A Dutch government study described how the Japanese military recruited women as prostitutes by force in Indonesia. It concluded that among the 200 to 300 European women working in the Japanese military brothels, "some sixty five were most certainly forced into prostitution." Others, faced with starvation in the refugee camps, agreed to offers of food and payment for work, the nature of which was not completely revealed to them.
> セウォル号は「日本製の中古旅客船」では不十分な説明で、「韓国で不正改造された20年落ちの日本製中古旅客船」であると話したじゃないですか。
私は、セウォル号いついて書いたことはありません。
> 河野談話に出てくる日本軍人や日本の官憲という言葉には、「朝鮮半島出身者の」という言葉が省略されていると説明しましたよね。
根拠となる信頼できる資料をしめしてください。
慰安所の設置は中曽根元首相も行っています。慰安婦の管理方法については軍の経理学校で教えたそうです。それから、日本軍の参謀本部による、慰安婦募集依頼の公電もあります。さらに、800人もの慰安婦を運ぶ輸送船の手配は個人ではできません。
Between four and 10 million romusha in Java were forced to work by the Japanese military.[23] About 270,000 of these Javanese labourers were sent to other Japanese-held areas in South East Asia, Only 52,000 were repatriated to Java, meaning that there was a death rate of 80%.
Tens of thousands of Indonesians were to starve, work as slave labourers, or be forced from their homes. In the National Revolution that followed, tens, even hundreds, of thousands, would die in fighting against the Japanese, Allied forces, and other Indonesians, before Independence was achieved.
A later United Nations report stated that four million people died in Indonesia as a result of famine and forced labour during the Japanese occupation, including 30,000 European civilian internee deaths.
(つづく)
> 日本の植民地で400万の現地人が死んでいたら、それは日本軍が故意に死なせたのか、普通に天寿を全うしたのかを区別していなかったじゃないですか。
国連の報告書によると、日本軍の占領下で、4百万人ものインドネシア人が、飢餓と強制労働のために亡くなったそうです。飢餓で死亡した人達が多いのは、軍需用のジュートなどの栽培が強制され、従来の農産物が栽培できなくなり、多くの農民が日本軍に徴用されたためです。
このような情報は、Indonesia Japanese occupation を使って検索すると、いくらでもでてきます。
Wikipedia には次のように書いてあります。
https://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_occupation_of_the_Dutch_East_Indies#The_occupation
Many who lived in areas considered important to the war effort experienced torture, sex slavery, arbitrary arrest and execution, and other war crimes. Many thousands of people were taken away from Indonesia as forced labourers (romusha) for Japanese military projects, including the Burma-Siam and Saketi-Bayah railways, and suffered or died as a result of ill-treatment and starvation.
(つづく)
2016年03月17日 05:02
ロシアの高速増殖炉は、蒸気発生器の細管破断によるナトリウム/水火災や、補助配管系統や二次冷却材ポンプからのナトリウム漏れによる火災などの事故で何度か停止し、1997年には27件のナトリウム漏れが起き、うち14件は空気との反応で出火に至っているそうです。
2016年03月15日 10:42
そらから、当時、日本では、心理療法などというものは普及していませんでしたので、医者には、気のせいによる自律神経失調だといわれ、それをどうするかは教えてもらえませんでした。 米国に来て、就職してから、勤務先が契約している心理カウンセラーに会ったとき、Feeling Good といううつ病の認知療法の本を勧められました、この本の題から、また Positive Thinking の本かと思い、気が進みませんでしたが、読んでみると仏教の教えに近い内容でした。 そこで、一年ほど、カウンセリングを続け、何冊かの仏教の本を読みましたところ、心身症もなおりました。 うつ病や心身症というものは、他者に対する怒りが、力関係などで他者に向けられないとき、それが自分に向かうときに引き起こされるという理論は正しいと思います。
2016年03月15日 10:18
そこで、例えば、慰安婦問題で、植村氏が寄ってたかって攻撃されているのを知ると、自分が経験したことを思い出します。 植村氏を攻撃している人たちの多くは、彼の記事のどの部分が誤りであり、その誤りがどうして生じたかは、理解していないとおもいます。 また、朝日新聞が慰安婦問題に関する一部記事を撤回したことについての、自由民主党の国際情報検討委員会による、次の決議のようなものを読むと、こうした主張が堂々と通るのだなと思い、暗澹たるきもちになります。 「朝日新聞が慰安婦問題などにつき虚偽の報道であったことを認めた。朝日新聞が発信してきた虚偽の記事が国際的な情報メディアの根拠となり、国際社会が我が国歴史の認識を歪曲し、結果として我が国の評価、国益を著しく毀損した。朝日新聞の謝罪は国民の名誉と国益の回復には程遠いが、いわゆる慰安婦の「強制連行」の事実は否定され、性的虐待も否定されたので、世界各地で建設の続く慰安婦像の根拠も全く失われた。 」 「慰安婦問題などにつき虚偽の報道であったことを認めた」とは、何が虚偽であったのでしょうか? 朝日新聞が認めた誤りは、吉田清治の済州島における「慰安婦狩り」と、植村氏が書いた記事における「慰安婦」と「挺身隊」の混同です。インドネシア、フィリピン、中国における日本軍部隊による「強制連行」については、いくつかの信頼できる資料があります。 また、「性的虐待も否定された」については、14・15才の少女を慰安婦ににすれば、それだけで「性的虐待」です。 フィリピンなどでは、日本軍部隊が少女を連行し、昼間は炊事・洗濯をさせ、夜は連日強姦をしています。
2016年03月15日 10:07
直属の上司は、グループの会合で、「人間の才能にはそれほどの差はない。自分の考えが良いなどというのは傲慢だ」と、暗に私を批判しました。詳しい事情を知らない人には、「上司には絶対服従すべきだ」、「Mさん、干されているのね」とか「おまえは、虚弱体質か」とも言われました。「虚弱体質か」といわれたときには、一冬に30日も病欠すれば、「虚弱体質」といわれるのも、もっともだと、自分でもおもいました。 運が良かったことは、この後米国に6っ月ほど長期出張で滞在して、なにもひとつの会社にしがみつく必要はないと言うことを知ったことです。そして、わたしがT社で経験したようなことは、米国ではまず起きません。ひとつの理由は、転職が容易だということです。それから、まともな組織なら、内部に、こうした問題に対処する部門や委員会がいくつかあります。 それから、上記の記事には、私の名前も載っていますが、COPOSについて最初に書かれた論文の原稿には、私の名前は載っていませんでした。後から、課長が末尾に加えたのです。また、COPOSの実現方法の特許には、その方式に強く反対して、実際のソフトウエア構築にはほとんど関与しなかった直接の上司が、筆頭発明者になっています。 上記の記事には、最近、気が付きました。私の名誉もすこし回復したようです。 米国に来るときには、T社であったことは全て忘れようと決めました。それでも、5年間ほどは、夜中に悪夢で冷や汗をながし、目が覚めると「日本でなくてよかった」と思うことがときどきありました。 (つづく)
2016年03月15日 09:59
それからは、直属の上司がプロジェクトの責任者になりました。そのうちに、彼の下で働いていたプログラマのひとりが、「彼が私の提案した方式でシステムを作成してよいといった」ということで、私のところに実現方法について質問しに来るようになりました。こうしているうちに、立場上は私は責任者ではありませんでしたが、私の方式でシステムが実現できるということで、私は、再び本気になりました。 もともとは、私はシステムの全体について考えることと、システム用にOSを構築することだけをするつもりでしたが、直接制御のプログラム作成のほかに、プラント入力に関するデータを計算機に入れる仕事も割り当てられました。後者は単純作業でしたので、私は汎用計算機を使ってこれを処理するプログラムを作成しました。(その後、このプログラムを私が作ったことをふせて、同様なプログラムを一千万円かけて外注したと、この外注を直接担当した人が私に教えてくれました。) こうして、半年ほどは月に200時間もの残業をしたわけです。しかし、新しい方式のシステムがほぼ完成したところで、直接の上司乗り出してきて、私は、プロジェクトからほとんどはずされてしまいました。そしたら、体がおかしくなりました。実は、米国にきてから分かったことですが、「心身症」でした。原因は過労もありますが、精神的ストレスが主因でした。 (つづく)
2016年03月15日 09:56
そこで、「いわゆる、シーケンス制御とはどうあるべきか」ということを必死で考えました。そして、ハードによるシーケンス制御はシーケンシャルに制御を行っているわけでないことに気が付きました。また、「状態空間」の概念も知るっていましたので、システムを、条件 ――> アクションの集合として実現できることに気が付きました。ここで、重要なことは、条件が不成立になれば、アクションは取り消されることです。例えば、非常事態が発生すれば、直ちに正常時の動作は取り消され、発生した非常事態に対応する条件が成立し、それに対処する制御動作が起動されます。 そこで、従来の方式からこの新しい方式に変更することの許可を直属の上司に求めました。しかし、彼はどうしても変更を許してくれませんでした。そこで、新しい方式の基本仕様書を持って、日曜日に課長の自宅を訪れ、直訴をおこないました。そしたら、課長はあっさりと、「変更しても良い、ただし直属の上司が承認すれば」ということでした。 そこで、直属の上司に「課長は変更してもよいといっています」と説明しましたが、それでも変更の許可はもらえませんでした。 そこで、私は、課長に「私には、プラント・テーブルを使った制御を従来の方式では実現できませんので、基本設計の作成の業務から外してください。そしたら、下部の直接制御(DDC)プログラムなどの作成をします」といって、基本設計の作成の業務からはずしてもらいました。 (つづく)
2016年03月15日 09:55
COPOSに先立つ制御プログラムは、条件判定と制御動作を続けていく、シークエンシャル・プログラムでした。この方式の問題は、条件が一度成立して、ある制御動作をしている間に、プラント状態が変化してその条件が成立しなくなったときに、直ちに、進行中の制御動作を停止し、正常時の制御動作とは異なる、別の制御動作を開始する必要があることです。 東電の人達の提案は、制御仕様をプラント・テーブルを使って表すことでした。これは、いわゆる rule-based system です。 私は、まだ入社2年目でしたけれど、それ以前に、GEのソフトウエアを業務に直接必要でないものまで読んでいましたので、他のグループでその問題が発生したときに、すぐに解決できたことが2回ほどあって、新しいシステムの基本設計を行う4人のグループに加えられました。他の3人は、実地経験が豊富な人達でした。 基本設計の方針は、プラント・テーブルによる制御を従来の手法で行うというものでした。私は、従来の手法も発電所の制御については、ほとんど何も知りませんでしたので、この方針に従って何とか基本設計を行おうとしました。この間、他の3人の人達は、別のプロジェクトの責任者であったこともあって、基本設計の作成には関与していませんでした。そうして、一年ほどして、このやり方では、プログラムが極めて複雑になり、ほぼ実現不可能であることに気が付きました。 (つづく)
2016年03月15日 09:53
> Toshimi Minouraさんのblogosでの原動力のかなりの部分は、怒りや憤りに見えます。 これは、たぶん図星でしょう。私の、人生の最悪の経験は次のものです。自殺に追い込まれたかもしれないと思っています。 *** 私が、日本の会社で関わった仕事は、次の記事にあるCOPOSです。カネギーメロン大学がソフトウエア製品のホール・オブ・フェイムに加えたそうです。 http://ethw.org/First-Hand: Origin_of_Toshiba_Computer_Software_Product_Line_COPOS_and_PODIA_for_Power-Generation_Plant_and_its_induction_into_the_Software_Product_Line_Hall_of_Fame_at_Carnegie_Mellon_University (つづく)
2016年03月15日 06:14
訂正 大乗仏教の高層です => 大乗仏教の高僧です。
2016年03月15日 06:12
> そもそも、韓国や中国が貧しく、表立って日本にからんでこなかった80年代あたりは、日本に右派的言動などほとんどなかったのは、ご存知ですよね。 一番大きな理由は、戦争を知らない時代の人たちが増えたということです。私は、終戦直後に生まれましたが、10歳ぐらいまでは、戦争の傷跡がのこっていまして、そして、母から、戦争について何度もきかされました。 > そろそろ、怒りを抑えるという仏陀の教えを実践してみようとか、思われませんか?むしろ、修行の良い機会だと思います。 親鸞聖人の主著である教行信証には、、次のように激しい権力者批判が記されています。 「主上、臣下、法に背き義に違し忿を成し、怨を結ぶ。 これによりて、真宗興隆の太祖源空法師、 併に門徒数輩、罪科を考えず、猥しく死罪に坐す。 或は僧の儀を改め姓名を賜うて遠流に処す。 予は其の一なり。 爾れば、すでに僧に非ず俗に非ず、 是の故に禿の字を以て姓と為す。」 親鸞聖人でも怒りおさえられませんでしたから、まして卑賎な私の身には無理です。
2016年03月15日 06:11
> 有名右派言論人を急にこきおろして、間接的に相手に喧嘩を売ろうとしたり 産経の古森記者とか池田先生のことですか?古森記者は、英文記事の内容をねじまげたり、限りなく嘘に近いこと」を書いていますが、何が本当かは知っているとおもいます。池田先生は、自分が嘘を書いていることに気がついていないとおもいます。 これらの人たちが頻繁にデタラメな記事を書いていることを指摘しているだけです。別に、喧嘩を売ろうとしているわけではありません。 > 相手が言ってもいない事を言ったとして、謝罪に追い込まれたり、しているのをみて 私によるた誤りは、いずれも簡単な誤解によるものだと思います。そして、自分の誤りは、気が付けば、即座に、それを認め、陳謝しています。私は、他の人たちの大きな誤りを、何百回、ひょっとすると何千回と指摘してきましたが、私の記憶では、それらの誤りを認める返信は一度もありません。 > 「最初の初動でグッと怒りを堪えられないものかなぁ?」と思っていつも見ています。 怒ってはいません。トンデモ論などには、それをさらに誇張したりして、皮肉っています。 > ブロゴスの右寄りなコメントの多くは、韓国や日本のリベラル左派の侮辱に対して、怒り返しているだけですが 私は、侮辱的な言辞は一切つかわないことにしています。侮辱的な言辞は、自分の意見を弱めることを、よく知っています。それから、「怒り返す」というのは、貴殿が指摘されたように、まずい対抗策です。 > 「じっと我慢していろ!」 まともな議論をしてくだしということで、誤りを指摘しているだけです。事実関係に誤りがなければ、どのような議論でも歓迎します。 (つづく)
2016年03月15日 06:08
> お釈迦様は、「怒れる者に対して怒り返せば、その怒りは収まる事は無い」と言われています。 「その怒り」というのは、、「怒れる者」の怒りですか、それとも「怒り返す」方の怒りですか? いずれにしろ、ご忠告ありがとうございます。 > いつもブロゴスで右寄りな、言論に対しての苛立ちを隠そうとはしません。 たいして苛立ってもいません。この世は、「五濁悪時群生海」と理解していますから。 しかし、慰安婦問題などについて、YouTube に、「右寄りな」人たちが掲載している、大量のビデオなどは、恥ずかしいことだとおもいます。これらが、大部分がデタラメであることは、アジア女性基金のサイトにある記事や報告書を読めばわかります。日本政府が、慰安婦問題について広範な調査を行い、その結果をアジア女性基金のサイトで公開していることは、高く評価しています。 > 時として、興奮して大量に同じ文章をコピーペーストして、各コメントに対抗してみたり 同じような誤った言説に対しては、コピーペーストで反論すると、労力を節約できます。 (つづく)
2016年03月15日 04:43
親鸞の「 教行信証」にもとづく浄土真宗の教義をのべます。 阿弥陀仏は、「方便法身」といいまして、つまり仏法を伝えるための手段であって、本物の仏法である「法性法身」を具現化したものです。ですから、阿弥陀仏の本質は、「いろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり」、つまり「色もかたちもなく言葉で表現することも認識することもできない仏法そのもの(法性法身)である」ということです。そして、「浄土へ行く」というのは、「悟りを得る「ということです。 この親鸞の議論は、こじつけかもしれませんが、これで浄土真宗と釈迦の教え、そしてそれに近いと思われる上座仏教(小乗仏教とは言わない方がよいです)の教義と矛盾しないことになります。 その他にも、親鸞の教えには、祟り、方角の良し悪し、まじないの否定、さらに霊魂の否定と、釈迦の教えに立ち返っています。
2016年03月14日 20:14
私の母は、熱心な浄土真宗の信者でしたので、4歳ぐらいのときから、浄土真宗の教えをよく聞かされました。そこで、私は、浄土真宗については、教義や習慣もかなり知っていますが、それ以外の仏教の宗派の教えについては、ほとんど知りません。 他の宗派の、教え(教義)も知りたいです。
2016年03月14日 20:09
> なぜ大乗仏教に墓があるのか、その関係を知りたいものである。 「何々家の墓」という家を単位とする祖先崇拝は、儒教文化圏のものです。 次の解説に詳しく述べてあります。 http://www5a.biglobe.ne.jp/spk/sp_newsletter/spnl_backnumber/spnl-21/spnl-21-2-1.htm
2016年03月14日 19:56
> 「大乗仏教は全て釈迦とは無関係の偽経である」と考察し、日本の仏教界に衝撃を与えた。司馬遼太郎氏は「現在なお、この富永仲基の説は破られていない」としるしている。 仏教の経典は、大乗仏教のものも含めて、「如是我聞(このように、私は釈迦の教えを聞いた)」という言葉から始まりますが、大乗仏教の経典は、釈迦の教えを発展させたもので、釈迦の言葉ではありません。 しかし、仏教は、釈迦教えから出発して、多くの高僧が関わって発展させてきたものですから、「釈迦とは無関係の偽経」とまでは言いたくありません。 親鸞の作った正信偈では、次のようになっています。 釈迦如来楞伽山 お釈迦さまは、インドの楞伽山(りょうがせん)において 為衆告命南天竺 多くの人々のために告げられた。それは南インド(南天竺:なんてんじく)に 龍樹大士出於世 龍樹菩薩(大士:だいじ)というおかたが世にでられて 悉能摧破有無見 「有無の見」をことごとくうちやぶり(摧破:ざいは) 宣説大乗無上法 大乗のこのうえもない教え(法)を説きのべ(宣説:せんぜつ) 龍樹菩薩は、日本では八宗の祖といわれている、大乗仏教の高層です。そして、お釈迦さまが、龍樹菩薩の出現を予言したということです。
2016年03月14日 19:32
浄土真宗では先祖供養はしません。 「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず」という親鸞の言葉があります。 これには、二つの理由があります。 浄土真宗は「他力」の教えです。亡くなった人は、阿弥陀仏の力(他力)で、すでに浄土に行っていますから、「供養」の必要はありません。また、私たちには、自分の力(自力)で、亡くなった人を浄土に送るといった力はありません。
2016年03月14日 19:22
タイは小乗仏教の国で、遺体は火葬され、その灰は仏塔の地下に埋葬されます。お金持ちは個人の仏塔ですが、庶民は共用の仏塔です。 浄土真宗では、「何々家の墓」というものは建てていけないことになっています。石碑は、「南無阿弥陀仏」か「倶会一処(くえいっしょ、浄土の仏・菩薩たちと出会い一処になれるという意味です)」とします。そこで、遺骨は、骨壺にはいれないで、墓石の下に入れ、溶けて土に帰るようにします。タイの遺骨の扱いに少し似ています。
2016年03月14日 19:02
釈迦自身は、弟子たちに葬式は民間の人たちにまかせて、修行を続けるようにいっています。 親鸞となると、「某閉眼(それがしへいがん)せば、賀茂河(かもがわ)にいれて魚(うお)にあたうべし(私が死んだら、鴨川に流して魚に与えておくれ)」といっています。 > 遺骨は不浄なもの、穢れているものです。 日本でも、「忌中」とか「清め塩」のように、死を不浄なもの、穢れているものとする習慣があります。ただし、浄土真宗では、これらは、してはいけないことになっています。
2016年03月14日 18:40
ストーパが中国に伝わると、「卒塔婆」になりました。 https://www.google.com/search?biw=1137&bih=714&tbm=isch&sa=1&q=%E5%8D%92%E5%A1%94%E5%A9%86%E3%80%80%E4%B8%AD%E5%9B%BD&oq=%E5%8D%92%E5%A1%94%E5%A9%86%E3%80%80%E4%B8%AD%E5%9B%BD&gs_l=img.3...182199.186432.0.187656.11.11.0.0.0.0.226.1255.8j2j1.11.0....0...1c.1j4.64.img..0.2.295.k6qBsOctn0c 卒塔婆は日本語にもなりました。 https://www.google.com/search?biw=1137&bih=714&tbm=isch&sa=1&q=%E5%8D%92%E5%A1%94%E5%A9%86%E3%80%80%E6%97%A5%E6%9C%AC&oq=%E5%8D%92%E5%A1%94%E5%A9%86%E3%80%80%E6%97%A5%E6%9C%AC&gs_l=img.3...69543.71704.0.73092.7.7.0.0.0.0.102.647.5j2.7.0....0...1c.1j4.64.img..0.0.0.yH7_R3RSzDM さらに、日本の三重塔や五重塔は、スートバが中国を経て形が変わったものです。そこで、法隆寺などの五重塔の心柱の下には、お釈迦様の骨が収められているということになっています。 仏教の歴史においては、ストーバ崇拝の是非が議論され、ストーバでなく仏法に帰依すべきという主張が主流だとおもいます。
2016年03月14日 18:28
> 釈迦(しゃか)にも墓はない 釈迦の遺骸は火葬されました。そして、釈迦に帰依していた八国の王たちは、釈迦の遺骨(仏舎利)を得ようとして争いました、そこで、バラモンの調停により遺骨は八分され、仏舎利塔に収められられました。 インドでは、仏舎利塔は、ストーパとよばれている建築様式で作られました。 https://www.google.com/search?q=%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%91+%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89&num=20&biw=1137&bih=714&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjssOrr7b_LAhVM12MKHZvtAngQ_AUIBygB&dpr=0.9 タイのストーバは少し様式が異なります。 https://www.google.com/search?biw=1137&bih=714&tbm=isch&sa=1&q=%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%91+%E3%82%BF%E3%82%A4&oq=%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%91+%E3%82%BF%E3%82%A4&gs_l=img.3...40623.42768.0.44306.4.4.0.0.0.0.174.511.2j2.4.0....0...1c.1j4.64.img..0.1.154.VgeGnNQegsE (つづく)
2016年03月14日 12:11
> 知らなくていいことを知らされる、そういう場合に知らぬが仏なのです。 ちがいます。知れば腹が立ったり悩んだりするようなことでも、知らなければ平静な心でいられるということのたとえです。 日本語は正しく理解しましょう。 > 日本が鬼畜米英を喧伝していれば、欧米はイエローモンキーと喧伝していました。 私は、「鬼畜米英、そのような軍隊に捕えられれば、女は凌辱され、男は戦車でひき殺される」と教えるれていたので、崖から飛び降りて自決するようなことをしたと指摘しただけです。 それから、「鬼畜米英、そのような軍隊に捕えられれば、女は凌辱され、男は戦車でひき殺される」と「イエローモンキー」ではレベルがちがうとおもいます。 > 日本だけを悪くいう このようなつもりはありません。ただ、誤りを指摘しているだけです。
2016年03月14日 11:54
A Dutch government study described how the Japanese military recruited women as prostitutes by force in Indonesia. It concluded that among the 200 to 300 European women working in the Japanese military brothels, "some sixty five were most certainly forced into prostitution." Others, faced with starvation in the refugee camps, agreed to offers of food and payment for work, the nature of which was not completely revealed to them. > セウォル号は「日本製の中古旅客船」では不十分な説明で、「韓国で不正改造された20年落ちの日本製中古旅客船」であると話したじゃないですか。 私は、セウォル号いついて書いたことはありません。 > 河野談話に出てくる日本軍人や日本の官憲という言葉には、「朝鮮半島出身者の」という言葉が省略されていると説明しましたよね。 根拠となる信頼できる資料をしめしてください。 慰安所の設置は中曽根元首相も行っています。慰安婦の管理方法については軍の経理学校で教えたそうです。それから、日本軍の参謀本部による、慰安婦募集依頼の公電もあります。さらに、800人もの慰安婦を運ぶ輸送船の手配は個人ではできません。
2016年03月14日 11:41
Between four and 10 million romusha in Java were forced to work by the Japanese military.[23] About 270,000 of these Javanese labourers were sent to other Japanese-held areas in South East Asia, Only 52,000 were repatriated to Java, meaning that there was a death rate of 80%. Tens of thousands of Indonesians were to starve, work as slave labourers, or be forced from their homes. In the National Revolution that followed, tens, even hundreds, of thousands, would die in fighting against the Japanese, Allied forces, and other Indonesians, before Independence was achieved. A later United Nations report stated that four million people died in Indonesia as a result of famine and forced labour during the Japanese occupation, including 30,000 European civilian internee deaths. (つづく)
2016年03月14日 11:37
> 日本の植民地で400万の現地人が死んでいたら、それは日本軍が故意に死なせたのか、普通に天寿を全うしたのかを区別していなかったじゃないですか。 国連の報告書によると、日本軍の占領下で、4百万人ものインドネシア人が、飢餓と強制労働のために亡くなったそうです。飢餓で死亡した人達が多いのは、軍需用のジュートなどの栽培が強制され、従来の農産物が栽培できなくなり、多くの農民が日本軍に徴用されたためです。 このような情報は、Indonesia Japanese occupation を使って検索すると、いくらでもでてきます。 Wikipedia には次のように書いてあります。 https://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_occupation_of_the_Dutch_East_Indies#The_occupation Many who lived in areas considered important to the war effort experienced torture, sex slavery, arbitrary arrest and execution, and other war crimes. Many thousands of people were taken away from Indonesia as forced labourers (romusha) for Japanese military projects, including the Burma-Siam and Saketi-Bayah railways, and suffered or died as a result of ill-treatment and starvation. (つづく)
2016年03月14日 10:48
> エネルギーの供給が絶たれ、食料や水が絶たれた生活を想像できないのが反原発論者かなと思います。原発に反対するならば、石油が絶たれた際に江戸時代の生活に戻ることを覚悟して常日頃からそういう生活を心掛け、訓練しておく必要があるでしょう。 中東で石油が発見されたのは戦後です。戦後10年ぐらいまでは、一般家庭で石油はほとんど使われていませんでした。私が育った村では、食料は自給、水は手押しポンプでくみ上げればいくらでもありました。炊事には薪と木炭が使われていました。 都市では、都市ガスが使われていたようですが、都市ガスはコークス炉で石炭から作られていました。汽車は蒸気機関車で石炭をもやしていました。東京で都市ガスが、LNGになったのは1974年ごろです。 戦前に石油を必要としたのは、主として軍艦用でした。 私は、石油がなくてもやっていけるといっているわけではありません。ただ、一般家庭で石油を使わない生活が、江戸時代まで戻らなくても、戦後10年ぐらいまであり、私も経験したといっているだけです。
2016年03月14日 10:23
訂正 放射線汚染が広がれば => 放射性物質による汚染が広がれば
2016年03月14日 05:50
> TMさんが出現すると、日本を悪に仕立てたい、日本を滅ぼしたい、この人の極論をいちいち潰して歩くのが趣味みたいなものですので、ご了承くださいね。 別に、「日本を悪に仕立てたい、日本を滅ぼしたい」ということはありません。ただ、デタラメな主張をしている「愛国的」な人たちにたいして、事実を述べて反論しているだけです。私の述べたことに誤りであれば、是非、ご指摘ください。勉強になりますからかんげいします。 > 10歳ですか。中学受験真っ只中のときです。 中学受験ですか。私が10歳のときは、学校というところが勉強をするところだとは、知りませんでしたので、宿題もしませんでした。田舎の学校で、クラスの1/3の生徒がそうでしたから、これは問題になりませんでした。私も、中学受験をするような環境で育っていれば、もう少しまともになっていたかもしれません。 > 何かを怖がるというのは対象の正体を知らないからというのがあります。自分にどんな害を及ぼすのかがわからず、命の危機を感じたりして恐怖するわけです。恐怖を克服するためには「知る」ことが一番です。 知らぬが仏という言葉もあります。 それから、プログラミングなどでは、自信げ話す人のプログラムほどバグが多いです。 > 戦時中は欧米人に対して恐怖しかもっていなかった日本人は、生きて捕まることに恐怖し、米軍に制圧された太平洋の島々では断崖から飛び降りる母子などもありました。 これは、日本軍が「鬼畜米英」、そのような軍隊に捕えられれば、「女は凌辱され、男は戦車でひき殺される」とさかんい宣伝したからです。 > 無知こそが一番の敵でしょうね。 「一番の敵」かどうか知りませんが、事実は知っていた方が望ましいです。
2016年03月14日 05:21
> 核融合炉の実現の話だとしたら日本では全然進んでないとおもいますよ。何の意味がある質問なんだろう。 核融合の実験施設に関わった人、数人に、今から50から40年ほど前に会ったことがありますので、現状はどうなっているか訊ねただけです。 思い出したことがあります。ある日本の会社が、日本の核融合の実験施設に大型の発電機を納入しました。ところが、設計の誤りがあって、その発電機が爆発しました。しかし、顧客には、事故の原因はリレーの誤動作よるという説明がされました。
2016年03月14日 04:55
> 当時の官邸もあなたと同じ理由で、千万人単位の避難も検討した。でもこれは物理的にありえない。核爆発はウラン濃縮が80%ないし90%くらいないと無理。原発の燃料棒は、せいぜい2、30%でしょう。爆発はありえない。 緊急停止により核分裂が停止しても、炉心内にはそれまでに生成された核分裂生成物が蓄積されていて、崩壊熱をだします。停止直後に発生する熱量は、原子炉の熱出力の10%ほどで、1時間後は1%、1日後は0.7%,10日後は0.2%と下がっていきます。 電気出力100万KWの原発の原子炉の熱出力は300万KWぐらいですので、その0.5%でも。1万5千KWです。もし。原子炉の冷却がうまくいかなければ、崩壊熱は炉心構造物を溶かし、メルトダウンを起こします。そして圧力容器の底を溶かし、格納容器に落ちます、そこで水を急激に蒸発させ、いわゆる水蒸気爆発を起こし、格納容器を破壊します。格納容器内で水蒸気爆発が起きなければ、格納容器の底を溶かし、その下のコンクリートを溶かしていきます。そして、水蒸気爆発をしなくても、汚染された大量の水蒸気を発生します。こうなれば、決死隊以外は、だれも原発に近寄れません。 福1の事故では、給水を行うために必要な、圧力容器減圧弁の開放、格納容器のベント弁開放、がれきに隠れた給水口の探索にてこずりました。例えば、17分でできるはずのベント操作が開始してから完了までに5時間26分かかっています。ベント弁は圧縮空気で動かす弁ですが、正規の圧縮空気が得られなかったので、仮設の空気圧縮機を使いました。そして、仮設の空気圧縮機を駆動するために、自動車から外したり自動車部品店から集めた蓄電池10個を直列につないだものを並列につないで使いました。 これらの作業のひとつにでも失敗していたら、福1は放棄され、放射線汚染が広がれば、福2も放棄ということになりました。