仕事で10月に民事再生法を申請した「亀屋みなみチェーン」という青森県の地場スーパーの再生の過程を、支援を表明したセルコチェーン(東京都)側からしばらく取材していたのだが、経営陣のぬるま湯体質などが明るみになり、再生手続き認可後もちっとも業績が回復せず、先週青森地裁が再生の見込みなしと判断して、民事再生手続きの廃止決定をしてしまった。
翌日から亀屋みなみの破産処理が始まり、今店にある商品を売り切ったら全店閉鎖、従業員1300人も全員解雇ということになった。こんなことってあるんだなあ、と思った。従業員にとってはたまったものではない。年末のこの時期に突然職を失い、年を越せるかどうか、という状況になってしまったのだ。
幸い今週に入り、東北で食品スーパーを展開するイオングループのマックスバリュ東北(秋田県)が、亀屋の店舗買収を発表。おそらく従業員も引き受けるだろうからやれやれだ。そういえばマイカルを支援したのもイオン(前ジャスコ)だった。4年前に私の地元のヤオハンが倒産したが、この時も支援して再建したのはジャスコだった。
数年前の山一証券の自主廃業の時、社員の呆然しとた表情がテレビなどで頻繁に報道された。あの時は朝出社したら、自分の会社が無くなっていたという状況だ。経営者に対する様々な怒りというものが、従業員ではないテレビを見ていただけの第3者にとっても、あの時は湧き起こってきたはずだ。
しかしいくら怒ってもしょうがない。結局自分の人生は自分で修復しないと、明日から生活していけない。
がんばれば報われる、一生懸命つみ重ねれば上へ行ける、というそれまで日本人の全員が信じていた神話が崩れたわけだ。どんな大企業でも、いつつぶれるかわからない。
若い人が大志を抱きにくくなったのが、今の日本の不幸なのかな、なんて考えてみたりする。
いや、ちょっと違うかな。仕事というものの捉え方が変わったのだろう。私の中でも好きな仕事をしたい、というより、好きな生活をしたい、という願望の方がいつの間にか強くなった。
職種に上下があるとは思わないが、良い会社に入って、出世するのだけが良い人生でなくなってきただけだ。
じゃあ仕事とプライベートは別と割り切って、退社時刻になったらさっさと帰るってのも何となく違う。まあ普通の会社の場合は、それでいいのだが、私のような職種の場合、決められている仕事をやるのとはちょっと違う。自分の裁量で、仕事量もコントロールできるので、やらなければやらないで済んでしまうし、とことんやり続けると1日が24時間では足りない。
疲れていて、どうしようもない時は、社内でも1番早く帰ってしまうが、どんどん仕事がうまくいき、はかどると、連日自分が会社のカギを閉めることもある。何もそこまで、と言われることもあるが、自分でいい仕事ができたと思うと、それも良い生活、充実した生活に結びついていると思うから。じゃあ365日いい仕事をしてれば一番幸せかと言えば、そうではない。時には会社を休んでしまって、温泉にでも行っていたい。温泉に行けなくなる生活は不幸だ。
この職業で食っていきたい、ってのも狭い視野のような気がしてきたんだ。何の職種でもいいから食っていければいい。その仕事を充実感を持ってできればいい。時には休んで好きなところへ行ければいい。
野望や大志が足りんなあ。覇気がないぞ、なんて言ってくる人もいそうだが、のんべんだらりと生きていたい。こうして好きなことを書いていられればいい。好きなこと書いて、それで食っていきたくないのか、とか言われそうだが、そこにお金が発生すると、好きなことって書けなくなるのよ。お金をくれる人に主導権移ってしまうから。飼い犬になってしまうのね。野良犬のようにふらふら書き散らす。
最近思うのだが、こういうホームページを続けること自体が、「覇気」の一種なんじゃないかって思う。世に中こういうことをしていない人の方が多い。こんなことやったって一銭にもならないし、自分の人生さらして削ってるようなものだ。しかしこういうことが主義主張であり、個性ではないかと思う。「野望」とか「覇気」とか言うと、大声を出すような力強い「フォルテッシモ」のイメージがあるが、やってんだかどうだかわからない「ピアニッシモ」的な表現の方法もあると思うんだ。
何度も書いてるが、やめちまったら、終わりなのさ。
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