自分の足で、生きていける喜び


 友人に誘われて出場したテレビのオーディション番組がきっかけで、歌手への道が開けました。でもあこがれや夢がかなったという気持ちではなかったですね。その少し前に父親の事業が失敗したのですが、私は中学生でアルバイトもできない年齢。姉たちは高校生と社会人になっていましたから、「自立ができたら自分も楽だろうし、親も気が楽だろうな」と思っていたので、「やった、就職が決まった」、そんな気持ちでした。


 所属事務所が東京に部屋を準備してくれて、初めて一人暮らしをした時、部屋で大の字に寝転んで「ああ、これからは自分の足で生きていける」と思い、ドラマってこんなふうに始まるんだなといういうワクワクした感覚を楽しみました。そして子どもながらに、アイドルという仕事はこういうものだろうと稚拙な想像を巡らせ、自分の演出をしていきました。ただ大げさなことではなく、その時代の女の子をよく観察して髪形や服を選んでいただけでしたが。事務所からの教えは、ちゃんとあいさつすることと、見られる仕事だから普段着も可愛くと言われた程度でした。


 会社はファミリーの一員のように育ててくれましたし、また16歳のデビューまでにボイストレーニングへ伺った日々も忘れ難いです。その先生のお宅は、原宿のビルに囲まれた袋小路を進んでいったごく普通の一軒家。レッスンを終えると、たまに奥様が手作りのお昼ごはんをごちそうしてくださいました。私は何も分からない世界にこれから飛び込んでいく緊張の中にいましたが、そこにもきちんと普通の生活があると感じました。そんな先生のリアルな存在が、確実に私を未来へと橋渡ししてくれるとすごく安心できたのです。


 私だけではなく、現代の15歳も、言葉にはしないけれど仕事や生き方も含めて様々なことを感じ、考えているのではないかと思います。


個人と仕事、どちらも生身の私


 デビュー後、自分で衣装などを決めることが珍しかったらしく、「自己プロデュースするアイドル」と呼ばれるようになりました。テレビなどで「あの人カッコいい」と思ったものを「自分ならどうできるか」と工夫していたのですが、周りのクリエーターや大人たちがとても面白がって育ててくれたのです。アイドルの仕事としての自己演出だから協力するよと。


 私は子どもの頃から、文化、芸術、エンターテインメントが好きで、読書、絵を見ること、テレビも映画もアイドルたちも好きで、いまだに興味は衰えない。その中で自分に何かを与えてくれる要素があると、自分とそれはどうつながれるかと問い始めます。そしてキャッチしたエッセンスを自分のフィルターに通し、私としての表現に変えていく。ずっとそういう循環でやってきた感覚があります。それが自分の仕事との向き合い方かも知れません。


 一方で私は一人の人間で、女性です。そこはブレずに、結婚や離婚など生きていく中で訪れる変化には普通に対応してきたんですね。40代の頃には、年齢的に自信がなくなったから「ハイブランドを買っちゃえ」と武装してみたり(笑)。 仕事もプライベートも自分に正直にやってきたんだと思います。(談)

その他の記事
さらに見る