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2015年10月17日 03:24
> そこをすっ飛ばしてスマトラのなんちゃらとかを言い出すからおかしなことになるのです。 スマランは、スマトラ島でなくて、ジャワ島に’あります。 > 犯罪者は個人であって、国家ではないのです。集団犯罪であれば、オウム事件のように真相を追究することが難しいものです。加害者が死亡すればそれでお終いです。 北朝鮮の日本人拉致も、加害者が死亡すればそれでお終いですということですか? > また、北朝鮮などによる日韓分離工作という政治活動に高齢女性を利用する彼らの非道を追及することが先なのです。責任を他人になすりつけてごまかそうという精神は、同じ過ちを繰り返すことにつながります。日本人がいくら反省したところで、日本人ではない彼らの悪行をとめられません。わかりますか。面倒なのでこういう回答をさせないで下さい。 米国のある記事に、「日本軍部隊が拉致強姦した女性・少女の数のほうが、北朝鮮が拉致した日本人の数より、はるかに多い」と書いてありました。
2015年10月17日 03:19
織田甲南守 殿 歴史問題を適当な推測で議論しないでください。 > 韓国におけるいわゆる慰安婦問題の根幹は、加害者を朝鮮半島出身者とし、被害者を朝鮮半島出身者とする韓国の国内問題なのです。 慰安婦問題は、韓国だけでなく、フィリピン、インドネシア、台湾、その他の広範な東南アジアの地域でおきた問題です。フィリピンや台湾、も対日非難決議をしています。 >戦前の日本では一般に公娼制度と言われ、現在の日本では風適法という法律の下で受け継がれているものです。 日本の「名誉」のために、これを世界に喧伝しましょう。戦前の公娼制度というのは、まさに「性奴隷制度」でした、公娼は「奴隷状態であった」という当時の文書があります。 > 法律違反をした者が誰なのか、その取締りを怠ったのは誰なのか、日本が宗主国であったからといって現在の日本国政府にその賠償を求めるのが正当なことなのか 貴殿はまともな資料を全然読んでおられないようです。アジア女性基金サイトの記事だけでも読んでください。それらの記事を裏付ける報告書・学術論文も多数掲載されています。 > 許す気もないのに謝罪を要求する中韓二国の言い分を認める気などさらさらありません。 私は、「中韓二国の言い分を認めろ」などとはいっていません。私は、中韓二国の言い分を議論の根拠にはしていません。日本軍・政府の公文書、日本軍軍人の手記、そのた第三者の証言などを根拠にしています。 > 自称被害者の発言を真に受けないで下さい。 真に受けていません。 > 数十年前の人間の記憶など曖昧なものなのに、検証もせずそれらを信用しないで下さい。 信用できるとおもわれる公文書、一次資料、論文、報告書が多数あります。 (つづく)
2015年10月16日 15:39
> 織田甲南守さんがあなたへの反論の形で指摘されていましたが読んでいないのですか? >> 誤りではなく、必要な修飾語を省き、抽象的で誤解を招きうる談話を発表したということです。 これは、不可能なことを指摘しました、可能ならご教示ください。 >> 彼は中国ビジネスをうまく進めたかった。それゆえの談話です。 韓国ならわかりますが、中国? > 当時の朝鮮半島は日本だったことがヒントです。 日本本邦と朝鮮半島では慰安婦募集の対象が異なりました。日本本邦では、21才以上の主として経験者が集められ、朝鮮半島では17歳以上の未経験者が集められることになっていましたが、実際には14歳の少女もいたそうです。私が読んだ性病検査報告書には15才の少女が載っていました。
2015年10月16日 15:26
日本の未来のためには、文部科学副大臣を務めたこともある自民党の国際情報検討委員会の原田義昭委員長のように南京大虐殺や慰安婦の存在自体を否定しましょう。
2015年10月16日 15:19
> 大事な言葉が省略された表現とそれを補った表現の違いがわかりますか。 一隻の船の履歴と異なり、慰安婦の場合は、募集形態、置かれた環境などもさまざまであり、それを短い談話のなかで述べることは不可能です。 例えば、慰安婦になった・された形態も、自らの意志による、業者に騙された、村の有力者や学校の先生に「愛国的な仕事」に志願することを勧められた、親に売られた、日本軍・政府の圧力をうけた地域の有力者に強制された、日本軍部隊に強制された、日本軍部隊に暴力的に拉致されたなどいろいろです。これらについては、アジア女性基金のサイトに多数の一次資料と共に、報告書及び記事としてまとめられています。 河野談話は、「文書庫 > 基金事業関連資料-日本政府およびアジア女性基金の文書」として、アジア女性基金のサイトで掲載されています。 なお、アジア女性基金のサイトからダウンロードできるけれど、リンクが張られていない学術論文や報告書は次のように検索できます。 filetype:pdf site.awf.or.jp 189,000件もでてきますから、一日に一つの文書を読むことにすると、500年ほどかかります。 「大事な言葉を補った表現」が可能なら、一例でよろしいから示してください。
2015年10月16日 03:32
> 私なら「日本からの資料も見てくれ」と打診しますね。 日本の兵士が残した従軍日誌が多数あるようです。これらも、加えられたらよいとおもいます。 > 殴り返さない相手だと、殴るのを止める民族と、殴るのを止めない民族がおります。 インドネシアの独立戦争を戦った元軍人が、「日本軍から学んだことは、戦争のやり方と人の殴り方だった」と発言した記事があります。日本軍による占領当時は、小学生でも毎日5回は殴られたそうです。 戦後ですけれど、やたらに殴る先生がいて、私も一日おきに殴られたことがあります。例えば、授業中によそみなどをしていると、その先生がつかつかとよってきて、「立て」と言い、立つと往復ビンタをくらいました。多くの場合は、殴られた理由もわかりませんでした。 映画ですけれど、次のビデオを10:00から見てください。 https://www.youtube.com/watch?v=hsbMtzUWV-g
2015年10月16日 03:09
河野氏の犯した誤りとそれが誤りであったことを具体的にご指摘ください。
2015年10月16日 03:07
> 過去の発言の間違いの取り消しと日本国民への謝罪が必要だと思います。 河野氏の過去の発言に誤りがあったならば、ご指摘ください。 > 河野談話についての説明と釈明をしろ 河野談話は、「現在の安倍内閣を含むそれ以後の歴代の内閣に引き継がれてきた、慰安婦問題に関する日本政府の基本的立場を示す画期的な談話であった」とでも「謝罪」すべきでしょう。
2015年10月11日 05:58
ハフィングポストの記事は、Charlie Hebdo に批判的で、次のようなコメントも掲載しています。 「Charlie Hebdoは、まったくのレイシストで、 外国人恐怖症で、イデオロギー的に破産している、フランスの道徳的堕落を示している出版物である。」 コメントのほとんどは、Charlie Hebdo に批判的でですが、風刺画の意図は、西欧の態度の批判だという意見もあります。
2015年10月06日 06:30
大村智先生の経歴も人柄も、大変示唆に富ます。 http://mainichi.jp/feature/news/20151006k0000m040040000c.html 「山梨・甲府盆地の自然豊かな環境で育った。学生時代は勉学よりスポーツに熱中し、距離スキーで国体にも出場。東京都立墨田工業高の夜間部の教師として社会人のスタートを切ったが、ある日、試験用紙を配る際に、生徒の指先に昼間働く町工場で付いた油がこびりついているのを見て胸を打たれた。「真剣に勉強したい。自分も学び直そう」 「東京理科大大学院を経て、郷里の山梨大へ。ここでブドウ酒の研究に関わり、微生物の面白さに触れた。29歳の時に北里研究所(東京都港区)に入所。誰よりも早い朝6時に出勤し、教授の講義時の黒板ふきと論文の清書に明け暮れた。」 「1979年、牛に体重1キロ当たり200マイクログラムを1度飲ませるだけで体内にいる5万匹もの寄生虫を100%駆除できるとの成果を学会で発表すると、会場は異様な興奮に包まれた。「なぜ1回の投与で効くのか?」。相次ぐ質問に、大村さんは「効くから1回なのだ」と答えたという。」 『「僕は役に立つ物質を作るんじゃなく、見つけているだけ。だから微生物へのリスペクト(敬意)を忘れない」。数々の学術賞を受けるたび、大村さんが口にする言葉だ。』 大村先生とか屠ヨウヨウ先生のような人たちがノーベル賞を受賞すると、私もうれしくなってしまいます。
2015年10月06日 03:07
この記事に関連する記事を探していましたら、中国の屠ヨウヨウ氏のノーベル賞受賞についての産経の記事がありました。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151005-00000564-san-cn 「屠氏は1930年、浙江省寧波市に生まれた。北京大医学院で、中国では人気が低かった生物薬学を学んだ。漢方薬などを研究し、中国中医科学院の主席科学者に就任したが、博士号や海外留学経験を持たず、学士院会員でもない「三無教授」として知られていた。 「文化大革命の時代に、ベトナム戦争の戦地や中国南部でマラリアによる死者が増加。屠氏は、古来より伝わる中国全土の漢方薬を試し、1600年前の文献からマラリアに効果がある調合法を見つけ出した。 「2011年に、米国で最も権威ある医学賞でノーベル賞の登竜門ともいわれるラスカー賞を受賞した際、屠氏は「幼い頃、民間の中国医が患者を救う姿を目の当たりにした」などと、受賞の喜びを語っていた。」 こちらも、おめでとう。特に、「三無教授」というのがいいです。 産経も、よいニュースを流しました。
2015年10月06日 02:55
おめでとうございます。
2015年10月06日 02:51
> dd.MM.yyyyが西暦表記の基本です。 ISO 標準は YYYY-MM-DD ですが、米国では、MM/DD/YYYY か MM/DD/YY が普通です。例えば、10/05/2015 か 10/05/15 です。 10/05/2015 は 5月10日 と誤認される恐れもありますので、 重要な書類では、October 5, 2015 という表記も使われます。
2015年10月06日 02:37
> 外国人の中には、印鑑の利点を認識している人は多いですよ。 スタンプがよく使われるのは、管理者が署名することになっている、それほど重要でない書類を担当者が承認する場合です。この場合は、管理者の署名が入ったスタンプを担当者が、ペタンペタンと推します。 なお、米国の紙幣には、財務長官の署名が印刷されています。 現在の財務長官のもともとの署名: http://gakugo.net/unarigoe/iza_image/2044843.jpg これでは、紙幣の権威が下がるから改善しろと言われて、改善した署名: http://si.wsj.net/public/resources/images/OB-XW808_jackle_G_20130618140701.jpg
2015年10月06日 02:20
> 本人から来ているのかわかりませんし。 パブリックキイというものがあります。 Web による銀行取引などに使われています。
2015年10月06日 02:17
> 指紋認証は、本人確認には最適です 本人そ指紋を偽造された書類にコピーできます。 > FAXはメールの様に改ざんできないので、安全だとされています。 これも、画像編集のプログラムがありますから、改ざんしようとすればできます。
2015年10月06日 02:08
> スタンプインキは経年で見えなくなりますが、印鑑に使う朱肉は経年でも色褪せが少なく 米国では重要な書類には公証人の前で証明されることが要求されます。最重要な書類には、さらに立会人が二人必要になります。公証人は、免許証などで本人の確認を行います。 署名された書類には、公証人が証明し、スタンプが推されます。このスタンプは3cmx5cmぐらいの大きさです。さらに、公証人は、公証の日付と署名人に名前を記録簿に記載します。 たいていの銀行の支店には公証人がいて、費用は顧客の場合は無料で、そうでなければ5ドルほどの料金です。 公証人が使うスタンプのインクは経年変化で見えなくなることはないとおもいます。たとえば、墨であれば何千年でも何万年でも色あせしません、その他の色も色あせしないものを用いているとおもいます。 公証人が使うスタンプの例があります。 https://www.google.com/search?biw=1024&bih=711&tbm=isch&sa=1&q=notary%E3%80%80%EF%BD%93%E3%81%9F%EF%BD%8D%EF%BD%90&oq=notary%E3%80%80%EF%BD%93%E3%81%9F%EF%BD%8D%EF%BD%90&gs_l=img.3...4995.6951.0.8299.6.6.0.0.0.0.132.466.5j1.6.0.ckpsrh...0...1.1j4.64.img..3.3.281.e3hIF-mbwBU 複雑な多色刷りのスタンプもありますし、さらに紙に凹凸を加えるものもあります。
2015年10月04日 04:50
>> 4百万から一千万人が "romusya" として働かされました。 > すごいなあ~~~!!! インドネシアに上陸した日本軍なんかごく少数なのに、それでこんなに大勢のインドネシア人を動員できるなんて!! 2.26事件では、1,483名の兵員が東京を制圧しました。 それから、ハンガリー動乱では、約3万のソ連兵などが、人口一千万人ほどのハンガリーを制圧しました。 インドネシアに上陸した日本軍の兵員数は5万5千名ほどです。
2015年10月03日 19:02
> 言い分のない戦争の代表格と言えばアヘン戦争かな。 関東軍の財源はアヘンでした。
2015年10月03日 18:58
> 日本には日本なりに独立を支援する理由があった。 「ブリタル反日蜂起の史的考察、東南アジア研究13巻4号1976年3月」より抜粋: 「政治的には,結社,集会,言論の自由を奪われ,ジャワ侵攻前に日本軍が約束していた民族歌や民族旗の使用も禁止され,その一方で,大東亜共栄圏思想や新秩序というような日本の価値体系を強要され,民衆は動員力を高めるため各種の翼賛組織の申-組みこまれていった。憲兵隊による弾圧の厳しさも民衆を恐怖におとしいれていた。こうしてジャワ上陸当時の「解放者」としての日本のイメージは,はるかかなたに消え去り残忍な「抑圧者」「支配者」としてのイメージが前面に押し出されてきた。」
2015年10月03日 18:51
> それにしてもToshimi Minouraさんって、日本が褒められるともう不安で不安でいても立ってもいられない。 なんとしても日本軍の悪口を書かずにはいられない。 私は、何百人という東南アジアからの人たちも相手に仕事をしてきました。そこで、不思議におもったことは、だれも日本軍のおかげで独立できたという人がいなかったことです。 櫻井よし子氏などは、日本では大人気のようですが、彼女が米国でなにかすると、それだけ日本の印象は悪くなります。歴史的事実を無視して、いい加減なことを主張しているからです。 > 何とも不思議な心理ですね。 日本を悪く言う事で、白人様から褒められると思っているんですか? よもぎねこさんのように、でたらめを書いたりして、褒められるとはおもいません。私は、「白人様」といった感覚は持ち合わせいません。 一つだけ質問があります。どうして、多くの日本人が髪を茶色に染めているのですか? 米国の30歳以上の日系人で、髪を茶色に染めている人はまずいません、
2015年10月03日 18:18
論文から抜粋: 「1943年末から加速度的に深まっていった日本軍の戦況の悪化は,兵砧基地として重要な役割を諌せられていたジャワ経済にますます重圧をかけ,民衆の生活を圧迫し,強い社会不安をもたらすようになっていた。あらゆる物資は戦略物資であろうと民需物資であろうと軍の管理下におかれ,農民に対しては厳しい強制供出政策がとられていた。その結果,ジャワ社会における食料,衣料その他の必需物質の流通量は著しく減少し,民衆の経済生活は極端に圧迫されていた。また日本軍はこのような経済搾取のみならず, 「労務者」の徴発という形で露骨な労働力の搾取も行なった。この対象となったのほ16才~40才までの男性,および16才から25才までの独身女性で,形式上は応募という形をとっていたが,実際は村長らの手をかりてあらゆる強制によって徴発したのであった. 「政治的には,結社,集会,言論の自由を奪われ,ジャワ侵攻前に日本軍が約束していた民族歌や民族旗の使用も禁止され,その一方で,大東亜共栄圏思想や新秩序というような日本の価値体系を強要され,民衆は動員力を高めるため各種の翼賛組織の申-組みこまれていった。憲兵隊による弾圧の厳しさも民衆を恐怖におとしいれていた。こうしてジャワ上陸当時の「解放者」としての日本のイメージは,はるかかなたに消え去り残忍な「抑圧者」「支配者」としてのイメージが前面に押し出されてきた。」
>> インドネシアにおける日本軍の支配は」、オランダよりもはるかに過酷であったそうです。 > どこかに偏向のない良い解説は有りますか? まず、「インドネシア 日本軍 教科書」ででてくる記事を読んでください。 438,000件ほどの記事がでてきます。 それから、次の論文を読んでください。同様な英文の論文や記事はたくさんあります。 https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=2&cad=rja&uact=8&ved=0CCUQFjABahUKEwiZ0pzC-qXIAhVEpYgKHdPcCKk&url=http%3A%2F%2Frepository.kulib.kyoto-u.ac.jp%2Fdspace%2Fbitstream%2F2433%2F55826%2F1%2FKJ00000132996.pdf&usg=AFQjCNF4Xa-tf3wuJWfMuwgU9wsT2ZQ7OA&sig2=UrC9ZpryirFPkUMbeHA8fg (つづく)
2015年10月02日 17:24
> 当時国際社会で議論の無かった平和への罪 「大東亞共同宣言」というものがありました。 一、大東亞各國ハ協同シテ大東亞ノ安定ヲ確保シ道義ニ基ク共存共榮ノ秩序ヲ建設ス 一、大東亞各國ハ相互ニ自主獨立ヲ尊重シ互助敦睦ノ實ヲ擧ゲ大東亞ノ親和ヲ確立ス これらと、インドネシアで起きた次のようなことた比較してください。 インドネシアにおける日本軍の支配は」、オランダよりもはるかに過酷であったそうです。 4百万から一千万人が "romusya" として働かされました。そのうち27万人ほどは泰緬鉄道の建設などに送られ、80%ほどは死亡したそうです。 国連の報告書によると、日本軍の占領下で、4百万人ものインドネシア人が、飢餓と強制労働のために亡くなったそうです。飢餓で死亡した人達が多いのは、軍需用のジュートなどの栽培が強制され、従来の農産物が栽培できなくなり、多くの農民が日本軍に徴用されたためです。 鉄道のレールや機関車は接収され、日本と満州の送られ、そして多くの原材料が日本に送られたそうです。 こうした日本軍に支配に対するいくつかの反乱が起きましたが、反乱は鎮圧され、指導者は殺され、指導者の家族も拘留されました。 「大西洋憲章」というものもありました。
2015年10月02日 05:19
> どこが工学系なのやら。こんなこと素人でも解るのに。 小学5年生か6年生の時の理科の授業で、先生が、単気筒4ストローク・サイクルのガソリンエンジンの気筒の半分を切り取った模型をつかって説明してれました。クランク軸は手で回されました。 それから、中学生になると農業用の発動機の始動は私が行っていました。これらの、発動機は軽油で動きましたが、点火栓がついており、始動時には少量のガソリンを使いました。始動は、大きな弾み車についている鉄の取っ手を持って、弾み車をぐるぐる回して行いました。エンジンがかかったら、取っ手をすぐにはなさないと、腕が降りわまされるという、子供には、かなり危険な作業でした。 私の家で使っていたのは、次のビデオにあるのと同様な形をしたクボタ製の発動機でした。この発動機は、昭和30年ごろに、(貧乏な)5軒が共同で買ったものでした。ビデオのあるものより新しいので、回転数はもうすこし速く、弾み車には鉄の取っ手がついていました。 https://www.youtube.com/watch?v=6nU0s9CXaAU この発動機はしばしば、点火栓が軽油で濡れたりすると起動しないことがありました。そうしたときは、点火栓をはずして、軽油をふき取り、少量のガソリンを気筒に流し込むなどといったことは、全部私がするようになりました。 今も、このような発動機に愛着を持つ人たちはいるようです。 https://www.youtube.com/watch?v=xjxRT2AZxmo
2015年09月29日 02:15
> ユニセフという名を冠する=安心して募金できるブランド のイメージをきちんと守っていかなければ、本家側も巻き込んで、ユニセフ全体のイメージダウンに繋がって行きます。 ユニセフ事務局長レーク氏は、次のように述べています。 「ユニセフファミリーの一員である各国・地域のユニセフ協会は、ユニセフの全ての活動を支えてくれている、ユニセフの命綱です。」 もちろん、日本ユニセフ協会は、ユニセフと協定を結んでいます。ユニセフは30%ほどまでの運営経費を認めているようです。 黒柳さんに比べて、100倍ほどの寄付金をユニセフに送っています。
2015年09月28日 18:24
「日本ユネスコ協会」は、「日本フセニユ協会」ではないですか?
2015年09月28日 18:20
> 私はアグネスさんの活動は無視する種類の人間です。 日本ユニセフ協会がユニセフに送っているお金は年間に150億円ほどです。一方、黒柳徹子さん経由の送金は、この1/100ほどのようです。 ですから、ユニセフの本部としては、アグネスさんの活動のほうが有難いだろうとおもいます。
2015年09月28日 17:40
杉田議員達はグレンデール市の慰安婦像の設置に抗議するためにグレンデール市に出向きました。しかし、グレンデール市の市議会議員には会えず、現地の日系米国市民連盟の支部の人たちに会ったのですが、維新の会の議員たちには、「(empathy (思いやり)というものがないのか?」ということで、日系米国市民連盟の支部は、グレンデール市の慰安婦像の設置を支持する決議をし、声明を出しました。
2015年09月28日 08:49
> かっては林真理子と悶着を起しました これは、仕事の依頼があったときに。子供を連れていくことができなければ、その仕事はできないといったら、「猫でもなんでも連れてこい」といわれて、子供を連れて行ったということです。林真理子はそれを批判したわけです。 現在の少子化問題を考えれば、アグネス・チャンさんが正しかったといえます。 私の働いていたところでは、ゼロ歳児からの保育所がありました。そこで、重要な会議中でも、5時になると、子供を引き取らなくてはならないので、失礼しますといって退席する人たちがいました。そうなる、しばしば、それからの会議はお話しだけで、決定は後日ということになりました。
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2015年10月17日 03:24
> そこをすっ飛ばしてスマトラのなんちゃらとかを言い出すからおかしなことになるのです。 スマランは、スマトラ島でなくて、ジャワ島に’あります。 > 犯罪者は個人であって、国家ではないのです。集団犯罪であれば、オウム事件のように真相を追究することが難しいものです。加害者が死亡すればそれでお終いです。 北朝鮮の日本人拉致も、加害者が死亡すればそれでお終いですということですか? > また、北朝鮮などによる日韓分離工作という政治活動に高齢女性を利用する彼らの非道を追及することが先なのです。責任を他人になすりつけてごまかそうという精神は、同じ過ちを繰り返すことにつながります。日本人がいくら反省したところで、日本人ではない彼らの悪行をとめられません。わかりますか。面倒なのでこういう回答をさせないで下さい。 米国のある記事に、「日本軍部隊が拉致強姦した女性・少女の数のほうが、北朝鮮が拉致した日本人の数より、はるかに多い」と書いてありました。
2015年10月17日 03:19
織田甲南守 殿 歴史問題を適当な推測で議論しないでください。 > 韓国におけるいわゆる慰安婦問題の根幹は、加害者を朝鮮半島出身者とし、被害者を朝鮮半島出身者とする韓国の国内問題なのです。 慰安婦問題は、韓国だけでなく、フィリピン、インドネシア、台湾、その他の広範な東南アジアの地域でおきた問題です。フィリピンや台湾、も対日非難決議をしています。 >戦前の日本では一般に公娼制度と言われ、現在の日本では風適法という法律の下で受け継がれているものです。 日本の「名誉」のために、これを世界に喧伝しましょう。戦前の公娼制度というのは、まさに「性奴隷制度」でした、公娼は「奴隷状態であった」という当時の文書があります。 > 法律違反をした者が誰なのか、その取締りを怠ったのは誰なのか、日本が宗主国であったからといって現在の日本国政府にその賠償を求めるのが正当なことなのか 貴殿はまともな資料を全然読んでおられないようです。アジア女性基金サイトの記事だけでも読んでください。それらの記事を裏付ける報告書・学術論文も多数掲載されています。 > 許す気もないのに謝罪を要求する中韓二国の言い分を認める気などさらさらありません。 私は、「中韓二国の言い分を認めろ」などとはいっていません。私は、中韓二国の言い分を議論の根拠にはしていません。日本軍・政府の公文書、日本軍軍人の手記、そのた第三者の証言などを根拠にしています。 > 自称被害者の発言を真に受けないで下さい。 真に受けていません。 > 数十年前の人間の記憶など曖昧なものなのに、検証もせずそれらを信用しないで下さい。 信用できるとおもわれる公文書、一次資料、論文、報告書が多数あります。 (つづく)
2015年10月16日 15:39
> 織田甲南守さんがあなたへの反論の形で指摘されていましたが読んでいないのですか? >> 誤りではなく、必要な修飾語を省き、抽象的で誤解を招きうる談話を発表したということです。 これは、不可能なことを指摘しました、可能ならご教示ください。 >> 彼は中国ビジネスをうまく進めたかった。それゆえの談話です。 韓国ならわかりますが、中国? > 当時の朝鮮半島は日本だったことがヒントです。 日本本邦と朝鮮半島では慰安婦募集の対象が異なりました。日本本邦では、21才以上の主として経験者が集められ、朝鮮半島では17歳以上の未経験者が集められることになっていましたが、実際には14歳の少女もいたそうです。私が読んだ性病検査報告書には15才の少女が載っていました。
2015年10月16日 15:26
日本の未来のためには、文部科学副大臣を務めたこともある自民党の国際情報検討委員会の原田義昭委員長のように南京大虐殺や慰安婦の存在自体を否定しましょう。
2015年10月16日 15:19
> 大事な言葉が省略された表現とそれを補った表現の違いがわかりますか。 一隻の船の履歴と異なり、慰安婦の場合は、募集形態、置かれた環境などもさまざまであり、それを短い談話のなかで述べることは不可能です。 例えば、慰安婦になった・された形態も、自らの意志による、業者に騙された、村の有力者や学校の先生に「愛国的な仕事」に志願することを勧められた、親に売られた、日本軍・政府の圧力をうけた地域の有力者に強制された、日本軍部隊に強制された、日本軍部隊に暴力的に拉致されたなどいろいろです。これらについては、アジア女性基金のサイトに多数の一次資料と共に、報告書及び記事としてまとめられています。 河野談話は、「文書庫 > 基金事業関連資料-日本政府およびアジア女性基金の文書」として、アジア女性基金のサイトで掲載されています。 なお、アジア女性基金のサイトからダウンロードできるけれど、リンクが張られていない学術論文や報告書は次のように検索できます。 filetype:pdf site.awf.or.jp 189,000件もでてきますから、一日に一つの文書を読むことにすると、500年ほどかかります。 「大事な言葉を補った表現」が可能なら、一例でよろしいから示してください。
2015年10月16日 03:32
> 私なら「日本からの資料も見てくれ」と打診しますね。 日本の兵士が残した従軍日誌が多数あるようです。これらも、加えられたらよいとおもいます。 > 殴り返さない相手だと、殴るのを止める民族と、殴るのを止めない民族がおります。 インドネシアの独立戦争を戦った元軍人が、「日本軍から学んだことは、戦争のやり方と人の殴り方だった」と発言した記事があります。日本軍による占領当時は、小学生でも毎日5回は殴られたそうです。 戦後ですけれど、やたらに殴る先生がいて、私も一日おきに殴られたことがあります。例えば、授業中によそみなどをしていると、その先生がつかつかとよってきて、「立て」と言い、立つと往復ビンタをくらいました。多くの場合は、殴られた理由もわかりませんでした。 映画ですけれど、次のビデオを10:00から見てください。 https://www.youtube.com/watch?v=hsbMtzUWV-g
2015年10月16日 03:09
河野氏の犯した誤りとそれが誤りであったことを具体的にご指摘ください。
2015年10月16日 03:07
> 過去の発言の間違いの取り消しと日本国民への謝罪が必要だと思います。 河野氏の過去の発言に誤りがあったならば、ご指摘ください。 > 河野談話についての説明と釈明をしろ 河野談話は、「現在の安倍内閣を含むそれ以後の歴代の内閣に引き継がれてきた、慰安婦問題に関する日本政府の基本的立場を示す画期的な談話であった」とでも「謝罪」すべきでしょう。
2015年10月11日 05:58
ハフィングポストの記事は、Charlie Hebdo に批判的で、次のようなコメントも掲載しています。 「Charlie Hebdoは、まったくのレイシストで、 外国人恐怖症で、イデオロギー的に破産している、フランスの道徳的堕落を示している出版物である。」 コメントのほとんどは、Charlie Hebdo に批判的でですが、風刺画の意図は、西欧の態度の批判だという意見もあります。
2015年10月06日 06:30
大村智先生の経歴も人柄も、大変示唆に富ます。 http://mainichi.jp/feature/news/20151006k0000m040040000c.html 「山梨・甲府盆地の自然豊かな環境で育った。学生時代は勉学よりスポーツに熱中し、距離スキーで国体にも出場。東京都立墨田工業高の夜間部の教師として社会人のスタートを切ったが、ある日、試験用紙を配る際に、生徒の指先に昼間働く町工場で付いた油がこびりついているのを見て胸を打たれた。「真剣に勉強したい。自分も学び直そう」 「東京理科大大学院を経て、郷里の山梨大へ。ここでブドウ酒の研究に関わり、微生物の面白さに触れた。29歳の時に北里研究所(東京都港区)に入所。誰よりも早い朝6時に出勤し、教授の講義時の黒板ふきと論文の清書に明け暮れた。」 「1979年、牛に体重1キロ当たり200マイクログラムを1度飲ませるだけで体内にいる5万匹もの寄生虫を100%駆除できるとの成果を学会で発表すると、会場は異様な興奮に包まれた。「なぜ1回の投与で効くのか?」。相次ぐ質問に、大村さんは「効くから1回なのだ」と答えたという。」 『「僕は役に立つ物質を作るんじゃなく、見つけているだけ。だから微生物へのリスペクト(敬意)を忘れない」。数々の学術賞を受けるたび、大村さんが口にする言葉だ。』 大村先生とか屠ヨウヨウ先生のような人たちがノーベル賞を受賞すると、私もうれしくなってしまいます。
2015年10月06日 03:07
この記事に関連する記事を探していましたら、中国の屠ヨウヨウ氏のノーベル賞受賞についての産経の記事がありました。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151005-00000564-san-cn 「屠氏は1930年、浙江省寧波市に生まれた。北京大医学院で、中国では人気が低かった生物薬学を学んだ。漢方薬などを研究し、中国中医科学院の主席科学者に就任したが、博士号や海外留学経験を持たず、学士院会員でもない「三無教授」として知られていた。 「文化大革命の時代に、ベトナム戦争の戦地や中国南部でマラリアによる死者が増加。屠氏は、古来より伝わる中国全土の漢方薬を試し、1600年前の文献からマラリアに効果がある調合法を見つけ出した。 「2011年に、米国で最も権威ある医学賞でノーベル賞の登竜門ともいわれるラスカー賞を受賞した際、屠氏は「幼い頃、民間の中国医が患者を救う姿を目の当たりにした」などと、受賞の喜びを語っていた。」 こちらも、おめでとう。特に、「三無教授」というのがいいです。 産経も、よいニュースを流しました。
2015年10月06日 02:55
おめでとうございます。
2015年10月06日 02:51
> dd.MM.yyyyが西暦表記の基本です。 ISO 標準は YYYY-MM-DD ですが、米国では、MM/DD/YYYY か MM/DD/YY が普通です。例えば、10/05/2015 か 10/05/15 です。 10/05/2015 は 5月10日 と誤認される恐れもありますので、 重要な書類では、October 5, 2015 という表記も使われます。
2015年10月06日 02:37
> 外国人の中には、印鑑の利点を認識している人は多いですよ。 スタンプがよく使われるのは、管理者が署名することになっている、それほど重要でない書類を担当者が承認する場合です。この場合は、管理者の署名が入ったスタンプを担当者が、ペタンペタンと推します。 なお、米国の紙幣には、財務長官の署名が印刷されています。 現在の財務長官のもともとの署名: http://gakugo.net/unarigoe/iza_image/2044843.jpg これでは、紙幣の権威が下がるから改善しろと言われて、改善した署名: http://si.wsj.net/public/resources/images/OB-XW808_jackle_G_20130618140701.jpg
2015年10月06日 02:20
> 本人から来ているのかわかりませんし。 パブリックキイというものがあります。 Web による銀行取引などに使われています。
2015年10月06日 02:17
> 指紋認証は、本人確認には最適です 本人そ指紋を偽造された書類にコピーできます。 > FAXはメールの様に改ざんできないので、安全だとされています。 これも、画像編集のプログラムがありますから、改ざんしようとすればできます。
2015年10月06日 02:08
> スタンプインキは経年で見えなくなりますが、印鑑に使う朱肉は経年でも色褪せが少なく 米国では重要な書類には公証人の前で証明されることが要求されます。最重要な書類には、さらに立会人が二人必要になります。公証人は、免許証などで本人の確認を行います。 署名された書類には、公証人が証明し、スタンプが推されます。このスタンプは3cmx5cmぐらいの大きさです。さらに、公証人は、公証の日付と署名人に名前を記録簿に記載します。 たいていの銀行の支店には公証人がいて、費用は顧客の場合は無料で、そうでなければ5ドルほどの料金です。 公証人が使うスタンプのインクは経年変化で見えなくなることはないとおもいます。たとえば、墨であれば何千年でも何万年でも色あせしません、その他の色も色あせしないものを用いているとおもいます。 公証人が使うスタンプの例があります。 https://www.google.com/search?biw=1024&bih=711&tbm=isch&sa=1&q=notary%E3%80%80%EF%BD%93%E3%81%9F%EF%BD%8D%EF%BD%90&oq=notary%E3%80%80%EF%BD%93%E3%81%9F%EF%BD%8D%EF%BD%90&gs_l=img.3...4995.6951.0.8299.6.6.0.0.0.0.132.466.5j1.6.0.ckpsrh...0...1.1j4.64.img..3.3.281.e3hIF-mbwBU 複雑な多色刷りのスタンプもありますし、さらに紙に凹凸を加えるものもあります。
2015年10月04日 04:50
>> 4百万から一千万人が "romusya" として働かされました。 > すごいなあ~~~!!! インドネシアに上陸した日本軍なんかごく少数なのに、それでこんなに大勢のインドネシア人を動員できるなんて!! 2.26事件では、1,483名の兵員が東京を制圧しました。 それから、ハンガリー動乱では、約3万のソ連兵などが、人口一千万人ほどのハンガリーを制圧しました。 インドネシアに上陸した日本軍の兵員数は5万5千名ほどです。
2015年10月03日 19:02
> 言い分のない戦争の代表格と言えばアヘン戦争かな。 関東軍の財源はアヘンでした。
2015年10月03日 18:58
> 日本には日本なりに独立を支援する理由があった。 「ブリタル反日蜂起の史的考察、東南アジア研究13巻4号1976年3月」より抜粋: 「政治的には,結社,集会,言論の自由を奪われ,ジャワ侵攻前に日本軍が約束していた民族歌や民族旗の使用も禁止され,その一方で,大東亜共栄圏思想や新秩序というような日本の価値体系を強要され,民衆は動員力を高めるため各種の翼賛組織の申-組みこまれていった。憲兵隊による弾圧の厳しさも民衆を恐怖におとしいれていた。こうしてジャワ上陸当時の「解放者」としての日本のイメージは,はるかかなたに消え去り残忍な「抑圧者」「支配者」としてのイメージが前面に押し出されてきた。」
2015年10月03日 18:51
> それにしてもToshimi Minouraさんって、日本が褒められるともう不安で不安でいても立ってもいられない。 なんとしても日本軍の悪口を書かずにはいられない。 私は、何百人という東南アジアからの人たちも相手に仕事をしてきました。そこで、不思議におもったことは、だれも日本軍のおかげで独立できたという人がいなかったことです。 櫻井よし子氏などは、日本では大人気のようですが、彼女が米国でなにかすると、それだけ日本の印象は悪くなります。歴史的事実を無視して、いい加減なことを主張しているからです。 > 何とも不思議な心理ですね。 日本を悪く言う事で、白人様から褒められると思っているんですか? よもぎねこさんのように、でたらめを書いたりして、褒められるとはおもいません。私は、「白人様」といった感覚は持ち合わせいません。 一つだけ質問があります。どうして、多くの日本人が髪を茶色に染めているのですか? 米国の30歳以上の日系人で、髪を茶色に染めている人はまずいません、
2015年10月03日 18:18
論文から抜粋: 「1943年末から加速度的に深まっていった日本軍の戦況の悪化は,兵砧基地として重要な役割を諌せられていたジャワ経済にますます重圧をかけ,民衆の生活を圧迫し,強い社会不安をもたらすようになっていた。あらゆる物資は戦略物資であろうと民需物資であろうと軍の管理下におかれ,農民に対しては厳しい強制供出政策がとられていた。その結果,ジャワ社会における食料,衣料その他の必需物質の流通量は著しく減少し,民衆の経済生活は極端に圧迫されていた。また日本軍はこのような経済搾取のみならず, 「労務者」の徴発という形で露骨な労働力の搾取も行なった。この対象となったのほ16才~40才までの男性,および16才から25才までの独身女性で,形式上は応募という形をとっていたが,実際は村長らの手をかりてあらゆる強制によって徴発したのであった. 「政治的には,結社,集会,言論の自由を奪われ,ジャワ侵攻前に日本軍が約束していた民族歌や民族旗の使用も禁止され,その一方で,大東亜共栄圏思想や新秩序というような日本の価値体系を強要され,民衆は動員力を高めるため各種の翼賛組織の申-組みこまれていった。憲兵隊による弾圧の厳しさも民衆を恐怖におとしいれていた。こうしてジャワ上陸当時の「解放者」としての日本のイメージは,はるかかなたに消え去り残忍な「抑圧者」「支配者」としてのイメージが前面に押し出されてきた。」
2015年10月03日 18:18
>> インドネシアにおける日本軍の支配は」、オランダよりもはるかに過酷であったそうです。 > どこかに偏向のない良い解説は有りますか? まず、「インドネシア 日本軍 教科書」ででてくる記事を読んでください。 438,000件ほどの記事がでてきます。 それから、次の論文を読んでください。同様な英文の論文や記事はたくさんあります。 https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=2&cad=rja&uact=8&ved=0CCUQFjABahUKEwiZ0pzC-qXIAhVEpYgKHdPcCKk&url=http%3A%2F%2Frepository.kulib.kyoto-u.ac.jp%2Fdspace%2Fbitstream%2F2433%2F55826%2F1%2FKJ00000132996.pdf&usg=AFQjCNF4Xa-tf3wuJWfMuwgU9wsT2ZQ7OA&sig2=UrC9ZpryirFPkUMbeHA8fg (つづく)
2015年10月02日 17:24
> 当時国際社会で議論の無かった平和への罪 「大東亞共同宣言」というものがありました。 一、大東亞各國ハ協同シテ大東亞ノ安定ヲ確保シ道義ニ基ク共存共榮ノ秩序ヲ建設ス 一、大東亞各國ハ相互ニ自主獨立ヲ尊重シ互助敦睦ノ實ヲ擧ゲ大東亞ノ親和ヲ確立ス これらと、インドネシアで起きた次のようなことた比較してください。 インドネシアにおける日本軍の支配は」、オランダよりもはるかに過酷であったそうです。 4百万から一千万人が "romusya" として働かされました。そのうち27万人ほどは泰緬鉄道の建設などに送られ、80%ほどは死亡したそうです。 国連の報告書によると、日本軍の占領下で、4百万人ものインドネシア人が、飢餓と強制労働のために亡くなったそうです。飢餓で死亡した人達が多いのは、軍需用のジュートなどの栽培が強制され、従来の農産物が栽培できなくなり、多くの農民が日本軍に徴用されたためです。 鉄道のレールや機関車は接収され、日本と満州の送られ、そして多くの原材料が日本に送られたそうです。 こうした日本軍に支配に対するいくつかの反乱が起きましたが、反乱は鎮圧され、指導者は殺され、指導者の家族も拘留されました。 「大西洋憲章」というものもありました。
2015年10月02日 05:19
> どこが工学系なのやら。こんなこと素人でも解るのに。 小学5年生か6年生の時の理科の授業で、先生が、単気筒4ストローク・サイクルのガソリンエンジンの気筒の半分を切り取った模型をつかって説明してれました。クランク軸は手で回されました。 それから、中学生になると農業用の発動機の始動は私が行っていました。これらの、発動機は軽油で動きましたが、点火栓がついており、始動時には少量のガソリンを使いました。始動は、大きな弾み車についている鉄の取っ手を持って、弾み車をぐるぐる回して行いました。エンジンがかかったら、取っ手をすぐにはなさないと、腕が降りわまされるという、子供には、かなり危険な作業でした。 私の家で使っていたのは、次のビデオにあるのと同様な形をしたクボタ製の発動機でした。この発動機は、昭和30年ごろに、(貧乏な)5軒が共同で買ったものでした。ビデオのあるものより新しいので、回転数はもうすこし速く、弾み車には鉄の取っ手がついていました。 https://www.youtube.com/watch?v=6nU0s9CXaAU この発動機はしばしば、点火栓が軽油で濡れたりすると起動しないことがありました。そうしたときは、点火栓をはずして、軽油をふき取り、少量のガソリンを気筒に流し込むなどといったことは、全部私がするようになりました。 今も、このような発動機に愛着を持つ人たちはいるようです。 https://www.youtube.com/watch?v=xjxRT2AZxmo
2015年09月29日 02:15
> ユニセフという名を冠する=安心して募金できるブランド のイメージをきちんと守っていかなければ、本家側も巻き込んで、ユニセフ全体のイメージダウンに繋がって行きます。 ユニセフ事務局長レーク氏は、次のように述べています。 「ユニセフファミリーの一員である各国・地域のユニセフ協会は、ユニセフの全ての活動を支えてくれている、ユニセフの命綱です。」 もちろん、日本ユニセフ協会は、ユニセフと協定を結んでいます。ユニセフは30%ほどまでの運営経費を認めているようです。 黒柳さんに比べて、100倍ほどの寄付金をユニセフに送っています。
2015年09月28日 18:24
「日本ユネスコ協会」は、「日本フセニユ協会」ではないですか?
2015年09月28日 18:20
> 私はアグネスさんの活動は無視する種類の人間です。 日本ユニセフ協会がユニセフに送っているお金は年間に150億円ほどです。一方、黒柳徹子さん経由の送金は、この1/100ほどのようです。 ですから、ユニセフの本部としては、アグネスさんの活動のほうが有難いだろうとおもいます。
2015年09月28日 17:40
杉田議員達はグレンデール市の慰安婦像の設置に抗議するためにグレンデール市に出向きました。しかし、グレンデール市の市議会議員には会えず、現地の日系米国市民連盟の支部の人たちに会ったのですが、維新の会の議員たちには、「(empathy (思いやり)というものがないのか?」ということで、日系米国市民連盟の支部は、グレンデール市の慰安婦像の設置を支持する決議をし、声明を出しました。
2015年09月28日 08:49
> かっては林真理子と悶着を起しました これは、仕事の依頼があったときに。子供を連れていくことができなければ、その仕事はできないといったら、「猫でもなんでも連れてこい」といわれて、子供を連れて行ったということです。林真理子はそれを批判したわけです。 現在の少子化問題を考えれば、アグネス・チャンさんが正しかったといえます。 私の働いていたところでは、ゼロ歳児からの保育所がありました。そこで、重要な会議中でも、5時になると、子供を引き取らなくてはならないので、失礼しますといって退席する人たちがいました。そうなる、しばしば、それからの会議はお話しだけで、決定は後日ということになりました。