自動翻訳機待ちで良いと思う。
仕事は機械翻訳任せになると思う。
趣味で英語を覚える文化は残るだろうけれど。
I think it may be the automatic translation machine waiting.
I think the work will leave machine translation.
But would culture to learn English will remain a hobby.
私はそれは自動翻訳機待ちかもしれないと思います。
私は仕事が機械翻訳を残すと思います。
しかし、文化が学ぶためになる英語は趣味のままになります。
機械翻訳された一行目の英文の意味は、「私は、それは待っている(待機状態の?)自動翻訳機かもしれないとおもいます」ですが、その英文を日本語に訳し返すと、原文に近くなります。
> ⑥ between twenty and thirty men each day ②と⑥は、きわめて誇大な数字であり、自己矛盾(self-contradiction)の関係にある。「20万人の慰安婦」(②)が「毎日20人~30人の男性を相手にした」(⑥)とすれば、日本軍は毎日400万回~600万回の性的奉仕を調達したことになる。
「20万人の慰安婦」というのは多すぎますが、これは特定の時点の慰安婦数でなく、1932年の上海事変から1945年の終戦までの期間における慰安婦の総数です。慰安婦の交代がありましたから、特定の時点の慰安婦数はこれ以下です。「20万人の慰安婦」と「毎日20人~30人の男性を相手にした」には問題がありますが、この反論はそれ以下の単純な誤りです
> 他方、1943年の日本陸軍のoverseas兵力(strength)は約100万であった。教科書に従えば、彼らは全員が「毎日、4回~6回」慰安所にかよったことになる。戦闘する暇も、まともに生活する暇さえもなくなる。
秦先生ですら、日本陸軍の平均兵力を1993年の推計では300万人、そして1999年には250万人としています。100万の兵力で210万人が戦死するわけはありません。そして、南方の島では、米軍の反攻があるまで戦闘はありませんでした。そして、それぞれの地域における戦闘は短期間でおわりました。マイケル・ヨン氏も同じような、誤った議論をしています。
> ③ age fourteen to twenty 1945年フィリピンで米軍の捕虜になった慰安婦20人(日本人11,朝鮮人6,台湾人3)の調査カードによると、うち19人が20歳以上である。(US National Archives, RG 389-PMG)。 twenty は twenties と修正すべきである。
一例を持って、全体のことはいえません。アジア女性基金のサイトにある、日本軍軍医による慰安婦の「検微報告書」には15・16才の少女も記載されています。東大・京大の関係者を含む19人の「歴史学者」が、慰安婦問題に関し発言しようとおもえば、アジア女性基金のサイトの資料ぐらい読んでおくべきです。
> ⑤ majority of the women came from Korea and China 秦の推計では、全慰安婦数は約2万人で、そのうち最も多数を占めるのは日本人の約8000人、朝鮮人はその半数の約4000人、Chinese and others は約8000人であった。
秦先生の1993年の推計では9万人、それが1999年には2万人になりました。いずれにしろ、根拠を示すべきです。
(つづく)
> ⑥ between twenty and thirty men each day ②と⑥は、きわめて誇大な数字であり、自己矛盾(self-contradiction)の関係にある。「20万人の慰安婦」(②)が「毎日20人~30人の男性を相手にした」(⑥)とすれば、日本軍は毎日400万回~600万回の性的奉仕を調達したことになる。
「20万人の慰安婦」というのは多すぎますが、これは特定の時点の慰安婦数でなく、1932年の上海事変から1945年の終戦までの期間における慰安婦の総数です。慰安婦の交代がありましたから、特定の時点の慰安婦数はこれ以下です。「20万人の慰安婦」と「毎日20人~30人の男性を相手にした」には問題がありますが、この反論はそれ以下の単純な誤りです
> 他方、1943年の日本陸軍のoverseas兵力(strength)は約100万であった。教科書に従えば、彼らは全員が「毎日、4回~6回」慰安所にかよったことになる。戦闘する暇も、まともに生活する暇さえもなくなる。
秦先生ですら、日本陸軍の平均兵力を1993年の推計では300万人、そして1999年には250万人としています。100万の兵力で210万人が戦死するわけはありません。そして、南方の島では、米軍の反攻があるまで戦闘はありませんでした。そして、それぞれの地域における戦闘は短期間でおわりました。マイケル・ヨン氏も同じような、誤った議論をしています。
(つづく)
> ③ age fourteen to twenty 1945年フィリピンで米軍の捕虜になった慰安婦20人(日本人11,朝鮮人6,台湾人3)の調査カードによると、うち19人が20歳以上である。(US National Archives, RG 389-PMG)。 twenty は twenties と修正すべきである。
一例を持って、全体のことはいえません。アジア女性基金のサイトにある、日本軍軍医による慰安婦の「検微報告書」には15・16才の少女も記載されています。「歴史学者」が、慰安婦問題に関し発言しようとおもえば、アジア女性基金のサイトの資料ぐらい読んでおくべきです。
> ⑤ majority of the women came from Korea and China 秦の推計では、全慰安婦数は約2万人で、そのうち最も多数を占めるのは日本人の約8000人、朝鮮人はその半数の約4000人、Chinese and others は約8000人であった。
秦先生の1993年の推計では9万人、それが1999年には2万人になりました。秦先生は、2万人説の根拠として慰安婦と兵士の比率を、日本における公娼と客の数をもとにしていたと思いますが、既婚者や若者が借り座敷にいくことは少なかったとおもいます。
(つづく)
> ⑥ between twenty and thirty men each day ②と⑥は、きわめて誇大な数字であり、自己矛盾(self-contradiction)の関係にある。「20万人の慰安婦」(②)が「毎日20人~30人の男性を相手にした」(⑥)とすれば、日本軍は毎日400万回~600万回の性的奉仕を調達したことになる。
「20万人の慰安婦」というのは多すぎますが、これは特定の時点の慰安婦数でなく、1932年の上海事変から1945年の終戦までの期間における慰安婦の総数です。慰安婦の交代がありましたから、特定の時点の慰安婦数はこれ以下です。「20万人の慰安婦」と「毎日20人~30人の男性を相手にした」には問題がありますが、この反論はそれ以下の単純な誤りです
> 他方、1943年の日本陸軍のoverseas兵力(strength)は約100万であった。教科書に従えば、彼らは全員が「毎日、4回~6回」慰安所にかよったことになる。戦闘する暇も、まともに生活する暇さえもなくなる。
秦先生ですら、日本陸軍の平均兵力を1993年の推計では300万人、そして1999年には250万人としています。100万の兵力で210万人が戦死するわけはありません。そして、南方の島では、米軍の反攻があるまで戦闘はありませんでした。そして、それぞれの地域における戦闘は短期間でおわりました。マイケル・ヨン氏も同じような、誤った議論をしています。
> ③ age fourteen to twenty 1945年フィリピンで米軍の捕虜になった慰安婦20人(日本人11,朝鮮人6,台湾人3)の調査カードによると、うち19人が20歳以上である。(US National Archives, RG 389-PMG)。 twenty は twenties と修正すべきである。
一例を持って、全体のことはいえません。アジア女性基金のサイトにある、日本軍軍医による慰安婦の「検微報告書」には15・16才の少女も記載されています。東大・京大の関係者を含む19人の「歴史学者」が、慰安婦問題に関し発言しようとおもえば、アジア女性基金のサイトの資料ぐらい読んでおくべきです。
> ⑤ majority of the women came from Korea and China 秦の推計では、全慰安婦数は約2万人で、そのうち最も多数を占めるのは日本人の約8000人、朝鮮人はその半数の約4000人、Chinese and others は約8000人であった。
秦先生の1993年の推計では9万人、それが1999年には2万人になりました。いずれにしろ、根拠を示すべきです。
(つづく)
2015年05月13日 03:15
>>>> 慰安婦の大多数は日本人だったことは顕なのにです。 >>>信頼できる資料がありましたら、ご教示ください。 >>。私の記憶が確かなら、あんた、同じこと書いて、他の誰だったかに怒られてたろ。その時、資料は、「慰安婦と戦場の性 (新潮選書) 秦 郁彦 」ですって、言われて、もう二度と、資料を出せとか言うなよって、きつく言われてたじゃないの。 > 民族別の割合については、数多く資料をあたった学者や公的機関の見解しか、頼れるものはないということだ。ちなみにそれを言ってる学者の一人、秦氏は、ざっと日本人、現地人、朝鮮人、台湾人、オランダ人の順だとしている。 > TM氏は何に反論して、何を主張するつもりでいるのだろう。 アジア女性基金のサイトや秦先生の講演録にも、「慰安婦の大多数は日本人だった」とは書いないということ。そして、アジア女性基金のサイトには、「(慰安婦の民族別の割合についての)総括的な統計資料は存在しません」と書いてあること。 そらから、秦先生を含む19人の日本人「歴史学者」がマクグロー社に送った「勧告文」について指摘したように、秦先生の主張にはあまりにも初歩的な誤りが多いことです。秦先生は、講演録で「日本人元慰安婦で名乗り出た人は一人もいないと」いっていますが、これも誤りです。 秦先生を含む19人の日本人「歴史学者」がマクグロー社に送った「勧告文」には、いくつかの初歩的な誤りがあります。それから、秦先生は「昭和期の日本軍のように、セックスサービス専門の女性を大量に戦場へ連行した例は近代戦史では他にない。その7~8割は強制連行に近い形で徴集された朝鮮出身の女性」 などと、それこそ「荒唐無稽」なことを書かれていたことです。これは、「数多く資料にあたった学者」の見解であったのしょうか?
2015年05月12日 16:10
> 資料どぞ。歴史認識を巡る論争: 慰安婦問題と南京事件 by秦 郁 彦 この講演の筆記録をざっと読み、秦先生もテキサス親父並のいいかげんなことを言う人だということがわかりました。 > 吉見さん達をひっくるめて多くの人は「強制連行があった」と思い込んでいたのです。ところがいくら調べてもその証拠が出て来ない。おまけに唯一の証拠と思われた吉田清治の著書というのは、フィクションであるということが判明してきたので強制連行はどうやらなかったらしいとわかってくる. 強制連行はインドネシア、フィリピン、中国でありました。 > 「日本人捕虜訊問報告第49号」というのがあります。《欲しい物品を購入するお金はたっぷりもらっていたので、彼女達の暮らし向きはよかった。》 『多くの「楼主」は、食 料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った。』とも書いてあります。 > 《ビルマ方面司令官よりたくさん収入があった》とも書いてある このようなことは書いてありません。さらに、東京では1941年12月を100とした物価指数は、1944年6月には121に達し、同じ頃、ラングーンでの物価指数は3635に達していました。この差は、3615/121=29.9ですから、軍票による慰安婦の収入750円は、正規の日本円では25円です。 昔の米国の日系移民はドルのことを円と呼んでいました。その例にならうと、米国人の平均年収は5万円だが、日本人の平均年収入は500万円で、日本人の年収は米国人の100倍だというようなものです。 > それから人種別というか、民族別の割合ですが、私は4:3:2:1 と申しています。4 は日 本人。3 は現地の人、例えばフィリピンならフィリピン人ですね。2が朝鮮人。1はその他です。 これらの数字の根拠は示されていません。
2015年05月12日 10:56
> IWGが7年間の時間と3000万ドルの費用をかけて膨大な米国公文書を調査した結果がそれを物語っている。 産経の古森記者やマイケル・ヨン氏のいいかげん、つまり嘘を含んだ、記事をよまれたのだとおもいます。 次のページからIWGのいくつかの報告書がダウンロードできますので是非読んでください。 http://www.archives.gov/iwg/japanese-war-crimes/
2015年05月12日 09:44
> アジア女性基金サイトの結論としては、朝鮮人慰安婦は多かったが、絶対的多数ではない。日本人慰安婦も多かった。 (返答は上記) >50万減った理由は、南方配置してすぐ玉砕した部隊も多いから、250万としている 秦先生は、今は100万としています。 > 20万かそれ以上という数字が多いのは、アジア女性基金サイトにもあるが、『勝手にならべた数字』に、学者が引きずられた結果だろう。 慰安婦数20万人説は、だれが言い出して、それがどのような経路で伝わったかわかっています。
2015年05月12日 09:34
> もっとも、吉見義明氏でさえ、ぶれぶれにぶれているので、何をもって信頼できるというのか。 現在の学界の定説は、正しい推計はできないが、数万であろうというものです。 吉見先生は、兵員一人に対する慰安婦数と交代率を変えた場合の慰安婦数を示しているだけです。100人の兵士に一人の慰安婦という特定の地域の日本軍の資料はあります。そして、交代率を1.5とすると、慰安婦数は4.5万人なります。これは、兵士が給与の1/3を慰安婦に使ったという情報と矛盾しません。 > Webはデマばかりと主張するTM氏らしくない。 Webには、でたらめな情報が圧倒的におおいですが、逆に信頼できる資料にもとづいた記事もたくさんあります。 > TM氏が信奉しているアジア女性基金サイトに、こういう資料がある。ここで、「昭和13年11月から14年12月まで台湾各州を経由して中国へ赴いた軍慰安所関係者の民族別構成」によれば、 内地人 49.8% 朝鮮人 29.8% 本島人 20.4% > ということになっている。(一部計算誤りは再計算)日本人が5割、朝鮮人が3割、台湾人が2割ということだ。 昭和13年11月から14年12月までということは、まだ戦線は拡大していません。若い未経験の朝鮮人慰安婦が本格的動員されたのは、戦線が拡大し、日本人慰安婦が足りなくなってからです。それから、南方に送られた朝鮮人慰安婦は、台湾を経由していないとおもいます。ビルマに送られた朝鮮人慰安婦の船はシンガーポールには立ち寄りました。 (つづく) 「この面でも総括的な統計資料は存在しません」ということですし、日本人慰安婦が「大多数」というわけでもないです。
2015年05月12日 08:42
> 安倍首相に限らんのだけど、具体的な発言内容を示してくれないかな。 次の資料を読んでください。 https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=4&cad=rja&uact=8&ved=0CDgQFjAD&url=http%3A%2F%2Fdl.ndl.go.jp%2Fview%2Fdownload%2Fdigidepo_8301279_po_075204.pdf%3FcontentNo%3D1&ei=gzhRVYbZM4bEogSL6YCICA&usg=AFQjCNHNSK6Ff3fiRFfkoptTca0Aaqd6Xw&sig2=5VOQIKBWmgfjXW28Pl7e3A https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=2&cad=rja&uact=8&ved=0CCQQFjAB&url=http%3A%2F%2Fjapanfocus.org%2Fdata%2FCRS%2520CW%2520Report%2520April%252007.pdf&ei=SzxRVbGPGYjItQWToYDABA&usg=AFQjCNF3svkbussZJLVbTdeecokYHlNl1Q&sig2=GWHLiWsvuGgN1liJYiAC1A
2015年05月12日 04:28
『例えば「弁護士」などが「自分は頭が良い」という「全く根拠のない自信」により「相手の立場に立ったらという視点がまるでない」与太話を自慢気に披露することはよくある話』などと、「自分は頭が良い」という「全く根拠のない自信」により与太コメントを自慢気に披露することはよくある話。 どなたか、さらに続けてください。
2015年05月12日 03:46
自動翻訳機待ちで良いと思う。 仕事は機械翻訳任せになると思う。 趣味で英語を覚える文化は残るだろうけれど。 I think it may be the automatic translation machine waiting. I think the work will leave machine translation. But would culture to learn English will remain a hobby. 私はそれは自動翻訳機待ちかもしれないと思います。 私は仕事が機械翻訳を残すと思います。 しかし、文化が学ぶためになる英語は趣味のままになります。 機械翻訳された一行目の英文の意味は、「私は、それは待っている(待機状態の?)自動翻訳機かもしれないとおもいます」ですが、その英文を日本語に訳し返すと、原文に近くなります。
2015年05月11日 18:28
X国の植民地というのは、「X国の領土であっても、X国の憲法や諸法令が施行されず、X国と異なる法的地位にあり、X国に従属する地域」のことです。 この定義によれば、朝鮮は大日本帝国の植民地でした。
2015年05月11日 18:16
> ⑥ between twenty and thirty men each day ②と⑥は、きわめて誇大な数字であり、自己矛盾(self-contradiction)の関係にある。「20万人の慰安婦」(②)が「毎日20人~30人の男性を相手にした」(⑥)とすれば、日本軍は毎日400万回~600万回の性的奉仕を調達したことになる。 「20万人の慰安婦」というのは多すぎますが、これは特定の時点の慰安婦数でなく、1932年の上海事変から1945年の終戦までの期間における慰安婦の総数です。慰安婦の交代がありましたから、特定の時点の慰安婦数はこれ以下です。「20万人の慰安婦」と「毎日20人~30人の男性を相手にした」には問題がありますが、この反論はそれ以下の単純な誤りです > 他方、1943年の日本陸軍のoverseas兵力(strength)は約100万であった。教科書に従えば、彼らは全員が「毎日、4回~6回」慰安所にかよったことになる。戦闘する暇も、まともに生活する暇さえもなくなる。 秦先生ですら、日本陸軍の平均兵力を1993年の推計では300万人、そして1999年には250万人としています。100万の兵力で210万人が戦死するわけはありません。そして、南方の島では、米軍の反攻があるまで戦闘はありませんでした。そして、それぞれの地域における戦闘は短期間でおわりました。マイケル・ヨン氏も同じような、誤った議論をしています。
2015年05月11日 18:16
> ③ age fourteen to twenty 1945年フィリピンで米軍の捕虜になった慰安婦20人(日本人11,朝鮮人6,台湾人3)の調査カードによると、うち19人が20歳以上である。(US National Archives, RG 389-PMG)。 twenty は twenties と修正すべきである。 一例を持って、全体のことはいえません。アジア女性基金のサイトにある、日本軍軍医による慰安婦の「検微報告書」には15・16才の少女も記載されています。東大・京大の関係者を含む19人の「歴史学者」が、慰安婦問題に関し発言しようとおもえば、アジア女性基金のサイトの資料ぐらい読んでおくべきです。 > ⑤ majority of the women came from Korea and China 秦の推計では、全慰安婦数は約2万人で、そのうち最も多数を占めるのは日本人の約8000人、朝鮮人はその半数の約4000人、Chinese and others は約8000人であった。 秦先生の1993年の推計では9万人、それが1999年には2万人になりました。いずれにしろ、根拠を示すべきです。 (つづく)
2015年05月11日 18:14
> 秦郁彦氏らの胡散臭さ https://www.facebook.com/nobukatsu.fujioka/posts/804358926316550?fref=nf これは、マグロウヒル社の教科書『伝統と遭遇』にある慰安婦の記述の訂正をもとめる秦先生をふくむ19人の日本人歴史家有志による勧告文です。 マグロウヒル社の教科書の著者の一人は、自分達は慰安婦問題の専門家でないから、専門家が冷静に誤りを指摘してくれれば、訂正するといっていました。実際、この教科書の記述にはいくつかの誤りや不適当な表現がありますが、この勧告文はそれ以上です。 > 朝鮮半島における慰安婦の調達では、当事者の多くは朝鮮人が占めており、関係者の相互関係の全体像は、次の模式図で表される。 > Japanese Local Troop |← contract → | | Parent → Broker → Brothel Owner or Pimp ←-→ Comfort Station (Korean) (Korean) (Korean and Japanese) contract || ↗ Soldier Daughter (Japanese and Korean) これでは何を言っているのかわかりません。朝鮮における慰安婦の調達はいろいろな手段によって行われました。慰安婦を募集は、業者を介するだけでなく、例えば、朝鮮総督府により地域の行政機関や学校を介してもおこなわれました。サンフランシスコ州立大学のサラ・ソウ教授の「The Comfort Women」という本には、さまざまな募集形態が実例をもって詳細に記載されています。 (つづく)
2015年05月11日 17:08
> 思想・言論の自由があるからには、政府の公式宣言に反対する意見を弾圧するわけにはいかない。 民間人が発言するのと、閣僚、有力議員、さらには首相が河野談話と村山談話を見直す発言するのではわけがちがいます。 安倍首相は、(河野談話を見直す、米国からの忠告、河野談話を継承する)を何度も繰り返しました。
2015年05月11日 07:59
> 秦郁彦氏の説を知りながら、「慰安婦の大多数は日本人」と書いたワタシに、「資料出せ」といったのですね。 上記の秦先生をふくむ日本人歴史家有志による、いろいろ誤りがある勧告文や彼の慰安婦総数の推計の変遷を知ると、秦先生の説はあまり信用していません。秦先生の、慰安婦総数の推計の問題点を指摘する正しいとおもわれるWeb記事はたくさんあります。 従いまして、「信頼できる」日本人慰安婦の総数の推計方法を教えていただきたいとおもったわけです。わたしは、秦先生の推計法も知りませんので、簡潔でよろしいからご説明ください。
2015年05月11日 07:42
秦先生が日本人慰安婦の総数をどのように推計しておられるのか知りたいので、簡単でよろしいからご教示ください。 なお、秦先生の「慰安婦と戦場の性」という本は、私が利用できる図書館にはないので読んでいません。
2015年05月11日 07:27
> そして麻生軍医の発言は千田夏光によって歪曲されており、麻生軍医はこの点について千田夏光を名誉棄損で告訴しようとしました。 私が引用したのは、麻生軍医自身が書いた『上海より上海へ──兵站病院の産婦人科医』という本からで、千田夏光氏とは関係ありません。 千田氏の問題は、麻生軍医を慰安婦制度を考案した責任者のようにほのめかしたことです。
2015年05月11日 06:46
『日本陸軍の本』という本で、秦先生が千田夏光『従軍慰安婦』の解説として 「昭和期の日本軍のように、セックスサービス専門の女性を大量に戦場へ連行した例は近代戦史では他にない。その7~8割は強制連行に近い形で徴集された朝鮮出身の女性」 と書かれているそうです。 詳細は、次のようです。 http://d.hatena.ne.jp/mzponta/20150420/p3
2015年05月11日 06:39
> ⑥ between twenty and thirty men each day ②と⑥は、きわめて誇大な数字であり、自己矛盾(self-contradiction)の関係にある。「20万人の慰安婦」(②)が「毎日20人~30人の男性を相手にした」(⑥)とすれば、日本軍は毎日400万回~600万回の性的奉仕を調達したことになる。 「20万人の慰安婦」というのは多すぎますが、これは特定の時点の慰安婦数でなく、1932年の上海事変から1945年の終戦までの期間における慰安婦の総数です。慰安婦の交代がありましたから、特定の時点の慰安婦数はこれ以下です。「20万人の慰安婦」と「毎日20人~30人の男性を相手にした」には問題がありますが、この反論はそれ以下の単純な誤りです > 他方、1943年の日本陸軍のoverseas兵力(strength)は約100万であった。教科書に従えば、彼らは全員が「毎日、4回~6回」慰安所にかよったことになる。戦闘する暇も、まともに生活する暇さえもなくなる。 秦先生ですら、日本陸軍の平均兵力を1993年の推計では300万人、そして1999年には250万人としています。100万の兵力で210万人が戦死するわけはありません。そして、南方の島では、米軍の反攻があるまで戦闘はありませんでした。そして、それぞれの地域における戦闘は短期間でおわりました。マイケル・ヨン氏も同じような、誤った議論をしています。 (つづく)
2015年05月11日 06:38
> ③ age fourteen to twenty 1945年フィリピンで米軍の捕虜になった慰安婦20人(日本人11,朝鮮人6,台湾人3)の調査カードによると、うち19人が20歳以上である。(US National Archives, RG 389-PMG)。 twenty は twenties と修正すべきである。 一例を持って、全体のことはいえません。アジア女性基金のサイトにある、日本軍軍医による慰安婦の「検微報告書」には15・16才の少女も記載されています。「歴史学者」が、慰安婦問題に関し発言しようとおもえば、アジア女性基金のサイトの資料ぐらい読んでおくべきです。 > ⑤ majority of the women came from Korea and China 秦の推計では、全慰安婦数は約2万人で、そのうち最も多数を占めるのは日本人の約8000人、朝鮮人はその半数の約4000人、Chinese and others は約8000人であった。 秦先生の1993年の推計では9万人、それが1999年には2万人になりました。秦先生は、2万人説の根拠として慰安婦と兵士の比率を、日本における公娼と客の数をもとにしていたと思いますが、既婚者や若者が借り座敷にいくことは少なかったとおもいます。 (つづく)
2015年05月11日 06:37
> 特に理由はないが「慰安婦と戦場の性 (新潮選書) 秦 郁彦 」を資料と認めない。 私は、 秦先生の主張は、彼の主張の変遷を見ると、眉唾だとおもいます。 https://www.facebook.com/nobukatsu.fujioka/posts/804358926316550?fref=nf これは、マグロウヒル社の教科書『伝統と遭遇』にある慰安婦の記述の訂正をもとめる秦先生をふくむ日本人歴史家有志による勧告文です。 > 朝鮮半島における慰安婦の調達では、当事者の多くは朝鮮人が占めており、関係者の相互関係の全体像は、次の模式図で表される。 > Japanese Local Troop |← contract → | | Parent → Broker → Brothel Owner or Pimp ←-→ Comfort Station (Korean) (Korean) (Korean and Japanese) contract || ↗ Soldier Daughter (Japanese and Korean) まず、マグロウヒル社の教科書が問題としている慰安婦は朝鮮だけでなく、アジアの各地です。 また、朝鮮における慰安婦の調達はいろいろな手段によって行われました。慰安婦を募集は、業者を介するだけでなく、例えば、朝鮮総督府により地域の行政機関や学校を介してもおこなわれました。サンフランシスコ州立大学のサラ・ソウ教授の「The Comfort Women」という本には、さまざまな募集形態が実例をもって詳細に記載されています。 (つづく)
2015年05月11日 06:17
> そうだね。でも、それでもなお更なる謝罪を求めているんだよね。 これは、日本国内において、政治家をふくめて、河野談話や村山談話にたいする強い反対論があるからです。これらは、河野氏と村山氏の個人的な談話であって、日本政府のものではないといった議論がありました。ですから、河野談話と村山談話を国会の決議とする要求があります。 村山談話のいきさつは、次のようです。 村山内閣の前の内閣の永野茂門法務大臣とか村山内閣の桜井新環境庁長官、島村宜伸文部大臣、江藤隆美総務庁長官などは、村山談話とは対極的な発言をしていました。そこで、国会における決議はできず、首相談話となったということです。閣議決定も、村山氏が、閣議決定ができなければ、内閣は総辞職するといったので、反対する閣僚が沈黙し、一応、閣議決定となったということです。 つい最近も、次のような河野談話を実質的に否定する自由民主党の国際情報検討委員会の決議がありました。 「朝日新聞が慰安婦問題などにつき虚偽の報道であったことを認めた。朝日新聞が発信してきた虚偽の記事が国際的な情報メディアの根拠となり、国際社会が我が国歴史の認識を歪曲し、結果として我が国の評価、国益を著しく毀損した。朝日新聞の謝罪は国民の名誉と国益の回復には程遠いが、いわゆる慰安婦の「強制連行」の事実は否定され、性的虐待も否定されたので、世界各地で建設の続く慰安婦像の根拠も全く失われた。 」 朝日新新聞が認めた誤りは、吉田清治の済州島における「慰安婦狩り」と、植村氏が書いた記事における「慰安婦」と「挺身隊」の混同です。インドネシア、フィリピン、中国における日本軍部隊による「強制連行」については、いくつかの信頼できる資料があります。 また、「性的虐待も否定された」については、14・15才の少女を慰安婦ににすれば、それだけで「性的虐待」です。
2015年05月11日 05:21
質問の一つ一つが、簡単に答えることができない、大変興味あるものです。 内田先生がどのように答えられるか、大変、興味をもっています。逆に、スイスにおける宗教事情についてもしりたいです。 スイスといえば、カルビン派の発祥地ですので、現在、スイスでは、カルビン派がどのように受け入れられているかも知りたいです。 実は、カルビン派の教義と浄土真宗の教義は極めて似通っています。ひとつのちがいは、「予定説」において、カルビン派の教義では、天国にいくか地獄にいくかわからないというものですが、浄土真宗の教義では、全ての人が「他力」により浄土に往生できるというものです。
2015年05月11日 05:11
「土徳」という言葉があります。これは、宗教の教えが土地に染み付いていて、そこに住む人達は知らず知らずのうちに、それに感化されたいくということです。 http://inkyo.gunmablog.net/e115748.html 土徳はいまに無くなる。 じゃが、まだ当分ある。 その地域の人々の心にずーっと焼きついとるけぇ、 ここで育つものに影響を与えるわけ。 ところが、そういう人々が、段々死んでいく。 そしたら無くなる。力もないなってくる。 影響も与えられんようになってしまう。 じゃけえ、その力が続く限り、 少しづつでも影響を与えることができる。 それが土徳。 私が育った村では、子供の行事の全てに宗教がからんでいました。例えば、「報恩講』の日には、「お寺でお相伴をうけてきんさい」と言われました。また、花祭りの日には、お寺で「甘茶」を釈迦像の上からかけ、「甘茶」を飲ませてもらい、その後、釈迦像をのせた張りぼての白像をリアカーに載せて、次の歌を歌いながら村中をひっぱて歩くたりしました。 昔も昔 三千年 花咲き匂う 春八日(はるようか) 響き渡った 一声は 天にも地にも われ一人 立派な国に 生まれいで 富も位も ありながら 一人お城を ぬけいでて 六年(むとせ)にあまる 御苦行 それから、「山の講」という子供達だけで、3日間ほど家借り、そこで寝泊りし自分達で食事つくり、左儀長を燃やす行事がありました。、「山の講の神様」のための飾りは、村の長老につくってもらいました。
2015年05月10日 17:06
> だから絶対に日本人慰安婦の存在は認めたくないのです。 日本人慰安婦がいたことは、もちろん知っています。 ただ、日本人慰安婦の方が多かったという資料をみていないので、そのような資料があれば教えてくださいと書いたわけです。
2015年05月10日 16:58
> 歴史の事実の克明な解明が学者の仕事であり良心なのです。 ところが連中は最初からそれを放棄して、明確な根拠を示さないまま自称元慰安婦は被害者だから、日本は反省しろというのです。 アジア女性基金のサイトに掲載されている記事、報告書、資料だけでも読んでください。 報告書は、"filetype:pdf site:awf.or.jp" で検索できます。
2015年05月10日 16:39
エミ・コヤマさんは、韓国人から金を集めたり、グレンデール氏に銅像を建てたグループには、加わっていないとおもいます。 彼女が反対しているのは、慰安婦は商業売春婦にすぎないといって慰安婦像撤去訴訟を起こしたり、慰安婦問題に関して日本人・日系人にたいするひどいいじめが広範に行われているといったデマを流している人達にたいしてです。 慰安婦像撤去訴訟を起こした人たちは、太平洋戦争はアジアの植民地解放のための聖戦だとも主張しています。こうした主張は、多くの日系米国人には受け入れられないものです。グレンデール市を含む地域の日系米国人市民連盟支部は、現地を訪れた杉田議員達と会見し、彼女達の主張はとても受け入れられないということで、グレンデール市の慰安婦像設置を支持する決議をし声明をだしました。 南カリフォルニアの日系弁護士会も慰安婦像の設置を支持しています。
2015年05月10日 07:53
> なんか宗派的に恨みでもあるのw 真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊
2015年05月10日 07:08
> ⑥ between twenty and thirty men each day ②と⑥は、きわめて誇大な数字であり、自己矛盾(self-contradiction)の関係にある。「20万人の慰安婦」(②)が「毎日20人~30人の男性を相手にした」(⑥)とすれば、日本軍は毎日400万回~600万回の性的奉仕を調達したことになる。 「20万人の慰安婦」というのは多すぎますが、これは特定の時点の慰安婦数でなく、1932年の上海事変から1945年の終戦までの期間における慰安婦の総数です。慰安婦の交代がありましたから、特定の時点の慰安婦数はこれ以下です。「20万人の慰安婦」と「毎日20人~30人の男性を相手にした」には問題がありますが、この反論はそれ以下の単純な誤りです > 他方、1943年の日本陸軍のoverseas兵力(strength)は約100万であった。教科書に従えば、彼らは全員が「毎日、4回~6回」慰安所にかよったことになる。戦闘する暇も、まともに生活する暇さえもなくなる。 秦先生ですら、日本陸軍の平均兵力を1993年の推計では300万人、そして1999年には250万人としています。100万の兵力で210万人が戦死するわけはありません。そして、南方の島では、米軍の反攻があるまで戦闘はありませんでした。そして、それぞれの地域における戦闘は短期間でおわりました。マイケル・ヨン氏も同じような、誤った議論をしています。
2015年05月10日 07:08
> ③ age fourteen to twenty 1945年フィリピンで米軍の捕虜になった慰安婦20人(日本人11,朝鮮人6,台湾人3)の調査カードによると、うち19人が20歳以上である。(US National Archives, RG 389-PMG)。 twenty は twenties と修正すべきである。 一例を持って、全体のことはいえません。アジア女性基金のサイトにある、日本軍軍医による慰安婦の「検微報告書」には15・16才の少女も記載されています。東大・京大の関係者を含む19人の「歴史学者」が、慰安婦問題に関し発言しようとおもえば、アジア女性基金のサイトの資料ぐらい読んでおくべきです。 > ⑤ majority of the women came from Korea and China 秦の推計では、全慰安婦数は約2万人で、そのうち最も多数を占めるのは日本人の約8000人、朝鮮人はその半数の約4000人、Chinese and others は約8000人であった。 秦先生の1993年の推計では9万人、それが1999年には2万人になりました。いずれにしろ、根拠を示すべきです。 (つづく)
2015年05月10日 07:06
https://www.facebook.com/nobukatsu.fujioka/posts/804358926316550?fref=nf これは、マグロウヒル社の教科書『伝統と遭遇』にある慰安婦の記述の訂正をもとめる東大関係者(教授もしくは名誉教授)3人をふくむ19人の日本人歴史家有志による勧告文です。 マグロウヒル社の教科書の著者の一人は、自分達は慰安婦問題の専門家でないから、専門家が冷静に誤りを指摘してくれれば、訂正するといっていました。実際、この教科書の記述にはいくつかの誤りや不適当な表現がありますが、この勧告文はそれ以上です。 > 朝鮮半島における慰安婦の調達では、当事者の多くは朝鮮人が占めており、関係者の相互関係の全体像は、次の模式図で表される。 > Japanese Local Troop |← contract → | | Parent → Broker → Brothel Owner or Pimp ←-→ Comfort Station (Korean) (Korean) (Korean and Japanese) contract || ↗ Soldier Daughter (Japanese and Korean) これでは何を言っているのかわかりません。朝鮮における慰安婦の調達はいろいろな手段によって行われました。慰安婦を募集は、業者を介するだけでなく、例えば、朝鮮総督府により地域の行政機関や学校を介してもおこなわれました。サンフランシスコ州立大学のサラ・ソウ教授の「The Comfort Women」という本には、さまざまな募集形態が実例をもって詳細に記載されています。 (つづく)