フィギュアヘッド
船首にあって航海の安全と乗組員の無事を見守る。
4階、「海がつなぐ世界文化」のコーナーの一つで、'83大阪世界帆船まつりやSAIL OSAKA'97に来航した帆船のフィギュアヘッドの複製を展示してある。
写真は、手前から、インドネシアのデワルチ(DEWARUCI、58.31m、810g.t.)、コロンビアのグロリア(GLORIA、74.20m、1067g.t.)、チリのエスメラルダ(ESMERALDA、113.00m、3673g.t.)、日本丸(NIPPON MARU、110.09m、2570g.t.)、の各フィギュアヘッド。
ヨットシュミレーター
ヨットと言っても、シーホッパーの様な一枚セールのキャットリグディンギー。
同じく4階にあり、一回300円で、初級、中級、上級の3コースがある。
初級をやってみたが、ちょっと短すぎ。中級以上にすればよかった…。
しかし面白い。これがゲームセンターにあるとはまってしまいそう。
前のスクリーンを見ながら、テラーとシートを操作するだけだが、ちゃんと傾くし揺れるし風もくるし、タイムやランキングなんかも出る。
一回100円だったらこれやりに来てずっと粘っててもいいと思う。
住吉大社の高灯籠
3階は、「大坂みなとの繁栄」。
江戸期の大坂湊の紹介が中心。
写真の高灯籠は、住吉大社に置かれたものの模型。
住吉大社は、古代より住吉津の守り神で、仁徳天皇以来、海上安全の守護神とされてきた。
遣唐使船には、神職の津守氏が乗船し、江戸時代には船主や船頭が多数の船絵馬奉納した。
高灯籠は、底辺12m四方の石垣に立てられた高さ21mの木製の常夜灯で、初期には積み上げた石の上で薪を炊いて合図をしていた。
建造は鎌倉末期で、日本最古の灯台とも言われるが定かでは無い。
後に菜種油を灯して航路の目標となり、1908年に電灯に代わり、1950年まで用いられた。
江戸期の住吉社細見絵図(1771)には、高灯籠が描かれている。
1974年に住吉公園内の、もとあった場所から東に200mの位置に復元された。
大坂湊の賑わい
大坂湊に入港する大船、小船のジオラマ。
江戸時代の大坂湊は、安治川と木津川に分かれていた。
安治川は上方~江戸航路の菱垣廻船や樽廻船の拠点であり、両岸に廻船問屋が軒を並べていた。
木津川は瀬戸内、北九州の諸都市を結ぶ貨客船の拠点であり、中・小型の渡海船は、土佐堀川などの水路網を利用して市内各所から発着した。
これらの発着所は細かく定められており、勘介島(薩摩・日向船)、堀江川口(阿波・淡路洲本船)、長堀川口(土佐船)、立売堀口(丸亀船)、安治川口新地(岡山船、鞆・福山・尾道船、高松船)、土佐堀川筋越中橋詰め(玉島・広島船)、筑前橋詰め(筑前・小倉・下関船)、肥後橋詰め(大洲・宇和島船)、栴檀木橋詰め(鞆・福山・尾道船、金毘羅船)、などから、西国通い1638船の発着が記録されている。
さらに道頓堀川にも阿波・淡路洲本船や金毘羅船・泉州表への渡海船の発着所があり、また大川沿いの八軒家からは京都との川船が発着していた。
渡海船は多くは数十石の小渡海船で、淡路船や金毘羅船の様に、近隣地域からの定期的な貨客輸送に用いられたが、小倉渡海など、北九州航路の大きいものには四百石積みのものまであった。
川舟、湊、蔵屋敷
室町期の大坂は、本願寺の寺内町として発展を遂げたが、川が多く、地形的にも良港であり、さらに豊臣秀吉の本拠地として整備され、江戸期には米、貨幣交換のための蔵屋敷の立ち並ぶ、日本経済の中心地となった。
海運においては、北前船の西廻り航路、東廻り航路の拠点として、連日多数の船が出入りする国内最大の港町であった。
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