その矢先、私たちは被災した。
車が信号待ちをしていると揺れを感じた。車の中にいると、外にいるよりも振動は小さく感じるものだが、それでも「あれ? 地震? 結構揺れているよね?」と話した。
そのうち周辺の建物から人が飛び出してきて、道路にしゃがみ込む人などが見てとれた。「うわ、結構大きいのかも」と二人で言い合ったが、それがまさかあのような大震災になっているとはこの時は思ってもみなかった。
信号が変わり、車が動き出したので、私たちも何事もなかったかのようにそのまま市役所に向かった。
市役所につくと、まず自宅に電話を入れ、家族の安全を確認した。車の中にいた私は、東京も震度5強という強い揺れだったようだが実感がなかった。母の「怖かったわ」という話を聞き、「そうか、そんなに揺れたのか」と思ったくらいであった。
市役所でも地震の動揺はあったようだが通常通り業務が行われていた。そこで私たちはすぐに生活保護の申請窓口に向かったが、ここで大きな壁にぶつかった。
まず、Kさんは自分の身元を証明するものを何も持っていなかった。そこで私たちは経緯をありのままに話し、身元の照会はさっきまでいた警察署に連絡をとってほしいと頼んだ。
すると話を聞いた窓口の担当者は「暴力団員には生活保護は出せませんので」ということで申請手続きを早々に打ち切ろうとした。私はそこで「いえ、暴力団員ではなく『元』暴力団員です」と、小さく身を縮めているKさんに代わり説明をした。
「私は、警察から頼まれてここまできました。ここまでもここからの交通費もこちら持ちです。これ以上身銭を切って支援をすることは、私個人としても回復施設としてもできません。ここで生活保護を断られたら、Kさんはどうやって生きていけば良いですか? またどこかの組員に戻れとでもおっしゃいますか?」と食い下がった。
しかし生活保護の担当者は意地でも申請は拒否するという姿勢で態度を変えなかった。