58:話し合いができるのでしょうか?
「……愛しい…愛娘?」
愛しい愛娘……それは誰のこと?
私の事では無いですわよね?
だって……その言葉はあの女に与えた言葉でしょう?
私を穢らわしいと拒絶して、親子との縁を簡単に切って、あんな場所にゴミのように捨てたじゃないですか。
本当の娘の私でなく、あの女を夫婦で……いえ、私以外の家族で可愛がっていたじゃない。
私が兵士共の慰みものになっているのを知っていて、悲惨極まる拷問に苦しんでいるのを知っていて、あの女から流されてくる呪具に精神をグチャグチャにされて血反吐を吐きながら転げ回っているのを知っていて……あなた達は私に何をしてくれた?
あの女と王子とお茶会をして、幸せそうな笑い声を聞かせてくれたことかしら。それとも、兵士や貴族の慰みものになるため、複数の兵士に引きずられて部屋に連れ込まれる所を蔑むような目で見て笑ってくれたことかしら……
ねぇ、貴方が言う『愛しい愛娘』って……誰の事?
「シエル?」
シエルはストンッと抜け落ちるように表情が消え、無機質な声がリーカスが言ったある言葉を呟いた。あまりの変化に心配したカーナがシエルを呼ぶと、シエルは俯いて肩を微かに震わせた。泣いているのかとカーナがシエルへ手を伸ばし、触れようとしたところで、シエルが笑っていることに気づいた。
「ふ、ふふっ、ふは、あはははははっ。
はぁ、それは本当に私のこと?」
片手で目を隠し顔を上げて一頻り笑う。あまりの異様な光景に皆何も言えずに、シエルの笑いが収まるのを息をひそめて待っていた。一息ついて目を覆っていた手を外すと、奈落を覗き込んだような何も映していない目がリーカスを見ながら表情がない顔が首を傾げて問うた。
リーカスもシエルの異様な光景にのまれそうになったが、娘を今度こそ理解したいとの思いが勝ち、何とかのまれずに答えられた。だが、シエルの言っている意味が本当に理解できず、困惑しているのが表情に表れていた。
「シェリー、何言っているんだ。シェリー以外に私に娘はいない。愛しい愛娘はシェリー以外にいないよ」
「……そう。今はそうなのね」
「今は? まるで今後、シェリー以外をそう呼ぶみたいじゃないか」
「……」
分かっている。分かっているのよ。
この人達は私の前世の記憶を知らない。知らないから、私の行動に戸惑ってしまっていることなんて分かっているわ。
貴方達が·····今は私を愛してくれているってことも理解しているのよ。
私が貴方達に近づかれると体調を崩してしまうことが分かってから、貴方達は出来るだけ私に近づかないようにして、それでも心配で体に良いと言われる食べ物を取り寄せたり、手触りの良い寝具を集めたり、仕事などで遠出や街に出ることがあれば、私の好きなサクラをモチーフにした小物などを買ってプレゼントしたり……大切に思われているなんてこと、あの2年間で理解はしていたわ。
でも……ダメなのよ。前世の記憶が、それらをも拒むんだもの……
前世であの女がこの国に滞在を始めた時から徐々におかしくなっていったのを知っているの。
あの女が何をしたのかは分からない。でも、あの女と会った人たちはおかしくなっていったわ。国王夫妻と私以外、あの女と会った者たちは等しくおかしくなったのよ。
原因が分からないから余計に怖かった。対処しようと画策していた国王が亡くなった聞いて、より恐怖が増した。それでも……この国の王妃となるのだからと、この国の民を護るのが務めなのだからと、恐怖を押し込めて立ち向かった先が……あの残虐な拷問と処刑だ。
私が何をしたというの?
護ろうとした民には石を投げられ、親しくしていた貴族たちにも裏切られ、心から信じていた家族と婚約者からはゴミの様に捨てられて破棄(処刑)された。
あれは前世の記憶だったのか、時間が逆行したのか、未来を夢として見たのかなんて、どうでもいいの。
あの出来事を回避するために見せたものだとしても……私は知らない。
起きることが分かっているのだからと対処しないといけないなんて、だれが決めたの?
私は……もう疲れてしまった。
前世の私は対処しようと動いた結果、処刑されたのだ。
まだ、起きる前に知ったからと言って、何だというのか。
私は聖人君子でも聖女でもない。ただの……公爵家に生まれただけの小娘だ。
逃げ出すことの何が悪い?
今から動いたからといって、必ず回避できるなんて保障どこにある?
また、あの苦しみに苛まれるなんて……絶対に嫌ッ‼
私を護れるのは自分自身だけなのよ。
前世の記憶で私は学んだ。
民のため、人のため、と尽くして得たのがあの裏切りと拷問、それに処刑だ。
貴族だから、王妃になるのだからと、自分を犠牲に護るなんてこと……もう出来ないの。
だって、先に裏切ったのは民や貴方達だもの……
貴族全員があの女に会っていたわけじゃない。あの女に会った後に皆おかしくなっていったのに気付いている貴族もいたわ。それに、民の多くはあの女に会っていない。それでも……あの狂気の渦は起きたのよ。
そして、あの狂気の犠牲になった私を助けようと声を出してくれたのは、あの方だけだった……
そういえば……あの方はどこにいるのかしら?
「ッ! シエ、…ェル! シエルッ‼」
「つッ‼ カーナ、さん?」
「はぁ、よかった。シエル、私の声が聞こえるな?」
「え、えぇ。突然、どうしたの?」
「それはこっちのセリフだッ‼」
「何か、あったの?」
「シエルが突然何も話さなくなって、机を見つめる視線は定まらないし、俺たちの声にも反応しなくなったんだよ」
シエルは、両肩を掴まれ揺さぶられ、名前を呼ばれたことで視線を上げた。シエルの肩を掴み、焦ったように声をかけてくるカーナと視線が合った。
何が起きているのか理解できずに、どうしたのかと首を傾げて問うと、カーナが珍しく声を荒げ、キリアはそんなカーナの肩を掴んで無理やり座らせながら、シエルを心配そうに見ながら先ほどまでのシエルの状況を説明した。
「え、あっ! ごめんなさい。考え事してて周りが見えていなかったみたい」
「本当に……大丈夫なのか? 私と一緒にいることで無理しているのではないか? 私は別室にいた方が体は楽になるんだろうな……すまない。それでも、シェリーと向き合いたいんだ。」
「おい、どういうことだ?」
「……シェリーは私たち家族といると、体調を崩すんだ。医師からはストレスが原因と聞いているが……他の原因もあるんだろう?」
「……」
前世の記憶に考え馳せていたシエルは、考えに没頭するあまり、周りが見えていなかったようだ。随分心配させたのだろう、いまだにカーナ達が心配そうにシエルを見つめてくるので申し訳なくて素直に謝った。
シエルの謝罪にカーナ達が反応する前にリーカスが声をかけた。そういえば考えに没頭する前にリーカスと話していたなと視線を向けると、リーカスの目に涙が浮かんでおり、ビックリして固まってしまった。
心配と後悔など色々な感情がごちゃ混ぜになった目と顔には、それでも何かへの覚悟が浮かんでおり、ヒタリとシエルを見つめている。
リーカスの言葉にカーナが疑問を呈すと返答はするが、視線はシエルから放れることはなかった。
原因はストレス……確かに家族やあの屋敷にいる人たちの気配だけでストレスは感じていた。
逃げるための手段として魔法の取得や魔力の向上を行ってからは、より周りの者の気配を敏感に感じるようになりストレスを強めていったのは自分でも理解していた。
家族の前だけでなくあの屋敷にいた2年間は、貴族としての振る舞いを徹底していたが、私のことをよく観察してストレスだけでなく、自分たちへ恐怖や嫌悪感を感じていることに気づいていたのだろう。そうでなくては、その言葉は出ないだろうから……
「やはり、あの2年前に何かのきっかけがあったんだろう。教えてくれないか? 何があったのか」
必死にシエルと向き合おうとするリーカスに、シエルも視線を外さずに見つめた。覚悟を決めたリーカスの瞳を見つめ、あの侮蔑の視線を思い出して気分が悪くなったが、何も知らないリーカスが必死にシエルを理解しようとここまで追いかけてきたのだと思うと視線を外すなど出来なかった。
シエルのこの2年間の行動は何も知らない家族からしたら酷いものだっただろう。それこそ、見捨てられてもしょうがないと思うほどに……
だから、『死んだものとして処理してください』と手紙を置いただけで、縁は切れると思ったのだ。
2年間の行動だけでなく、前世でゴミの様に捨てられた記憶も置手紙だけで縁が切れると思ってしまった要因の一つだった。
シエル自身も知らないうちに前世の記憶に振り回され、行動に色々支障をきたしていたようだ。
それでも、あの記憶を気にせずに何もなかったように過ごすことなどできなかった。2年間の出来事の擦り合わせからも、記憶は間違えないことは判断できたからだ。前世の不幸を回避するためにも、不快感しかない環境から自由になるためにも、シエルには逃亡という選択肢しかなかったのだ。
しかし、何も知らないリーカス達からしたら、シエルの行動は悪手だったのだろう。実際に、シエルを思いここまで駆けつけてきたのだから……家族への嫌悪感は消えはしないが、向き合おうと必死になる目の前のリーカスを見て、シエルは前世の記憶を話すことを決意した。
信じられない話となるだろう、父が信じなくても別にいい。
信じてもらおうという気持ちは私の中で既にないのだから……
前世の記憶を話すことで、今までのシエルの行動の理由を理解はしなくても知ることはできる。これ以上、足止めされないよう、引き戻されないようにするためにも、前世の記憶を話さないと何も進まないとシエルはリーカスを見つめた。しかし、あの忌々しい前世の記憶を話そうと口を開くも、うまく声が出せなかった。
「シェリー、焦らないでいい。ゆっくりでいいから、教えてくれないか?」
「そうだよ、シエル。ゆっくりでいいんだ。もし言いたくないなら、私が追い払ってやるから、安心しろ!」
「カーナ、少し黙ろうな」
「……はい」
うまく声が出なくて焦るシエルに、リーカスは優しく声をかける。カーナもシエルの肩を優しく撫でながら声をかけてきたが、内容が一部物騒だったため、冷たい目をしたキリアに諫められた。何に使おうと思っていたのか、いつの間にかカーナの手にあった縄は、キリアの冷たい視線によって素早く机の上に置かれた。ちなみに、コハクはシエルの足元に横たわり、皆の声に耳だけ向けて目を瞑っていた。
前世の裏切られた記憶とこの2年間の一方的ではあるが親愛に満ちた記憶に混乱が生じているようで、シエルの声はうまく出せず口を噛みしめた。シエル自身どうしたらいいのか分からず、眉根を寄せてしまう。
それでも、リーカスに前世の記憶を話すと決めたのだ。
リーカスに視線を向けると、根気よくシエルの言葉を待っているのが分かった。カーナ達に視線を向けると何を勘違いしたのか、気まずそうに声をかけられた。
「えっ、席外した方がいいのか?」
「ここにいたらダメ? シエルが心配なんだ」
「キリア君……いや、何でもない」
カーナの言葉には何も反応しなかったのに、キリアの言葉には何か思うことがあったのか、リーカスはキリアの名前を呼んだが、思い直したのか首を振り何でもないと言うとシエルに視線を戻した。
「うぅん、カーナさん達にも聞いてほしいの。ここにいてくれる?」
「もちろん!」
「ありがとう」
カーナの言葉とともにキリアも優しく微笑んで頷いた。それらを見ていたリーカスの顔は悲しげだったが、ポーカーフェイスが板につきすぎており、シエルは気づいていなかった。
何度か深呼吸をして、ゆっくり目を開けてリーカスを見つめると、静かに前世の記憶を話し始めた。
「お父様、私には前世の記憶があります」
こんばんは!
ついに前世の記憶のお話となります。
前世のシエルに起きた悲惨な記憶はリーカスに、そしてカーナ達にどのような影響を及ぼすのか‼
今後も楽しんでいただければ嬉しいです。
皆さん
シエルの父の名前はリーカスです。
間違えてルーカスと書いていたようで、すみません(´-ω-`)
ご指摘ありがとうございます!
今後もどうぞよろしくお願いいたします。