今週のお題「大人になったなと感じるとき」
大人は寄る辺ない存在です。
Episode34”戦慄”35”愛憎”
かなり胸糞悪いヤマアラシ種怪人ゴ・ジャラジ・ダ戦のエピソードである。
まあ、僕は電気羊種怪人のヌ・リョウグ・ダなんですが。怪人のくせに回避性パーソナリティ障害に罹患しており、こういう難しいテーマを扱っている話の感想をついつい後回しにしてデレステでコミュをスキップマイニングしてジュエルを集めて大槻唯を天井したりしている。ノワール高垣楓さんの新SSRも欲しいんだけど。夏休みの宿題も最終日にするタイプ。
ところで、僕は怪人なのだが、人間社会に潜伏する際に人間と融合合体したのでその記憶もある。グノーシス主義的には、僕の本質的な所属は脳内妹のいる至高現実のイデア界であり、肉体は基底現実に投影された影に過ぎないという面もある。
そういうわけで、僕は自分が人間なのか怪人なのか異界の来訪者なのか、自意識が分散している。で、今回の仮面ライダークウガのゴ・ジャラジ・ダ戦のエピソードは正義と暴力、怪人とヒーローの境界線上の話なので、どっちつかずな僕としては、色々と思うところがある。
精神科医には、広告収入で糊口をしのぐセミプロブロガーとしては読者を集めるイメージ戦略として、あまり自分語りをしないように言われているのだが。自分の頭に思い浮かんだことをブログに書き捨てないとずっと頭の中でぐるぐるする病気だし、このブログは僕のチラシの裏の王国であるし、世間体を気にして好きなことを書くなとか言われたら筒井康隆だって怒るだろう。なので、書く。
また、冒頭に死亡する男子高校生役の芝居が無敵超人ザンボット3の人間爆弾みたいな悲壮感あふれる感じで、非常に胸糞悪いエピソードである。今回は被害者が少年であることもあり、これまでの仮面ライダークウガの番組上の描写では怪人に殺害される場面くらいしか出番がなかった犠牲者だが、親子関係とか学校の友人知人が出席する葬式とか、被害者の顔がリアルタイムで報道されるテレビなど、死亡予告をされた時、死亡する時、死亡後と、犠牲者の描写が強調されていて、まあ、胸糞悪い。(しかし、美形だとかスター俳優というわけでもない若手の脇役俳優なのに、犠牲者の青年の役者の芝居は迫真であるなあ)
胸糞悪さが強調されているので、五代雄介が怪人に対して怒りを爆発させて、ライジングフォームから先の強化形態であるアルティメットフォームになるきっかけとして劇的に機能するエピソードでもある。
未確認生命体第0号、ン・ダグバ・ゼバが弱い怪人を粛清するなど、敵であるグロンギの側もファイナル・ゲームに向けて段階を上げている。(第3号ズ・ゴオマ・グの暴走も始まる)
同時に、グロンギとはわかり会えない五代雄介が幼稚園児の喧嘩の仲裁をして人間同士はわかり会えるはずだと願う描写もある。(戦場カメラマンだった五代雄介の父親は、雄介が小学6年生の時にアフガニスタンで死亡しているが、五代雄介は外国人を憎むことなく、大学でおそらく文化人類学を履修して、海外旅行で見聞を広げる活動をしている。2001年のアメリカ同時多発テロ事件の前年の番組である)
一条薫警部補のセリフでは、グロンギとは価値観の違いが決定的でわかりあえない、と言っているもの、同時に沢渡桜子さんに長野で起きた第0号による大量殺戮の現場の調査を依頼して、そこに残された古代文字からグロンギの文化を知ろうとする姿勢もある。(第0号による虐殺の現場に女子大学院生を派遣して、護衛には巡査が一人だけ、というのはちょっと危機管理としてはどうなのかという気もするのだが)(一条薫はグロンギの文化を調べるのはあくまで捜査の一環であると思っているが、同時にグロンギと等しくなる行為でもある)
なので、単に胸糞悪いエピソードというわけではなく、かなり多重的で技巧的にも凝った筋書きなのであるが。
怒りに任せてクウガがジャラジを圧倒的に惨殺するのが印象的だが、「なんで僕たちは殺されないといけないんですか」と怪人に狙われている少年に「理由なんてないよ」と即答する五代雄介がちょっと怖かった。(まあ、「理由のない殺人を許さないから、絶対に守る」という意味でもあるが)自殺者はゲームのカウントに入らないってグロンギの気持ちを一瞬で推理できるようになった五代雄介は、まあ、推理パートのテンポアップでもあるんだけど、怪人に近い思考回路になりつつあると示唆されてるのかも。
- 怪人少年ネオむぎ茶世代だった僕
今ではすっかりおじさんになってしまった僕だが、仮面ライダークウガが放送された20年前は浪人生の18歳であり、その前年の1999年の世紀末では「キレる17歳世代」と忌み嫌われていた。同年代に酒鬼薔薇聖斗やネオ麦茶を名乗る少年犯罪者がいた。
さーて、ここから本格的に気持ち悪い自分語り長文おじさんブログが始まるぞー!
1982年、機動戦士ガンダムIIIめぐりあい宇宙、伝説巨神イデオン接触篇・発動篇、戦闘メカ ザブングルのニュータイプとして誕生した世代だ。ちなみに誕生日はキングゲイナーの日なので、僕はサタンの申し子でもある。
幼少期からアニメを見て、図書館で筒井康隆の不条理絶滅小説やカードダスやコミックボンボンやゲームに親しみ、9歳にして初リアルタイムガンダムのF91でコスモ貴族主義や資源枯渇問題を学び、小学6年生でシャクティ・カリンと同年代で機動戦士Vガンダム、中学2年生で碇シンジと同時に新世紀エヴァンゲリオン、高校ではブレンパワードの伊佐未勇、ターンエーガンダムのロラン・セアックと17歳を戦い抜き、2002年にはキングゲイナーのゲイナー・サンガやNHKにようこそ!の佐藤達広とともに引きこもっていたオタク純粋培養世代である。その後の大学時代にはリーンの翼のエイサップ・鈴木の悪友のロウリィと同じく反米、反中華思想と言うか人類文明に反する思想を持ったりしていた。
その後、キレる17歳世代の大先輩であるカミーユ・ビダンの新訳劇場版で薫陶を受け、多少丸くなった。
うーん。富野由悠季のオタクになるのも必然である。
ちなみに最近名前が変わったらしいセンター試験ではキチンとニチアサのおジャ魔女どれみを見てから9割得点して国立大学に進学した。ニチアサは力なんだ!テストの点数は3点でも後々の努力で挽回できるが、見たかったアニメを見たい時に見れないという経験は一生引きずるので、アニメをちゃんと見るか録画してからテストに向かって欲しい。
ちなみに仮面ライダークウガの放送中には浪人だったこともあり毎晩筋トレと縄跳びをして体を鍛えてブロック塀にマイティキックの真似をしていた。今でも10メートル以内の相手なら不意打ちで頭を蹴り飛ばすことができると思う。
秋葉原殺傷事件の加藤智大とも同じ1982年生まれ。
Wikipediaのキレる17歳世代の項目を引く。
青年期
社会への関心を抱く頃にはすでにバブルは崩壊していて、成長過程で「失われた10年」を目のあたりにしている。様々な場面状況に耐えてきて、比較的プレッシャーに強い世代ということから『プレッシャー世代』と名付けられた。また、別名では『ミニマムライフ世代』とも呼ぶ。日本の景気の良かった時代を知らないという時代背景により、生きていくことにプレッシャーがあることを当然と思って育ってきたと言われている。
実際には未成年による殺人事件などの重犯罪発生件数および10歳から20歳未満の少年人口10万人当たりの殺人事件などにおける少年刑法犯検挙人員比率を年次別の統計で見た場合、2000年(平成12年)に目立った少年犯罪の増加は見られない[12]。新潟青陵大学大学院の碓井真史(犯罪心理学)も「統計を見ても、82年生まれに犯罪者が多いというわけではない。殺人など凶悪犯罪の件数は年々減っているわけで、82年世代の事件に、たまたま印象に残るものが多いというだけ」と語っている。
碓井真史は1982年(昭和57年)生まれの犯罪が注目されやすいことについて、「82年世代は高度成長期が終わり、豊かで合理的な時代に生まれた人たち。容疑者に共通するのは、もともとは優秀だったこと。優秀な人たちが合理的な時代に適合できず、何らかの理由で挫折し『こんなはずではなかった』という思いが、犯罪に走らせている」と分析し、1982年(昭和57年)生まれの犯罪が注目されることが多いことについて「犯罪心理学の調査で、猟奇殺人や快楽殺人、親殺しなどは教育水準の低い貧困地域ではなく、先進国の中流層で起きることが分かっている。合理的で豊かな社会環境だからこそ、一般には理解しがたい凶悪事件が起きている」と語っている[5]。
というわけで、特に量としては少年犯罪は多くないのだが、異常殺人が多い世代なのである。それで、特に犯罪傾向が高いわけでもないのだが、ワイドショーのイメージ操作とか新聞の世論などで教師にも親にも異常者として扱われていた。お前たちにその気持ちがわかるか?
特にこの世代でオタクをやってきた者の実感としては、まず、幼少期、小学校に上がるか上がらないかの頃、1989年に宮崎勤による連続殺人事件が起きた。被害者と同年代でありながら、子供らしくゲームやアニメを見ているとオタクで犯罪者予備軍だと学校の同級生や親に異常者扱いされた。で、中学から高校に上がるくらいの1997年の思春期に宮崎勤は死刑判決を受けて、そこでもまた再度報道がなされた。
新世紀エヴァンゲリオンのブームや宮崎駿監督作品の経済効果はオタクの地位を向上させ注目させることにもなったが、変なアニメであることは間違いないし、オタクは異常者扱いされた。
ここで、生育環境として分裂が起きるわけです。被害者と同年代でありながら、内向的で成績がよく、他の子供が読めない分厚いミヒャエル・エンデのはてしない物語などの本や筒井康隆の面白残虐SFを読みガンダムを見ているとオタクとして加害者と同じように異常だと扱われる。
子供なので、自分は面白いコンテンツを面白がっているだけだし、勉強も興味本位で面白かっただけなのだが、異常者扱いされる。
なぜ自分が異常者扱いされるのかわからないのに異常者扱いされて生きていくのは子供には辛いことだった。
運動ができなかったのは、今にして思えば体育教師が無策で体をきちんと動かす方法を教えずに単に速度や発育の計測しかしてくれなかったせいかと思っている。大人になってから適度な筋トレや個人的なウォーキングなどをしている。
でも、内向的で体が弱いオタク傾向の子供はスポーツが得意な大柄の子供からも教師からも異常者扱いされていじめられる側にも原因があるとか言われていた。
1994年に愛知県西尾市の中学二年大河内清輝さん=当時(13)=がいじめを苦に自ら命を絶った事件報道については少し年下であったが、いじめられっ子として共感を持った。いじめられて殺されるなら、殺される側に回りたい、という心理も同年代の犯罪者にはあったのかもしれない。そのような心情を描いた小説、バトル・ロワイアルも仮面ライダークウガの直前に物議を醸した。
碇シンジくんも庵野秀明監督も有能な人物なのだが、異常者として珍獣扱いされた。宮崎駿監督と高畑勲監督の映画作品はヒットをしては教育的だと世間に評価されていたが、オタクから見たら、異常者である。もちろん、オタクなので小学生の頃からアニメージュでナウシカ原作漫画をリアルタイムで読んでいた。異常な萬画だった。
で、自分としては面白い作品を面白がっているだけだったのだが、エヴァンゲリオンのエフェクト作画とかカットインをビデオのコマ送りで見ていたり、ホビージャパンを読みながらエヴァンゲリオンのプラモデルをフル塗装したりしていたら、母親に「息子がエヴァに取られてしまう!」とエヴァンゲリオンの登場人物のようなことを言われて、非常に困惑した。
エヴァンゲリオンは大ブームで経済効果だともてはやされる一方で、オタクは気持ち悪いと世間にも惣流・アスカ・ラングレーにも言われて、自己認知の分裂が起きる。
まあ、僕がオタクかどうかは関係なく家庭は崩壊していたので僕が実家を離れて就職して、ラブライブ!のソーシャルゲームの運営であるKLabの六本木ヒルズ本社で過労死寸前になっている間に、実家の方では母親が不動産投資に手を出して借金をこさえて、父親と不仲になり、ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qの上映中に渚カヲルの首が飛んでから1週間後に母親は自宅で首を吊って自殺した。
そういう経緯もあるので、今でもエヴァンゲリオンは品質の高いアニメだとは思っているが、思春期に熱中したのに、ちょっと苦手になってしまった。金曜ロードショーのテレビ放送も録画したが見ていない。
僕より年下の作画オタクやサブカルオタクがエヴァンゲリオンを楽しみにしているし、延期はまあ、色んな事情があると思うのだが、かつてのような情熱はエヴァンゲリオンには感じなくなった。
それで、うつ病から復活するような元気のある作品を作る富野由悠季のオタクになったのだが。(黒富野と言われるイデオンやダンバインなどの作品も、戦死者はめちゃくちゃ出るけど、ある意味、見ていてテンションが上がる)(ヒメ・ブレンのプレートも可愛いけどめちゃくちゃ街を壊す)
でも、富野監督も僕みたいなひねくれたオタクは嫌いだと思う。Gレコのムック本で富野監督と対談したり富野作品を通じて世相を云々した本を書いた宇野常寛さんにも僕は「お前は富野的なものを吸収していない」と言われているので。
なので、親からもアニメクリエーターからも世間からも忌み嫌われている僕は幼年期からずっと拠所無い気持ちで生きてきた。ただ、アニメが面白いということ、アイドルマスターのアイドルは可愛いということだけはかろうじて分かるので、中立・悪のアヴェンジャーで世界に味方がほとんどいないけど面白いものを見るために生きている。そういう点では巌窟王とマーリンの引きこもり体質を合体させている感じではある。
(過労で臨死体験をして三途の川のほとりにある教会の裏で首をつって、天国にも地獄にも行くのを拒否して自分の存在を消そうとしたが、脳内妹に「可愛い私を無視して死ぬのは許さない」と言われたので、それで生き返った。脳内妹は可愛い概念なので、可愛いものを見ないで消滅するのは美意識に反するので)
というわけで、仮面ライダークウガは面白いし、よくできた作品であるのでハマったのだが。同時に少年犯罪やゲーム感覚に批判的でオタクを攻撃するコメンテーターに近い感じのクウガの倫理観には敵愾心も抱く。
(まあ、バンプレストの仮面ライダー、ウルトラマン、ガンダムなどのコンパチヒーローシリーズのゲームみたいにフォームチェンジするティガとかクウガもゲーム感覚の要素があるので、クウガは自己批判的でもあるし自制的でもあるのだが。悪とヒーローが等しくなるという要素は石ノ森章太郎作品の基本モチーフの一つであるし)
また、ラスボスのダグバや今回のジャラジなどが殺人を楽しむ少年だと描かれたのも、当時の少年としてはモヤモヤした。(まあ、誇り高い戦士のように見えた他のグロンギ怪人もやっぱり殺人を楽しんでいるので、ジャラジやダグバのような若い見た目の怪人だけが特筆して悪質というわけではない。全員、悪い)
(ジャラジが被害者の葬式に現れたり、警察やクウガを神出鬼没に挑発するのはサディスティックでサイコパス的だが、武勇や難易度を競うグロンギのゲゲルの文化で考えると、「リントに姿を見せる」というハードルを設けてアピールしなければ他のグロンギにナメられるから、そうしただけ、とも思える。カッコよく見えた前回のゴ・バダー・バも追い詰められた被害者にエンジン音を聞かせて怯えさせて遊んでたし。グロンギの文化としてはナメられたら仲間に殺されるっていうのがあるので、そこは少年犯罪と言うより、むしろヤンキーとかヤクザに近い)
(ジャラジのゲゲルは卑怯だが、クウガやゴ集団の怪人が持つ物質を変形させるモーフィングパワーを短距離テレポートという固有の技に昇華させたのはある意味、評価できる。ジャラジはグロンギ怪人としては小柄で筋力は低いが、物質操作能力という点ではダグバに近づいているとも言える)(まあ、同じようなサイレント殺人タイプのメ・ガルメ・レと同じく姿を晒したり、テレポートの際に指を鳴らす癖とか自己顕示欲というか舐めプのせいでクウガに見つかったのが敗因なのだが)
なので、僕はオタクとしても社会不適合者としても、崩壊した家庭で育ったアダルトチルドレンのアル中としても、脳内妹を愛する王子様としても、自分が人間なのか、社会に属しているのか、怪人なのか、正義なのか悪なのか、この世のものなのか、わからない。
10年以上前に夜回り先生として有名になり、富野監督とも対談した水谷修氏は、富野監督との対談で「子供を悪として描くのはおかしい。キリスト者としては、悪は善の欠如である」と言う趣旨のことを言っていたのだが。水谷修氏の講演会を聴いた若者に話を聞くと「偉そうで独善的だった」という感想が返ってきた。
そういうわけで、何の指針もなく善悪の彼岸に存在する僕は、ディックの小説から取って電気羊種怪人ヌ・リョウグ・ダを名乗っているのである。武器は長文ブログによる虐殺文法。宝具はモンテ・クリスト・ミトロジーやジョジョ6部と同じく疑心暗鬼をインターネット世論を通じて発生させて人類を同士討ちさせる。
たしかに僕もついていけなくなってダグバやバルバの殺人サークルから離脱したものの、怪人としてリントに対する攻撃衝動はあり、人間部分では人生の大半で拒絶された経験と就職したKLabでの過労ストレスから、当時、足立区のアパートで隣に住んでいたヤクザを爆殺する計画を練っていたが、東日本大震災が起きたことで「自分が動かなくても人は死ぬなあ」と思って、面倒くさくなった。
その後、数年してまた人類に対する憎悪が溜まっていたが、自分よりも稚拙な方法で京都アニメーションが爆破されて人が死んだので、やっぱり「自分がやらなくてもこの世の傾向を少し傾けて、勝手に潰し合わせたほうが楽だなあ」、という気持ちになった。
でも、京都アニメーションが燃えていて鎮火されていない時に、それを揶揄して「火事は最初の10分が肝心、選挙は最後の1日が肝心」とスピーチした京都市長の門川大作は市長としてふさわしくない気がしたので、2020年の初頭には共産党が支援する弁護士の福山和人氏を支援する活動をしたのだが。京都アニメーションの作品「たまこまーけっと」の舞台のモデルになって、ファンの交流の場であった出町桝形商店街の元町内会長の店に自民党の応援ポスターが貼ってあり、「共産党はNO」という新聞広告を出した門川大作が再選を果たしたので、ますます僕は人間に愛想を尽かしたのだった。(まあ、選挙活動での候補者の射程距離は大体わかったのだが、社会党襲撃みたいなことをやっても体制は変わらないということも分かっているので最近のコロナウィルス流行による右派と左派の憎み合いについても侮蔑の感情しかない)
話を戻すと、今回の仮面ライダークウガは子供番組として、怪人とはわかりあえないけど、幼稚園児は話し合いでわかりあえる、みたいな社会適応、コミュニケーション能力を奨励するような感じだった。
しかし、僕はオタクとして幼少期から社会にも親にも迫害されて、それでも「アニメが面白いから」という怪人の本能で生きてきて、成人して社会に出たら利益の奪い合いをする人間を見て飽き飽きしている。なので、仮面ライダークウガという番組が「社会性を身に着けろ」という啓蒙思想を幼稚園児に言わせているとしたら、ちょっと違うなって思う。
だって、社会自体がグロンギと等しい殺し合いの場所なんだぜ?まあ、そういう「人間社会の邪悪さ」を子供番組として描くのは難しいので、仮面ライダー鎧武の「悪い子供と悪い大人の話」がギリギリのラインかなーって思う。
でも、悪い大人も、権力志向の大人も、批判的な左翼達も、ただ自分の人生のために行動して自分が正しいと思い込みたがっているだけで、結局、魂は孤独?
読みにくい20年越しのクウガオタクの怪人ダークザイドの自分語りを書いてしまってすみません。古戦場を走ってティラノサウルスと戦ったほうが良かったかもしれん。
- ほしい物リスト。
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あまり言いたくはないんだが、昨年はモバマス大槻唯に30万円リボ払いしたけど、新年のデレステ大槻唯を天井でお迎えするのに徹夜でコミュスキップジュエルマイニングしても間に合わなかったので、1万円課金してしまいました。また、富野由悠季の世界展に喚ばれたので交通費宿泊費が2万円くらいかかります。
GoToが途中で廃止されたのでいきなりホテル代金が高くなった。なんもかんも政権の不安定さが悪い。まあ、人間はクズなので社会も駄目でしょう。この世界線では高速増殖炉もんじゅの開発も失敗したので、エネルギーの供給も徐々にダメになって、疫病も流行って、ダメになるだけでしょう。まあ、僕の本体は脳内妹のいる至高現実に召されるであろう!
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