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悪女ファウステリアの最期 作者:黒井雛
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【63】

※本日三回目の更新です。

 メティの肩越しに、ファウステリアは英雄との戦いで、荒れ果てた王城の景色を見る。

 ところどころが焦げ付き、崩壊しているその様子は、とても無残だった。常の状態ならともかく、多くの人は今ファウステリアの視界に映っている光景に、眉を顰めることだろう。

 だけど、今のファウステリアには、何故かとても、美しいものに見えた。

 ファウステリアにとって、いつも世界は醜く、汚いものだった。

 どんなに美しいものを見ても、感動を覚えることも、何かを感じることも無かった。

 だけど、今、ファウステリアは、生れて初めて、世界を美しいと思った。

 愛する者の腕の中で見る世界は、ただただ美しかった。


(あぁ。私の時もまた、止まってしまえばいい。私の時だけ、もう二度と動かなければいい)


 この美しい世界の中に埋没してしまいたい。

 愛しい悪魔の腕の中で、自分の中の時を永遠に止められたら、それはどんなに素敵だろうか。

 どれ程、幸せだろうか。


 300年以上生きてきた。

 だけど、これほど幸せな時間を、ファウステリアは知らない。

 ほんの僅かな、数分にも満たない、この時間。

 けれども、それは、今までの人生の全て以上に、価値がある。

 きっと、永遠にも等しい、価値がある。


 陶酔したかのように、目を細めるファウステリアを見下ろしながら、メティはその右手をファウステリアの胸元へと持っていく。

 次の瞬間、その手がファウステリアの心の臓の当たりに、突き刺さっていた。

 一瞬驚いたように目を見開いたファウステリアだが、すぐにまた小さく微笑んで、メティにもたれ掛る。

 もたれ掛った体が弛緩し、あらゆる動きを止めた頃、メティの手には、黒く染まったファウステリアの魂が握られていた。

 メティは魂を失ったファウステリアの体を、時を止める前にあった状態に戻すと、球状のファウステリアの魂に嬉しそうに頬ずりをする。


「あぁ、ファウステリア…僕のものだ…ようやく、僕のものだ」


 メティはその魂の色の黒の深さに、満足げにため息を吐き出す。

 魂を染める黒は、ファウステリアが300年で培った罪の大きさだ。

 一生涯で、これほど魂を黒に染めた女は、そうそういないだろう。300年待ったかいがあった。滅多にない、上質な魂だ。

 ただ一つ、メティには気に入らないことがあった。

 それは魂の帯びている光の色だ。

 魂が負の感情を帯びていれば光は黒く、正の感情を帯びていれば光は白い。

 漆黒のファウステリアの魂が帯びている光は、目を焼かんばかりに眩く白い。

 漆黒の魂は、漆黒の光の方が似合う。


 メティはその光の色を変えるべく、残酷な真実を突きつける。


「ねぇ、ファウステリア…君は、僕に救われたと思っているけれど、それは勘違いだよ。君はあの時死ねば、間違いなく天国に行けたんだ。君は生きる為に小さな罪を犯してはいても、決定的な罪は、犯していなかったのだから」


 紫水晶の瞳の持ち主が、来世まで呪われた大罪人だなんて、ソーゲル家が作った流言だ。魔力が強いだけで実際に紫水晶の人物が、呪われているわけではない。

 メティが初めて会った時、ファウステリアの魂はまだまっさらと言ってよいほどだった。あのまま死ねば、ファウステリアは天国へ行って、また生まれ変わることが出来ただろう。今度こそ、差別を受けたりしない、幸せな人間として。


「けれども、もう無理だ。君は300年間で、罪を重ねすぎた。君はもう、永遠に生まれ変わることも、天国に行くこともできやしない。君はもう、僕に繋がれるしかないんだっ!!」


 ファウステリアを傷つけるべく、メティは嬉々として真実を告げる。ファウステリアは、もう既に、生れながらに理不尽な罪を背負わされた悲劇の人物ではない。自ら進んで罪を成した、大罪人だ。

 メティはけしてファウステリアを救っては無い。堕としたのだ。救いようがない、罪深い存在へと、導いたのだ。

 きっと、その事実はファウステリアを絶望させ、その魂の光の色を漆黒にさせることだろう。


 しかし、ファウステリアの魂の光は、白いまま、けして色を変えることは無かった。

 メティはその事実に驚き、そしてファウステリアが思いのままにならなかったことに腹を立てる。

 腹を立ててから、腹を立てた自分に驚いた。

 果たして自分が、今まで「腹を立てた」ことなんか、あっただろうか。

 メティの生は「愉しい」か「退屈」か、その二つの感情に常に支配されていた。その二つの感情しか、無かった。

 ポーズで怒ることはあっても、今まで本当に腹を立てることなんて、なかったのに。

 得体のしれない感情が胸の奥に湧き上がってくることに対する恐怖を、そして恐怖を感じる自分自身への更なる驚愕を打ち消すかのように、メティはさらに、ファウステリアを傷つけようと、新たな言葉を紡ぐ。


「ねぇ、ファウステリア。僕は君を愛していると言ったけど、全部、嘘っぱちなんだ。僕はただ、君の魂が欲しかっただけ。君のことなんかちっとも愛してなんかいないんだよ」


 しかし、それでもファウステリアの魂の光は、白いまま、変わらない。

 メティは、激高した。


「なんでっ、なんで、君は傷つかないんだ…っ!!傷つけよっ!!傷ついて苦しんで、僕を憎めよっ…!!」


 次から次へと、湧き上がってくる感情に、メティは混乱する。

 なんなんだ、この感情は。こんな感情は、知らない。今まで感じたことがない。

 まるでこれでは、人間みたいではないか。

 ちっぽけな感情に振り回され、愚かな行動を重ねる、卑小で哀れな人間たちみたいではないか。


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