なにわの海の時空館(3)

Osaka MariTime Museum(大阪府大阪市)



なにわの海の時空館


引き続き、4階の、『海の道~世界の海洋交流史~』の部屋から、「大洋を行き交った船」のコーナー。 ここでは、アラブ、中国、日本の帆船を紹介。


 

アラビアのダウ
2本マスト2枚縦帆のダウ。
船首と船尾が鋭く尖り、大縦帆をもつ。
以前は釘を用いずココヤシの繊維で船体を縫い合わせて作っていて、マルコ=ポーロの「東方見聞録」にもその記述がある。
後にヨーロッパ帆船の影響を受け、バウスプリットを持つものが表れ、17~18世紀移行は釘を使うようになった。
紀元前から現代まで用いられている。


 

 

東南アジアのアウトリガー船
上は1/120、ボトルシップ。8世紀~9世紀。
下はレリーフ。1世紀~9世紀。
通常アウトリガー船は漁業や近距離交易に使われる小型のものが多いが、これはボロブドゥールの浮き掘りにあるもので、交易用と考えられるかなり大型のもの。
船体の両側からアウトリガーを突き出してフロートを装備。


 

 

中国のジャンク
唐代末期から南海交易に用いられ、現代に至っても目にすることができる。
外部には厚い外板を張り、頑丈な太い角材を積み重ねた横隔壁が何枚も重ねられ、沈没しにくい。
外洋をいくものには竜骨を備えたものも表れ、明代には鄭和によってアフリカに至る大航海が行われた。
バテンを用いた伸縮する帆が、帆柱の中央からずれてかかっている。
かつては竹を削いだものを編んで笹を差し込んだ板状で撓みの少ない網代帆であったが、18世紀に入って帆布を用いるようになった。
ここに挙げたのは、3本マストのジャンクの模型。
舳がとがっていたり、船尾楼が高かったりと、西洋帆船の影響を強く受けた形で、典型的とはいいがたい。
甲板に見える横置きの巻上げ機が珍しい。
舵の造りは西洋帆船に近いが、視界が広く、こちらの方が使いやすそう。


 

日本前朱印船
1/300のボトルシップ。
説明では1630年代に日本で作られた海外交易船、となっているが、そうすると、サン・ファン・バウティスタ(1613)より後に造られたことになる。徳川幕府の大船禁止令が1609年、寛永の鎖国令が1633年、鎖国の完成が1639年であるから、国産の外洋純帆船としては最終世代に属する。
船体や帆走技術は中国の影響を受け、前2本のマストは中国式縦帆、ガレオンの影響を受けてバウスプリット、トップスル、ミズンの三角帆、さらに各所に和船の特徴も見られる。
このような混合型の帆船を、ミスツィス造り、あるいは日本前、と呼び、遠洋航海に十分耐えられる造りをしていた。
しかしながら、鎖国令の影響により、この造船技術は引き継がれることなく、やがて衰退し、消滅していった。




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