元福岡市長、元衆院議員山崎広太郎氏が死去

 元衆院議員で福岡市長を2期務めた山崎広太郎(やまさき・ひろたろう)氏が11日午前0時41分、脳内出血のため、福岡市内の病院で死去した。79歳。福岡市出身。自宅は福岡市南区長住。葬儀・告別式は13日午前10時半から福岡市中央区平和3の1の5、福岡草苑で。喪主は妻美知子(みちこ)さん。

 九州大法学部を卒業後、1971年から福岡市議を5期。85年から90年までは議長を務めた。91年の福岡県知事選で落選後、93年の衆院選に日本新党から旧福岡1区に立候補し、全国最多得票で初当選。小選挙区制で初めて行われた96年衆院選で新進党から福岡2区に立候補したが落選した。

 98年、「開発行政からの転換」などを掲げて福岡市長に初当選。東区のアイランドシティ(IC)建設など10事業を点検・見直しの対象としたが、ICなど3事業は当初の計画通りに推進した。「地域自治の確立」や「アジアと共生する都市づくり」を唱え、行財政改革に取り組んだ。

 2005年には16年夏季五輪の福岡誘致を表明。06年8月の国内候補都市選考で、一騎打ちとなった東京都に敗れた。3選を目指した同11月の市長選では、五輪招致失敗などの批判を受けて落選。その後は環境保護活動の支援などに取り組んだ。

 市長時代、福岡市と韓国・釜山との交流拡大に尽力したとして、両市が姉妹都市締結した07年、釜山市名誉市民証を福岡市民で初めて贈られた。12年には旭日重光章を受章した。(塩入雄一郎)

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