がチュチュに見せるのは技術だけじゃない、ありったけの夢を、六年分の想いを全部体重に乗せて、ピックに乗せて!
「──声色に中毒性 too many 混ぜて……」
「レイヤ!?」
夢中で弾いていたらレイが我慢の限界だったとばかりに飛び入りしてきた。それだけで、ガラリと世界が変わって、レイの色になりかけて、私は負けじと指を動かしていく。
そして、あっという間に曲が終わってしまって。私は息を吐いた。一曲やっただけなのにこんなに疲れるなんて。本当に魂まで掛けてたような感覚に、全てが冴え渡るような全能感に私は何度も自分の掌を見つめた。
「どうだったチュチュ?」
「まぁ、最低限これくらいの演奏ヂカラがあれば、そうね……ひと月以内に仕上がらなければクビ、ってところね」
「……そっか」
厳しい言葉。だけどレイは何故か顔を輝かせて、それじゃあメンバーは集まったね! とチュチュと一聞すると全然違うことを言っていた。それに気づいたレイに補足されるように、今のは合格ってことだよと言われて、そうなの? と本人に問いかけた。
「これから忙しくなるわよ、タエ」
「──のぞむところ!」
とりあえず今日はもう遅い時間だから明日にしよう、とレイと途中まで一緒に帰った。道中で昔の話、離れていた六年間を少しだけ埋めて、私はレイにまた明日、と声を掛けて、レイは私におやすみ、またねと声を掛けてくれた。もう、サヨナラじゃない。また会える。そう思うだけで三日月になる自分の唇も、ちっとも嫌じゃなかった。
「……ハロー快晴! どしゃ降り雨よサヨウナラ!」
もう私の心が、私の夢が雲に覆われることはない。雨が降ることもない。でも、見上げた空は、当然夜空だったから虹は見えそうになかった。代わりに、必死に輝く星がキラめいていて、よくよく見るとまるで息をしているように光が収縮しているように見えた。私はそんな星たちに拳を突き上げてから、真逆の方向に、自分の帰る場所に向かって歩いていった。
参考までに、今回作中で演奏している、歌っている曲
『フォトンベルト』大塚紗英
『Don't be afraid!』Glitter⋆Green
『ナカナ・イナ・カナイ』花園たえ×レイヤ
『R.I.O.T』RAISE_A_SUILEN
『ハロー快晴!』大塚紗英
特に作中でおたえが路上でどんな曲を歌っているか知りたいヒト用。ただしハロー快晴! とナカナ・イナ・カナイはりんごちゃんにはないです。