渡良瀬リョウの週刊エッセイ

98.仕事と生活(2001.12.19)

 先日「SMAP×SMAP」に、今シーズンで引退した元巨人の槙原投手が出ていた。その日の深夜には和田アキ子・久本雅美の「新型テレビ」に、西武前監督の東尾修氏が出ていた。こういうところに年の瀬を感じてしまう。今シーズンも終わって、もう来シーズンのために、皆動き出しているんだなあ、と。
 槙原という人の人物像なんて、我々はそんなに知らなかったわけだ。結構おしゃべりさんらしい。現役選手でも桑田投手や元木内野手みたいに、マスコミによく出てくる人のイメージはあるのだが、槙原投手あたりだと投げているところしかしらなかったから、そのイメージしかない。
 巨人の場合、村田、槙原、斎藤の3人一緒に引退セレモニーをやったが、原新監督の元、新コーチ陣に招へいされたのは、村田(バッテリーコーチ)、斎藤(投手コーチ)だけ。槙原はそれについて、どう思ったのだろう。「オ、オレは?これからどうしたらいいの?」なんて感じなかったのだろうか。
 スポーツ選手の第2の人生って結構シビアだ。華やかな引退セレモニーをやってもらえるのは、実績を残した一部の選手だけ。でも引退したら要は無職だ。村田、斎藤のように、すぐコーチの道が用意される人は少ない。槙原は先日、来期のTBSの専属解説者に決まったので、やれやれだろう。
 毎年この時期に日刊スポーツが「さよならプロ野球」という特集連載記事を載せる。今シーズン限りで現役引退する選手を、チームごとに取り上げ、通算成績と今後の進路などをまとめたものだ。毎回ひとりにスポットをあてるのだが、プロでほとんど活躍できずに終わった選手が多い。
 まったく1軍に上がれず、20代半ばでクビになる選手も多く、私のような会社員から見たら、考えられない。考えてみたらスゴイ世界だ。
 実績の残せなかった選手でも、バッティングピッチャーやスカウトなど、球団に残れる選手もいるので、そういう人は幸運だ。行き先がまったく無くなり、ツテも何もなく、田舎へ帰って家業を手伝ったりする人もいる。何か泣けてくる。最近忘れていたが、大志を抱いて上京し、挫折して田舎へ帰るみたいな人生はまだまだあるのだ。最近は大志を抱く若い人が減ったのだろう。そういう私もそんな中の一人かもしれない。

 仕事で10月に民事再生法を申請した「亀屋みなみチェーン」という青森県の地場スーパーの再生の過程を、支援を表明したセルコチェーン(東京都)側からしばらく取材していたのだが、経営陣のぬるま湯体質などが明るみになり、再生手続き認可後もちっとも業績が回復せず、先週青森地裁が再生の見込みなしと判断して、民事再生手続きの廃止決定をしてしまった。
 翌日から亀屋みなみの破産処理が始まり、今店にある商品を売り切ったら全店閉鎖、従業員1300人も全員解雇ということになった。こんなことってあるんだなあ、と思った。従業員にとってはたまったものではない。年末のこの時期に突然職を失い、年を越せるかどうか、という状況になってしまったのだ。  幸い今週に入り、東北で食品スーパーを展開するイオングループのマックスバリュ東北(秋田県)が、亀屋の店舗買収を発表。おそらく従業員も引き受けるだろうからやれやれだ。そういえばマイカルを支援したのもイオン(前ジャスコ)だった。4年前に私の地元のヤオハンが倒産したが、この時も支援して再建したのはジャスコだった。

 数年前の山一証券の自主廃業の時、社員の呆然しとた表情がテレビなどで頻繁に報道された。あの時は朝出社したら、自分の会社が無くなっていたという状況だ。経営者に対する様々な怒りというものが、従業員ではないテレビを見ていただけの第3者にとっても、あの時は湧き起こってきたはずだ。
 しかしいくら怒ってもしょうがない。結局自分の人生は自分で修復しないと、明日から生活していけない。
 がんばれば報われる、一生懸命つみ重ねれば上へ行ける、というそれまで日本人の全員が信じていた神話が崩れたわけだ。どんな大企業でも、いつつぶれるかわからない。
 若い人が大志を抱きにくくなったのが、今の日本の不幸なのかな、なんて考えてみたりする。

 いや、ちょっと違うかな。仕事というものの捉え方が変わったのだろう。私の中でも好きな仕事をしたい、というより、好きな生活をしたい、という願望の方がいつの間にか強くなった。
 職種に上下があるとは思わないが、良い会社に入って、出世するのだけが良い人生でなくなってきただけだ。
 じゃあ仕事とプライベートは別と割り切って、退社時刻になったらさっさと帰るってのも何となく違う。まあ普通の会社の場合は、それでいいのだが、私のような職種の場合、決められている仕事をやるのとはちょっと違う。自分の裁量で、仕事量もコントロールできるので、やらなければやらないで済んでしまうし、とことんやり続けると1日が24時間では足りない。
 疲れていて、どうしようもない時は、社内でも1番早く帰ってしまうが、どんどん仕事がうまくいき、はかどると、連日自分が会社のカギを閉めることもある。何もそこまで、と言われることもあるが、自分でいい仕事ができたと思うと、それも良い生活、充実した生活に結びついていると思うから。じゃあ365日いい仕事をしてれば一番幸せかと言えば、そうではない。時には会社を休んでしまって、温泉にでも行っていたい。温泉に行けなくなる生活は不幸だ。

 この職業で食っていきたい、ってのも狭い視野のような気がしてきたんだ。何の職種でもいいから食っていければいい。その仕事を充実感を持ってできればいい。時には休んで好きなところへ行ければいい。
 野望や大志が足りんなあ。覇気がないぞ、なんて言ってくる人もいそうだが、のんべんだらりと生きていたい。こうして好きなことを書いていられればいい。好きなこと書いて、それで食っていきたくないのか、とか言われそうだが、そこにお金が発生すると、好きなことって書けなくなるのよ。お金をくれる人に主導権移ってしまうから。飼い犬になってしまうのね。野良犬のようにふらふら書き散らす。
 最近思うのだが、こういうホームページを続けること自体が、「覇気」の一種なんじゃないかって思う。世に中こういうことをしていない人の方が多い。こんなことやったって一銭にもならないし、自分の人生さらして削ってるようなものだ。しかしこういうことが主義主張であり、個性ではないかと思う。「野望」とか「覇気」とか言うと、大声を出すような力強い「フォルテッシモ」のイメージがあるが、やってんだかどうだかわからない「ピアニッシモ」的な表現の方法もあると思うんだ。
 何度も書いてるが、やめちまったら、終わりなのさ。


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