玉名・山鹿・菊池の神々 2012年2月5日 百嶋由一郎先生講演
私は昭和2年生まれ、熊本県玉名郡小田村出身です。まず最初に、熊本龍田山第五高等学校から、奈良県の龍田山までを阿蘇火山帯と申します。阿蘇火山帯です。こちら(奈良)にももちろん、こっち(熊本)と同じ神様がいらっしゃいます。阿蘇家の神様がいらっしゃいます。この人が風神、雷神の風神のほうです。そして別のお名前は、海幸彦です。とにかく、龍田山から龍田山までを阿蘇火山帯と申しまして、世界でも息の長い火山帯の一つです。
大正の末に、その頃、汽車が山鹿から植木まで走ってました。鹿本鉄道です。これより更に10年さかのぼると八千代座が作られました。これらは、山鹿の資本家達がお金を出しあって作ったものです。更にさかのぼって、明治の10年前後、明治維新という大事業が日本で実現したあと、日本各地のあっちこっちに町とか村とかができました。ここでは山鹿という町ができたのですが、山鹿の町は誠に変わった町で、普通だったら、山鹿町長というのが普通の呼び方ですが、山鹿だけは変わっておりまして、共和国制をしいたんです。従って、町長と呼ばないで、山鹿町初代人民代表と申しておりました。誰が初代の代表かというと大森惣作です。人民代表ですよ、こういう変わった政治をとったのが山鹿町だったんです。
もう一度、順番を逆にして申しますと、明治の初めに山鹿町ができた。初代の人民代表は大森惣作であった。それから明治の末になって八千代座ができた。そして、大正の末になって鹿本鉄道ができた。そして昭和14年に山鹿でもよその町に負けまいとして頑張って、江上百貨店ができました。鉄道は、割と長続きしましたが、江上百貨店は早々に消えました。時代が悪かったですね。戦争に突入したからです。
よへほ、よへほの踊りが何でよへほの踊りが長続きしているか、あの人が大変みんなにもてはやされて、もててらっしゃる。あの人とは誰でしょうか?通称、景行天皇です。景行天皇は本当天皇ではありません。贈景行天皇です。本当の天皇ではありません。その贈景行天皇の本当のお父様が、このかた、贈孝安天皇です。そして、熊本玉名にある疋野神社、肥後延喜式内社の一つです。御祭神は未だに秘密になっています。ここでばらします。そのお方は大足彦オオタラシヒコ(景行天皇)、よへほ、よへほの本当のお父さん、即ち、孝安天皇です。熊本玉名疋野神社、縣社です、元は延喜式内社です。どうどうたるお宮です。そのかたがなんで大変もてるという福をその息子にまでお渡しになったかというと、この方(孝安天皇)は九州王朝特務機関長だったんです。スパイの総大将だったんです。そしてまた、ここでオート思われることが出てきます。九州王朝特務機関長、疋野神社様、別の名前はたくさんありすぎますので省略して、疋野神社様はヒミコ宗女イヨと本当の兄妹だったんです。ところが、母親は一緒ですが、父親は違います。この人(孝安天皇)の父親は海幸彦です。そしてこちら(ヒミコ宗女イヨ)のお父上は山幸彦です。
海幸・山幸。この二人は最初は調子良かったけれど、最後はもう大喧嘩です。これはですね、いかなる偉い人であっても、出世しすぎたら周囲のものが喧嘩おっぱじめてしまうのです。あのエジプトを連想なされたらいいです。エジプト・エジプト、誰と誰とが喧嘩しているのかさっぱりわからないでしょう。ああなるんです。
疋野神社さんは専門的になると難しくなりますので、一つだけ申し上げます。疋野神社さんの最初の紋章は、阿蘇家の紋章(鷹羽紋)だったんです。菊池といっても良いし、阿蘇の紋章といってもよい、この紋章だったんです。だったんですが、途中でですね、同族であっても都合が悪い、同じ紋章ではまずいという時代が出てきた場合、この方の場合に限っては、橘の紋章にお変えになっています。
この橘の紋章の裏にはスターがごろごろいます。コノハナサクヤ姫の最初の旦那さんはニニギです。此花咲くや姫の2番目の旦那さんは、下鴨大社さんです。今は、京都の下鴨にいらっしゃいますが、故郷は福岡です。
そして今度は、この紋章も変えなければならないという時期もくるのですが、これはややこしくなるので、今はお話しません。
そして、この紋章は、いまだに、内緒で二つならべたこのお宮さんがですね、福岡市の隣に糸島市というのがあります。そこに二つ、神社と神社を別けてですね、旦那と后、ともかく、別々のお宮に鎮座しておられます。そしてこの橘をおいてらっしゃるのはこっちの後でできた旦那の方です。そして、鍵をかけてあります。鍵をかけて煤だらけになっているのを一生懸命、見ましたが、片方の后の方にはこれ(鷹の羽紋)が未だに残っています。そして、こっちには誰がここにいちいち世話焼きに来ているかというと、奈良春日大社から、世話焼きにきています。そういうからくりがありまして、とにかくですね、紋章も変化する。何何も変化する。同族であっても、何年か経ったら、身内も他人になるというわかりきった話をいたしました。
古い古い歴史を有するお宮さん、菊池川流域を連想してください。金金賛(かなさ)大神このかたのことを意味しています。菊池川の水源、阿蘇外輪山ですね、そして菊池川の終点は目の前に雲仙嶽の見える場所、玉名市大浜です。その間における一番古いお宮さんというのは、来民地方にある円天角地に十字剣の紋章の神社さんが、最も古い歴史をもったこの地区に鎮座しているお宮さんです。この紋章はどこから持ってきた紋章かというと地中海から持ってきた紋章です。民族的にはヘブライ人です。ヘブライであっても、最も格式の高いイスラエル人です。イスラエル人の家来がユダヤ人です。ごっちゃまぜになさるでしょう、イスラエルとユダヤ、全く違います、元々は。ともかく、一番格式の高いのはモーゼ、それを連想なさったら、それに縁のある人はイスラエル人です、それが一番格式が高い。それに次のがユダヤ人です。ユダヤ12部族といいますね。いくつもの部族が存在した。それが、日本にごっそり着たというわけではありませんが、たくさんやってきております。ついでヘブライのことをもう少しお話しておきます。ヘブライ人が最初に日本に到達したのは5000年昔とお考え下さい。これはヘブライ人と言ってましたが別の表現がございます。それはですね、皆様もご存知と思いますが、ついこないだまで、お祭りの夜店に行かれましたら神農様の御札を置いていました。私は神農様の農場まで行ってきました。場所は天山山脈です。天山山脈のもうそこはパキスタンだよというところです。この方が、ある時期のヘブライの頭領として金金賛(かなさ)大神がおられます。ある時期という意味は、この方の場合新しいほうの渡来人であって、アレキサンダー大王に追われて逃げてこられた、現在から2300何年か前を年表でご覧になってください、アレキサンダー大王のことが書いてあります。アレキサンダー大王に追われて逃げてこられたかたの内に、また、この方々がでてきます。『氵嬴』、日本発音“えい”ですね、音は“いん”です。そして、これはからくりがありまして、これ《氵(さんずい)》を消しますと、秦の始皇帝の苗字『嬴』になります。ところでこの方は、中国に逃げてこられた時に秦の始皇帝と縁組をなさっています。天下の名門、秦の始皇帝以上の天下の名門、モーゼを思い出してください。ともかくモーゼというのは、紀元前においては天下のモーゼだったんです。あの始皇帝がモーゼの系統と縁組をやっているのです。そして自分の苗字である『嬴(いん)』を縁組をした彼等に与えているのです。そしてこの人たちは海を渡りましたから《氵(さんずい)》がついているのです。これ以上、『氵嬴イン』について述べますと時間がかかるので、ここでストップします。
相良観音におまいりされた方はいらっしゃいますか?さっきの『氵嬴イン』の頭領の金山彦、ここでは金金賛(かなさ)大神、この人の本当のご職業は、九州王朝第1期親衛隊長でした。最初の九州王朝はこのヘブライ人によって守られていました。どこに住んでいたかというと福岡市の隣の糸島市にソネ丘陵地があります。ともかく、昔も今も住むのには一等地です。いかなる洪水が押し寄せてもへっちゃらです。それからといって下に近いのですよ。まさに、殿様御殿。ここに住んで居られたアマテラスオオミカミ及び神武天皇のお姉弟を守っておられた九州王朝親衛隊長だったんです。それがある程度の年齢になってから、嫁さんをもらって、どこで誰が生まれたかを申し上げます。この金金賛大神ですよ、この土地では金山彦になっています。紋章はこれ“円天角地に十字剣”ですよ。相良観音、当時は相良観音はありませんよ。相良の土地でアイラツ姫をお生みになりました。そして今度はお后が変わりまして、おんなじ近くの、清浦圭吾が生まれたうちの近くに、これ“円天角地に十字剣”が残っていまして、ここではクシナダ姫をお生みになりました。この金金賛大神の下にアイラツ姫がのっています。右下にクシナダ姫がのっています。現地をわざわざ訪問なされなくとも、地図をご覧になれば現在も稲田村が印刷されています。そして、稲田村のそばには、皆さんも全く気づかなかったよととおっしゃる宮地嶽教団がございます。ご覧になったことがありますか?近くにありながら皆さん全くご存じない。宮地嶽というのは日本最大の秘密のお宮さんです。日本最高の格式のお宮さんでありながら、蓋をされたお宮さんです。九州全土をお回りになったら、あっちにこっちに宮地嶽神社、宮地嶽神社ってのがあります。しかも、高いところにあります。それなのに秘密になっています。そういう独特の天皇をお祭りした神社です。天皇のお名前で申しますと開化天皇です。この開化天皇が宮地嶽神社の本当の神様です。ところが福岡の宮地嶽神社は現在それを隠しております。それはどうしてそうなったかというと、神社庁自体が、神社庁の内部が喧嘩しているのです。神社庁の、そこに勤めている連中同士が喧嘩しあいまして、全く、意見が対立して合わないのですよ。要するに、ヘブライ人系の神主と中国人系の神主、全く話が合いませんよ。それで、今は、開化天皇を消す方向の勢力が強いのです。福岡県の宮地嶽神社、場所は福岡県福津市。そこにあって、今は開化天皇は蓋されております。ところがですよ、面白いことに、同じ宮地嶽さんが、♪西に来たかとかもめが飛べば・・・♪の北海道江刺市の宮地嶽神社では嘘でなくて、昔の開化天皇を堂々と出しているのです。
同じような例ですが、阿蘇家がヘブライ系の子孫であるということも、頭かくして尻隠さずで、人吉の青井阿蘇神社では、ダビデの星をちゃーんと出しておられます。よーく探されると見つけることができます。
阿蘇家は、わざわざ、阿蘇家の初代である人物を祀った、貴船神社、京都貴船神社。そこでは宮司自体が朝鮮系なんです。高井さんというひとがこれはもう悪質なほうで有名です。とにかくこの方が自分が高句麗系なもんだから、高句麗にとって都合の良いように神様を操るのです。それで他の方と喧嘩になるのです。それで、上鴨神社と下鴨神社は年から年中喧嘩していますよ。上鴨の方が押さえないといけないのに高句麗系の宮司を抑えきれないで野放し状態になっているのです。いずれ、高井宮司もこれ(首)になる日が来ると思います。約10年前と申し上げておきます、上鴨の宮司、武内さんは、さっき申し上げたむちゃくちゃの貴船の宮司の派閥と正統派の宮司の派閥の板ばさみになりました。それでついつい、いままで上鴨がやっていた習慣を神社庁がだめといったにも関わらずついついやってしまいました。それで、武内さんは首となりました。こういう風にして、神社世界では、全く民族の違う宮司が、相争って喧嘩している、これが神社の正体です。
歴史的な面において、特大な価値を有する古いお宮さん。それから、お宮が大きくても新しくてもそんなことは関係ない謎に包まれたお宮さん。そして、自分は天皇の先祖だと皇太祖争いをやっているお宮さん、自分は天皇の先祖だと盛んにほらを吹く、悪質な人がいっぱいいます。その悪質な人の筆頭が八幡さんです。そしてついでに、幣立大神宮、阿蘇蘇陽町、益城地方に津森大神宮、それから、宇土の方にいくと西岡神宮、西岡は誠に正体不明ですけれども、津森のほうはある程度推察ができます。これも、右から左から、下克上合戦にあって、ひどい目にあって、津森神宮の本来の姿はなくなっています。しかし、津森さん本人はちゃんと益城町から抜け出して、今はどこにいらっしゃるかというと、大阪住吉大社にいらっしゃいます。大阪住吉大社の宮司津森です。この津森ともう一つ同じ系統の宮司に小野というのがいます。この小野でピンとこられないかたは、最も近い例を申します。南関の近くに、三加和町、今は、なごみ町となっていますが、そこに田中城というのがあって、肥後国衆一揆の時に結論は秀吉に負けてしまいましたが、最後まで頑張ったのが、和邇(先生は思い出せないので、補注)、現在その子孫は小野と名のって柳川に住んでいます。この方達は源平合戦以前から、八女の黒木城に仕えていたのです。その関係で、小野と名乗りながら、この方達は黒木の紋章、亀甲の紋章を使っています。そして、何々天皇のもとに自分の美人の娘を差し出して、胤(たね)をもらうのです。そして小野の苗字も許されるのです。それが柳川の小野の正体です。天胤系小野といいます。それと、天胤系津森もいる訳です。この、二つの系統が5000年昔のヘブライ系の代表的日本人としてとても有名です。そして、さっき申し上げた同じヘブライでも、アレキサンダーに追われてやってきたヘブライを新ヘブライと申します。これはこの付近でやめておきます。
歴史的に特大の価値を有する古いお宮さん、この代表を二つ申し上げます。一つはやさしいほうから申し上げます。さっき申し上げましたヒミコ宗女イヨのお兄さん、疋野神社さんです。玉名の立願寺にございます。延喜式内社です。ヒミコ宗女イヨの本当のお兄さんです。そしてこの御兄妹は、三重県の津市にヤタノカラスゆかりの古い古い神社がございます。そのヤタノカラスが気を利かせて、お前達がここを使いなさいといって、この人(疋野神社の神、贈孝安天皇)とヒミコ宗女イヨを祭神として鎮座させています。これはヤタノカラスの計らいです。ヤタノカラスはどこの出身か、これはわかりきったこと博多の出身です。那の国の王子です。そして当時の那の国の王子はどのような立場におられたかということを一言申し上げます。まずですね、隈、隈、隈、隈が全国にございまして、隈発祥の地は熊本です。で、あるにもかかわらず、発祥の地、熊本には隈はほとんど残っておりません。どこに残っているか、隈のほとんどは福岡に残っています。そして、吉野ヶ里に残っています。その代表的な隈元を申し上げます。福岡大学の近くに、七隈というとても大きな隈が今もあります。この七隈に隈元池があります。そして、隈元池に添える池、隈添池があります。これはまさに熊本にはないけれども、熊本の人が移動した、移動の先にはそっくりまだ隈元が残っているのだという見本です。従って、ここにいきますと、ちょっと変わった伝説が、隈元と関係の深い伝説が残っているのです。それもですね、遠回りしてきた伝説です。まず、熊本から出世して、九州王朝に呼ばれて、九州王朝にお仕えする立場になった、そして、あっちに派遣され、こっちに派遣されして、日本全土に隈元が広がりました。その代表が、阿武隈川、阿武隈山脈にそって、流れている阿武隈川、これは隈ですよ。そして、そこの調査をやりまして、あの地区の隈、隈、隈とやり取りして、“はーやっぱり熊本と関係ある”ことをつかみました。そして、現在、隈はどこにのこっているか、最も多く残しているのは福岡県です、そして佐賀県です。肝心要の熊本県にはほんの僅かしか残っていない。隈元の跡地は千葉城とか言っている、今は、熊本といってますが、これは加藤清正がこっちのほうが勇ましいといって勝手に変えたんです。馬鹿みたいでしょう。
それから、古い古い歴史的大きな価値を持つお宮さん、もう一つは、菊池川を下って下って終点まで下られますと、玉名市大浜、目の前は雲仙岳です。そこに住吉宮があります。ここで住吉について申し上げます。これを知っとかれたら役に立ちますよ。今からここに記すことを頭に描かれますと、“なーんだ、九州王朝と宮崎がほら吹く神話は一緒にあったんじゃないか”ということに気が疲れます。そしてその終点として、生目神社、生目神社のからくりについては今日申し上げる時間があるかどうかは判りませんが、結論はお話しするつもりです。これはですね、壮大なごまかしなんです。ごまかしの源は日本ではございません。ごまかしの源は金海(キメ)です。この場所を地図でご覧になったことがありますか?釜山の左となりです。ここにですね、日本を支配した基地があったんです。ここに支配されて、日本にやってきた連中、どのような連中がいるかというと、大国主命のご先祖達、それから、天孫ニニギのミコトなんて大きなほらを吹いているニニギの先祖達、こういう人たちがですねここから派遣されて日本にやってきているんです。その一つをお見せします。「向倭穂日子」これはニニギのミコトの別称です。ニニギのミコトの故郷は大邱(てぐ)です、大邱のうちのコリョン(高霊)です。ここはニニギの故郷です。なんと厚かましく、ここは日本の髙天が原と堂々と書いてあります。
住吉大神というのは、宮崎の神話=嘘神話ではどうなっているかというと、天照大神、天忍穂耳尊、天孫ニニギの尊、彦ホホデミの尊、そして、ウガヤフキアエズの尊、年齢は無茶苦茶でこれは神話ですから、上がったり下がったりしながら、天照大神の子供という名目上の古事記、古事記はほとんどいんちきとお考えになったほうがいい、古事記に記されています。そして、ウガヤがですね、本当の天皇家である九州王朝の正統、オオヤマトネコ(孝霊天皇)の系統である開化天皇に三種の神器を返納もうしあげるのです。そしてまた、喧嘩はおっぱじまりますが、九州王朝の方に一応、三種の神器は戻ったということになるのです。この時、三種の神器の本当の玉はどこに戻されたかというと、その場所は久留米の高良大社です。そして、こっちは(ウガヤの方)は引退ですね。ここで、今度は阿蘇家のごまかしが始まるのです。もう、阿蘇家のいんちきのやりっぱなし、下克上ですよ。もう勝手に、特に、藤原になってから、も
私は昭和2年生まれ、熊本県玉名郡小田村出身です。まず最初に、
大正の末に、その頃、汽車が山鹿から植木まで走ってました。鹿本
もう一度、順番を逆にして申しますと、明治の初めに山鹿町ができ
よへほ、よへほの踊りが何でよへほの踊りが長続きしているか、あ
海幸・山幸。この二人は最初は調子良かったけれど、最後はもう大
疋野神社さんは専門的になると難しくなりますので、一つだけ申し
この橘の紋章の裏にはスターがごろごろいます。コノハナサクヤ姫
そして今度は、この紋章も変えなければならないという時期もくる
そして、この紋章は、いまだに、内緒で二つならべたこのお宮さん
古い古い歴史を有するお宮さん、菊池川流域を連想してください。
相良観音におまいりされた方はいらっしゃいますか?さっきの『氵
同じような例ですが、阿蘇家がヘブライ系の子孫であるということ
阿蘇家は、わざわざ、阿蘇家の初代である人物を祀った、貴船神社
歴史的な面において、特大な価値を有する古いお宮さん。それから
歴史的に特大の価値を有する古いお宮さん、この代表を二つ申し上
それから、古い古い歴史的大きな価値を持つお宮さん、もう一つは
住吉大神というのは、宮崎の神話=嘘神話ではどうなっているかと