令和も1カ月が過ぎ、雅子さまの仕事スタイルも通常モードになった。宮中祭祀のお休みと、ある少女とのつながり。そんなメリハリ勤務の様子を、コラムニストの矢部万紀子がつづる。
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皇后雅子さまが6月16日、「香淳(こうじゅん)皇后例祭」を静かに欠席された。
上皇さまの母である香淳皇后の命日にあたる日に行われるもので、天皇陛下お一人が装束姿で皇霊殿に拝礼した。
「静かに」と表現した訳は後述する。もう一つ、その前日の15日にも、雅子さまをめぐる「静かな」変化があった。静かなというのは私の勝手な解釈だ。何があったかというと、朝日新聞に陛下と雅子さまと、ある少女の物語が掲載されたのだ。「そくいおめでとうございます」と平仮名の見出しと共に、お二人と少女との交流が書かれていた。
ここから雅子さまへの「ゆる公務の勧め」を書きたい。僭越なこととは承知の上だが、まずは16日の話から始める。
皇霊殿に上がったのは陛下だけだったが、秋篠宮さまご夫妻をはじめ皇族方が合計6人、庭上で拝礼した。だから「雅子さまだけが」欠席したと騒がれてもおかしくない事態だった。
欠席への理解が広がる
皇太子妃時代の雅子さまは実際、宮中祭祀を苦手とされ、2004年に療養に入ってからの出席は3回だけだった。拙著『美智子さまという奇跡』執筆のため、雅子さまと宮中祭祀に関するさまざまな人の発言を読んだ。世代によって意見がまるで違っていた。
ざっくり分けるなら、皇太子さま(当時)、雅子さまと同世代の人は、「できなくてもいいし、できない理由も理解できる」という立場だった。たとえば「血の穢れ」を避ける考えや、女性にひどく負担の多い装束といった宮中祭祀の「非合理性」に注目してのものだった。
一方、終戦前に生まれた人たちは、「嫁ぐ前から、そのようなしきたりのあることはわかっていたはずだ」と捉え、「祈らない皇室は、皇室でない」と訴えていた。
令和になって雅子さまは、「期日奉告の儀」という宮中祭祀(さいし)を無事に務められた。髪は大垂髪にし、古式装束に身を包み、三殿を拝礼した。だが逆に、それが雅子さまのハードルを上げたという見方を、ある皇室研究者から聞いた。
「期日奉告の儀」は即位の礼と大嘗祭の期日を陛下が報告する祭祀で、言うならば「お代替わりスペシャル」。だから、雅子さまの出席はある意味当然。一方「香淳皇后例祭」は通常の祭祀。だから、欠席すれば再び「やはり雅子さまは、宮中祭祀に熱心でない」と批判が高まるのではないか。そういう指摘だった。
皇太子妃時代を思い出し、暗い気持ちになった。が、杞憂だった。雅子さまは欠席したが、問題視する意見は聞こえてこなかった。皇太子妃時代には同世代だけのものだった「欠席」への理解が、令和になって広がった。雅子さまの適応障害という病を前提に、できること、できないことを温かく見守る。そんな空気が広がっていると感じ、安堵の気持ちを込めて、「静かに欠席」とした。
これは、お二人のスタイルが受け入れられ始めた証しかもしれない。上皇さまと美智子さまは宮中祭祀に大変熱心だった。国内外に一緒に出かけ、美智子さまは常に陛下から一歩下がっていた。だが雅子さまには、令和らしい新しい皇后像をつくっていただきたい。そう思った国民も多かったからこそ、トランプ大統領夫妻を迎えた姿が大評判になったのだと思う。(コラムニスト・矢部万紀子)
※AERA 2019年7月1日号より抜粋
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皇后雅子さまが6月16日、「香淳(こうじゅん)皇后例祭」を静かに欠席された。
上皇さまの母である香淳皇后の命日にあたる日に行われるもので、天皇陛下お一人が装束姿で皇霊殿に拝礼した。
「静かに」と表現した訳は後述する。もう一つ、その前日の15日にも、雅子さまをめぐる「静かな」変化があった。静かなというのは私の勝手な解釈だ。何があったかというと、朝日新聞に陛下と雅子さまと、ある少女の物語が掲載されたのだ。「そくいおめでとうございます」と平仮名の見出しと共に、お二人と少女との交流が書かれていた。
ここから雅子さまへの「ゆる公務の勧め」を書きたい。僭越なこととは承知の上だが、まずは16日の話から始める。
皇霊殿に上がったのは陛下だけだったが、秋篠宮さまご夫妻をはじめ皇族方が合計6人、庭上で拝礼した。だから「雅子さまだけが」欠席したと騒がれてもおかしくない事態だった。
欠席への理解が広がる
皇太子妃時代の雅子さまは実際、宮中祭祀を苦手とされ、2004年に療養に入ってからの出席は3回だけだった。拙著『美智子さまという奇跡』執筆のため、雅子さまと宮中祭祀に関するさまざまな人の発言を読んだ。世代によって意見がまるで違っていた。
ざっくり分けるなら、皇太子さま(当時)、雅子さまと同世代の人は、「できなくてもいいし、できない理由も理解できる」という立場だった。たとえば「血の穢れ」を避ける考えや、女性にひどく負担の多い装束といった宮中祭祀の「非合理性」に注目してのものだった。
一方、終戦前に生まれた人たちは、「嫁ぐ前から、そのようなしきたりのあることはわかっていたはずだ」と捉え、「祈らない皇室は、皇室でない」と訴えていた。
令和になって雅子さまは、「期日奉告の儀」という宮中祭祀(さいし)を無事に務められた。髪は大垂髪にし、古式装束に身を包み、三殿を拝礼した。だが逆に、それが雅子さまのハードルを上げたという見方を、ある皇室研究者から聞いた。
「期日奉告の儀」は即位の礼と大嘗祭の期日を陛下が報告する祭祀で、言うならば「お代替わりスペシャル」。だから、雅子さまの出席はある意味当然。一方「香淳皇后例祭」は通常の祭祀。だから、欠席すれば再び「やはり雅子さまは、宮中祭祀に熱心でない」と批判が高まるのではないか。そういう指摘だった。
皇太子妃時代を思い出し、暗い気持ちになった。が、杞憂だった。雅子さまは欠席したが、問題視する意見は聞こえてこなかった。皇太子妃時代には同世代だけのものだった「欠席」への理解が、令和になって広がった。雅子さまの適応障害という病を前提に、できること、できないことを温かく見守る。そんな空気が広がっていると感じ、安堵の気持ちを込めて、「静かに欠席」とした。
これは、お二人のスタイルが受け入れられ始めた証しかもしれない。上皇さまと美智子さまは宮中祭祀に大変熱心だった。国内外に一緒に出かけ、美智子さまは常に陛下から一歩下がっていた。だが雅子さまには、令和らしい新しい皇后像をつくっていただきたい。そう思った国民も多かったからこそ、トランプ大統領夫妻を迎えた姿が大評判になったのだと思う。(コラムニスト・矢部万紀子)
※AERA 2019年7月1日号より抜粋
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