次の記事は、ハーバード大学の有名な歴史学者であるファーガソン教授が中国を批判しているものです。
http://www.newsweek.com/niall-ferguson-how-china-march-asia-64703
それでも、次のようなことを書いています。
The historical record suggests that the Diaoyu/Senkaku islands were the property of imperial China until the Japanese annexed them after their defeat of China in 1895. Administered by the United States after 1945, the islands were handed back to Japan in the early 1970s. Some reverted to their prewar private owners, the Kurihara family. But neither the People’s Republic of China nor Taiwan accepted this arrangement.
Lind 教授の本より
First, as many analysts have argued, denials of past aggression and atrocities do fuel distrust and elevate fears among former adversaries. Japan’s unapologetic remembrance— for example, frequent denials by influential leaders and omissions from Japan’s history textbooks—continues to poison relations with South Korea, China, and Australia more than sixty years after the war. By contrast, Bonn’s willingness to accept responsibility for the crimes of the Nazi era, and the absence of denials or glorification among mainstream West Germans, reassured Germany’s World War II adversaries. To this day France and Britain monitor German remembrance for signs of revisionism and are reassured by their absence.
Finally, this book highlights an issue that has been neglected in debates about international reconciliation: the potential dangers of contrition. As seen in Japan and elsewhere, expressions of contrition typically prompt a backlash from conservatives. They offer a competing narrative that celebrates—rather than condemns—the country’s past and justifies or even denies its atrocities. Thus contrition can be counterproductive: observers will be angered and alarmed by what the backlash suggests about the country’s intentions. Such anger can mobilize nationalistic sentiment in the victim country, creating a spiral of acrimony that makes reconciliation even more elusive. The great irony is that well-meaning efforts to soothe relations between former enemies can actually inflame them.
However, I could sense that my parents were being influenced, and it appeared that I would be sold to Manchuria, I contemplated a variety of methods of killing myself, but my love of life and hope for a change in the future prevented me from committing suicide. My father entreated me and said: ”It’s not because of cruelty that your father wants to sell you: In comparison to your siblings, you have the attractive looks and the experiences of living away from home. It’s your misfortune to have someone like me as a father. Go this one time.”
この元慰安婦は、売られて満州に行きたくないと両親に哀願し、自殺まで考えました。父親は、自分のような父親をもったのがお前の不幸だといいました。
この証言を読まれて、どうおもわれますか?
私は、娘も父親もつらかっただろうとおもい、涙がでそうになりました。
> それは、上記の例えで言えば、「自分の娘を売り飛ばしたのは親である」と米国人が知る事。そして、娘達を騙した村長や警察官や業者も全て朝鮮人同胞であった事を明らかにする事。米国人が、このケースを自分の娘と想像した時に、「売り飛ばしたのが自分自身」であると分かったときに、どんな心境になるか?当然、朝鮮人の親に最も重い懺悔を迫るだろう。
これは、米国の研究者には、よく知られていることです。
サンフランシスコ州立大学のサラ・ソウ教授の「The Comfort Women」という本には、下記のように元慰安婦の証言があります。
Soh: (page 11、元慰安婦の証言) I had no childhood. I was sold four times from the age of seven. As soon as I returned to my home in Pyongyang from Sinuiju after paying off my debt of 500 won, I recall that procures began showing up at my house, coaxing my parents. I declared to my parents that I was not going anywhere and begged them not to sell me again.
(つづく)
2015年02月13日 13:58
> 慰安婦が犯罪という認識が日本軍にあるなら、捕虜になる時点で、看護婦への偽装工作をするか、 オーストラリア軍が解読した日本軍の暗号電文に、「看護婦への偽装工作をし、この電文の写しは破棄すべし」というのがあるそうです。
2015年02月13日 06:53
インドネシアやフィリピンでは、慰安婦を騙したり、強制連行をして集めたいくつかの日本軍部隊があります。 サンフランシスコ州立大学のサラ・ソウ教授の「The Comfort Women」という本によりますと、朝鮮においては、悪徳業者が慰安婦を騙して集めたことが多かったのですが、総督府の要請で行政機構を通して、村の長や学校の先生までもが、慰安婦の募集に強力したこともあったそうです。
2015年02月13日 06:38
> 東京裁判と、アジア各地で行われたでたらめ裁判の記録と、GHQの報告書をご覧になってください。 アメリカ国立公文書館に、保管され公開されているようです。 これらの資料を読んでみたいとおもいます。どうすればアクセスできるか教えてください。
2015年02月13日 06:16
これに似た話があります。インドネシアのジャワ島で、日本軍部隊が「日本に送って教育する」といって娘達を募集したので、地域の有力者がきそって娘達を応募させたところ、少女達はインドネシアの他の島、例えばブル島、やタイに送られ、そこで慰安婦にされたということを、インドネシアのノーベル賞候補になった作家が書きました。 日本国政府がこの本の出版をやめさせるようインドネシア政府に働きかけた公電があります。そして、この本は実際に発禁になりました。 次の記事は、別の人物によるブル島の慰安婦いついての証言です。 http://theglobal-review.com/content_detail.php?lang=en&id=3083&type=13#.VJKAhYHTnox この講演を行った人の兄は、インドネシア政府により国民的英雄とされているそうです。 講演者の兄は、始めは日本軍が組織した民兵組織に加わりますが、そこで見た現地人労務者の扱いがあまりにもひどいので集団で日本軍に対して反乱を起こします。しかし、反乱は鎮圧され、兄をはじめ、弟である講演者、両親、そして妹達は日本軍により刑務所にいれられます。そこでは、兄が反乱を起こしたということで、家族は日本軍の憲兵からひどい扱いを受けます。 私は、日本兵はインドネシアの独立に貢献したとだけ思っていましたので、アジア女性基金の報告書のひとつに、インドネシアで日本軍に対して反抗した人達の娘達が強制的に慰安婦にされたという記述を読んだとき、そのようなことがあったのかと疑問におもいましたが、この記事を読んでその疑問が解けました。
2015年02月13日 06:15
台湾における現地女性の徴用についても、日本政府による調査がおこなわれました。 http://awf.or.jp/1/taiwan.html 「第二次大戦中、日本の植民地であった台湾から多くの男性が日本軍兵士や軍属として徴集され、同時に女性は「看護」や「炊事」「工場での作業」などの名目で軍や警察に召集されました。当時の台湾の人々にとって、日本軍や警察にさからうことは、生きる道を絶たれるにもひとしかったのです。」 「海外では海南島、フィリピン、中国、インドネシア、ビルマなど、台湾内では各地にあった軍港や軍需工場に隣接する施設に送られ、その多くの女性が「慰安婦」として働かされました。夫や婚約者が兵士として軍に徴用されている間に被害にあった女性もすくなくありません。そういった被害者のほとんどが戦地からもどった夫に事実を打ち明けることができず、何十年間も秘密をかかえて暮らすこととなりました。」
2015年02月13日 06:15
フィリピンにおける現地女性の強制連行については、日本政府による調査がおこなわれました。 http://awf.or.jp/1/philippine-00.html 「ロサ・ヘンソンさんは、兵舎として使われていた病院に連行されました(フィリピン人元慰安婦のための弁護士委員会)。ヘンソンさんとほかの女性6人が、ここで日本兵たちに性行為を強要されたのです。その後3か月してヘンソンさんは、もとは精米所であった別の慰安所に移されました。日本軍に協力していたフィリピン人から、日本兵のために洗濯をしてやれば金を稼げると言われ、ヘンソンさんとほかの何人かの若い女性たちは洗濯をするようになりました。あるときそのフィリピン人の協力者に連れられて、2階建ての家に連れていかれました。そこには3人の日本兵が待ち構えていたのです。そこには約1年間にわたって監禁されていました。昼の間は洗濯をし、夜になるとレイプされたのです。」 (つづく)
2015年02月13日 06:12
スマラン事件以外の日本軍部隊による強制連行事件の信頼できると思われる資料には、被害者の証言以外にも下記のようなものがあります。 林博史先生のあげている 【資料3】(PD5591/EX1794)インドネシア・モア島 オハラ・セイダイ陸軍中尉の宣誓陳述書 については、アジア女性基金基金のサイトにある次の報告書でも簡単に言及しています。 日本占領下インドネシアにおける慰安婦-オランダ公文書館調査報告 http://www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf 「ここでも強制売春の戦犯裁判ケースがある。モア島の慰安所には5人の少女が、近隣のセルマタ島から連れて来られていた。彼女たちは、父親たちが憲兵隊に向って反抗行動をおこしたということの罰として連れてこられ慰安婦として働かされた。この慰安所の開設者だった日本人将校の説明から、彼女たちは1944年9月から8週間この慰安所に入れられていた。合計25人の男性がこの慰安所を使ったらしい。慰安所にはこの5人に加え、1人の少女の合計6人がいた。」 これらの事件を含めてインドネシアにおける慰安婦の強制連行・徴用の例は次の論文に記されています。 http://www.awf.or.jp/pdf/0062_p089_105.pdf (つづく)
2015年02月13日 06:11
林博史『極東国際軍事裁判に各国が提出した日本軍の「慰安婦」強制動員示す資料(7点) http://space.geocities.jp/ml1alt2/data/data5/data5-04.htm#01 【資料1】(PD5330/EX1702) インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック 日本海軍占領期間中蘭領東印度西部ボルネオに於ける強制売淫行為に関する報告 一九四六年七月五日 【資料2】(PD5326/EX1701A) インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック ポンテヤナック虐殺事件に関する一九四六年三月一三日付林秀一署名付訊問調書 【資料3】(PD5591/EX1794) インドネシア・モア島 オハラ・セイダイ陸軍中尉の宣誓陳述書 一九四六年一月一三日 【資料4】(PD5770/EX1725) インドネシア・ジャワ島マゲラン イエ・ベールマンの尋問調書 一九四六年五月一六日 【資料5】(PD5806/EX1792A) ポルトガル領チモール(東チモール) ルイス・アントニオ・ヌメス・ロドリゲスの宣誓陳述書 一九四六年六月二六日 【資料6】(PD2772E-5/EX2120) ベトナム・ランソン ニェン・ティトンの口述書抜粋 【資料7】(PD2220/EX353) 中国桂林 軍事委員会行政院戦犯罪証拠調査小隊「桂林市民控訴 其の一」 一九四六年五月二七日 一般に行政機構(住民支配機構)が整備されていた朝鮮や台湾では行政管理機構や住民組織を使った慰安婦集めが有効であったが、戦闘地域や占領地など、住民が日本軍に対して反感を持っている地域ではむき出しの強制連行が行われることも多かった。 (つづく)
2015年02月13日 06:11
(禾晴道『海軍特別警察隊 アンボン島BC級戦犯の手記』1975年) 海軍特別警察隊(憲兵に相当)の禾(のぎ)晴道中尉の手記です。禾中尉が自ら「慰安婦狩り」と題する項目には、海軍司令部が慰安婦を強制的に徴集することを容認した命令を出し、それに応じた政務隊(民政警察)が住民の強い抵抗の中で女性たちを強引に船に乗せたことが記されています。 結局女集めは民政関係の現地人警察を指導している政務隊(民政警察)におしつけられ、副官が中心になり、特警隊は協力し、各警備隊・派遣隊もできるだけ候補者のリストをだして協力することになった。 民政警察の指導にあたっていた木村司政官が敗戦後、戦犯容疑者として収容されたとき話してくれたが、その時の女性集めにはそうとう苦しいことがあったことを知った。 「あの慰安婦集めには、まったくひどいめに会いましたよ。サパロワ島で、リストに報告されていた娘を強引に船に乗せようとしたとき、いまでも忘れられないが、娘たちの住んでいた部落の住民が、ぞくぞくと港に集まって船に近づいてきて、娘を返せ!娘を返せ!と叫んだ声が耳に残っていますよ。こぶしをふりあげた住民の集団は恐ろしかったですよ。思わず腰のピストルに手をかけましたよ。思い出しても、ゾーッとしますよ。敗れた日本で、占領軍に日本の娘があんなにされたんでは、だれでも怒るでしょうよ」。 わたしは、そこまで強制されたとは知らなかった。特警隊からも売春容疑者を捕らえて、収容所に送って協力いていた。それは犯罪容疑者として捕らえていた。 (つづく)
2015年02月13日 06:10
「米国人宣教師であったミニー・ヴォートリンの日記には、下記のような1937年12月の南京での出来事が記されています。」 http://www.press.uillinois.edu/books/catalog/38sqn3tt9780252033322.html 「16日 丘や街路から時折銃声が聞こえ、夜、少女たちがトラックに載せられて「助けて」と叫びながら通りすぎていくのを目にした。」 「17日夜 キャンパスに大勢の日本兵がやってきて中国人の使用人を正門付近へ連行し、尋問を装ってヴォートリンら学院の責任者を拘束している間に、通用門から女性12人が連行される、という事件を体験した。日本兵が校舎に入るのを阻止しようとした際にヴォートリン自身も殴られ、また尋問に際して銃撃の恐怖にさらされた」。 「19日 教職員宿舎内で少女が強姦されている現場に駆け付け、兵士を追い払うという「ぞっとする話」を体験をした。」 「20日 日本軍の高級将校らが視察に訪れている最中に日本兵2人が女性を連行しようとしたのを引き止めたが、将校は兵士を叱責しただけで放免した。」 「同日夜 昼間の視察の影響もあってか憲兵が25名も派遣されてきた。その憲兵が女性2人を強姦する事件が起きた」。 「24日には日本軍の師団の高級軍事顧問が訪れて避難民1万人の中から売春婦100人を選別することを要求し、兵士が利用するための正規の認可慰安所を開設することができれば、強姦事件はなくなるだろうと説明し、21人を選別していった。」 (つづく)
2015年02月13日 06:10
http://www.awf.or.jp/1/netherlands.html 「1944年初頭中部ジャワのアンバラワとスマランにあったアンバラワ第4または第6収容所、アンバラワ第9収容所、ハルマヘラ収容所、ゲンダンガン収容所からオランダ人と混血女性約35人が連行され慰安婦にされました。これを推進したのは南方軍幹部候補生隊の将校たちでした。] 「オランダ政府は1993年に「日本占領下オランダ領東インドにおけるオランダ人女性に対する強制売春に関するオランダ政府所蔵文書調査報告」を出しています。 http://www.awf.or.jp/pdf/0062_p089_105.pdf 日本軍の慰安所で働いていたオランダ人女性は200人から300人に上るが、うち65人は売春を強制されたことは「絶対確実である」とのことです。 (つづく)
2015年02月13日 06:09
> 日本軍が組織的に慰安婦を強制連行したという証拠はどこでしょうか? http://www.awf.or.jp/pdf/0170.pdf http://www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf 「正式に日本当局から命令され、バリ人の官吏が地元の有力者に依頼し、おこなわれた女性の調達は、慰安所用の女性と日本人将校の愛人用も含まれていた」 「若い女性達に、東京へ留学させると騙し、ケンダリやポマラアの慰安所へ連れていった。」 「モア島の慰安所には5人の少女が、近隣のセルマタ島から連れて来られていた。彼女たちは、父親た ちが憲兵隊に向って反抗行動をおこしたということの罰として連れてこられ慰安婦として働かされた。」 「アンボン島のバトゥ・ガントゥンにあった慰安所について短い記述があった。地元の少女を慰安婦に徴募、ジャワの少女も雇っていた。」 -- 「徴募」とは、兵士を集めるように集めることです。「ジャワの少女たち」は、別の資料によると「東京で教育すると」いってだまして連れて来られたそうです。 www.awf.or.jp/pdf/0205.pdf (つづく)
2015年02月13日 05:00
日本軍が玉砕するときに、壕に避難していた慰安婦が手榴弾で殺されたということを慰安所の管理人から聞かされて、「かわいそうなことをした」という、それらの慰安婦を調達した人物による証言があります。 それから、戦闘に巻きこまれて死亡したのだとおもいますが、壕に捨てられた慰安婦達の、米軍により撮影された写真もあります。 沖縄に連れてこられて、生き残った慰安婦は、50%ほどと推定されています。沖縄の民間人の死亡率は25%ほどでしたから、日本軍の陣地内もしくは近くにいた慰安婦の死亡率が高かったのも無理はありません。 それから、日本軍の敗退後にオーストラリア軍により撮影された、看護婦であったと偽るために赤十字の腕章をつけた慰安婦達の写真があります。
2015年02月13日 04:42
次の記事は、ハーバード大学の有名な歴史学者であるファーガソン教授が中国を批判しているものです。 http://www.newsweek.com/niall-ferguson-how-china-march-asia-64703 それでも、次のようなことを書いています。 The historical record suggests that the Diaoyu/Senkaku islands were the property of imperial China until the Japanese annexed them after their defeat of China in 1895. Administered by the United States after 1945, the islands were handed back to Japan in the early 1970s. Some reverted to their prewar private owners, the Kurihara family. But neither the People’s Republic of China nor Taiwan accepted this arrangement.
2015年02月13日 04:26
Lind 教授の本より First, as many analysts have argued, denials of past aggression and atrocities do fuel distrust and elevate fears among former adversaries. Japan’s unapologetic remembrance— for example, frequent denials by influential leaders and omissions from Japan’s history textbooks—continues to poison relations with South Korea, China, and Australia more than sixty years after the war. By contrast, Bonn’s willingness to accept responsibility for the crimes of the Nazi era, and the absence of denials or glorification among mainstream West Germans, reassured Germany’s World War II adversaries. To this day France and Britain monitor German remembrance for signs of revisionism and are reassured by their absence.
2015年02月13日 04:19
抗議を行った日本政府の人は、どこが間違いか答えなかったということですから、間違いを如何に訂正すべきか、説明してください。
2015年02月13日 04:08
Finally, this book highlights an issue that has been neglected in debates about international reconciliation: the potential dangers of contrition. As seen in Japan and elsewhere, expressions of contrition typically prompt a backlash from conservatives. They offer a competing narrative that celebrates—rather than condemns—the country’s past and justifies or even denies its atrocities. Thus contrition can be counterproductive: observers will be angered and alarmed by what the backlash suggests about the country’s intentions. Such anger can mobilize nationalistic sentiment in the victim country, creating a spiral of acrimony that makes reconciliation even more elusive. The great irony is that well-meaning efforts to soothe relations between former enemies can actually inflame them.
2015年02月13日 04:06
> 「歴史についての長い議論のうちに引きずり込まれた人々は結果的に日本について残虐な国という印象を抱いてしまうことになるだろう」とダートマス大学のJennifer Lind 教授は語る。「それこそ敗北だ。」 Lind 教授は、彼女の2004年の MIT における博士論文をもとにして、"Sorry States: Apologies in International Politics" という本を書いています。 この本には、ドイツのように、自国の戦争犯罪に対する謝罪により国際関係を改善した国、米国、英国、イタリア、オーストラリアのように謝罪しなくても、それが大きな問題にならなっかった国、そして謝罪しても、関係が悪化した国について深く考察されています。 まだ、eBook の緒言しか読んでいませんので、もう少し読んでみますが、読む価値のある本だとおもいます。 おまけ:本の題目にある "Sorry States" というのは、「残念な状態」というのと「謝罪している国々」というふたつの意味を持つ「かけ言葉」だとおもいます。 (つづく)
2015年02月12日 17:08
> 騙した主体は誰なんだ。 インドネシアの場合は、騙したのは日本軍部隊です。日本軍部隊による強制連行は、フィリピンやインドネシアでありました。そして、現地人女性が被害者の場合は、責任者もほとんど処罰されていません。 > 応じた業者が売春婦連れてきたから、手配した船に乗せた。客観的な事実はこれだけで、そこに何の問題があるとは思えない。 奴隷貿易において、奴隷狩りは現地の他の部族により行われました。しかし、カリブ海の国々は、英国の弁護士を雇って、英国、フランス、オランダを訴えました。 http://time.com/19528/14-caribbean-nations-sue-former-colonizers-for-slave-trade/
2015年02月12日 02:00
> それをいうなら、韓国政府にとってもたいしたお金ではありません。 アジア女性基金の「償い金」を受け取らなかった韓国、台湾、オランダの元慰安婦達が求めているのは、日本国による正式な謝罪です。 オハーンさんも、問題はお金でなくて、謝罪だといっています。
2015年02月12日 01:45
> 軍や官憲って現在のどこの国の祖先なんですかね。 太平洋戦争においてフィリピンやインドネシアを占領した国です。 > いわゆる強制連行と強制連行とは全く別の事をさすんですよね。 「いわゆる強制連行」の意味と、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」とはどのようなものかを説明してください。
2015年02月12日 01:14
> 日本批判のために調べ始めたのに事実を知って日本びいきに転じたテキサス親父ことマラーノさんみたいな人も頑張ってくれてますしね。事実は強い。 テキサス親父殿の主張がどれだけでたらめなのかを詳細に論じた記事があります。 http://fendnow.org/2014/11/denialist-talking-points-1-1944-u-s-military-report-on-comfort-women/ それから、テキサス親父のビデオの解説のいくつかには、英文に必要な冠詞が抜けていたり、前置詞や語句が不適当であったり、動詞の時制が誤っていることなどから、日本人によるものだろうと思ってました。 そうしているうちに、Shun Ferguson 氏、OUTSIDESOUND 氏、藤木俊一氏の英文の内容と誤りの特徴から、これらの人物が同一人物であり、テキサス親父のビデオの解説も書いていることがわかりました。 テキサス親父、マイケル・ヨン氏、ジム・アワー氏のように日本語の読めない人達が、日本語でしかない情報を使っていろいろ書いているのは奇妙です。 やはり、米国人の客寄せパンダはありがたいです。
2015年02月11日 15:20
Web で見つけた翻訳係りの人のアドレスに email をだしたのですが、そのようなアドレスはないとのことでした。電話も同様でした。翻訳係りの人は大学を辞めたようです。 ジム・アワー先生に email をだそうかどうか迷っています。
2015年02月11日 14:26
> NYタイムズは全く反省する気もなくしれっと植村隆氏のインタビューとか載せて「ウヨクウヨク!」「アベガー」を繰り返してます。 これは、NYタイムズだけでなく米英の全ての主要報道機関がおこないました、そして、それらの記事を東南アジアの国々はそのまま流しました。
2015年02月11日 14:22
However, I could sense that my parents were being influenced, and it appeared that I would be sold to Manchuria, I contemplated a variety of methods of killing myself, but my love of life and hope for a change in the future prevented me from committing suicide. My father entreated me and said: ”It’s not because of cruelty that your father wants to sell you: In comparison to your siblings, you have the attractive looks and the experiences of living away from home. It’s your misfortune to have someone like me as a father. Go this one time.” この元慰安婦は、売られて満州に行きたくないと両親に哀願し、自殺まで考えました。父親は、自分のような父親をもったのがお前の不幸だといいました。 この証言を読まれて、どうおもわれますか? 私は、娘も父親もつらかっただろうとおもい、涙がでそうになりました。
2015年02月11日 14:18
> それは、上記の例えで言えば、「自分の娘を売り飛ばしたのは親である」と米国人が知る事。そして、娘達を騙した村長や警察官や業者も全て朝鮮人同胞であった事を明らかにする事。米国人が、このケースを自分の娘と想像した時に、「売り飛ばしたのが自分自身」であると分かったときに、どんな心境になるか?当然、朝鮮人の親に最も重い懺悔を迫るだろう。 これは、米国の研究者には、よく知られていることです。 サンフランシスコ州立大学のサラ・ソウ教授の「The Comfort Women」という本には、下記のように元慰安婦の証言があります。 Soh: (page 11、元慰安婦の証言) I had no childhood. I was sold four times from the age of seven. As soon as I returned to my home in Pyongyang from Sinuiju after paying off my debt of 500 won, I recall that procures began showing up at my house, coaxing my parents. I declared to my parents that I was not going anywhere and begged them not to sell me again. (つづく)
2015年02月11日 14:11
> まあクネのお父さんが慰安婦の運営に署名したっていう 挺対協はこちらの問題も裁判を起こして追及しています。 挺対協の立場は、韓国対日本でなくて、元慰安婦対日本国政府および元慰安婦対韓国政府です。 最近の人権に関する国際法の流れは、重大な人権侵害に関しては、個人の権利は国家に従属しないというものです。この学説に従えば、慰安婦問題は日韓基本条約で解決したという主張は無意味です。
2015年02月11日 14:02
> 日韓基本条約再締結論は韓国ではでるんです ないとおもいます。 しかし、「過去のパク政権の責任追及」を行うとなると、パク政権が結んだ日韓基本条約を破棄しなければなりません。 > さっさと韓国政府が金を出せばいい話 じつは、韓国政府と台湾政府はアジア女性基金の「償い金」を拒否した人達に、同額を既に支払っています。 韓国政府、台湾政府、そしてオハーンさんが要求しているのは、日本国政府による正式な謝罪です。 > 慰安婦の請求も、本当の狙いはその為の資金獲得みたいなんです。 今も、存命中の元慰安婦の人達の数は100人ぐらいではないでしょうか?日本政府にとってはたいしたお金ではありません。
2015年02月11日 13:49
> そして、報告書の証言に食い違いがあるというのは、証言すべての信憑性を疑う根拠にはなりえても、特定の証言だけを真実として、他を排除する理由にはならんということだ。 テキサス親父やマイケル・ヨン氏、そして新たにジム・アワー氏は、この報告書だけを根拠に「慰安婦は単なる売春婦だ」と主張しています。また、Web と YouTube も、こうした主張で満載です。 この報告書に記してある慰安婦達が日本軍の手配した船で朝鮮を出発した日もわかっています。そして、慰安婦にされる女性達はシンガポールが最終目的地だと思っていたら、船はさらに航海を続け、ビルマで船から降ろされて、奥地につれていかれ、そこで観念したそうです。ただし、これらの女性達は、シンガポールで一時下船して、服などを買っています。そして、この服を日本軍が敗退したときも着ていたそうです。
2015年02月11日 13:33
> 閣議決定で、政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった。とは主張している。 アジア女性基金のサイトには、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」とそれを裏付ける資料があります。 > そして、強制連行じゃない、関与と書いてると、言葉尻をとらえて細かいことを言いたいのだろうが ジム・アワー氏の立場は、記事にあるように、「慰安婦は単なる売春婦」ということです。これは、桜井よし子氏などが、ワシントン・ポストにだした意見広告と同じ立場です。岡崎久彦氏は、この意見広告の賛同者でした。 ジム・アワー氏が書いたという記事は、実際は、岡崎研究所かどこかで用意したものだとおもいます。例えば、英語の記事では、朝日新聞の批判などはこの記事のようには書かれていません。ですから、日本語の読めないジム・アワー氏にはこのような記事は書けないはずです。