それから、ニュージランドでも報道されています。
http://www.stuff.co.nz/world/asia/75495049/south-korea-japan-reach-landmark-deal-on-wwii-comfort-women
""Isn't it natural to make legal compensation if they commit a crime?" said Lee Yong-su, 88, according to South Korea's Yonhap news agency."
さらに、米国政府が共産国に対して反共報道を行っている VOA も派手に報道しています。
http://www.voanews.com/content/south-korea-comfort-women-rally-against-japan-settlement/3124149.html
At this week’s rally 87-year old former comfort women Lee Yong-soo condemned South Korea for agreeing to settle their longstanding grievance with Japan.
“Lie, lie and lie. Why is our government trying to kill us twice and three times with Japan?” questioned Lee Yong-soo.
その他、中国や欧米のあまり知られていない報道機関による報道がいくつかあります。
slave meaning
1. One who is owned as the property of someone else, especially in involuntary servitude.
2. One who is subservient to or controlled by another: his boss's slave.
3. One who is subject to or controlled by a specified influence: a slave to alcohol; a slave to an irrational fear.
4. One who works extremely hard.
5. One who acts out the role of the submissive partner in a sadomasochistic relationship.
6. A slave ant.
7. A machine or component controlled by another machine or component.
> 韓国女性家族部の英語版サイトからの引用です。
韓国女性家族部の英語版サイトはなくなったようです。これは、日韓の合意により政府による海外への宣伝活動は止めるということによるとおもいます。
ただし、民間団体の活動として、次のサイトを作成中のようです。
http://actionforpeace.net/
> The Japanese military and governmental officials and private operators deceived, lured and kidnapped as many as 200,000 girls and women into forced sexual slavery throughout its colonies and occupied territories.
> はっきりと20万人と言っています。
deceived はだます、lured は高収入が得られますなどといって誘う、 kidnapped は、騙したり物理的な力により連れ去ることですが、「20万人が強制敵に連行された」とは、ちがいます。
> 嘘はやめましょう。
嘘はやめましょう。
> 日本軍が騙した証拠はあるのですか?
騙して連れ出した、つまり誘拐した、のは、「日本から来た日本人の周旋業者たち」です。
Early in May of 1942 Japanese agents arrived in Korea for the purpose of enlisting Korean girls for "comfort service" in newly conquered Japanese territories in Southeast Asia. The nature of this "service" was not specified but it was assumed to be work connected with visiting the wounded in hospitals, rolling bandages, and generally making the soldiers happy. The inducement used by these agents was plenty of money, an opportunity to pay off the family debts, easy work, and the prospect of a new life in a new land, Singapore. On the basis of these false representations many girls enlisted for overseas duty and were rewarded with an advance of a few hundred yen.
The Filipinos were happy that Americans were coming and they called them G.I. Joes. The Japanese fought to the last man in Manila and did their last stand there. When the first Americans landed in Tagaytay, all the Filipinos that saw them were happy. Filipinos helped the Americans fight in Tagaytay. He says that he was already working and if you didn’t have work and you applied, you got work again.
Overall, from Alfonso and Felicidad’s perspective, they believed the United States were their friends and saviors. During the Japanese occupation, they waited anxiously for the return of the Americans. They viewed the Japanese as inhumane or “walang hiya.” With the return of the Americans, Filipinos knew that they would be saved
Ignacio, Alfonso. Personal Interview. October 2004.
Alfonso also mentions that the Japanese discriminated and actually used people as bayonet practice. He says his uncle was captured and executed by Japanese. He says he heard of a 13 Caviteños that were killed by the Japanese. Uncle was taken and killed because he was a suspected guerilla. Alfonso’s grandfather (the father of his uncle who was killed) died because of emotional stress.
There were a lot of orphans and starving boys trying to get food. Kids during those times were malnourished and looked like skeletons. A lot of kids especially in the school at San Roque Cavite died of hunger and scavenged for food in trashcans. This was the first instance he saw people going into the trashcans and eating trash like dogs.
(つづく)
日本軍がフィリピンを支配した時の祖父(Alfonso W. Ignacio)の体験を記述した手記がありました。
http://www.skylinecollege.edu/oralhist/Ignacio/ignacio.htm
Filipinos were very afraid when they saw the Japanese and they turned away when they saw one. He says the Japanese were greedy and envious and they treated the Filipinos like animals.
He worked in a factory and machine shop as a crane operator and when he made a mistake, some Japanese that were in charge would slap him. He was also slapped 8 times for not lining up and bowing to the Japanese flag.
Alfonso also says that the Japanese controlled the rice. The Japanese would also pay them a few pesos for their work but the Americans gave them bigger pay and paid by the hour.
(つづく)
こうした状況に対して、日本軍が創設し訓練したインドネシア人の民兵組織PETAは、日本軍に対して反乱を起こします。しかし、反乱は簡単に鎮圧され、反乱の指導者達は、処刑されますが、最高指導者は行方不明になります。そして、この最高指導者は行方不明のまま、インドネシア国民軍の初代司令官とされ、インドネシア独立の最大の功労者の一人と考えられています。
PETAの反乱に関しては多くの文献があります。例えば、”THE REVOLT OF A PETA-BATTALION IN BLITAR FEBRUARY 14, 1945" という論文があります。
ただし、日本軍から戦争のやり方を学ぶことができて、これは独立戦争において役立ったそうです。もうひとつ日本軍から学んだことは、人の殴り方だそうです。小学生でも、一日に最低5回は学校で殴られたそうです。
次のビデオは、ムルデカ17805という2001年に公開された映画の一部です。この映画の中に、PETAがでてきます。
https://www.youtube.com/watch?v=hiUTLHjvmHI
この映画に対しては、日本軍の貢献を過大評価しているという、インドネシア政府の抗議がありました。
この映画は戦後に日本で作られたものですので、「八紘一宇」の精神は健在であることがわかります。ただし、インドネシア政府は、日本軍によるインドネシア支配の実情を正しく描いていないといって抗議しました。
2016年01月29日 10:04
> 国内法の対象ではなく、現地の法によって売春可能年齢が分かれる。 日本軍の占領地で、日本軍が現地の法規に従ったという話は初めて聞きました。 シンガポールの国内法に、反日とみなされる華僑は虐殺してよいという条項がありましたか?
2016年01月29日 04:42
> 存在したとするならば、それは彼女らがただの犯罪被害者であるということなのだと思う。 日本軍部隊の慰安婦の性病検査報告書には、15才・16才の少女も記載されています。衛生兵が性病検査を行ったとしても、その結果を受けとった軍医はそれが規則違反であることは知っていたとおもいます。 知っていても、何もしなかったということです。 これと同様なことは、慰安婦を募集する際に騙してはいけないという通達をだしても、騙されて集められた慰安婦がいないことを確認はされなかったとおもわれることです。 しかし、騙されて慰安婦にされた女性の身の上話をきいて、個人的にその慰安婦を送り返す手続きをとった例外的な将校はいます。
2016年01月29日 04:32
> ここでも書くが、TM氏はいったい何を目的にして書いているのだろうか。 別に目的はありません。 しいて言えば、「最後の最後まで歴史に遺る嘘を突き通したレジェンドばばあ。」とか『 日本左翼 : 広義とか狭義とか、戦前の日本は悪だから、日本が悪い。 法的責任はどうしようか。証拠ないし。まあ引っ張れるだけ引っ張ろう。』などの意見にたいする生理的な反発です。 > また、インドネシアで酷いことがあったとして、それを朝鮮人慰安婦に絡めて話すことにどのような意味があるのだろうか。 『日本左翼 : 広義とか狭義とか、戦前の日本は悪だから、日本が悪い。 法的責任はどうしようか。証拠ないし。まあ引っ張れるだけ引っ張ろう。』に対する具体例の提示による反論です。私は、これほどのことが、インドネシアのオランダの民間人に起き、被害者たちが毎週デモをしているとは、つい先日まで知りませんでした。こうした過去を知ること気が滅入りますが、それを否定したり、そうしたことを明かにした人たちを逆に非難する人たちが多いのには唖然とします。 > 戦争中は、不条理なことが多数あった筈なのだ。 これを認めない人たちが多いことは、YouTube のビデオをみれば一目瞭然です。 > インドネシアの問題を持ち出して、改めてこの問題を焚きつけ、日韓合意をご破算にしようと考えているのであれば その気は一切ありません。安倍首相の発言が真摯なものと仮定すれば、「最後の最後まで歴史に遺る嘘を突き通したレジェンドばばあ。」といった発言はでてこないはづです。わたしは、この二人元慰安婦の主張が信とも偽とも判断していません。もちろん、誇張があるとは思っています。そこで、私は、自分の議論に元慰安婦の証言は、直接は、一切使っていません。
2016年01月29日 03:58
> ほんとに地獄のような状況ですが、死刑所ではないですね。 次の記事は、インドネシアで日本軍の捕虜となり、収容所に入れられたオランダの民間人たちが、もう20年間も日本政府に抗議の手紙を送り続けていたようで、そのうちの最近の手紙を集めたものです。日本政府からはなしのつぶてのようで、この人たちも、毎週抗議のデモを行っているとのことです。 http://www.coconutconnections.blogspot.com/ これらの人たちが収容されたのは、慰安所ではありませんが、母親、成人女性、娘さんたちが頻繁に強姦され、日本兵に対して深くおじぎをしないと成人はもとより子供でもひどく殴られたそうです。女性が下着まで脱がされて鞭で打たれたと思われる絵もあります。 男性一人が逃亡すると、9人の男性が、銃剣で突き殺されたたり、後ろ手を縛られて、何日も鉄条網につながれ殺されたことを示す絵もあります。 とにかく、地獄よりひどかったということです。とにかく、絵だけでも見てください。 これと同様な内容のことが、インドネシアやフィリピンなどもで行われたという記事もいくつか読みました。 私には、これらの記事が捏造とは思えないのですが、みなさんはどう思われますか?
2016年01月29日 03:54
慰安所の管理運営、料金、「業務」遂行時間、ゴム製品についての、日本軍の詳しい規定を米軍が押収し、訳した資料がいくつかあります。 > 営業時間が、10:00-17:00で、時間になると客が居ても店じまい。 将校はお泊りでした。 「ミートキーナの丸山連隊長は、慰安所を頻繁に利用し、料金を値切り、戦局が悪化すると、隊員や慰安婦を置き去りにして、自分だけ逃げだした」といったことも書いてあります。そこで、丸山を殺せの怨嗟の声が満ちていたそうです。 一方、水上師団長は人格高潔で、慰安所を訪れることなく、玉砕命令を受けても、自分だけ自決し、部隊員には退去命令をだしたそうでう。 > 慰安婦の好みに合わなければ拒否された。 そうしたら、刀で切り付けられたので、逆に切りつけた兵士を死亡させてしまったという事件もありました。この事件では、兵士を死亡させた慰安婦は無罪になりました。傷の治療のために、この慰安婦が床に横たわっている写真があります。この事件では、日本軍の統制は正しく機能していました。 >一人3秒と言われた。 日本軍の規定では、下級兵士の一回の時間は30分でした。 > 戦局が悪化する前に、慰安婦だけ、先に帰国できてうらやましかった。 これは、日本人慰安婦の場合です。 沖縄では、朝鮮人慰安婦の役半数が命を落としたそうです。慰安婦達も日本軍部隊の玉砕の道連れにされたという第三者の証言もあります。もちろん、戦闘終結後に連合軍に保護された慰安婦の写真はたくさんありますし、豪に投げ込まれた慰安婦の死体を米軍が撮影した写真もあります。
2016年01月29日 02:44
> この言葉拡大解釈すると国の自治権ってなくなるって把握していいの? にほん 国家の主権は絶対ではないと考えられています。これは、第二次世界大戦後の国際法の流れです・ > テロによって多くの人権侵害が行われてますが国連はどう対応したのか教えていただけませんか? まず、国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR)は紛争や迫害による難民の保護と難民問題の解決へ向けた国際的な活動をおこなっています。そして、必要なら国連軍を派遣します。日本の自衛隊が参加しているPKOもこの政策の一環です。 これがうまくいった例としては、ボスニア紛争があります。この紛争においては、NATOを中心とする国連軍が「民族浄化」を目指す勢力に対して、空爆も行いました。そして、紆余曲折を経て、何とか停戦が実現しました。 > これが本当なら、チベット、ウイグル問題に関して国連はなにしてるの? 国連は、中国に対して問題解決を求めるいくつかの声明をだしています。中国には安保理事会の拒否権があるので、国連軍は派遣できません。貴殿が、義勇軍として戦うことは不可能ではありません。 > あと国連はべトナム戦争当時のベトナム人女性が受けた人権侵害についてどのような行動おこなっているの? 国連のUNHCRは、ベトナムが共産化したあとに、ボート・ピープルとなって国を逃れた人たちのために、難民収容所を設置し、難民の他国への移住を援助しました。 > 現在も国の法律で売春を合法であると規定している国があるとおもいますけどその国は国連から何か勧告かなにか受けてるのでしょうか? 日本国のように、人身売買などによる売春が行われている国に対しては事態の改善を、しばしば勧告しています。
2016年01月29日 02:01
それから、ニュージランドでも報道されています。 http://www.stuff.co.nz/world/asia/75495049/south-korea-japan-reach-landmark-deal-on-wwii-comfort-women ""Isn't it natural to make legal compensation if they commit a crime?" said Lee Yong-su, 88, according to South Korea's Yonhap news agency." さらに、米国政府が共産国に対して反共報道を行っている VOA も派手に報道しています。 http://www.voanews.com/content/south-korea-comfort-women-rally-against-japan-settlement/3124149.html At this week’s rally 87-year old former comfort women Lee Yong-soo condemned South Korea for agreeing to settle their longstanding grievance with Japan. “Lie, lie and lie. Why is our government trying to kill us twice and three times with Japan?” questioned Lee Yong-soo. その他、中国や欧米のあまり知られていない報道機関による報道がいくつかあります。
2016年01月29日 02:00
> 捏造ってわかってんでしょう。 この二人の話すことでで何が「捏造」かご教示ください。 それとも、貴殿も桜内氏が吉見先生の本を読まなくても、彼の本の内容が「捏造」であることがわかるような、超能力の持ち主でしょうか? > とうとう日共くらいしか相手にしてくれなくなった気の毒なおばあさんたち 関連記事が英国の150年ほど前に創刊された Telegraph という新聞でも報道されています。 http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/asia/china/12073861/Japan-World-War-Two-comfort-women-apology-criticised-in-China.html (つづく)
2016年01月28日 18:57
> 戦前の日本は悪くない。 次の記事は、インドネシアで日本軍の捕虜となり、収容所に入れられたオランダの民間人たちが、もう20年間も日本政府に抗議の手紙を送り続けていたようで、そのうちの最近の手紙を集めたものです。日本政府からはなしのつぶてのようで、この人たちも、毎週抗議のデモを行っているとのことです。 http://www.coconutconnections.blogspot.com/ これらの人たちが収容されたのは、慰安所ではありませんが、母親、成人女性、娘さんたちが頻繁に強姦され、日本兵に対して深くおじぎをしないと成人はもとより子供でもひどく殴られたそうです。女性が下着まで脱がされて鞭で打たれたと思われる絵もあります。 男性一人が逃亡すると、9人の男性が、銃剣で突き殺されたたり、後ろ手を縛られて、何日も鉄条網につながれ殺されたことを示す絵もあります。 とにかく、地獄よりひどかったということです。とにかく、絵だけでも見てください。 これと同様な内容のことが、インドネシアやフィリピンなどで行われたという記事もいくつか読みました。 私には、これらの記事が捏造とは思えないのですが、みなさんはどう思われますか?
2016年01月28日 17:53
> 慰安婦は日本人には相当程度嘘だとばれてる なにが嘘なのかご教示ください。
2016年01月28日 17:51
> 真偽は二の次なのだろう。 何が嘘なのかご教示ください。
2016年01月28日 17:47
現在の国連の立場は、重大な人権侵害については、個人は国家に従属しないというものです。
2016年01月28日 17:46
> 「最後の最後まで歴史に遺る嘘を突き通したレジェンドばばあ。」 この二人の元慰安婦の方々が、どのような「歴史に遺る嘘」をついておられるのかご教示ください。 > 国際社会には出てこないでくれ。 現在の国連の立場は、重大な人権侵害については、個人は国家に従属しないというものです。
2016年01月27日 16:14
私は、日中国交回復時に密約があったのではないかとおもっています。 中国が請求権を放棄する代償として、ODAなどの名目で援助するということです。 これは、あくまでも推測です。
2016年01月27日 16:02
slave meaning 1. One who is owned as the property of someone else, especially in involuntary servitude. 2. One who is subservient to or controlled by another: his boss's slave. 3. One who is subject to or controlled by a specified influence: a slave to alcohol; a slave to an irrational fear. 4. One who works extremely hard. 5. One who acts out the role of the submissive partner in a sadomasochistic relationship. 6. A slave ant. 7. A machine or component controlled by another machine or component.
2016年01月27日 15:56
> 2つの文章は、互いに矛盾していると思うよ。 「20万人が強制的に連行された」は誤りであると、「20万人の慰安婦がいた」は真であるは矛盾しません。 このくらいの論理は理解してください。 それから、韓国の人たちがいう「20万人の慰安婦」と、吉見先生の推定にある「20万人の慰安婦」は根拠が異なります。 韓国では、1970年に、ソウル新聞が、「挺身隊に動員された韓・日の2つの国の女性は全部でおよそ20万人。そのうち韓国女性は5〜7万人と推算されている」という記事を掲載し、挺身隊と慰安婦は混同されていましたから、そのうち「20万人の慰安婦」となったようです。なお、「韓国女性は5〜7万人の挺身隊」も正しくありません。 吉見先生の推定の「慰安婦20万人」の仮定は、アジア女性基金んのサイトに掲載されています。
2016年01月27日 10:24
シチズンシップを身に付ける一番いい方法は、シチズンの腕時計を身に着けていることです。 私は、高校時代にはシチズンの腕時計を使っていましたので、シチズンシップが身に付いていました。しかし、そのうち安物の腕時計をつかうようになって、シチズンシップは失われました。
2016年01月27日 04:30
>> 吉見先生は、「20万人も日本が強制的に連行して作った」のようなことは、本でも発言でもいわれておりません。 > 言っていないけど、否定もしていない。 否定しています。 慰安婦問題に対する日本政府の責任を否定する人たちの中には、「吉見先生すら20万強制連行説を否定している」といっている人達がいることをご存知ないようです。 > そして、「20万人」と断定的して書かれたグレンデールの石碑や、マグロウヒルの教科書に「学術的な数字じゃない」と吉見は、クレームを入れましたか? 吉見先生のそのような責任はありません。貴殿は、グレンデールの石碑を建てた団体や、マグロウヒルの教科書の著者にクレームを入れましたか? > 謝った数字だといれましたか? 意味不明です。私個人としては、いろいろな資料から慰安婦の総数は数万人とおもっています。吉見先生は、5万から20万としています。慰安婦の正確な総数は誰もしりません。 > 逆に、クレーム入れた方々に対して人格攻撃をしてるくらい。 具体例をあげてください。 逆に、吉見先生が人格攻撃されている例はたくさんあります。 > ほんとに姑息ですよね。 合意します。桜内氏と中田氏のことですね。
2016年01月27日 04:02
> 韓国女性家族部の英語版サイトからの引用です。 韓国女性家族部の英語版サイトはなくなったようです。これは、日韓の合意により政府による海外への宣伝活動は止めるということによるとおもいます。 ただし、民間団体の活動として、次のサイトを作成中のようです。 http://actionforpeace.net/ > The Japanese military and governmental officials and private operators deceived, lured and kidnapped as many as 200,000 girls and women into forced sexual slavery throughout its colonies and occupied territories. > はっきりと20万人と言っています。 deceived はだます、lured は高収入が得られますなどといって誘う、 kidnapped は、騙したり物理的な力により連れ去ることですが、「20万人が強制敵に連行された」とは、ちがいます。 > 嘘はやめましょう。 嘘はやめましょう。
2016年01月27日 02:21
> 日本軍が騙した証拠はあるのですか? 騙して連れ出した、つまり誘拐した、のは、「日本から来た日本人の周旋業者たち」です。 Early in May of 1942 Japanese agents arrived in Korea for the purpose of enlisting Korean girls for "comfort service" in newly conquered Japanese territories in Southeast Asia. The nature of this "service" was not specified but it was assumed to be work connected with visiting the wounded in hospitals, rolling bandages, and generally making the soldiers happy. The inducement used by these agents was plenty of money, an opportunity to pay off the family debts, easy work, and the prospect of a new life in a new land, Singapore. On the basis of these false representations many girls enlisted for overseas duty and were rewarded with an advance of a few hundred yen.
2016年01月26日 15:35
> 桜内 今回の原告は日本語でも英語でも「慰安婦は性奴隷だった、それも20万人も日本が強制的に連行して作った」というウソを世界中に撒き散らしています。 吉見先生は、「20万人も日本が強制的に連行して作った」のようなことは、本でも発言でもいわれておりません。 桜内氏は、吉見氏の本を読まないで、その本の内容が「捏造」だとわかるような超能力の持主ですから、吉見氏が言わないようなことも、言ったように思えてくるのでしょう。 韓国政府の公式見解でも、「20万人も日本が強制的に連行して作った」とはいっていません。
2016年01月26日 15:21
> 精神異常者をあまねく含める定義を作るなら Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Fifth Edition (DSM-5) というものがあります。 http://www.psychiatry.org/psychiatrists/practice/dsm
2016年01月26日 15:13
> 日本軍は朝鮮人女性を北海道の山奥まで連れてくる余裕もヒマもあると思いますか。 それが、北海道の山奥よりはるかに遠いビルマの山奥まで連れて行きました。それも、シンガポールで看護婦のような、の良い仕事があるとだまして連れて行きました。 ビルマの山奥というのは、インパール作戦で敗退し、多くの日本兵が退避中に亡くなった「白骨街道」の近くです。また、またこの付近では、玉砕した日本軍部隊もあります。玉砕命令を受け取ったけれど、自分だけが自決し、部下には撤退命令を出した隊長もいます。この隊長については、米軍の報告書でも高潔な人物として報国されています。また、部下と慰安婦を置き去りにして、いつのまにか逃げ去った、好色な隊長もいました。 米軍の爆撃で殺されたのか、日本軍の殺されたのかわかりませんが、豪に放り込まれた慰安婦達の死体の写真もあります。これは、米兵が撮影したものです。
2016年01月26日 03:07
それから、私が通った田舎の小中学校には、よく殴る先生が何人かいました。 小学校の3・4年生のときには、授業中に先生の話を聞いていないで、よそ見をしていたということで、よく殴られました。 5年生になると、女の先生でしたが、6年生が2階の教室の窓枠に腰かけて、足を外側にぶらぶらさせているのみて、これは面白いと思い、そのまねをして、校長室に行かされ30分間立たされたことが一回あっただけです。 6年生のときには、他の村の男子生徒が、許可なく、川で泳いでということで、教室の前で、よろけて倒れるほどっ強く、数回平手打ちされたのをよく覚えています。実は、私たち村の子供たちも、別の川で泳いでいたので、私は震えあがりました。
2016年01月26日 02:43
> 小学生でも、一日に5回殴られるような人はいるでしょうけれど全員ではないでしょう。 たしかに、「小学生でも、一日に最低5回は学校で殴られた」と書いてあったのですが、誇張があると思います。出典は忘れました。 次の証言は、小学生に対してではありませんが、殴ることが「理想主義」の一部であったことがわかります。 http://www.geocities.jp/indo_ka/buku_pelajaran/bahasa_jepang2.html 訓練所を設立したのは日本の青年たちです。彼らは、そのころ、日本の大学生になったのですが、その後、軍隊に加わって、理想主義などといったものを胸いっぱいに抱いてインドネシアにやって来たのです。 ある日、私たち四、五人は、訓練所の日本人にクマヨラン地区のアンボン人街に誘われました。道端では、たくさんのアンボン人の少年たちがおしゃべりをしていました。私たちは、何の理由もないのに、そのアンボン人たちとけんかをするように命じられました。私たちは、全員で一〇人以上いた彼らとけんかをしました。闘争心が起こるなんの理由もないのにけんかを仕掛けたために、ほとんど気絶するころになって、やっと日本人が助けに来るような始末でした。 セイネン・クンレンショでは、罰として気絶するまで運動場を走り続けさせられたことがありました。また、ほかの軍事訓練も厳しかったです。要するに、私たちは毎日、五回殴られずに一日を過ごせば、それだけでもう大よろこびだったのです。それは、並たいていのことではありませんでした。
2016年01月26日 02:11
The Filipinos were happy that Americans were coming and they called them G.I. Joes. The Japanese fought to the last man in Manila and did their last stand there. When the first Americans landed in Tagaytay, all the Filipinos that saw them were happy. Filipinos helped the Americans fight in Tagaytay. He says that he was already working and if you didn’t have work and you applied, you got work again. Overall, from Alfonso and Felicidad’s perspective, they believed the United States were their friends and saviors. During the Japanese occupation, they waited anxiously for the return of the Americans. They viewed the Japanese as inhumane or “walang hiya.” With the return of the Americans, Filipinos knew that they would be saved Ignacio, Alfonso. Personal Interview. October 2004.
2016年01月26日 02:06
Alfonso also mentions that the Japanese discriminated and actually used people as bayonet practice. He says his uncle was captured and executed by Japanese. He says he heard of a 13 Caviteños that were killed by the Japanese. Uncle was taken and killed because he was a suspected guerilla. Alfonso’s grandfather (the father of his uncle who was killed) died because of emotional stress. There were a lot of orphans and starving boys trying to get food. Kids during those times were malnourished and looked like skeletons. A lot of kids especially in the school at San Roque Cavite died of hunger and scavenged for food in trashcans. This was the first instance he saw people going into the trashcans and eating trash like dogs. (つづく)
2016年01月26日 01:58
日本軍がフィリピンを支配した時の祖父(Alfonso W. Ignacio)の体験を記述した手記がありました。 http://www.skylinecollege.edu/oralhist/Ignacio/ignacio.htm Filipinos were very afraid when they saw the Japanese and they turned away when they saw one. He says the Japanese were greedy and envious and they treated the Filipinos like animals. He worked in a factory and machine shop as a crane operator and when he made a mistake, some Japanese that were in charge would slap him. He was also slapped 8 times for not lining up and bowing to the Japanese flag. Alfonso also says that the Japanese controlled the rice. The Japanese would also pay them a few pesos for their work but the Americans gave them bigger pay and paid by the hour. (つづく)
2016年01月26日 01:33
こうした状況に対して、日本軍が創設し訓練したインドネシア人の民兵組織PETAは、日本軍に対して反乱を起こします。しかし、反乱は簡単に鎮圧され、反乱の指導者達は、処刑されますが、最高指導者は行方不明になります。そして、この最高指導者は行方不明のまま、インドネシア国民軍の初代司令官とされ、インドネシア独立の最大の功労者の一人と考えられています。 PETAの反乱に関しては多くの文献があります。例えば、”THE REVOLT OF A PETA-BATTALION IN BLITAR FEBRUARY 14, 1945" という論文があります。 ただし、日本軍から戦争のやり方を学ぶことができて、これは独立戦争において役立ったそうです。もうひとつ日本軍から学んだことは、人の殴り方だそうです。小学生でも、一日に最低5回は学校で殴られたそうです。 次のビデオは、ムルデカ17805という2001年に公開された映画の一部です。この映画の中に、PETAがでてきます。 https://www.youtube.com/watch?v=hiUTLHjvmHI この映画に対しては、日本軍の貢献を過大評価しているという、インドネシア政府の抗議がありました。 この映画は戦後に日本で作られたものですので、「八紘一宇」の精神は健在であることがわかります。ただし、インドネシア政府は、日本軍によるインドネシア支配の実情を正しく描いていないといって抗議しました。
2016年01月26日 01:32
「労務者の待遇は非常に劣悪なものだった。健康は保障されず、食料は不十分だったにもかかわらず、彼らには過酷な労働が課せられた。その結果、数多くの労務者が作業地で亡くなった。こうした悲しむべき状況は人々の口から口へ、全村民へと広がった。」 こうして400万人ものインドネシアの人達が亡くなったといわれています。 インドネシアの農民達は米を強制的に供出させられたり、軍需用のジュートなどの栽培が強制されたりして従来の農産物が栽培できなくなり、芋などを1日に一回しか食べられなくなったりしました。さらに労務者として過酷な仕事に駆り出され、日本軍の占領下で、4百万人ものインドネシア人が、飢餓と強制労働のために亡くなったそうです。そのうち27万人ほどは泰緬鉄道の建設などに送られ、80%ほどは死亡したそうです。 そして、多くの原油はもとより原材料が日本に送られました。日本で金属類の供出が強制されたように、金属製の塀は取り壊され、鉄柱は引っこ抜かれて軍需物資として日本に送られました。さらに、鉄道のレールも機関車も接収され、日本と満州に送られました。 それから、東京で教育するといわれて連れ出され、「特殊業務」につかされた現地の女性もいます。 (つづく)