ある晴れた日の朝・・

突然、大勢の警察が家に押し込んできた。


罵声と喧騒と共に子供部屋に男たちが踏み込み、

僕の大事にしている玩具や人形を土足で踏みにじり、

タンスやベッドに至るまで、ぐちゃぐちゃにした。


大切にしていたぬいぐるみの

腹は裂かれ、綿が飛び出した。


やめてっ!やめてよっ!と

泣きじゃくる僕に対して

警察は哀れみの表情を浮かべながら

「ごめんなぁ、これがオジサンたちの仕事やから。」

と小さな子供に声をかけるも、

作業の手を休めることはなかった。



俗に言う「ガサいれ」というものだ。


僕は大勢の見ず知らずの大人たちが

僕の部屋をボロボロにしていくのを、

ただじっと涙を流しながら見つめていた。



母親が警察に激しい剣幕で怒鳴りつける。


警察に連行されていく母親の背中を

僕はただじっと見送った。



母が連行されていく姿を

僕は何度この目で見ただろう。


父も母も・・何度か、数ヶ月、数年と

僕たちの前から姿を消した。


それが逮捕なのか、雲隠れだったのか・・


小さな僕にはわからない。



その間は時折、父親の若い衆が

スーパーの買い物袋を大量に持って現れ、

インスタント食料などを置いていくのだ。



劣悪な生活の中での僕の心の拠り所は

絵を描くことだった。


内向的で大人しく、病弱・・・

僕はそういう子供だった。


幼少期から重度の小児喘息持ちで

よく酸素欠乏症になった。


花火の煙にさえ発作を起こしていた僕は

母から「発作が出たら使いなさい」と

喘息用の吸入器を手渡されていた。


吸入器の多用が心臓に負担をかける事など

知らなかった僕は発作が起こるたびに

吸引機を使用し、突発的な心不全に襲われた。



その都度、

あぁ・・僕はこんなつまらない人生で死ぬのかな・・

どうして僕はこんな家に生まれてきたんだろう・・

もっと生きたい。

もっと幸せな家庭に産まれたかったな・・

学校からの帰り道、胸の苦しみに立つ事も出来ず、

道端にうずくまりながら・・

誰も居ない孤独な夜の闇に独り怯えながら・・

そんな事をよく考えていた。


そんな僕には聞こえないはずの声が聞こえていた。


それは女性のように感じた。

母親にも無い大いなる母性のような・・。

いつも聞こえるわけではないのだが

その声は時に僕を正し、勇気付けてくれた。


僕が神社に強く興味を持ち始めたのもこの時期だ。


「役 小角/えんのおずぬ」という人物を知り

意味も分からぬまま、強い衝動に導かれるように

電車を乗り継いで、一人、金剛山の登頂を目指した。


スピリチュアルだとか、癒しだとか、

そんな言葉はなかった時代だ。


ただ・・神社に着いた時の

何ともいえない包み込まれるような

感覚は今でも強烈に心に残っている。


僕はそこで役 小角に祈った。

「僕は大人になるまで生きていたい」と。


生きる事に対する「執着」は

大人になるにつれて「探求」へと変わった。



この幼少期の経験無くして今の僕はない。



なぜ生きるのか・・


なぜ産まれてきたのか・・・


日々、僕はその事を考えた。



神は乗り越える事の出来ない試練を与えない・・


そんな声が頭の中でぐるぐると回り、


劣悪な環境下に居て僕は

自殺を考えることは殆どなかった。



本当の地獄とは死にたい、死にたいと

嘆く日常ではなく、今日も生きられて良かったと

安堵する生活こそが地獄なのだと。


つづく
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