【59】
メティのぼやきに、ファウステリアは不敵に笑って見せる。
メティが契約を果たせない限り、ファウステリアはけして死ぬことは無い。
「ねぇ、ファウステリア。君は300年間に色々な男に愛されてきたじゃないか。君の為に命を捧げた男だって数知れない。それでも君は、真実の愛を手に入れてないとのたまうのかい?」
「そんなもの」
ファウステリアはメティの言葉を鼻で笑って一刀両断する。
「お前が与えた美貌と、魅了の力を持つ私の魔力に目が眩んだだけじゃないか。そんなもの、『真実の愛』だなんて認めない」
「確かに彼らが君に魅かれた一因はそれだろうけど…本当にそれだけなのかな?」
「それ以外に何があると?」
含み笑いを浮かべて、メティはファウステリアの心を揺さぶろうとするが、ファウステリアは少しも動じなかった。
男にとって、ファウステリアを愛する心が例え真実だったとしても、ファウステリアは認めない。
ファウステリアが捧げられる愛に、僅かでも心を動かされることは無かったのだから。そんなものは、ファウステリアの望む『真実の愛』ではない。
「――それじゃあ、ティーツの愛は?」
「…っ」
メティから不意に出された男の名に、ファウステリアは一瞬言葉に詰まった。
ファウステリアが、微かに動揺を現わしたのを、メティはけして見逃さなかった。
「君を生涯をかけて、最期のその瞬間まで愛し憎んだ、かわいそうなティーツの愛は、真実ではないというのかい?君の美貌も、魅了の力も関係なく、ただ君が君である故に愛した、彼の愛を、君は否定できるのかい?」
甚振る様に畳み掛けたメティの言葉に、ファウステリアはすぐには何も返せなかった。鼻で笑って、そんなものは『真実の愛』ではないと、否定することが出来なかった。
ファウステリアは300年の間、数え切れないほどの「人間の死」を見て来たし、その命を奪ってきた。
どんな人間が、どんな死に方をしようと、ファウステリアの心は「喜悦」以外の感情で揺れることは無かった。
そんなファウステリアが、唯一、その死に心を揺らした男がいる。
人間を憎むファウステリアが、その死を前に、一筋だけ、ただ確かに涙を流した唯一の男。
ファウテリアの脳裏に、何百年も前の、男の最期の姿が浮かび上がる。
【ティーツ】
【ティーツ・ソーゲル】
それは、ファウステリアが、ただ一人腹から産み落とした、血を分けた息子の名前だ。
牢の中で、瀕死の状態のティーツが、必死にファウステリアを呼んでいる。
牢を管理させていた部下の報告に応えたのは、ほんの気まぐれだった。
幽閉された、死に逝く哀れな息子に、感情を揺り動かされたわけではけして無い。
ただ、ひとえに興味があった。
自分が生み出した「生き物」が、自分がいなければけして生まれなかった「個体」が、勝手に死に逝く様に、何となく興味があったから。ただそれだけだった。
ティーツを幽閉して以来、一度も足を踏み入れていなかった、かつてラミアを処刑した場所と同じ、黴臭い地下牢の中。
鎖につながれたまま床に横たわっていたティーツは、死に際のリーシェルのごとく痩せ細った幽鬼のような様で、ファウステリアを睨み付けた。
「この化け物がっ!!!何で来やがった!!」
罵りの言葉に、ファウステリアは気分を害した。ティーツが呼んでいるというから来たのに、何故拒絶の言葉を吐かれるのか理解できない。
浮かんでいた僅かな好奇心も褪め、ファウステリアは憮然とした表情で去ろうとした。
その背中に、再びティーツの言葉が投げられる。
「…待って下さい!!お母様…っ!!どうか、今だけ…今だけでいいから、私の傍にいてください…」
先程と打って変わった弱弱しい嘆願の声に、ファウステリアは思わず足を止めた。
「来世まで呪われた女っ!!紫水晶の化け物っ!!お前がのうのうと生きていると思うと、ゾッとするっ!!あぁ、もう少し俺が力があれば。てめぇをぶっ殺してやれたのにっ!!てめぇをぶっ殺して、英雄になってやったのに!!」
「あぁ、お母様…貴女に逆らった私を、許してください…私は辛かったのです。貴女が私を見て下さらないのが、淋しくて苦しくて、愚かにも貴女を邪悪だと唆す奴らの言葉に耳を傾けてしまったのです…」
怒り狂い、ファウステリアへの呪詛を吐く言葉。
嘆き悲しみ、ファウテリアの許しを求める言葉。
口調も表情も、話す内容も全く違うが、どちらも口にしているのは、ティーツだ。
交互に繰り返されるそれらの言葉は、恐らくきっと、どちらも本心からの、ティーツの言葉だ。
「俺はてめぇが、殺してやりたいくらい憎くて憎くて仕方ねぇ!!」
「私は貴女を、本当は心から愛しているのです…っ!!」
僅かの自由も許されぬ永年の幽閉生活に、ティーツの心は壊れ、狂っていた。