新劇場版エヴァンゲリヲン 真希波・マリ・イラストリアス=安野モヨコ説 エヴァンゲリオン
※こちらのブログ記事からの続きです。
◆「真希波・マリ・イラストリアス」について
「真希波・マリ・イラストリアス」についてですが、ウィキペディアの「新世紀エヴァンゲリオンの登場人物」には次のようにあります。
「『エヴァ』の登場人物は、基本的に原作者である庵野の分身として描かれているが、マリの設定や声優選出に庵野は直接的に関わらず、貞本義行と鶴巻和哉が構築したキャラクターになっている。これは前述した庵野の分身である登場人物達の中で、マリが作品に影響を与える異質な感覚の存在として際立たせる意味合いも含まれたため。」
つまり、「真希波・マリ・イラストリアス」とは、ずばり旧エヴァに欠けていた「庵野監督の周りの他者」なのです。
そして、旧エヴァには登場せず、新エヴァにて登場する、決定的な「庵野監督の周りの他者」とは、結婚を経て登場した奥さん、つまり、庵野監督の奥さんである安野モヨコさんをおいて他にはいないでしょう。
…ということは、新エヴァのラストはマリとシンジがくっつくという可能生も大いに考えられます。 というより、まず間違いなく、新エヴァではシンジとマリが結ばれるでしょう。
このマリ・イラストリアス=安野モヨコ説を採用すると、新エヴァではなぜアスカの名前が変わり、アスカがエヴァ3号機に搭乗することになったのか、なぜアスカの代わりにマリが2号機に搭乗することになったのかも良く理解できるようになります。
旧エヴァでは物語の軸となる葛藤や混乱を背負っていたアスカも、新エヴァでは、私たち聴衆の前にはそのような「謎」のキャラクターとしては提示されていませんでした。
むしろ、新エヴァでのアスカはしごく常識的に振る舞い、「破」の時点で早々と幸福/happy(のきっかけ)を見つけています。
また、この説に立つと、旧エヴァ(劇場版)のラストでは、なぜシンジはアスカの首をしめなければならなかったのか、なぜ最後のセリフが「気持ち悪い」だったのかも良く理解できます。
(どういうことかというと)なぜなら、人間が補完された世界ではなく、最後に選んだ他者のいる世界、その中の最大の他者としてのアスカ(ヒロイン、最愛の人)も、結局の所は(突き詰めたところでは)、自分自身(シンジ)の分身にしか過ぎないことを庵野監督には痛いほど良くわかっていたからなのでしょう。
ですから、エヴァンゲリオンがハッピーエンドになるためには、どうしても、本当の他者が必要だった。
庵野監督にとって、安野モヨコさんという奥さんが必要だった。
つまり、新エヴァの 物語の軸となる謎=ヒロイン(シンジの約束の人)は「真希波・マリ・イラストリアス」なのですね(式波・アスカ・ラングレーではなくて)。
従って、
Q:真希波・マリ・イラストリアスとは何か?
A:シンジの将来のお嫁さんです。
◆「真希波・マリ・イラストリアス」について
「真希波・マリ・イラストリアス」についてですが、ウィキペディアの「新世紀エヴァンゲリオンの登場人物」には次のようにあります。
「『エヴァ』の登場人物は、基本的に原作者である庵野の分身として描かれているが、マリの設定や声優選出に庵野は直接的に関わらず、貞本義行と鶴巻和哉が構築したキャラクターになっている。これは前述した庵野の分身である登場人物達の中で、マリが作品に影響を与える異質な感覚の存在として際立たせる意味合いも含まれたため。」
つまり、「真希波・マリ・イラストリアス」とは、ずばり旧エヴァに欠けていた「庵野監督の周りの他者」なのです。
そして、旧エヴァには登場せず、新エヴァにて登場する、決定的な「庵野監督の周りの他者」とは、結婚を経て登場した奥さん、つまり、庵野監督の奥さんである安野モヨコさんをおいて他にはいないでしょう。
真希波・マリ・イラストリアスというキャラクターは
僕には監督の奥さんの安野モヨコに見えてしまう。綾波が庵野の内なる女性であり、母性であり、いわば永遠の女性として庵野の世界を完結させる存在だとするなら、
マリはその完結した世界を外側から破壊しようとする生きた現実の女である。
このように考えると、エヴァに乗ったマリが「365歩のマーチ」を口ずさむ親父キャラな理由もよくわかるのである。
幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだというねという歌詞は安野モヨコのキャラクターや作品を象徴するものだと思う。
(…)これまでエヴァのキャラというのは精神的にもろいやつが多かったが、彼女はタフそうである。
http://d.hatena.ne.jp/oizumi-m/20090707
…ということは、新エヴァのラストはマリとシンジがくっつくという可能生も大いに考えられます。 というより、まず間違いなく、新エヴァではシンジとマリが結ばれるでしょう。
このマリ・イラストリアス=安野モヨコ説を採用すると、新エヴァではなぜアスカの名前が変わり、アスカがエヴァ3号機に搭乗することになったのか、なぜアスカの代わりにマリが2号機に搭乗することになったのかも良く理解できるようになります。
旧エヴァでは物語の軸となる葛藤や混乱を背負っていたアスカも、新エヴァでは、私たち聴衆の前にはそのような「謎」のキャラクターとしては提示されていませんでした。
むしろ、新エヴァでのアスカはしごく常識的に振る舞い、「破」の時点で早々と幸福/happy(のきっかけ)を見つけています。
本部エレベーター内でのレイとの対話では、「碇司令のおすまし人形」と思っていた彼女が、シンジに真摯な思いを寄せていると考えるようになる。その後、レイがシンジとゲンドウの和解のために食事会を予定したその日がEVA3号機の機動実験と重なることを知り、自ら3号機の実験パイロット役を志願する。3号機搭乗の直前、自分は孤高に生きているが、他人と触れ合うのも悪く無いとの考えをミサトに打ち明ける。起動直前のエントリープラグの中では「そっか、私笑えるんだ」とつぶやく。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%A3%E6%B5%81%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%BC
また、この説に立つと、旧エヴァ(劇場版)のラストでは、なぜシンジはアスカの首をしめなければならなかったのか、なぜ最後のセリフが「気持ち悪い」だったのかも良く理解できます。
(どういうことかというと)なぜなら、人間が補完された世界ではなく、最後に選んだ他者のいる世界、その中の最大の他者としてのアスカ(ヒロイン、最愛の人)も、結局の所は(突き詰めたところでは)、自分自身(シンジ)の分身にしか過ぎないことを庵野監督には痛いほど良くわかっていたからなのでしょう。
ですから、エヴァンゲリオンがハッピーエンドになるためには、どうしても、本当の他者が必要だった。
庵野監督にとって、安野モヨコさんという奥さんが必要だった。
つまり、新エヴァの 物語の軸となる謎=ヒロイン(シンジの約束の人)は「真希波・マリ・イラストリアス」なのですね(式波・アスカ・ラングレーではなくて)。
従って、
Q:真希波・マリ・イラストリアスとは何か?
A:シンジの将来のお嫁さんです。
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