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だから私は、人嫌いな貴族様の傍でにゃあと鳴く 作者:浅瀬パチャ男
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だから私は、笑顔の代わりににゃあと鳴く

子猫になってから一月が経った。

猫になるのは初めてだったものの、案外上手く生きていけていた。

というのも、貴族様による手厚いサポートあってのことだが。


貴族様は場所を変え題材を変え、日がな一日絵を描いているが、食事に合わせて私の分もミルクやらなにやらを用意してくれる。

私はといえば、適度に食事を取りながら、日がな一日貴族様の後を追いかけてにゃあにゃあ鳴くだけでいい。

小さな胸を突き動かす好奇心も、彼の絵を見ていれば満たされる。

人間に戻る方法はまだわからないが、子猫として生きていくのは問題ない。というより、人間の時の私より明らかに良い生活を出来ている。

人間に戻る必要、あるかな。これ。


貴族様と暮らす中でわかったことがいくつかある。

彼は噂に違わず人嫌い。噂以上の筋金入りだ。

基本的に人と接する機会を極端に減らしており、食事の用意や屋敷の掃除や買い出しといった雑事以外は全て自分で行っている。

使用人の姿が見えるのも嫌っているのか、何事かあった際は姿を見せないことに関しては超一流の「ゴルドー」という使用人に言付けするだけで、大きな邸宅の三階のみでその生活を完結させている。(二階は全て空部屋、一階が使用人のスペースのようだ)

二三度、三階で使用人を見かけたことがある。貴族様は冷ややかな顔を気持ちムスッと歪め、何をしている途中でも暖炉の部屋に足早に帰る。

そしてその日は、ずっと部屋に籠もって絵を描き続ける。表情は険しいまま、置かれた物の模写ばかり。わかりやすい不機嫌だった。


独り言が多い。分かる。分かるよ。一人暮らしが長いと独り言が増えるよね。私はおばあちゃんと暮らしてるけど、ほとんどそんな感じだ。

特に絵を描きながらぼそり、ぼそりと思ったことを口にすることが多い。

時々にゃあにゃあと相槌を打つと、貴族様は不思議そうにこちらを見る。

まさか言葉が通じていて、本当に相槌を打たれているとは思うまい。

思うまい、が。

相槌のように返される鳴き声に、次第に私という存在を意識し始めたのか、よく私の方を見るようになった。


「リリはよく絵を見ているね」

「にゃあ」

「風景画が好きなのかい」

「にゃーん」


リリというのは私の名前……いや、私という子猫に付けられた名前だ。猫を「リリエラ」(北方に咲く白い花の名だ)にちなんだ名前にするとは、さすが貴族様は綺麗な名前をつける。私なら「シロ」とかにする。

人嫌いなわりに、貴族様は私をかわいがってくれた。

当初は餌や怪我の世話ばかりだったが、最近では私に名前を付けて、相槌のように鳴いた結果か時折話しかけるようになり。

自然な流れと言うべきか、貴族様が私に慣れ、私が貴族様を知った頃に、貴族様は私の絵を描くようになった。

部屋の真ん中でかぼちゃや石像の横に私を座らせて、色んな角度からああでもないこうでもないと筆を走らせる。


「リリ、動かないでくれよ」


一枚、二枚。風景画や人物画を描く前や、絵と絵の合間の休憩時間、衣服を正して出掛けた後など、貴族様は筆だめしや筆休めで私を描く。

私はと言うと、黙って描かれることもあれば、わざと動き回ることもある。様々だ。

「おいおい」とか「こらこら」とか言われながら抱き上げられて机の上に戻され、顔を見つめてにゃあと答える。案外これが楽しかった。鉄面皮の貴族様が、嫌味なく(というか少し楽しさすら含ませて)困っているのがわかったからだ。


「君を描いているのが一番楽しいな」


私の絵を描いている時、貴族様は私に他の絵の話をする。私と戯れている時とはまったく異なる、心から辟易した様子でだ。

普段貴族様が描いている絵は、ナントカ爵とか呼ばれているやんごとなきお家柄の人々からの依頼らしい。

人嫌いの気が強く公務や公儀に全く向かない彼が貴族派閥から追い出されずにいられるのは、どうも描く絵のおかげのようだ。

だが、依頼された絵を描くには人と会う必要があり、人と会うのは彼にとって苦痛。

人嫌いの彼には貴族社会も楽じゃないんだなぁとポーズ(ピンと背筋を伸ばして座った格好だ)を取りながら考えたものだ。


「誰にも会わずに絵を描く仕事が、あればいいのにな」

「にゃあ」


とはいえ、今は単なる子猫の私に何が出来るわけでもないし、貴族様もそれは望んじゃいないだろう。

私に出来ることと言えば、時折相槌代わりににゃあと鳴くくらいだ。



ある日のことだ。衣服を正して出掛けた貴族様が、珍しく上機嫌で帰ってきた。

どうしたどうしたとにゃあにゃあ鳴くが、言葉が通じるわけではないので返事はない。

ただ、いつもより楽しげな様子で絵に向かう彼を見ていると、私もなんだか楽しくなった。

鼻をフンフン言わせながら絵を描く彼の様子を見ると、どうやらどこかの街の絵を描いているらしい。

ただ、いつも描いている風景画とは異なりキャンバスの半分を占めるように道路が描かれている。

珍しい機嫌で帰ってきて珍しいものを描くなぁとか、これは見てても楽しくないなぁとか、そんなことを考えて、私の興味は別のものに移った。


「リリ、リリ、おいで」


しばらく経った後だろうか。

陽気に誘われてウトウトしていると、貴族様からお呼びがかかった。

眠気がいいところだっただけに、少し足取りは重い。ふらりふらりと歩いて寄れば、毎度のごとく抱き上げられる。


(なんだ、筆休めかぁ。寝たままじゃ駄目かなぁ)


あくびをしながらそんなことを考えていると、不意に手の裏(前足の肉球のこと)に冷たい感触が触れる。

ふぎゃん!とみっともなく叫んで、どういうことよと貴族様を見上げる。


「ごめんよ。少し手伝ってくれ」


ぺとぺとと、残りの手足三本にも絵の具が塗られていく。

私だけじゃなく貴族様も寝ぼけているのか。猫の瞳に浮かべられるだけの疑心を篭めて視線を送る。

貴族様は塗り残しがないかを確認していた。あまりに無防備なのでえいやと前足を伸ばして貴族様の両頬に肉球をスタンプしてやった。

少しだけ眉間に皺が寄る。しかし、頬の肉球スタンプよりも、せっかく塗った絵の具が薄れてしまったことのほうが困ったようだ。

しかし、なんでこんなことをするかね。


「ほら。今度は僕に付けるんじゃないぞ。

 それは、ここに、付けるんだ」


導かれたのは大きな絵の前。さっきの道路の絵だ。描かれた道路の丁度向こう側に、貴族様がよくおやつにくれる魚の干物が置いてある。

他の場所を歩かないように壁まで作って、まるで……

そこでピンと来た。ほほう、これはまた楽しそうなことを考える貴族様だ。

上機嫌で帰ってきたのは、これを思いついたからか、あるいはこういうのがほしいと依頼されたからか。


「リリ、まっすぐ歩くんだ。頼めるかい」


つまりこの私を画材として使おうってことだ。私が指定された道をまっすぐ歩くことでこの絵は完成する。

よろしい。その大任、果たしましょう。

そっと絵の上に乗り、そろそろと、しかししっかりと、足跡を残していく。

見事端まで歩ききり、干物を咥えて振り返る。「こういうことでしょう?」と分かってる感を出(ドヤ顔)してやる。

貴族様は絵の上の足跡を見つめたあとで私の方を見て、口元を歪めた。


「偉いぞ、リリ」


そう言いながら私を抱き寄せ、頭を撫で回す。

ということはあの表情は、ひょっとして笑顔?

彼が笑っているところを初めて見た。なんだ。笑えば案外かわいい顔をしているじゃないか。

両頬についたままの肉球スタンプも相まって、いつもよりずっと親しみやすさを感じる。

その様子に、なんだか私も嬉しくなって、笑い返したくなった。


でも、猫の顔は難しい。

こう、口が、上手く動かなくて、人間の頃みたいには笑えないのだ。

笑顔はこう、耳のところを意識して、口を持ち上げた形で、目を細めて。


「どうした、リリ。傷が痛むのか?」


あれこれと顔を動かしていると、先程から一転、貴族様が眉を寄せて私を覗き込んできた。

無茶したところで笑顔は伝わらないようだ。

仕方ない。

笑顔の代わりに鳴き声一つ。


「にゃあ」



後から聞いたところによると、貴族様と私が描いた絵は「夏の散歩道」という名前でやんごとなき御方に渡され、結構な評価を得たらしい。

「猫が主役の風景画」と言われて猫を描かず、猫の足跡だけを置く。しかも本物の猫の足跡というのも良かったようだ。

以来、似たような作品をと依頼がよく入るようになった。

思わず転がり込んできた「人に会わずに描いていい絵」に、貴族様は大喜び。

私も、肉球を貸したり、影を貸したり、大忙しの毎日だ。


そうそう。

部屋に飾られている絵(売らない大切な絵)の中に、ついに私の絵が増えた。

貴族様が私を抱いた自画像を描いたのだ。

誇らしいような、嬉しいような。そんな気持ちだ。

なんだか、まだしばらく猫で居ても、いいような気がしてきた。人間だけど。

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