▼行間 ▼メニューバー
ブックマーク登録する場合はログインしてください。
だから私は、人嫌いな貴族様の傍でにゃあと鳴く 作者:浅瀬パチャ男
1/4

だから私は、返事の代わりににゃあと鳴く

完結済み、全4話です

「に゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」


真夜中の街に響く叫び声。

追って響くは石畳を削る無数の爪音。時折叩きつけられる敵意の籠もった犬の声。

慣れない四足を必死にかき回し、少しでも前に身体を進める。

少しでも速度を落とせば、後ろでガチガチ鳴らされている獣の牙が乙女の柔肌に食い込むことになる。


(乙女の、柔肌……どこ行った!?)


振り返って見えるのは、白い毛ふさふさの小さな身体。見覚えはないが間違いなく、今の私の身体だった。

どうしてこうなった。どうしてこうなった。私のこれまでになにがあった。

ひとつひとつ、順を追って振り返ってみよう。


今日の昼、私はカイゼルさんにデートに誘われた。

カイゼルさん自体は悪い人ではない。気風きっぷもいいし顔もいい、金回りもいいので女性ウケもいい。

しかし、婚約者が居るのに「運命の出会いだ!」と別の女性に本気で恋する癖がある。いわゆるアレだ。恋多き男だったのだ。

今日のカイゼルさんは恋の病が絶好調で、あろうことか婚約者のミリーさんの目の前で私を口説いたのだ。

とはいえ、極々軽いもので、「今度お店に遊びに行くからその時はお茶でも付き合ってよ」程度のものだったのだけど。


カイゼルさんの婚約者のミリーさん。人呼んで『呪殺令嬢』。

過去にカイゼルさんの女に纏わる噂が街に流れた際に、街に大型肉食獣に噛み殺された死体が転がったことがある。

その死体が『カイゼルさんの浮気相手』であったことから、本当は彼女が犯人ではと噂されるものの、確たる証拠はない。

いつのまにか街から消え、いつの間にか路地裏に転がっている恋敵の死体。犯人は見えない大型肉食獣。

恋敵という点以外はなにも彼女との接点はないのだ。


ちょっとやばいかと思いつつ、まぁ噂は噂だと家で仕事の刺繍業に取り組んでいた頃。

喉の乾きから家の水を飲むと同時に体の中を渦巻くような不調が襲い、気づくと私は子猫になっていた。

何事だとあわあわ回りを見回す中で、開け放たれる戸。そこから覗くのは、ミリーさん。

そして彼女に付き従うのは、彼女が生まれた時から大事に育てている猟犬たち。


ピンと来た。

家の水に製法不明の猫化薬を混ぜて飲ませる。

猟犬が猫化した女を噛み殺す。

猫化が解除され、猫が女に戻る。

猟犬の牙の傷が巨大化し、不明な大型肉食獣に襲われた死体の完成! 呪殺完了!

まさか『呪殺令嬢』の真実を、この身で知る日が来ようとは。


とかなんとか言ってる暇もなく、裏口から飛び出して、逃げて、逃げて、また逃げて。

一度噛みつかれたが、人間様をなめるなよと的確に眼を狙った猫パンチで拘束を振りほどきまた逃げて。

そして、冒頭に至る。


(落ち度が……落ち度が見当たらない!)


完全に被害者です。本当にありがとうございました。


(というか、これ、カイゼルさんのせいでしょ!? なんなのあの人、自分の浮気相手が死んでるの、ご存じない!?

 ミリーさんもミリーさんだよ! 襲う前に一言ちょうだいよ!! 誓って浮気なんかしないんだから!!)


叫べども、叫べども、猫の喉では言葉にならず。

ただにゃあにゃあと鳴くばかり。


がむしゃらに逃げて、逃げまくって。ついに街外れまでたどり着き、ちらりと見上げる大豪邸。

知っている。ここは街の人間は誰も寄り付かない、この街で一番偉い貴族様の館だ。

鉄柵の門はいつも固く閉ざされている。聞いた話によれば、大層な人嫌いで、いつだって門を閉ざしているのだとか。

伝え聞いた話によれば、やんごとなき家柄のご子息でナントカ爵の位を賜っているとか、親からこの地の管理を任され少ない使用人とともに暮らしているとか。

街の誰もが貴族様の姿を見たことがない。市井の人々とはかけ離れた見た目をしているとか、いつも汚れた服を着ているとか、なにかと噂ばかりが先に立つ貴族様が住まう邸宅だ。


そんな情報はどうでもいい。

今の私に大切なのは、あの鉄柵の門の幅が、丁度子猫一匹分ほどしかないということだ。

猫特有の柔らかい身体ですり抜けると、後方で二三度ガシャンガシャンと門が揺れる。

人間様の知略を見抜けなかった猟犬達が、勢い余って門にぶつかったのだ。ざまあみろ!

猟犬たちはなおも諦めず、ワンワンギャンギャン吠えまくる。そんなに熱烈にアピールされても戻るつもりは毛頭ない。


一息ついて、膝を折って伏せる。伏せた瞬間に、自分の間違いを悟った。

立ち上がれない。

我を忘るほどに走り続けていて気づかなかったが、信じられないくらいに噛まれたところが痛い。

しかも子猫の身体、体力も底をついたらしく、力が入らない。折角逃げ切れたというのに、これではもう、動けない。

その上間の悪いことに雪まで降ってきた。この辺で夜に降る雪は、明日の朝まで続く雪だ。

白い子猫の身体に、白い雪がしんしんと降り積もっていく。

人間の時にはなんとも思わなかった雪の一粒一粒が、重くて冷たい。


(ああ、これは……悪い事した、かなぁ)


ふと思ったのは、この家に住む貴族様のことだった。

朝起きて、謎の死体が家の前に転がっていたら、さぞ驚くことだろう。

せめて猫のまま夜を明かせれば、『呪殺令嬢』の真実も知れ渡るだろうに。

なんて柄にもないことを考えたあとで。

家に残したままのおばあちゃんのことや、作りかけの刺繍のことなどを考えながら。

私はゆっくりと、雪の冷たさと重みに負けて、目を閉じた。






暖かさ。

まず感じたのは優しい暖かさだ。

人より優れた猫の耳が、薪の燃える音を聞き分ける。

その音の心地よさにふわふわとしたままうとうとしていると、ずきんと身体が痛んだ。

目を開く。見慣れない白ふわの身体があった。更に見慣れない白い布が巻かれている。


何事だろう。

ここはどこだろう。

傷が痛まない姿勢を意識しながら身体を起こす。

目覚めた場所は、暖炉の前、クッションの敷かれたバスケットの上だった。

思考を辿ってみる。私の記憶は確かに、雪に埋もれたところで切れている。

となるとここは。


「……目が覚めたかい、猫君」


声に従い、振り向く。

声の主は板と棒を手に持ったままこちらを見つめていた。

目があった。子猫の目と、人の目。暖炉の火が揺れるばかりの薄暗い部屋では消えてしまいそうな、くすんだ琥珀色の瞳だった。


噂に曰く、市井の人々とはかけ離れた見た目。

闇の中でも分かる鮮やかで美しい金色の髪に、くすんだ琥珀色の瞳。それらがよく似合う整った顔立ち。

すらりとした、という言葉が似合う体つきも相まって儚さを感じる見た目だ。

カイゼルさんが霞んで思えるほどの美しさに、ちぐはぐな汚れた衣服。

おそらく、彼こそが貴族様で間違いないだろう。


「少し、休んでいくといい」


一言だけ残して、貴族様は背を向けてしまった。

あとに残されたのは子猫一匹。お言葉に甘えて休ませてもらおう。


とは思ったものの。


(いや、いやいやいや、人間に戻らなきゃ!)


猫のままで居ては不便極まりない。残してきた家族や仕事が心配だ。

まあ、祖母はだいぶおおらかな人なので、私がしばらく戻らなくても死体が出なければそんなに心配しないだろうし。

やりかけの刺繍についても敏腕刺繍屋の祖母が完成させるだろうし。

下手に帰れば呪殺に失敗したミリーさんから口封じのために再度呪殺(物理)を狙われるかもしれないし。

今人間に戻ったら噛まれた傷が大きく広がってまた酷くなるかもしれないし。

そもそも人間に戻ったら人嫌いの貴族様から即刻追い出されるかもしれないけど。


……無理に今すぐ人間に戻る必要があるのか、ちょっと不安になってきた。

とりあえず、怪我を治るまでは、貴族様の家に隠れていることにしよう。そうしよう。


となると、次にやることは一つ。


(暇だ)


暇つぶしだ。

ただ寝ているだけというのは、子猫の私にはちょっと耐えられない。

子猫になった影響か、周囲の全ての感じ方が異なる。動くものには目を引かれるし、かすかな物音の正体も気になる。そのせいで、じっとしているのをいつもより強く「暇」と感じているのだろう。

暖炉の火が揺れるのすらなんだか気になってしょうがない。このままじっとしていると、暖炉の火にそっと手を伸ばしてしまいそうだ。

体の痛みより、むしろこっちの方が大事に繋がりかねない。

身体を伸ばしたり縮めたりして痛みの程度を確認したあとで、バスケットから柔らかい絨毯の上に飛び降りる。

駆けずり回ったことで四足の使い方がだいぶ慣れてきたみたいだ。なんならしっぽも動かせる。成長。


そろそろと痛みを感じない歩き方を模索しながら、まず向かったのは貴族様の居る方だ。

棒と板を持っていたのは見えたし、子猫が起きるのを待ちながら何かをしていたのだろう。

小さな四足をいっぱいに動かして移動すれば、貴族様の向こう側が見えてくる。

そこに有ったのは、絵だった。

子猫の身でもため息をついてしまいそうなほどに、美しい風景が描かれた絵だった。


貴族様は私に目もくれず、手に持った棒―――絵筆を駆使して絵を描き続ける。

見つめている間に風景が生まれ続け、鮮やかな世界が紙の上で動き始める。

まるでそこで暮らしている人間の呼吸まで伝わってくるような、港町の絵だった。

海鳥が追加され、小舟が浮かび、魚が山のように積まれ。


「……」


そこでぴたりと、筆が止まった。

次は何が描き込まれるのか待っているのに続きが来ない。

次は買い物に来た親子でも描いたらどうだろうと貴族様を見つめると、再び貴族様と目があった。

じっと見つめられる。だからじっと見つめ返す。

どういった感情が篭められているのか、まるでわからない。貴族様の表情は、まるで固まった蝋人形のようだ。


「……」

「……」

「……」

「……にゃあ」


心苦しくなって、先に私の方が口を開いてしまった。

柔らかい絨毯に、苦しさから放ったにゃあの一言が吸い込まれ、消えていく。

再び広がる沈黙。貴族様はゆっくりと筆を降ろし、私を見つめて、言った。


「腹でも空いたのかな」


ぽつりと残し、絵を描くのに使っていた道具を置いて、部屋の向こうに歩いていく。きっと私の食事を用意してくれるのだろう。

そりゃそうか。子猫が絵を見て楽しんでいるとは思わないか。実際お腹も少し減っているので助かる話だ。ありがたい。感謝。

貴族様不在の部屋で一人、いや一匹、部屋の中をフンフン見回す。

よくよく見れば、暖炉の部屋にはいくつもの絵といくつもの紙が広げられていた。

飾られた物、描きかけの物、色合いが違う物。人が描かれた物、動物が描かれた物、風景が描かれた物、様々だ。

全ての絵が細部まで描き込まれており、一枚の絵を見ているだけでも飽きない。


いくつかの絵を見回りながら、気に入った風景画(どこかの邸宅の庭だろうか、花と水と建物が描かれている)の前に陣取る。

なんだか草の色が変だな、なんて思いながら見つめていると、耳とひげがぴんと動く。

人間ではたぶん聞き取れないくらいの音を立てて、背後に皿が置かれる。皿に注がれているのは、おそらくミルクだった。

皿を置き終えた貴族様は、再び描きかけの港町の絵の前に戻ってしまった。


ちびちびミルクを舐め、思ったよりも胃に溜まることに子猫の身体の小ささを再度実感し。

ある程度お腹が膨れたところで、私も貴族様の横に移動する。

あれから描き加えられたのは木箱だった。なんだか、木箱三個置いただけで絵がぎゅっと引き締まった感じがする。貴族様の描く絵は面白い。


見上げているとまた筆が止まる。

だが、私は学習した。ここで貴族様の方を向くと、また私が先ににゃあと鳴くことになる。

だから、あえて絵の方を見つめ続けた。


「……猫君」


しばらく間をおいて、貴族様が口を開いた。

呼びかけに応え、ようやく目線を貴族様の方へ向ける。

貴族様は私を見下ろしたまま、再びしばらくの間をおいて、子猫の私にこう尋ねた。


「……絵を見てるのかい」


問われれば答えねばなるまい。

だから私は、返事の代わりに鳴き声一つ。


「にゃあ」


これが、子猫な私と貴族様の出会いだった。

  • ブックマークに追加
ブックマーク登録する場合はログインしてください。
ポイントを入れて作者を応援しましょう!
評価をするにはログインしてください。

感想を書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。