空気を読みすぎて時代が読めなくなる
山田氏を見ていてもう一つ思ったことは、「わきまえ続けてると、組織内の空気は読めるけど、時代が読めなくなる」ということだった。
ひたすら所属する組織の文化に適応し、上司や引き立ててくれる実力者の気持ちを忖度するようになると、その組織の論理にズッポリと染まってしまう。
その「飲み会を絶対断らない」発言は10年も前のものではない。2020年の、しかも若者に向けた動画でのメッセージだった。聞いた若者たちはどう思っただろう。男女問わずドン引きだったのではないか。就職先を選ぶにも、ワーク・ライフ・バランスを重視するという今の若者たちのことを山田氏は知らなかったのだろうか。そんな人が組織のトップにいれば、若手の官僚が長時間労働の中でやりがいを喪失して、早期に退職していく、という現実が改善されないのも無理はない、と思った。
わきまえる踏み絵を踏むかどうか
拙著『働く女子と罪悪感』にも書いたエピソードなのだが、私はAERAの編集長になる際に「反省文」を役員に書かされたことがある。時と場合によって「わきまえ」てきたが、それでも時々は上司や経営層に意見も言ってきた。反省文を書くよう要求したその人はむしろ「良かれ」と思って私に忠告してくれたのだ。
「社長は浜田を編集長にすることにまだ不安を思っている」
その理由は私の能力というよりも、「言うことを聞く」かどうか、つまり自分たちのコントロールが効くかどうかが不安だったのだ。だから、「反省文」を書いて忠誠を示せ、ということだったのだろう。男性はこうやって忠誠の「踏み絵」をいろんな形で踏まされてきたのか。わきまえた女には必要ないのだろうが、わきまえない、わきまえなさそうな女が「男村」に入るときはこうした儀式が必要なのだとも思った。
結局、私は反省文を書いた。この時書いてしまった苦い思いが、私にわきまえることを辞めさせる一つのきっかけとなった。