院長・スタッフ紹介

仲田洋美

院長 仲田洋美

初めまして。仲田洋美(なかたひろみ)

と申します。
仲田洋美の医師としての哲学を作ってきた歴史はこちら

医療は国民の皆様のためにある、が信条ですので、いろんな提言を厚生労働省、各学会などの医療の中枢部に発して、医療改革に取り組んでいます。

日本内科学会内科専門医、日本臨床腫瘍学会
がん薬物療法専門医(がん薬物療法専門医認定者名簿)、日本人類遺伝学会臨床遺伝専門医として従事しております。
平成7年、高知医科大学医学部医学科を卒業し、医師国家試験に合格し、血液・呼吸器内科医として医師人生をスタートしました。
その後、腫瘍性疾患の化学療法医としての経験を活かして臓器横断型腫瘍内科医に転向しましたが、臓器を限定せず診療すると「遺伝性腫瘍」に遭遇する機会が増加し、扱う専門家が殆どいないことに驚き、遺伝専門医となることを決意しました。

国立がん研究センター東病院に,当時まだ保険収載もされていなかった大腸がんのK-ras遺伝子変異の検出方法について実習に行ったんですよね.
2009年秋の事です.柏にある東大の大学院に次世代シークエンサーNGSが2台入り,日本のNGS時代が幕を開けたところでした.わたしの指導に当たった土原先生は言いました.
そのうち細胞1個から全ゲノムが読める時代が来る.急速に技術が進歩し,時代が流れているのに,その技術革新を臨床に戻せる,つまり患者に説明できる医師が一人もいない.大変由々しき問題だ.君は遺伝専門医になれ.

そうしてわたしは,重い腰を上げるかどうか悩みに悩みました.そのころ私は,がん薬物療法専門医を受験しようとお勉強していた最中で.
がん薬物療法専門医もがんの分野のありとあらゆる知識と経験を要求されるので合格率も低く,全然増えない難関専門医です.
専門医になるお勉強をするのに,がんの分子生物学の本を読破する事から始めた私は吐きそうになるくらいお勉強して,2010年に受験しようとしていました.

そのうえ遺伝専門医にならなければならない,とすると,全然やったことのないお勉強が待っている.とても迷いました.

誰だって,困難な道をわざわざ選択したくはないですよね?わたしもそうでした.当時のわたしの睡眠時間は一日2-3時間.一日中,お勉強と仕事でした.

わたしは研修医の時から血液内科だったので,がんの分野はなじみがある分野で臓器横断型腫瘍内科医になったとき,やったことのなかった分野の研鑽をするのが大変だっただけです.それでも睡眠時間がないくらいお勉強だったのに新しい分野を「専門医」として診療できるようになるまでにはまた,死ぬほどお勉強しないといけない.

そりゃ,当然しり込みしますって! わたし,普通の人ですから.頭悪いし.

でも.誰かがやらないといけない事で誰もやらなくてわたしが出来ることならばわたしがしよう.

どんな状況でもそう思える人でありたい.わたしはそう思う事をやめられませんでした.だから.最終的には重い腰を上げる事にしました.

調べてみるとすでにBRCA1/2遺伝子変異による遺伝性乳癌卵巣がんが受精胚の段階で着床前診断の対象になっている国が4か国ありました.
いずれがんの世界に着床前診断が持ち込まれる時代が来る.そう直感して震撼しました.

そして,2010年春,学会に入って遺伝専門医の研修届を出しました.このとき,遺伝の分野と全く関係なかったわたしの推薦人は学会が用意することになり兵庫医科大学の当時の教授,玉置先生がなりました.兵庫医大に大学院から国内留学の手続きを取ってもらって研修しました.

兵庫医大は日本で一番ふるい遺伝診療部がある病院です.幅広い遺伝の問題を抱えた患者さんが来ます.研修の過程で当然,出生前診断も経験します.

開業して新型出生前診断などを扱うようになったのもこうした経験と信念から.

何を選択してどのように生きるかということは、大変重要です。正解も不正解もないからこそ、きちんと理解した上で自己決定をしていただける環境をつくり,自己決定権を最大限行使していただけるように支援することが専門医として一番大切だと思います。

あまり環境がよろしくなかった歌舞伎町から,北青山に移転し,落ち着いて診療できるようになりました.

遺伝子診療をちまたで」

「今日の先進医療、明日の地域医療」

「地域にこそ専門医」

が当院のコンセプトです.

遺伝専門医は大学病院にしかいなくて,しかも本当に横断型(小児科,産婦人科といった診療科にとらわれて診療することがなく,遺伝に関係する状態を総合的に診療する)専門医はほとんどいません.ですので,そうした大学病院に劣らない専門性の高い医療を,利便性との均衡を図りながら皆様に提供したい.

今日の先進医療は,時代の流れとともに一般医療になっていきます.

地域にこそ専門医はいて,診療を求める患者さんたちにウイークデーじゃないと診療しない,という態度ではなくフロントラインで診療すべき,というのがわたしの考えです.

今まで以上に皆様のお役にたてる医療機関に成長していきたいと存じます。今後とも、ご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

1995年医師免許取得。血液・呼吸器・感染症内科を経て、臓器別・疾患別の縦割りの医療の在り方に疑問を感じ、人を人として”全人的”に診療したいという思いを強くし、臓器を網羅した横断的専門医となり、2010年にがん薬物療法専門医取得(2019年現在全国1200人程度)。臓器を網羅すると遺伝性がんへの対策が必要と気づき、2011年に臨床遺伝専門医取得(2019年現在全国1000人程度)。遺伝相談はセンシティブな分野にもかかわらず、昼間の短い時間しか対応できない大病院のありかたに疑問を感じて、もっと必要な人がハードルを感じずに診療を受けられるようにしたいと2014年12月に開業。以来、全国から大学病院でも難しい内容の対応を求める人々を受け入れ、よろづお悩み相談所として多くの人々の様々な”家族(計画)の問題”を改善に導く。

著書に”女性のがんの本当の話”(ワニブックス)、”遺伝するがん・しないがん”(法研)がある。
少ない専門家で、正直で嘘のない言葉選びから週刊誌等の取材も多く、医療系の特集に時折コメントが掲載。(週刊現代、週刊ポスト、週刊新潮など)。
テレビ出演も時々あり、小林真央さんの病状を市川海老蔵さんが初めて記者会見した日、フジテレビの午後4時台のニュース番組に生出演して解説。その他TBS, AbemaTVなど出演。

一人一人の事情に合わせた個別対応をするべく、しっかり時間を取って本当のニーズは何かを聞き取りすることを大切にしている。短い時間でもお互いが出会ったことが相手の人生に大きな意味があるような医師患者関係の構築を理想として日々精進。

患者さんが抱えている問題を解決するにはどうしたらよいのかを考えて医師歴8年目に法学部に学士入学した程度に”凝り性”。女医が少なかった時代に3人の母親として難関専門医を3つ取得して社会進出を続けた経験から、女性のライフスタイルを医学以外の部分でも支援したいと願っている。
いろんな人生経験から心に響く言葉を投げかけるため、”会うと元気になる”ということで有名。飼いネコ3匹。

院長経歴 2019年現在医師歴25年

  • 1995年 高知医科大学医学部医学科卒業
  • 1995年 高知医科大学医学部第三内科学教室(血液・呼吸器・感染症内科学教室)入局
  • 2005年 高知医科大学第二外科学教室(心臓血管外科・消化器外科・呼吸器外科・乳腺外科)入局
  • 2005年 高知医科大学第二外科学教室助教
  • 2011年 兵庫医科大学医学部付属病院臨床遺伝部
  • 2014年12月 新宿ミネルバクリニック開院
  • 2018年3月 移転の為、新宿ミネルバクリニック閉院
  • 2018年3月 神宮外苑ミネルバクリニック開院

所属学会

専門医・認定医・その他

  • 日本内科学会認定内科専門医
  • 日本臨床腫瘍学会認定がん薬物療法専門医
  • 臨床遺伝専門医制度委員会認定臨床遺伝専門医
  • 日本プライマリ・ケア連合学会プライマリ・ケア指導医
  • 麻酔科標榜医
  • ICD制度協議会認定インフェクションコントロールドクター
  • 日本化学療法学会認定抗菌化学療法認定医
  • 日本癌治療学会認定がん治療認定医

活動報告

2013年8月日本臨床腫瘍学会学術集会において会長シンポジウムの講師を務める。
同年、日経BP社より出版された「がん診療 UP TO DATE」の分担執筆者を務める
2014年5月日経メディカルオンラインに、執筆者リレーエッセイを寄稿。

 

ヒポクラテスの木

院長・スタッフ紹介

高知医科大学医学部医学科6年生のころ。

臨床実習中に、友人が撮影したものです。
後ろには、ヒポクラテスの木。
医学の祖、ヒポクラテス(紀元前460-375)は、
エーゲ海のコス島で生まれました。
コス市には樹齢3000年と言われる大きなプラタナスの樹があるのですが、
ヒポクラテスがこの樹木の下で医学セミナーを開いたことから人々が
この大樹を医学のシンボルとみなして、「ヒポクラテスの木」と呼ぶようになりました。
その若木が広く世界中に植樹されています。
この木はプラタナスという名前の木で、
私たちを教育してくれた先生たちの思いがプラタナスに込められています。
卒業して20年が経過しやっと理解できるようになりました。
プラタナスの木にふざけて聴診器をあてたりした学生時代には戻れませんが、
大学時代、無邪気に幸せに育んでいただいたからこそ、
医師になってからいろんな壁に衝突し、
数えきれないほどの挫折を経験してもなんとか起き上って、
「まだ頑張れる」と自分を信じることが出来たのだと思います。
さまざまな経験をしてきて気が付けば、
内科専門医、
がん薬物療法専門医、
臨床遺伝専門医
という3枚の専門医資格を持つ国内唯一の医師となっていました。

しかし、ここがスタートラインです。
がんと遺伝の専門医として、遺伝性腫瘍の診療体制の整備に
微力ながら尽力していきたいと思います。
ハイヒールでエベレストに登ろうとしている、
わたしはそう表現されるくらい難しい道を選択してきました。
しかし、困難な課題だからこそ、取り組まねばならない。
私はそう思います。
そして.
言い続けたら第三次がん対策基本計画に遺伝性腫瘍に対する取り組みを入れてもらえました.

頑張ろう.
素直にそう思えるのも、
支援してくださるたくさんの方々がいらっしゃるからなのだと本当に感謝しています。
皆様、プラタナスの木のように、これからもどうぞ、
このお転婆で天然な専門医を見守ってくださいますようお願い申し上げます。
なお、ミネルバという名前に込めた思いがあるのです。
ミネルバはローマ神話の ”医術と戦術の女神” です。詩・医学・知恵・商業・製織・工芸・魔術を司るローマ神話の女神とも言われています。
聖鳥はフクロウ。
聖木はオリーブ。
ギリシャ神話になると女神ミネルバは女神アテナとなり、医学から離れていきます。
女神ミネルバはこうした背景から、世界中の医育機関たちの紋章に取り入れられています。

医師、仲田洋美もまた、少しでも女神ミネルバに近づきたいと、恐れ多くも ミネルバクリニック と名付けた次第です。
この名を冠するのに値する医師にいつかなりたいと情熱を燃やしています。