早いもので東日本大震災から、今年で10年を迎える。
あの日の出来事は直接震災を経験した東日本の人だけでなく、多くの人々の胸に深く刻まれていることと思うが、私自身も忘れられぬ経験をした。
10年の節目に振り返ってみたいと思う。
この経験を書き記すことで震災ではこんなことも起こりうるのだということ、また依存症問題でこのような経緯をたどることがあるのだということを知っていただければと思う。
それは関西にある依存症回復施設の依頼から始まった。
私は、依存症者を持つご家族や、依存症者の支援に関わる援助職の方の依頼で、依存症の当事者の介入や、依存症回復施設への繋ぎ役をすることがある。
しかしこの依頼は、それまで経験したことのない、また、依存症支援に関わるようになって11年間でもこの1度きりしかない珍しい経験となった。
依頼の内容は、某県の警察署より回復施設に連絡があり、「薬物の自己使用を禁じている組の暴力団員が覚醒剤を使用してしまった。そのことが組にバレてリンチされ半死半生の重傷を負った。その後、組の人間により、ある総合病院の前に置き去りにされ行き倒れになっていた。病院としても見るに見かねて入院させ傷の手当てをしたが、財布も携帯も何ももっておらず警察に連絡がきた。警察署としてもここに泊めておくわけにはいかないので回復施設で引きとってもらえないか」というものだった。
その場で逮捕とならなかったので、おそらく違法薬物の使用が検査で出なかったものと思われる。
日本の警察署の対応は全国でまちまちなのだが、時々このように依存症に理解のある警察署があり、薬物に限らず、アルコールやギャンブルの問題でも回復施設に繋げてくれたり、捕まった当事者のご家族に「依存症だと思うから、家族会に行った方が良い」と勧めてくれる場合がまれにある。我々としてはこういった対応が全国の警察で徹底されることを望んでいる。
この警察の依頼を受けた回復施設から、今度は私の方へ「東京から比較的近いので、迎えに行ってほしい」と連絡があり、私が引き取りに行き関西まで送ることになったのである。