一応、「植民地」と「侵略」の定義をあげておきます。
In politics and history, a colony is a territory under the immediate political control of a state, distinct from the home territory of the sovereign.
A war of aggression, sometimes also war of conquest, is a military conflict waged without the justification of self-defense, usually for territorial gain and subjugation.
Google で検索結果は、次のようです。
colony => About 183,000,000 results
aggression war => About 45,200,000 results
こうした言葉を使った学術書や論文は、何十万、何百万とあるはずです。
「植民地」と「侵略」という言葉が定義できないとしたら、日本国内ではこれらの言葉の使用を一切禁止し、これらの言葉を使用する国際的な団体、国際会議、条約には一切関わるべきではありません。
国連 植民地 => About 507,000 results
国連は脱退。
colonization site:gov => About 367,000 results
米国、というよりほとんど全ての国、とは国交断絶。
2015年03月24日 03:37
> 大東亜共栄圏や五族協和 この名目のもとで何が起きたのでしょうか? 例えば、シンガーポールでは、日本軍は各所に検問所を設け、18歳~50歳の成年男子を漏れなく取り締まり、反日とみなされた次のような人たちを総括処刑したとされています。 ・ 日本軍及び日系住民に対しゲリラ活動をおこなった者 ・ 国民政府への財政援助に関わったないし実際に援助した者 ・ 東南アジアを拠点に抗日活動を続けていた陳嘉庚の支持者ないし関係者 ・ レジスタンス関係者・支持者 ・ イギリス植民地時代の公務員・法曹・立法会議員 ・ 黒社会など秘密組織や反社会的組織に関わっていた者 ・ 日中戦争以後に移民してきた者 ・ 海南省出身者(日本軍は多くの共産主義活動家が紛れ込んでいると見ていた) ・ 取り締まりに抵抗した者や逃亡しようとした者 なお、「作戦の神様」と呼ばれた辻雅信は、華僑虐殺の各現場に出かけ、「シンガポールの人口を半分に減らすくらいの気持ちでやれ!」と怒鳴り散らして命令していたということです。 「ポッポの東アジア協同体」では、何人殺されましたか? ただし、「中国の五族共和」は、「八紘一宇」の現代版かもしれません。
2015年03月23日 15:38
> 世界は一家人類皆兄弟と昔言った人S ”KODAMA, YOSHIO VOL. 1_0022” を使って検索して、児玉誉士夫に関するCIAの文書を読んでください。 児玉誉士夫は中国で、略奪をふくめていろいろな物資を集めて日本軍に売り、大金をもうけました。児玉誉士夫は、Sの配下であったこともあります。 戦後は、Sと児玉誉士夫は、この金を日本に持ち込んで、岸信介を首相にするなどして、日本の政治を支配しました。Sが、自衛隊の総予算に匹敵するともいわれた競艇利権を手に入れたのも、この金です。 CIAの文書には、「児玉とその取り巻きは、最も卑しむべき、人類と民主主義の敵と呼ばれてきた」と書いてあります。 Sの財団が、ハーバード大学に寄付をしようとしたら、ハーバード大学は、「汚い金は受け取れない」といって断りました。しかし、カーター元大統領は、「お金に色は付いていない」といって、彼の慈善団体のためにお金を受け取りました。 ローキード汚職事件で、戦後の日本政治の、この信じられないほどの暗部の一部が明るみにでたわけです。 CIAが公開した関連文書は、"kodama site:cia.gov、"S site:cia.gov"、"kishi site:cia.gov" を使って検索できます。
2015年03月23日 15:32
他人がどう思おうが、なんと言われようが、私はここにいるわけで弁明も承認も求める必要はありません。 => 他人がどう思おうが、なんと言われようが、私はここにいるわけで、弁明も、承認も、「生きがい」も求める必要はありません。
2015年03月23日 15:27
> 戦前、戦中はどこまでも悪いというバカな思い込み 戦前、戦中で、良かったことをあげてください。
2015年03月23日 02:48
「八紘一宇」の精神は日本に限りません、中国の、「アジアインフラ開発銀行」も「南シナ海の占拠」も「チベット」と「ウイグル」への進出も「八紘一宇」の精神によるものです。
2015年03月23日 02:42
> あの爺さんは,勲章が大好きなだけで,個人的には善い人だと思いますが。 ”KODAMA, YOSHIO VOL. 1_0022” を使って検索して、児玉誉士夫に関するCIAの文書を読んでください。 児玉誉士夫は中国で、略奪をふくめていろいろな物資を集めて日本軍に売り、大金をもうけました。児玉誉士夫は、「あの爺さん」の配下であったこともあります。 戦後は、「あの爺さん」と児玉誉士夫は、この金を日本に持ち込んで、岸信介を首相にするなどして、日本の政治を支配しました。「あの爺さん」が、自衛隊の総予算に匹敵するともいわれた競艇利権を手に入れたのも、この金です。 CIAの文書には、「児玉とその取り巻きは、最も卑しむべき、人類と民衆主義の敵と呼ばれてきた」と書いてあります。 「あの爺さん」の財団が、ハーバード大学に寄付をしようとしたら、ハーバード大学は、「汚い金は受け取れない」といって断りました。しかし、カーター元大統領は、「お金に色は付いていない」といって、彼の慈善団体のためにお金を受け取りました。 ローキード汚職事件で、戦後の日本政治の、この信じられないほどの暗部の一部が明るみにでたわけです。 CIAが公開した関連文書は、"kodama site:cia.gov、"sasakawa site:cia.gov"、"kishi site:cia.gov" を使って検索できます。
2015年03月23日 01:35
> 大東亜戦争を戦わなければ日本は国民100万~300万の犠牲どころか日本民族は消滅していたかもしれません。 タイ国は大した軍備も持たなくて、なんとか独立を保ちました。 > 今我々がこうして人間らしい生活をおくれているのも先人達が命を賭して戦ってくれたお陰だと思います。 これは正しいです。 悲惨な結果になりましたが、無謀な戦争の馬鹿らしさが骨の髄まで理解できて、戦後は勇ましいことを言う人がが力を失ったからです。 私は、月に一回集まって会食するグループに参加しているのですが、先日の会食では、東京大空襲から50年ということで、東京大空襲の話になりました。グループの中に終戦時に10から15才の人が3人いて、その中の1人は15才ぐらいのときに、東京の下町に動員されていました。彼は、死体で埋め尽くされた隅田川を見たといっていました。もう一人は、10才位で、港区に家があったそうですが、一丁先の町並みは焼夷弾攻撃で焼き尽くされてといっていました。 この3人は、竹槍で米軍に立ち向えとか、落ちてきた焼夷弾の火は棒の先にぬれた雑巾などをかぶせて打ち消せとかいったこと教えられたといったいっていました。 最後に、この3人の中の一人が、「日本が戦争に負けて、本当によかった」といって、終わりました。 陸軍が主張していたように、本土決戦が行われていれば、「日本は国民100万~300万の犠牲どころか日本民族は消滅していたかもしれません」。 > アジアや有色人種の独立も成し得ていなかったでしょう。 私は、こうしたことを東南アジアの人たちから聞いた事はありません。太平洋戦争の犠牲者の総数は、2千から3千万人でした。インドネシアですら、日本軍による支配は、オランダによる植民地支配より遥かに過酷であったと、教科書に書いてあるそうです。
2015年03月22日 18:55
> ところが実際に事故が起きると、菅直人は官邸のどこかに引き籠って意味不明の質問や支持を出して、現場を混乱させ続けたのです。 菅首相は、引き籠っていませんでした。そして、保安院、東電の本社、原子力委員会の「専門家」が質問にまともに答えられないので、吉田所長に電話をしたり1Fに出向いたわけです。 > その間に根拠のない半径30キロ圏内の避難指示と言うのを出しました。 20km圏内住民に避難指示が出たのは、3月12日18時25分で、津波の発生から、1日以上経過しています。 > その為この地域ので被災した人達は一人も救助されていません。 そのようなことは、ないとおもいます。 > 自衛隊には全ての部隊に化学防護隊が付属しており、防護服その他の装備を持って、核汚染下でも活動できる専門家が多数いました。 放射線を防ぐ防護服というものはありません。ありましたら、東電の作業員に提供してください。
2015年03月22日 18:31
よもぎねこ さん 勝手な妄想をめぐらせないで、共同通信の新聞記事を紹介しましたから、ぜひそれを読んでください。 > また大地震と津波で現場への道路は渋滞や混乱が起きているのは明白なのです。 だから電源車を送るならまず道路状況の確認や、道路状況が悪ければ他の運搬手段を指示するべきなのです。マトモに道路を走れないのに70台もの電源車を行かせる時点で、菅直人馬鹿です。 菅首相は東電の要請にこたえて、電源車を手配して1Fに送ったのです。電源車は1Fに届きました。しかし、接続用のコネクタが合わなかったり、配電盤が海水に漬かったりしていて役くにたちませんでした。 > 自分で判断ができないなら、菅直人は現場の全権を吉田所長に委任するべきなのです。 法律上それはできません。政府内でこうした事故に対処すべき保安員の長は事務職の人で、原発の技術的なことは理解していませんでした、さらに東電からも政府にまともな情報は伝えられませんでした。 > そこに全閣僚と省庁、自衛隊、消防、原子力専門家が集合して対応するべきでした。 全閣僚と省庁、自衛隊、消防の人たちは原発の技術的なことについては、何も知らないと思います。原子力専門家でも、大学の先生などは、実際の原発についてはあまり知りません。実際の原発について、一番よく知っているのは、日立とか東芝の原子力部門の技術者です。その次が、東電の技術者です。 私は、発電所の計算機による監視・制御システムの仕事に6年ほど携わっていました。そのうち2年は原発関係で、1Fの1・2号機を作ったGEの原子力事業部にも6ヶ月ほど長期出張で滞在していました。建設中の1Fの3号機の原子炉建屋内で調査をしたこともあります。
2015年03月22日 04:46
> 菅さんの空虚な質問が混乱を招いたという報道がなされています 次の記事にある共同通信による新聞記事を読んでください。 http://www.geocities.jp/buturiyag3/GenpatuHukusima-1.html
2015年03月21日 16:57
yahoo user d5add さん 貴殿の批判は正しいです。 私が書いたのは、反語的表現で、私の真意の逆です。 生まれつきのひねくれ者ですから、このようなこと書くのです。 しかし、もうすこしすれば治るとおもいます。つまり、あの世に逝くからです。
2015年03月21日 16:30
> 憲法で定める議員内閣制を否定されんでしょうか? 日本の議員内閣制では、内閣の構成員の過半数が国会議員である必要がありますが、残りは議員でない専門家でも問題ありません。
2015年03月21日 16:21
事故を起こして原子炉にはまず淡水の冷却水が注入されました。これは、いくつかの理由で遅れました。まず、消防ポンプにより注水が可能なまでに原子炉圧力を下げる必要がありました、しかし、圧力容器の逃し弁を開けるのにてこずりました。圧力容器の逃し弁と格納容器のベント弁の一方は手動で、もう一方は、仮りの圧縮ポンプによる圧縮空気で開けられました。どちらが手動でどちらが圧縮空気のよったのかは忘れました。手動による開弁のためには、高線量下のために作業員の交代が必要でした。仮りの圧縮ポンプを動かすためには、120Vの直流電源が必要でしたので、12Vの蓄電池を自動車かはずしたり、自動車部品の店から集められました。そして、10個の12Vの蓄電池を直列接続したのですが、容量不足でした、そこで、直列接続したものを並列接続したのですが、それでもだめでした。しかし、そのうち何とか動かすことができたそうです。 次におきた問題は、給水口が瓦礫で隠れていて、東電の作業員はだれも給水口の位置を知らなかったことです。しかし、この給水口の取り付け作業をした下請け会社の作業員がいて給水口がみつかりました。 海水注入のときにも、消防ポンプのガソリンがなくなったり、いろいろな不都合が起きました。 とにかく、吉田所長は東電の本社と政府を無視して作業を進めましたから、菅首相は関係ないです。それから、菅首相が福島にいったので格納容器のベントが遅れたというのもデマです。この理由は、ベント弁を開けるのにてこずったからです。これは、事故の時系列を調べればわかります。
2015年03月21日 16:16
> 菅直人は事故の最中に、電源車の大きさや仕様など細かい事を延々と質問して、また海水注入に関して技術的な質問を繰り返して、貴重な時間をドンドン無駄にしたのです。 東北電力や自衛隊などの電源車、合わせておよそ70台が発電所に向かいました。しかし、がれきが散乱していたり、ケーブルをつなぐ配電盤が水につかって故障したりしていたため、なかなか電気を供給できませんでした。24時間がたってから、2号機の配電盤にケーブルをつなぎ、電気を供給する準備が整いましたが、1号機の水素爆発によってケーブルが損傷し、電源車は自動的に停止しました。さらに2日後に、3号機が水素爆発し、電源車が被害を受け、電気の供給がとまりました。 結局、福島第一原発では、3月21日に外部からの電源供給が再開するまで電源を確保することはできず、大量に投入された電源車はほとんど役に立ちませんでした。 (つづく)
2015年03月21日 15:25
> 大日本帝国憲法でも、二条で、信教の自由や裁判を受ける権利など、憲法13条と同等の規則が盛り込まれている 大日本帝国憲法 第二八条 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス 第二九条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス 日本国憲法 第19条思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。 第20条信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。 2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。 3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。 第21条集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。 大日本帝国憲法では、「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」とか「法律ノ範囲内ニ於テ」という制限が付いています。
2015年03月21日 07:46
日本の国会の審議というのは、質問者が前もって質問内容を提出し、それに対して官僚が回答を用意し、担当大臣がその回答を読み上げるのではないでしょうか? 米国の場合は、各省の長官のほとんどは、政治家でなくて専門家です。そして、議会の委員会とか公聴会では、野党の議員達は、政府の長官や委員をこまらせるような質問をして、テレビカメラの前で点数を稼ごうとしていますから、何を聞かれても、それに対して、正しく答えるか、うまくごまかすことができないと務まりません。
2015年03月21日 07:33
在特会のデモは合憲です。 ただし、小学校の近くでやるとか、商店の前でやるとかは規制できます。
2015年03月21日 07:30
> 「国家像を示すという(の?)は、憲法の意義に含まれると思いますか?」だろうが、(の?)と省略しているので、正確に内容を伝える日本語が操れないのか、あるいは、相手に適当に解釈させて、解釈をずらして嵌める罠だと思う。 「言うは易く行うは難し」のようい、文語調の文章では(の)がなくても、口語的な(の)がある場合と同じです。「「国家像を示すというは」は、格式ばった言い方ですが、国家の基本法である憲法を論じていますので、悪くないとおもいます。 > 憲法の意義と国家像との関連を聞きながら、法務大臣の憲法観を聞いたことに、摩り替えられている。 法務大臣に、憲法の意義と国家像との関連を訊くということは、法務大臣の憲法観を訊ねることだとおもいます。私が、中学生のときには、日本国憲法の3本の柱は、「主権在民」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」であり、これが新生日本の基本だと教えられたのですが、今はどうなっていますか? 米国の場合は、米国憲法 = 米国の(理想とする)国家像 (= 米国旗) と考えられてます。ですから、人集差別撤廃運動のビデオをみると、米国旗を掲げてデモ行進をしている人達がよくいます。 > また、「悪法と言えども法」であり、法務大臣は法の執行者側なので、個人的な見解を披露されては困る。 米国の場合は、「悪法は悪法です」。ですから「悪法」に対しては、非暴力なら、悪法に逆らい抗議することも許されると考えられています。
2015年03月21日 06:53
> 戦争は、全く関係ないでしょ 前の戦争の直前と最中には、戦争遂行に全力で協力するというのが「社会秩序」でした。ですから、それに異を唱えるものは、特高が逮捕、拘留、さらに,獄死、拷問死までさせた例があります。 米国でも、南部の州では、人種差別撤廃運動は「社会秩序」をみだすものと考えられ、その指導者達の幾人かは、家を焼かれたり暗殺されたりしました。地元の警察すらそれに関与しました。
2015年03月21日 04:59
長谷川美智子 => 長谷川三千子 余談ですが、彼女の伯父さんから、大学時代に物理を教えてもらいました。期末試験の問題のひとつは、空中の音波の伝播速度を求める問題でした。長谷川三千子氏の顔つきは、伯父さんによく似ています。 彼女のお父さんは「九条の会」にも属しておられたようです。伯父さんは、ベトナム反戦運動や、毛沢東が全権を握っていた時代に中国との学術交流に関わったりしました。 とにかく、野上一族というのは、右派・左派の人物が入り乱れたエリート一族だそうです。
2015年03月21日 03:54
> 中国に関しても、日本軍への攻撃、日本国民の殺害への報復攻撃であり、今でも認められている行為だ。 原爆投下も東京大空襲も、米軍への攻撃、米国国民の殺害への報復攻撃であり、今でも認められている行為だ。
2015年03月21日 03:51
> 朝鮮は併合で、よく知っての通り、ケンブリッジ大学の国際法の専門家によって合法だと結論づけられている。 このエライ先生は、「国際法は、文明国の間にだけ適用される」と、すごいことをいっていました。 とすると、マッカサー将軍の「日本人は12才」という言葉によれば日本は非文明国でしたから、原爆投下も東京大空襲も合法になってしまいます。
2015年03月21日 03:44
日本軍の慰安婦制度においては、次のような違いがありました。 内地の慰安婦の最低年齢は21才で、朝鮮では17才でした。 日本国が批准していた国際条約により、内地では人身売買は禁止されていましたが、日本の「植民地」は、人身売買禁止条約の適用除外区域とされていました。
2015年03月21日 03:37
> この定義のどこに日本の行った行為が当てはまるというのだろう? 近代的法制度の観点では、統治の一般原則に対する例外が認められて特殊の法形式による統治が行われる法域を植民地と規定しています。 戦前の「内地」と「外地」と法制度の違いについては、浅野豊美「帝国日本の植民地法制」など、たくさんの専門書があります。 大日本帝国が敗戦によって植民地を放棄するまで、日本には、「外地」と一般的に呼ばれた公式植民地が複数存在しました。領域への編入順に、台湾、関東州、樺太、朝鮮、南洋諸島の5つです。その統治形態は、地域や時期によって、直轄植民地、租借地、保護国、委任統治領とさまざまですが、これら植民地に法制度的に共通してあげられる特徴は、これらの地域に帝国憲法で規定された臣民の権利・義務を定めた法律が当然には施行されなかったという点です。帝国憲法では、帝国議会の協賛を経て天皇が立法権を行使すると規定されていましたから、植民地においては帝国議会の権限が必ずしも及ばない場合があるということになります。 朝鮮における植民地統治機関である朝鮮総督府の行政長官・朝鮮総督は、天皇が任命する親任職であり、官制上、陸海軍大将しか就くことができませんでした。1919年の三・一独立運動を契機として行われた官制改革により、文官にも任用範囲が拡大されましたが、文官が総督に就任した事例はありません。また総督は、天皇に直隷して、委任の範囲で陸海軍を統率できるとともに、政務に関しては内閣総理大臣を経て上奏して裁可を受けることができるとされ、制度的には天皇以外の監督機関は存在せず、立法権と行政権、司法権、さらには軍隊統率権をも一元的に行使することができる強大な権限をもっていました。つまり植民地朝鮮においては、日本本国で曲がりなりにも行われていた三権分立が制度的に保障されていませんでした。 (つづく)
2015年03月20日 17:02
「顔も曇らせる」のは、「中国外務省の日本課長」でなくて、「日本の外務官僚たち」だとおもいます。
2015年03月20日 16:50
> 「修正主義」だといわれるのは,「正しいことをしている」と評価してもらっていると思えばいいことだということも感じます。 「修正主義」は、多分、revisionism か同様な外国語の翻訳だとおもいます。revise は「改変する」という意味で、必ずしも良くするというわけではありません。口語的には、 "rewrite history" といもいいますが、これは、過去の出来事を自分の都合のいいように言い変えるということです。
2015年03月20日 16:32
一応、「植民地」と「侵略」の定義をあげておきます。 In politics and history, a colony is a territory under the immediate political control of a state, distinct from the home territory of the sovereign. A war of aggression, sometimes also war of conquest, is a military conflict waged without the justification of self-defense, usually for territorial gain and subjugation. Google で検索結果は、次のようです。 colony => About 183,000,000 results aggression war => About 45,200,000 results こうした言葉を使った学術書や論文は、何十万、何百万とあるはずです。 「植民地」と「侵略」という言葉が定義できないとしたら、日本国内ではこれらの言葉の使用を一切禁止し、これらの言葉を使用する国際的な団体、国際会議、条約には一切関わるべきではありません。 国連 植民地 => About 507,000 results 国連は脱退。 colonization site:gov => About 367,000 results 米国、というよりほとんど全ての国、とは国交断絶。
2015年03月20日 15:44
> 抗日運動と言ってもその裏には東南アジアに影響力を持ち、ゲリラ戦を仕掛けていた華僑などシナ系工作員などの先導した勢力がいた訳ですね。多くの現地の人達の気持ちとは違います。 一度次の解説を読んでください。 日本語版はありません。 http://en.wikipedia.org/wiki/Philippine_resistance_against_Japan > その証拠にフィリピンでは独立記念日には日本軍や旭日旗と共にフィリピンの偉人達が描かれたポスターなどが描かれて讃えられています。 フィリピンは3回独立したことになっています。1898年にスペインから独立しますが、実際は米国の植民地になりました。1943年には日本軍の支配のもとに独立したことになりました。1946年には正式に米国から独立しています。 現在の独立記念日はスペインから独立した6月2日で、もうひとつの記念日は米国から独立した7月4日です。 「日本軍や旭日旗と共にフィリピンの偉人達が描かれたポスターなどが描かれて讃えられている」独立記念日は、2番目の独立記念日のことですか? 日本軍はこの独立をさかんに宣伝したそうです。 いわれるような独立記念日のの画像を探したのですが見つかりません。そのような画像のURLを教えてください。 > タイも首相代理である王族の方が来日されて、日本軍の東南アジアへの進駐を支持していました。 ピブーン首相は、日本が敗退しつつあることを知り、仮病を使って、ワンワイタヤーコーン親王を大東亜会議に出席させ、日本との関係も悪化させなかったそうです。戦後にになって、タイ政府は日本軍に協力したのは強圧のもとであって、本意ではなかったと言い訳をし、連合軍(戦勝国)の一員として認めてもらいました。 あるタイ人が、タイはこうして柔軟に外部圧力に対処し、独立を保ったといっていました。
2015年03月20日 04:53
> 敗戦にまつわるこの晦渋な表現に、ただならぬものを感じ、心が揺すられてしまう。 私の心は、「腸捻転」をおこしました。
2015年03月20日 04:48
国際法は本質的に慣習法で、単一の立法機関はありません。ですから、古くから広く受け入れられてきた考え、条約、裁判結果などが国際法を形成します。 マクドガル報告書では、日本軍の慰安婦制度が国際法違反であることを次のように指摘しています。 個々の兵士の責任に加えて、軍や政府当局者もまた、その指揮下にあった兵士や将校による「慰安所」の設立と維持に責任がある。命令責任の原則は、以下の場合、部下がやった違法行為の責任は上司にあるとする。(a)そうしたことが行われるだろうと知りながら、ないし知る理由がありながら、防止に何らの手も打たなかった場合;(b)そうした行為が行われ、上司として再発を防ぐ措置をなんら講じなかった場合。39)このドクトリンが初めて用いられたのは、米国の軍事委員会裁判の国際的訴追の基盤としてであって、その結果日本人の山下奉文将軍がフィリピン人とアメリカ人の捕虜数万人を殺したとして有罪になった。だが、このドクトリンを強調する諸原則は、少なくとも第二次(一次?)大戦の時点ですでに登場したのであり、この時にペルサイユで採択された勧告で、ドイヅ皇帝は戦争犯罪で裁かれることになったのである。その理由は、皇帝と指揮官らは「戦争中に(部下たちによる)野蛮な行為を少なくとも軽減できたはずだ」というものだった。40) 解説者は命令責任の根拠を15 世紀のフランスや、41)さらに紀元蔀(前?)19 年のローマ帝国にまでさかのぼっている。42)この原則は、ニュルンベルグ裁判のいくつかと、1969 年にベトナムで起きたソンミ虐殺事件に対し、戦後米国で行われたメディナ大佐の裁判できわめて明確に述べられている。いずれの訴追も既存の慣習的規範を適用したことに注目すべきである。 つまら、重要な裁判の結果が国際法の一部になっていくわけです。