【62】
※本日二回目の更新です。
「紫水晶」の眼の持ち主は、救い主である王に、盲目的に仕えたという。盲目的に忠誠を誓い、心を捧げたという。
ファウステリアとて、けして例外ではない。
ファウステリアは、自分を救ってくれた悪魔を、どうしようもないくらいに、愛してしまった。
多分、最初に出会った、あの瞬間から。
いつからだろう。人間を虐げる目的が変わってしまっていたのは。
最初は憎い人間への復讐だったそれが、いつの間にかメティを愉しませる為に変わってしまっていたのは。
「非道」と多くの人間に非難される事でも、それでメティが笑ってくれるならば、喜んで行った。メティが悦べば、それだけで満足だった。他の誰がどう思おうと、どうでもよかった。
300年、『真実の愛』を否定し続けたのは、享楽に未練があったからでも、魂を奪われることに恐怖したからでもない。
不老のまま、途方もない歳月を生き続けるメティと、少しでも長く時を過ごしたかった。ただ、それだけだった。
愛に狂った、愚かな、卑小な女。
それがファウステリアの真実の姿であり、メティにだけは、ひた隠しにしていたい姿だった。
それを、とうの昔に知られていた。
そう思うと、消えてしまいたかった。
知られていないと思っていた、自らがあまりに滑稽で、愚かで、恥ずかしい。
「…あぁ、そうだよ」
それでもファウステリアは、羞恥故に俯いた顔をあげて、口端を吊り上げて笑って見せた。
「お前の勝ちだよ。メティ。私は真実、お前を愛した。契約はとうに果たされていたんだ…魂でも何でも、持って行けばいい。喰らうなり、誰かにやるなり、好きにしろ」
場違いな、不敵な笑みを浮かべて、両手を広げて胸を張る。
例え、真実の姿を知られていたとしても、それをけして表に出したくは無かった。
これが最後のなら、なおのこと。醜い自分を晒して、こんなものの為に300年以上もの時間を費やしたかと、幻滅をさせたくはない。
せめて最後まで、メティに見せていた、ファウステリアの姿のままで、いたい。
傲慢で、残酷で、自信に満ち溢れていて、無慈悲で、冷淡な、誰も愛すことが出来ない、ファウステリアのままで。
例えそれが、ぼろぼろの虚飾に過ぎない物だとしても。
(悪魔に魂を奪われたら、その魂はどうなるのだろう)
ずっと考えていた疑問が頭をよぎる。
食べ物のように喰らうのだろうか。
更に上位の悪魔に献上されるのだろうか。
コレクションのように瓶詰にされるのだろうか。
――叶うことなら、メティに食われたい。
愛する悪魔の一部になれるなら、きっとそんな幸せなことはない。
ファウステリアは、そっと目を閉じた。もう、魂を奪われる覚悟はできていた。
いつ魂を奪われてもいい。
そんなファウステリアの体を、何かが包み込む。
「…喰らったり、誰かにあげたりしたら、君がなくなるじゃないか。いやだよ、300年も待ったのに。もったいない」
思わず目を開けたファウステリアは、息を飲んだ。何が起こっているのか、信じられなかった。
ファウステリアは、今、メティの腕の中にいた。
唖然と口を開くファウステリアに顔を近づけて、メティは甘く優しく、囁く。
「ねぇ、ファウステリア。僕は待ちくたびれていたけど、300年間ずっと、愉しかったんだよ。300年間ずっと、飽きることなく、君の傍にいたんだ。一度たりとも、退屈に悩まされることなく。こんなことは、初めてなんだ」
ファウステリアは、メティの言いたいことが分からず、困惑する。
メティの声が、一層甘さを帯びる。
「ねぇ、ファウステリア。僕はきっと君を『愛しているんだ』」
それは余りにも信じられない言葉だった。
余りに、ファウステリアのとって、都合が良すぎる言葉だった。
「…嘘だ」
震える声で、ファウステリアはメティの言葉を、否定する。
「悪魔が人を、愛するわけが、ない」
悪魔と人間は、余りに違い過ぎる生き物だ。悪魔にとって、人間は卑小すぎる、単なる遊具。
遊具を愛したりなぞ、するわけがない。
(きっと、これはメティの罠だ)
ファウステリアは確信する。
きっと魂を正式に奪うには、ファウステリアが『真実の愛』の定義を定めただけでは不十分だったのだ。
契約の内容はファウステリアが『権力、強大な魔法の力、不老の美貌、真実の愛』を得て、『満足』すること。
ファウステリアが『真実の愛』を得ても、『満足』しなければ意味が無い。
だからこそメティは今、愛の言葉を囁いているのだ。
ファウステリアを満足させて、完全な形で、その魂を得る為に。
「そうだね…僕はいままで人間を愛したことが無いから、本当にこれが『愛』なのか、わからない」
自嘲するようなメティの言葉は、真実のように聞こえるが、これは罠だ。
メティはファウステリアのことなぞ、何とも思っていない。
騙されては、いけない。
期待しては、いけない。
愛する悪魔もまた、自分を愛してくれているだなんて、勘違いしては。
「だけど、こんな気持ちは、初めてなんだよ。こんな感情を抱くのは、初めてなんだ。君は、本当に特別な存在なんだよ」
ファウステリアの紫水晶の眼から、滝のように涙が溢れて零れ落ちた。
「愛しているよ、ファウステリア。僕は、君を、とても愛しているんだよ…きっと、多分ね」
(――あぁ)
ファウステリアは泣きながら、その手をメティの背に回す。
(あぁ、もう、どうでもいい)
その存在を確かめるように、強く、強く抱きしめる。
(この言葉が罠だろうと、偽りだろうと、構いはしない)
今ならば、ファウステリアに愛の言葉を求めたティーツの気持ちが分かる。
嘘でもいい。偽りでも構わない。
愛する悪魔の愛の言葉が、どんな目的のものだとしても、ただ嬉しくて堪らない。