男は羽振りが良かったようで一軒屋を購入した。
しかし男はあろう事か、
先妻の息子を二人を引き取ってきたのだ。
長男は当時20歳、次男は18歳(姉と同年)。
男はその二人を溺愛し、
僕をところかまわず殴ることは少なくなったが、
今度は二人の先妻の息子との陰湿な差別が増えた。
「お前みたいなクズがなんでワシの息子なんじゃ?」
「なんでお前みたいなゴミが生まれてきたんや?」
人を小馬鹿にした冷ややかな口調・・
そして虫けらでも見るかのような視線・・
僕はその都度、身をすくめながら男に
「ごめんなさい・・」
と何年ものあいだ、頭を下げ続けた。
父親になんとしても可愛がられたい
先妻の息子二人は父親の望む息子を
必死に演じるために男に愛想を振る舞い、
それに全くついていけない僕は
とにかく男から疎ましがられた。
腕っ節の強さだけでヤクザの組長にまで
のし上がった男は著名な実践空手の有段者でもあった。
(当時は全員刺青の男は段を貰えなかったらしく
裏から手を回したらしいが・・)
時代背景が少し遡るが・・
男は僕たち姉弟にも幼少期の頃から
家に居る時は空手の練習を毎日のように強要し、
陰湿な虐待とは別に、幾度となく男に
組み手と称したシゴキを受けていた。
裸足のまま、冬の寒空の下で
何キロも走り込みをさせられ、
打ち付けた杭に荒縄を巻いたモノを一日百回、
正拳突きで打ち続ける稽古を毎日のようにやらされた。
子供である僕のコブシからは皮が剥がれおち
荒縄は血でドス黒く変色した。
ある寒い冬の夕暮れ、当時、小学3年生の僕を
庭に呼び出した男は、河原から持ってきた大きな石を
僕に手渡してこう言った。
「これが手刀で割れるまで家に入るな。」
僕は血が滲み、寒さに悴(かじか)んだ手に
息を吹きかけながら、庭で独り、日が暮れ、
母が迎えに来るまでずっと石に手を打ち続けた。
胴着を着たら親も子もない!と
僕の身体を殴り、蹴る男の顔はいつも
サディスティックに高揚していた。
虐待だけではなく、稽古という名のシゴキも
幼い僕には本当に辛く苦しいモノだった。
話は戻り・・
二人の腹違いの兄が来てからは更に
男のシゴキはエスカレートしていった。
13歳の僕が18歳以上の大人を対象にした
稽古について行けるはずもなく、鼻血を出し、
反吐を吐き・・
「この出来損ないがっ!」とバケツの水を浴びせられ、
蔑(さげす)まれる日々が繰り返された。
「どうか早く死んでください・・」
ただただ・・男の死を願う日々が
永遠とも思えるほどの時間、続いた。
過度のストレスのために僕の髪は
ボロボロと抜け落ち、友人に数えて貰うと、
精神的な過度のストレスによる
円形脱毛症が6つも頭に出来ていた。
つづく
続きは30分後・・