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捨てて強くなる ―ひらき直りの人生論 (ワニ文庫) 櫻木 健古 ベストセラーズ 1984-01 by G-Tools |
やっぱりこの本をこえる本は見つけられないということで、また再読。84年文庫化のもう忘れられた、古本でも見かけなくなった著者の本である。
開き直って愚かになり、人間の優劣のモノサシをこえるという本だが、ひろさちやくらいしかいまでも読めないかな。
いまの世の中は優秀になることや賢くなること、有名になること、勝つことばかりすすめられて、そういう価値観から自由になる方法をあまり聞くことはない。そういう価値観をセットされると、負けたり、敗者復活ができない人生はミジメだけに染められることになる。その脱出法を、現代は説くことができているかなと疑問である。
この本は突き抜けている。優秀や勝つこと、賢くなること、損得の価値観の狭さを教えて、愚かに落ちることから人間の比較序列の世界から抜け出す。私たちはこういった比較競争を抜け出した人生観をもつことができるだろうか。
自分の自慢話ばかりする人がいる。過去の業績や自分がいかに優れているか説く人がいる。悪気はないのだろうが、自分の価値を証明しないと人から受け入れられない、見捨てられると思っているのだろう。自慢ばかりで相手にされなくなるとまたその自尊心を充足しないといけなくなるから、ますます自慢話に固執することになる。私たちはこのカラクリを突き放して、超越した立場に立てるだろうか。
この本はそのような優秀さや賢さ、自分の価値を証明しなければならないと思い込んでいる人の解毒剤である。無我や無価値に生きることによって、人生のどんな評価や苦しさからも平気になる。愚かになって、開き直ってしまえば、たとえ負けようが、評価が悪かろうが、痛くもかゆくもない。そういう立場になる方法をこの本は説くのである。
仏教の世俗から隠遁する思想もそういう立場をめざしてきたのだと思われる。老子・荘子の立場もこれとひじょうに近いものである。天からながめれば、人間の違いなどドングリの背比べ、羊の顔の違いくらいでしかない。そういった突き放した立場から、人間の比較競争から抜け出す方法がこの本で説かれている。
無我を世間の目でみるとこういう人格になるのかという面が描かれているのだと思う。もう勝ち負けも優劣もこだわらないから、世間からはバカや愚か、人生を棒にふったといわれる人生をおくろうと、もう平気である。なんのこだわりも悲しみもない。世間の必死になる価値や評価にちっともこだわらないから、もうなにをいわれようと、どうバカにされようと、怒ることも悲しむこともない。
無我の一面には感情をもうもたないという面がある。なにかが悲しい、なにかがミジメである、あることがツラいという評価や価値観をもたない。だからもう感情がわきあがることもない。人間の価値評価もない世界に生きるのである。愚かになることは、そういった価値モノサシから抜け出すことである。無我はバカにも通じるのである。
謙遜や自分なんてたいしたことがないという自己卑下はまだ大きな我執がある、と櫻木健古は指摘する。ちっぽけな自我にしがみついて、自分をないものにまったくできていないといわれている。私たちはこの次元にまで「愚か」になれるだろうか。
私たちは社会の評価や基準に自分の価値観を測って、喜んだり、悲しんだり、哀れんだりする一生を送る。その価値観から抜け出せないばかりか、一生、優秀や賢さをめざし、競争し、証明しなければならないという人生を送る人が大半ではないだろうか。
そこから抜け出し、なんのこだわりもなく、勝ち負けも優劣もまったく離れて、愚かに自分をなくして生きることが、私たちはできるだろうか。「人格者」とよばれる人は、自分の優秀さや賢さを誇らない人だったのではないだろうか。ぎゃくにこんにちはそういったことばかり誇ることが人生のめざすべきゴールだと思っている人もたくさんいるのではないだろうか。
愚かになって、だれとも競わず、勝ち負けも誇らず、ただ平気に生きる。平穏や幸福はそういった立場にあるのではないだろうか。
こういったことをいってくれるのは、現代ではひろさちやくらいしかいないのかなあ。バカに開き直った愚か者は、現代ではひそかな賛美が贈られることはないのかな。