冨田恭彦編訳、岩波書店、1988年〔重要な論文を集めたもの〕
【目次】
0.序文(1987?)
1.連帯としての科学(1987)
2.テクストとかたまり(1985)
3.方法を持たないプラグマティズム(1983)
4.哲学史の記述法----四つのジャンル(1984)
5.哲学に対する民主主義の優先(1988)
6.プラグマティズム・デイヴィドソン・真理(1986)
訳者あとがき
《ここに収められた六つの論文のそれぞれのテーマを一括するには、次の二つのテーゼを調停する試みとして、それらを見るのがよいであろう。
(1)真理の試金石は、自由な議論だけである。
(2)自由な議論は合意へと収斂するのではなく、その反対に、新たな語彙を増殖させ、また、<どの語彙を使用すべきか>ということに関する際限のない議論を増殖させる。
これら二つのテーゼは、両立しないように見える。すなわち、<「真理は一つである」(《真理》なるものが外にあって、人間に発見されるのを待っている)。そして、それを発見することによって、探求は終わりとなる>というのがそれである。だが、私見によれば、われわれはこの考えを----<探求の目的は既に存在しているものを発見することである>という考えを----捨てなければならない。そして、そうすることにより、(1)と(2)の間の緊張を除かなければならない。》(v頁)
《これらの論文を貫いている目的は、予定された目標----予め何らかの仕方で設けられた目標----を目指すものとして人間の進歩を見るような見方を、消去することにある。私はそれを、<種の自己創造としての----際限のない自己再定義の過程としての----人間の進歩>という見方に、取り換えたいのである。それゆえ、私は、より一層正確な表象を与えるものとしてではなく、むしろ、より一層有用な道具を与えるものとして科学を描き、人間本性の内に常に存在してきた恒久的で深遠な何かを表現しようとする試みとしてではなく、むしろ人間としてのより一層興味深い在り方を与えてくれるものとして、芸術や政治を描こうとする。私の試みは、<非人間的実在との正しい関係に入ろうとする人間の試みが次第に成功を収める>というイメージを、<人間が次第に複雑なものとなる>というイメージに置き換えようとするものである。この試みは、ジョン・デューイの二つの主張の精神を受け継いでいる。「成長そのものが唯一の道徳的目標である」、「創造は善の主たる道具であり、…芸術は道徳よりも道徳的である」というのがそれである。》(viii-ix頁)
"The Priority of Democracy to Philosophy," Merill Peterson and Robert Vaughan, eds., The Virginia Statute of Religious Freedom, Cambridge University Press, 1988. [reprinted in Alan Malachowski, ed., Reading Rorty: Critical Responses to Philosophy and the Mirror of Nature (and Beyond), Blackwell, 1990.]