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文学フリマ短編小説賞の応募作品まとめ

王専用の人間盾

作者:森野 乃子

「私がお前を自らの盾と決めたときに言った言葉を覚えているか」


 雪の降る中、血にまみれた少女に覆いかぶさる青年がいた。

 青年の目は潤み、ただ少女だけを映している。


「もちろん、覚えておりますよ……陛下。私の命は、陛下のものですから。ところで陛下は……相変わらず私から目を離さないですね……」


 少女はかろうじて口を開くと、かすれた声でそう言う。

 少女は貴族のようには見えない。

 騎士にしては線が細く、そんな少女が国の王とこのようにして話しているのにはある理由があった――




+ + + + + +




「ミハル・ウォーカー。貴様を王宮管理財産破損の現行犯で処刑する」


 豪華絢爛という言葉がピッタリの王宮。一年を通して溶けることのない雪にも負けず、王宮は雪景色の中に堂々とたたずんでいる。

 その王宮内の一角に審議の間があった。今そこで、一人の少女の命を消すことが決定した。

 般若の形相をした男たちの前で強制的に跪かされているのは、この城で働き始めて三年目になる少女であった。元は田舎の村にあるパン屋の娘だ。

 この少女が王宮のメイドとして働けることになったと知った瞬間、村を上げての大騒ぎで送り出し、娘を誇りだと言って少女の両親は泣いた。

 それが今、処刑されることになっている。


「お前は確かメイド長の信頼も厚い者だったな。一時は養子縁組の話まで出たとか。いやはやメイド長への恩を仇で返すとは……」


 毎日朝早くに起きて雪かきや王宮内の掃除をし、三食ご飯を食べ、部屋へ寝に帰るだけの単調な生活。

 しかしそれでも、この王宮という場所へ入ることができたのは、少女にとって非常に運が良かったとしか言いようがない。王宮はそれだけ国民にとって特別な場所だった。


「まあ、今となっては全てが遅い。最期に何か申し開きは?」


 これを逃せば命が助かるチャンスはないというのに、少女はふと自分が王宮に来たばかりの時を思い出していた。

 洗濯を干すために歩いていたとき、ぼんやりとしていて曲がる必用のあった角を直進したのだ。それに気づいたのはしばらくしてからで、慌てて戻ろうとした時には既に自分がどの位置にいるのかがわからなくなっていた。

 そこを助けてくれたのがメイド長であった。怒られはしたものの、若い時の自分にそっくりだと言ってメイド長は田舎から出てきた少女をよく見るようになった。


「……何もないのか? ならばこれより処刑を執りおこなう」


 そこから三年、少女は必死に仕事をこなし、“真面目に仕事をする誠実な子”という評価を得て王宮内のメイドとして昇格した。仕事も死ぬ気で覚え、まだわからない部分がありながらもなんとか与えられた仕事をこなせるようになり、少しではあるが友人も増え始めた。

 重要な仕事も任せてもらえるようになり、王宮の宝物庫の掃除はその中でも特に重要な職務であった。

 まさに、色んなことがこれからだったのだ。


「通常であれば死刑執行までにある程度は猶予があるが、今回は事が事だ」


 一瞬にしてこのザマだ。調度品を壊したと言うたったそれだけの理由で、こんな事になっている。

 ただ、その壊れた調度品というのが、少女が一生かかっても弁償しきれないほどの――さらに言えば王家に代々伝わる重要な調度品であることは、少女も含めた国民全員が知っていた。

 その調度品を国民が目にしたことはない。それは宝物庫の奥の奥に箱に入れられて保管してあるもので、年に一度の祭典の時、神殿長と王族しか見ることが出来ない代物だったからだ。

 そのような重要なものを壊してしまえば、死刑を免れることはできないのも当たり前というものだ。

 しかし、一つ言うことがあるとすれば、それを壊したのが少女ではないということである。


「お前の遺体は家族の元へ帰ることはないだろう」


 一緒に掃除をしていたメイドが、不注意で壊したのだ。そしてそのメイドは、少女が口の重い者だと知っていて自らの罪を押し付けた。

 口の重い少女と何年も王宮で働いて演技能力が非常に高いメイドとでは、どちらに軍配があがるかなど考えずともわかる。

 引っ立てられるその瞬間も、自己主張が苦手な少女は強張った表情のまま何も言えなかったのだった。


「犯罪を犯した者の共同墓地に埋葬される」


 つまりそういった経緯と思いがあって、少女は抵抗することを早々に諦め、騎士によって投獄されたというわけだ。少女は知っていた。口の重い自分が勝てるはずもないと。そして一度“敵”が出来上がってしまえば、それを覆すのは至難の業だと。

 であれば最初に抵抗したらよかったのだが、どうすればこの状況を抜け出せるかを考えるには、少女には少し経験が足りなかった。

 それでいいとは全く思わなかったものの、抵抗する手段が全く思いつかなかったのだ。

 そして審議の日。牢から王の間へ連行される間、少女は自分を失望の眼差しで見るメイド長を見つけて心が痛んだ。それでも、自己弁護をする気が全く起きなかった。こうなっては何を言っても無駄だと、短い人生で何度も体感していたからだ。良い仲間もいるが、メイドの仕事には色々ある。


「墓地に入れられるだけでもありがたいと心得よ。いいな。さあ、首を出せ」


 しかし、審議が始まってから少女を見たまま一度も目をそらさない王を見て、少女の気が変わった。


「恐れながら陛下」


 ボソッと、それも刑が執行されるその直前まで黙っていた少女があげた声に、全員が集中する。

 ましてやそれは、直接王に投げかけられた言葉だ。通常であればありえない。


「かの調度品を壊したのは私ではございません」

「――なぜ、今頃それを言う? 申し開きの場は何度かあったはずだが」


 王の冷たい言葉が響く。

 この時、少女は始めて王の声を聞いた。


「貴様、直接王に話しかけるなど……! なんと恐れ多い――」

「よい、聞かせろ」


 そして少女は、この王になら話が通じるのではないかと期待する。王の言葉には棘があるものの、頭ごなしに少女が悪いと決めつけてはいないからだ。それに少女の無礼を許し、話を聞く態度を見せた。


「ほら、どうした。何ゆえそのような妄言を吐くに至ったのか言ってみろ」


 少女は王を見ながら、王に哀れみを感じた。

 なぜならこの王には誰も信用できる人がいないと思ったからだ。少女には王の目が、誰も信じず己の力で生きてきた者のように見える。強く、冷たい目だ。

 王であるから暗殺は日常茶飯事。少女は今朝も王の毒見係が死んだと聞いた。それに先月は左大臣が横領の罪で投獄されている。兄弟も血で血を洗う後継者争いで、今でもこの王を座から引き摺り下ろそうとやっきになっているのだと、メイドはおろか王宮に仕える者であれば誰もが知っていた。

 そんな孤独の王を見ながら、少女はどうせ死ぬかもしれないのならと賭けに出たのだった。


「私を……信じられないのは、重々承知しております。ただ、私は口が重く頭の回転も遅いので、みなさまに信じて頂ける答えを用意することができませんでした」

「ではどうする? お前の首はもうすぐ飛ぼうとしているではないか」

「私と賭けをして頂きたいと存じます」

「ほう?」


 室内は静まり返っていた。

 みなが王と少女とやり取りに注目している。

 少女は手の震えを隠しながら、しっかりとした口調と眼差しで前を向く。


「陛下。失礼ながら、陛下には信頼できる方がいらっしゃいません」

「貴様! なんと無礼なことを……!」

「よい、事実だ。続けろ」


 王は怒る大臣を抑えて、表情を変えないまま少女を見つめる。そしてゆっくりと頬杖をついた。


「もし私の言葉を信じて私の命を取り上げないで頂けるのならば――……命を助けて頂いたお礼に、私は陛下の唯一信頼できる盾となります」


 王はわずかに口角を上げる。


「盾、とは?」

「文字通りでございます。戦場にお連れ下さいませ。攻撃から御身をお守りします。毒見をさせて下さいませ。身をもって知らせます。旅にお連れ下さいませ。あらゆる災厄から陛下を――バレン陛下をお守り致します」


 名を呼べば、王が片眉を上げた。その表情には好奇心が見え隠れしている。


「なるほど。だが、一回しか使えんな」

「私の命は一つでございます。一つを助けて頂くのですから、私がお助けするのも一つです」


 少女が無遠慮にそう言う。

 これはある種の賭けだった。この失礼な発言をこの王がどこまで許すのか、少女には全くわからなかった。それでも何か印象付けられる何かがあれば生きられるかもしれないと、あえてこういう言い方をしたのだ。


「なるほどな」


 そしてそれは正解であった。

 王はさらに笑みを深くして椅子から立ち上がる。


「本日より貴様は私の盾となれ。処刑は中止だ」

「陛下!!」


 何人かの男たちが諌めるように名を呼ぶも、王は手を振って取り合わなかった。


「盾よ。お前の命は私のものだ」


 マントをひるがえし、王は部屋から立ち去っていく。

 喧々囂々の室内で、ただ一人、全身から汗を吹き出しながらへたりこむ少女。

 この時から、少女は王専用の人間盾となったのだった。




+ + + + + +




「国王陛下の盾様がいらっしゃいました」


 部屋の中に向けて、大声で少女の訪れを告げる騎士。

 少女はこれがあまり好きではなかった。

 いっせいにかしずくメイドや騎士たちは、今まで自分よりもはるかに立場が上だった者たちだ。それなのに王専用の盾と言うだけで優遇され、その身に嫉妬を受けることもあった。

 おかげで体には生傷が絶えず、以前に王が少女の体についた傷について問うたときも、苦笑して誤魔化すしかなかった。


「…………」


 今日も大勢の使用人たちが少女にかしずく。

 少女は視線を外さない王に自らの視線を合わせる。そしてその側まで行くと、丁寧にお辞儀をした。


「お待たせして申し訳ありません」


 今少女が着ている制服は他のメイドと同じ形だが、その色は濃紺ではなく白と水色で構成されている。血に塗れたとき、わかりやすくなるだろうと王が特注で作ったのだ。


「毒見をさせて頂きます」

「ああ、頼んだぞ」


 この王は少女から眼を離さない。

 王の姿を目の端に意識しながら、少女は「この王様、いつも私のことを見ているなあ」とのん気なことを考えていた。しかしながらそこに愛だの恋だのといった感情が全くないのは、少女自信が一番よく理解している。

 この視線は私を見極めようとしているのだ、と考えているからだ。

 その証拠に、王の目の奥には他の者に向けるのと似たような“疑い”があった。もっとも少女と他の者では歴然とした差があったものの、自分のことに鈍感な少女がそれに気づくことはない。


「毒見と言いながら王と同じ食べ物が食えるのだ。役得だな、盾よ」

「はい、至極光栄でございます」


 冗談めいた王の言葉に真面目に返答をすれば、王は少しばかり眉間にしわを寄せる。しかし少女はそれに気づかない。

 王の皿から少しずつとった食物を口に入れ、王から離れる。すると王は即座に少女の腕をつかんでこう言うのだ。


「またか。いい加減に覚えろ。お前の定位置は私の横だ」

「恐れながら陛下――」

「盾が私から離れてどうする。敵が天井を突き破って降りてくるかもしれないというのに」

「申し訳ありません。かしこまりました」


 少女が定位置に戻り、背筋を伸ばして立つ。

 王は食事に手をつけず、少女の目をジッと見ながら世間話を始めた。


「ところでお前、何故先日やった髪飾りをつけない」


 この世間話はいつもの流れで、少女はもうずっと食事の前に王とこのやり取りを繰り返している。鈍行性の毒に対処するべく、少女が口をつけてから三十分は王も食事をとらないのだ。

 その間ぼうっとしているのも暇だと言うので、王が少女の目を見ながら話をし始めたのが最初だった。初めこそ他愛もない話だったそれは、そのうち少女が聞いてもいいものか戸惑うような話までし始めた。それがもう数週間も続いている。


「陛下、規則では仕事中に髪飾りをつけることを禁止されています。それに私は歩き回りますので、万が一にでも壊してしまいますと――」

「死刑だな」


 少女が盾となった理由を持ち出してニヤリと笑う王に、少女も口角をあげる。

 その時、少女はふと胃の辺りに違和感を覚えた。


「……?」

「どうした」


 少女の異変に気づいた王が片眉を上げた瞬間、少女は「あ」とつぶやいて口を押さえながら後ろをむく。

 しかし、王の前から去ろうとしたものの間に合わず、うずくまるのと同時にその口から真っ赤な血がボトボトと滴り落ちた。

 一瞬にして部屋は蜂の巣をつついたような騒ぎになり、王も目を見開いて少女を見下ろす。ところが当の本人は静かに立ち上がり、しっかりとした表情で王に一礼した。


「大変失礼致しました。毒のようです」

「――そのようだな」


 口から血を流し、それでもいつもと変わらぬ態度で報告をする少女に、王は呆然としながらゴクリと唾を飲み込む。


「すぐ別の食事を――」

「いや……朝食はもう良い」

「お食べ下さい。朝の食事は重要です。私は身を整えてきますので、別の毒見係を用意してもらえるように致します」


 颯爽と歩き、戸をあけて部屋を出て行く少女。

 誰しもがその姿を呆然と見つめていた。




+ + + + + +




「……ごほっ」


 少女が息苦しさで目覚めると、腕から何本も管が延びていた。消毒のにおいをかぎ、ようやく自分が毒見の後に扉を出たところで意識を失ったのだと思い出す。


「……いき、て……いたのね……」

「お目覚めか、盾人間」


 乱暴な口調に視線を向ければ、顔をしかめた無精ひげの医者が少女を睨みつけている。

 この老人とは少女が盾になった頃からの顔なじみで、よく少女の手当てをしてくれていた。


「言っておくが、陛下の盾だからと言って媚びへつらったりしないからな」

「……毎回聞いているので理解しています。それに、それが普通です。助けて頂いてありがとうございました」

「王が――」


 そう言って黙る医者。

 視線で続きを促せば、医者は意地悪そうな笑みを浮かべて少女を見下ろす。


「――大層、お怒りだった。直接ここに来た」

「おい、かり……? な、何に、たいして……お怒りなのでしょうか……? 王の目の前で汚く血を吐いたこと? 食事の前にあれはなかったなと思っていたの」


 怒りという単語を聞いて、少女の心臓が早鐘を打つように暴れだす。まさか怒りに任せて死刑になるのではと息を荒くさせる。

 王の怒りは持続することがある。基本的に八つ当たりはしないが、それでも極稀に抑えきれぬ衝動を物に向けるのだ。

 以前そのばっちりで飛んできた本が頭にあたった時は、大きなコブが一週間も消えずに残った。本が当たったとは思えないほどの音が少女の頭から聞こえた時、さすがの王も顔を強張らせながら真っ青にしていたが、表情一つ変えない少女を見ると「さすが盾だな」と言いつつ視線をあちらこちらに彷徨わせていた。少女が内心でもんどり打ってひっくり返っているなど知りもせず。

 そのことがあってから、少女は“大層お怒りだった”という単語には敏感なのだ。


「それは自分で考えることだ」


 そう言われても、少女には王の目の前でこれから朝食を食べるという時に血を吐いたこと以外は、ひとつも理由が思いつかなかった。




+ + + + + +




「…………」


 王の食事に毒が混ぜられていた事件から数週間が経った。

 少女は結局、王の怒りの原因を知ることがないままだ。王もその時のことを少女に話さない。

 王の食事に毒を混ぜた犯人は金で買われた下っ端で、結果的にはトカゲの尻尾きりとなってしまった。王はいつものことかと思う反面、少女が倒れたことを考えると胸糞の悪い思いになる。


「おい」

「はい」


 ところで、王は少女を率いて王都への視察へ来ていた。

 その顔はしかめられており、珍しく少女の目を見ていない。狭い馬車の中、乗り込んだ瞬間から王の不機嫌を察した少女が王の視線から外れるように体をずらした時、勢いよく振り返った王から「動くな」と叱責を受けた。


「あの時、なぜ毒をくらってなお、平気な顔でいた。のた打ち回っていれば早々と医者に診せられただろうに。扉の外をしばらく歩いてから倒れたらしいな」


 その質問に、少女は目を瞬いた。しかしすぐに気を取り直すと、王に気づかれないようにため息をつく。


「王の物理的な盾は、傷ついた時にのた打ち回るでしょうか?」

「は? お前は物じゃないだろうが」

「ですが、盾であることに変わりはありません。盾は動揺しませんし、叫びません。痛がりもしません。だから使い手は遠慮なく使えるのです」


 王の眉間のしわが増えていく。


「――なるほど。信用に値する盾のようだな」

「ありがとうございます」


 低い声で言われたそれに少女が礼を言えば、さらに王の眉間へしわが寄った。


「おい、なぜ私はこんなに胸糞悪い思いをしているんだ」

「は?」

「…………」


 思わず素で聞き返してしまい慌てて口を塞ぐも、王はそれに気づいた様子もなく眉間にしわを寄せたまま外の景色を眺めていた。

 一体なんなんだと少女が内心疲れ果てた頃、馬車はようやく街へとたどり着く。


「少々お待ち下さいませ」


 少女は王より先に馬車から飛び降りて周囲に目を走らせ、異常がないことを確認して馬車の方を振り向く。それを見てから、王はゆっくりと馬車の中から出てきた。

 しかし、騎士が馬車の周囲を取り囲んで配置についた瞬間、その時は訪れる――


「お覚悟……!!」


 突如、男の叫び声が聞こえて右手前方が騒がしくなる。

 こちらに向かって走ってくる男に、まず真っ先に騎士が反応して駆けていった。王は少しも表情を変えないまま、その男のことをジッと見る。そしてその男が捕らえられ、わけのわからないことを叫んでいるのを聞いていた。

 しかしその男がニヤリと笑った瞬間、王の胸に何とも言いがたい嫌な予感が走る。

 そして――


「くそっ!!」


 後方から別の男の悔しそうな声。

 体へあたる衝撃。

 一体何が起こったのかと振り向けば、そこには自分を庇って胸の中央を刺されている少女がいた。


「…………」


 少女は声を上げない。王に寄りかかるようにして立っており今にも倒れそうに見えたが、王はその手が王を男から遠ざけようとして、王の体を押しているのに気づいた。

 敵は二人いたのだ。それに真っ先に気づいた少女が、前方の敵を騎士に任せて後方の敵に立ち向かった。


「離せ! この――」


 男が全てを言う前に、男は王の剣によって切り倒される。

 その男が倒れるのと同時に、少女も地面へと倒れた。広がっていく赤い色に王は一瞬顔をしかめると、少女を抱き上げて馬車に押し込む。そして御者へ医者に連れて行くようにとだけ言うと、去っていく馬車を見もせずに騎士たちを睨みつけた。


「我が盾は騎士より役に立つようだ」


 一言だけそう言うと、王は予定通り視察を開始した。




+ + + + + +




「…………」


 かりかりと王の滑らせる万年筆の音。それを、少女はソファに腰掛けながら黙って聞いていた。以前は立ちっぱなしで警護をしていたが、そのうち王が目障りだから座れと言ったのが始まりだった。

 窓の外は雪深く、時折雲の間から太陽が見えるものの、やむ気配はない。その雪を見ながら、少女は嫌な予感がしていた。

 どうも頭が重いのだ。節々も痛く、完全に風邪をひいたとしか思えない。しかしそれが王にバレれば、間違いなく傍を外されるだろうと思い、少女は黙っていることにした。


「傷は」


 胸を刺されて数週間経つというのに、王はいまだこうして少女に近況報告をさせる。

 相変わらず雪が降り続ける窓の外を眺めながら、ソファに腰掛けた少女は呆れたように口を開く。


「抜糸したところが盛り上がってきました。もう痛みもないですし、完治といって良いでしょう――と、申し上げてから数週間経っております。もう何ともございません」


 体調が悪いせいかいつもより失礼な物言いをしたなと内心ドキッとした少女であったが、王は「そうか」とだけ言うと仕事に戻る。

 書類にハンコを押しながら、王は時折チラッと少女に視線を向け、少女と視線が合うとまた書類作業へ取り掛かる。


「盾よ」

「はい」

「三ヵ月後、戦が始まる」

「はい」


 わずかに震えた少女の手。それは王に気づかれることはなかった。


「盾」

「はい」

「……お前は不死か?」

「いいえ、そのようなことは。怪我や病気がひどければ死にます」

「ではなぜ、今まで壊れそうになりながらもその命を失わない。私の知る限り、お前は三度死にかけた。一度目は死刑から、二度目は毒から、三度目は暴漢の剣からだ」

「――陛下の盾だからではないでしょうか?」


 少し考えてそう言う少女に、王は不思議そうな顔をする。


「陛下は、そのお召しになっている服や、今お使いの万年筆もですが、全てにおいて他の者よりも立派なものをお持ちです」


 冗談めかして、そしてさりげなく自分の質を褒める少女に、王はフッと笑った。


「では此度の戦も無事に終わるのだろうな。お前が私の側にさえいれば」


 少女もつられるようにして笑いかけ、ふと気づいた。

 王のおしゃべりが多い。

 きっと疲れたのだろうと思い、少女はお茶を入れるために立ち上がり、一瞬世界が回ったような感覚におちいる。そこで初めて熱が出てきたのだと自覚した。慌てて王へ視線だけ向ければ、王は書類に視線を落としているので少女の異変には気づいていないようだった。


「……今日はどの茶葉を使いますか?」


 簡易の給湯室に入りながらそう言うも、王からの返答はない。

 不思議に思って振り返ると、すぐ後ろに王が立っていた。驚いて悲鳴をあげるところだったが、なんとかそれを堪える。


「どうされましたか?」


 王は黙って少女の首筋に手を伸ばす。

 そしてゆっくりとその耳元へ口を寄せると、ささやくようにこう言った。


「ほう? 盾も風邪をひくようだ」

「……っ」


 カッと顔に熱が集まり、なぜバレたのかという思いが脳内を駆け巡る。


「盾よ。バレないとでも思ったか?」


 スッと離れた王の目は厳しく、少女はすぐさま謝罪をする。


「……私にうつされてはかなわん。今日は下がれ。治るまでここには顔を出すな。医者に診せた後はベッドで大人しくしていろ」


 きつい物言いにぐうの音も出ない。

 しかし言っていることはごもっともで、少女は再び謝罪をすると部屋を出た。


「…………」


 その後姿を見て、王が拗ねたような顔をしたのを少女は見ることがなかった。




+ + + + + +




「戦況は」


 少女の風邪が治ってから三ヶ月。国では王の言ったとおり戦が始まっていた。

 王の傍には騎士よりも軽い装備の少女が立っている。その顔は強張っており、周りにいる数名の騎士も心配そうに少女を見ていた。


「我が軍の圧倒的優位です。ここから負けることは天地がひっくり返ってもありえないでしょう」

「そうか。わかっていると思うが、最後まで油断はするな」

「はっ」

「おい、これを」


 王が少女に差し出したのは短剣。


「何もないとは思うがな。命が危なくなった時に使え」

「かしこまりました」


 騎士の言うとおり、戦況は非常に良かった。

 敵対国は早い段階で王の策にはまり、次々と自爆していったのだ。思った通りに進んでいく戦況に、少女は背筋が寒くなるのを感じる。


「どうした、盾」


 少女の異変を感じ取った王は、少女の目を見て問いかける。少女はなぜ王がそんな質問をしてきたのかわからなかった。しかし、何か感情が顔に出ていただろうかと気を引き締め、王の質問に答えるべく口を開く。


「陛下には千里眼があるのでしょうか?」

「は?」


 気の抜けたような声。

 顔もわずかに引きつっており、「一体何を言っているんだコイツは」と言った心情が聞かずともわかる。少女は若干気まずい思いをしながら、少しだけ視線をそらした。


「王の立てた作戦が、ひとつも狂うことなく進んでいます。恐ろしいくらいに」

「不安か」

「いいえ」


 即答する少女に、王はニヤリと口角を上げる。


「盾よ」

「はい」

「お前は自分のことを良い盾だと言ったな」


 王の言葉に少女が頷く。


「良い盾を使えるのは、良い使い手だけだ」


 その言葉に、少女はわずかばかり目を見開いた。


「お前はただ、私の傍に」

「かしこまりました」


 薄っすら笑った少女に、王も薄っすら笑う。

 王は騎士との話で少女の目を見ない。当たり前だが、王が少女に視線を向ける回数は、王宮にいるときよりもはるかに少ない。

 しかし、少女が王に視線を向ける時間は、いつもと変わらなかった。




+ + + + + +




「どうしてこうなった……? どこで間違えたんだ……私は……」


 王は、珍しく自分が震えているのに気づいた。

 あたりは火と煙が立ち昇り、死体があちこちに倒れている。


「なぜ――おい、盾! 盾はどこだ!」


 雪深い中で、王は叫ぶ。

 しかし、いつもすぐに返事する少女の声は聞こえない。


「盾……」


 戦争は確かに勝っていた。

 敵の将を打ち破り、戦は終了した。そして王は一足先に王宮へと戻るため、馬車と数名の騎士を連れて雪山を進んでいたのだ。しかし天候が悪化し、しんしんと降っていた雪は吹雪へと変わっていった。真っ白になった世界の中で、馬車をあやつっていた御者は恐ろしいものを見たのだ。

 それは、敵の残党――……

 あっというまに囲まれ、切り伏せられ、崖から落ちていった者もいた。王が馬車から飛び出して何とか応戦し、全てを切り伏せたとき。

 その場に立っていたのは王ただ一人であった。


「どこだ! 盾!!」


 王が叫んだと同時に、ガタリと馬車が揺れる。

 そう言えば少女は馬車から出てきていなかったなと思い、王は慌てて馬車に駆け寄る。そして扉を開け放った瞬間、中から出てきた残党が自分に向けて剣を振りかざしていることに気づいた。


「!」


 王を守ったのは、当たり前のようにどこかからか飛び出してきた少女。

 その身で剣を受け、真っ赤なしぶきが空中へ舞う。


「……っ!?」


 しかしそれだけではなく、少女は残党の首筋に王から受け取った短剣をつきたてると、その勢いを利用して残党と一緒に馬車へ乗り込んで扉を閉めた。

 慌てて王が扉を開けようと取っ手に手をかけるも、内側からガチャリと鍵をかける音がする。


「おい、盾! 何をしている!! ここを開けろ!!」


 馬車は大きく揺れ、中からは争っている音がした。

 王は初めて血の気が引くという体験をし、力任せに扉を引いた。ところが扉は全く開かず、王族用にといって頑丈に作った馬車に心底悪態をついた。


「開けろ、盾……!!」


 怒りで力任せに扉を叩いたのと同時に、あれだけ揺れていた馬車が動かなくなった。


「……盾?」


 ゆっくり、ゆっくりと扉が開いていく。

 王が眉間にしわを寄せて剣を構えると、中からいつもと変わらぬ表情を浮かべた少女が現れた。

 平然としているのに、その顔からは血の気が引き、胸は真っ赤に彩られている。


「陛下、お怪我はございませんか?」

「何、を……考えているんだ貴様は……!!」


 空気が震えるほど怒鳴り、少女の肩が揺れた。


「陛下――」

「そんなところに敵と二人きりになれば、どうなるかなんぞ考えずともわかるだろうが!! 何故あのような真似をした!」

「陛下、お忘れのようですが――」

「私は貴様なんぞに守られるほど弱くはない!!」


 そう言い放った瞬間、少女の傷ついたような顔を見て、王は顔を引きつらせながら悪態をつく。

 そしてマントを引き千切ると、少女を押し倒して傷口に押し付ける。しかし血は止まることなく、どんどん馬車の中を侵食していった。


「陛下」

「喋るな」

「お聞き下さい、陛下」

「…………」


 無言を貫く王。

 聞く気はないという意味なのはわかっていた。しかし、少女はそれでも口を開く。


「陛下、私は陛下の盾です」

「知っている」

「盾の用途を果たしました」


 少女がそう言った瞬間、王は唇を噛み締め、横になっている少女の顔のすぐ横に拳を叩きつけた。


「そんなのは……! 知っている……!!」


 低い声でそう言うと、王はマントを押し付けるのをやめ、細く裂いて少女の胸へと巻いていく。

 そして少女を抱えあげると、少女を医者に診せるため山道を歩き始めたのだった。




+ + + + + +




「私がお前を自らの盾と決めたときに言った言葉を覚えているか」


 雪の降る中、血にまみれた少女に覆いかぶさる王がいた。

 王の目は潤み、ただ少女だけを映している。


「もちろん、覚えておりますよ……陛下。私の命は、陛下のものですから。ところで陛下は……相変わらず私から目を離さないですね……」


 少女はかろうじて口を開くと、かすれた声でそう言う。

 もう少女の視界には、ほとんど何も映っていない。

 降る雪は激しさを増し、暖を取るためにと洞窟を探したものの見つからなかった。だから王は、大事そうに少女を自らの体で覆う。冷たい風が吹き付けて、その体温を奪わないように。


「相変わらず……?」

「私が盾になったあの日から……陛下はいつも……私を見ています」

「……そう、だな……言われてみれば、お前だけを見ていた気がする」

「初めは、疑いの眼差しを……されていました」


 そう言って少女が笑えば、王もフッと笑う。


「盾よ」

「……はい」

「痛むか?」

「……いいえ」

「……そうか」

「盾よ」

「……は、い」

「お前は本当に不死ではないのか?」

「……残念、ながら……」

「……そうか」


 王は、もう少女の命が燃え尽きようとしているのに気づいていた。

 気づいてからようやく、自分がこの盾を失うのを惜しいと感じていることを思い知った。そしてこの使い慣れた盾を、思いのほか気に入っていることも。


「盾。お前は、良き盾だな。今まで私が持った盾の中で、随一だ」


 少女の目は、もう王を見ていない。




+ + + + + +




「盾」

「はい」

「やはりお前、不死なんじゃないのか」

「いいえ。本当に残念ですが、何かあれば私も死にます」


 少女は生きていた。

 あの後、王は少女を抱えて何時間も歩いていた。すると、途中で跡を追って来た騎士たちに出会ったのだ。後続の騎士たちは馬車が襲われているのに気づき、そこから続く足跡を追って来たのだった。

 無事に王宮へとたどり着いた少女は王よりも手厚い看護を受け、消えそうな灯火を再び力強い炎へと変えた。


「おい、ミハル」


 王がそう呼びかけると、少女は目を零れ落ちんばかりに見開く。

 あまりにも人間くさい反応を見た王は驚きに目を見開き、不思議な気持ちになった。

 なぜなら、今まで少女は盾である間は努めて“物”であるという態度を崩さなかったからだ。感情を消し、即答することで“迷い”という人間らしい感情を抑えていた。その努力は王にも伝わっていた。少女を盾として使い続けている理由の一つがここにある。

 その少女が自分の一言でこんなにも驚くのかと知ると、王の胸の奥に愉快な感情がわいてくるのに気づく。


「どうした? そのような顔をして」


 意地悪そうにそう言えば、少女は少し顔を赤らめてつぶやいた。


「……私の名前、ご存知だったんですか」

「無論」

「……ご存じないのだと……思っていました……」


 嬉しそうにそう言う少女を見て、王に罪悪感が沸いてくる。

 今まで“盾”としか呼びかけなかったのは自分だ。城にいる全ての者の名を、王は知らない。それは当たり前のことであるが、王は身近にいる者の名前くらいは覚えているのだ。

 それなのに、今まで少女のことは“盾”として扱っていた。少女の努力に応えるためだ。

 しかし、名を呼ぶだけで少女が嬉しそうにするのならば、今後は名を呼んでやっても良いと思った。


「陛下は盾をお持ちになられてから変わりましたな」


 カーテンの隙間から顔を突っ込んだ医者が、楽しそうにそう声をかける。


「どういう意味だ」

「おや、お気づきでない? 以前の陛下は氷でできた心を持っていると言ったら素直に信じるほど、冷たいお方だったというのに」


 医者の歯に衣着せぬ言い方にムッとした顔を向ければ、医者は王に柔らかい笑みを向けた。


「良かったですな、良い盾が手に入って」


 そう言われた王は、医者から視線をそらすと口角を上げるのだった。

「文学フリマ短編小説賞」応募のため、再投稿しております。

元の小説は現在、混乱しないよう検索避けをしております。


【追記】

文学フリマ短編小説賞で優秀賞を頂きました。

評価をくださった皆様、ありがとうございました。

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