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悪女ファウステリアの最期 作者:黒井雛
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【56】

 病床のリーシェルは、胸に手を当てながらやつれ窪んだ眼をぎょろぎょろと動かして、ファウステリアの姿を探す。

 他の様々な病を併発させながら、膨れ上がりリーシェルの体の至るところを侵していった病魔は、ついにはリーシェルの心の臓に住み着いた。

 定期的に起こる激しい発作が、リーシェルを苦しめ、死の縁に追い詰め始める。どんな薬も、最早何の効果も示さない。

 ファウステリアが用意する、あの薬以外は。


「……リーシェル」


「ファウステリア!!」


 瞳に映ったファウステリアの姿に、リーシェルは安堵の笑みを浮かべる。これで自分は、一時苦しみから解放される。楽になれる。

 愛しい救い主の登場に、ただ歓喜するリーシェルは気がつかない。

 普段はいくら言い聞かせても頑なに敬称を外そうとしなかったファウステリアが、自分を呼び捨てで呼んでいることに。

 自分の名を呼ぶその声が、無機質でひどく冷たいという事実に。


 リーシェルの傍らで屈みこんだファウステリアが、その白い手をリーシェルの頬にあてた。

 リーシェルは、ファウステリアはきっと一人で薬を飲む行為すら困難になっている自分に、薬を飲ませてくれるのだろうと、親鳥からの餌を待つ雛鳥のごとく口を開く。


「リーシェル――お前は、いい駒だったよ」


 だが、続いて感じる筈の、口内に広がる薬の苦味を舌で感じることはなかった。

 頬にあてられた手が、リーシェルの髪をそっと掬いとる。

 細く艶がなくなった髪は、すぐさまファウステリアの指の隙間からこぼれ落ちた。


「だけど、もう、私には必要ない」


 唖然と目を見開くリーシェルに、ファウステリアは紫水晶の瞳を爛々と光らせながら、場違いなまでに慈愛が満ちた笑みを浮かべてみせながら、残酷な宣言を突き付ける。


「お前はもう、いらない」


「ファウステリアっ…!!」


 そう告げて、背を向けたファウステリアに、リーシェルは上がらぬ手を必死に伸ばす。

 豹変したファウステリアに狼狽しながらも、それでも彼女が自分を裏切ったとは露も思わず、ただひたすら追いすがる。


「薬を…薬を持ってきてくれ…っいか、行かないでくれ、ファウステリア!!」


 求めているものは、安寧を与えてくれる薬か。それとも去っていく彼女自身か。

 悲痛なリーシェルの叫びを、ファウステリアは確かに耳に入れたが、ファウステリアの心には届かない。


「どうか私を置いてっ…置いて、行かないでくれ、ファウステリア!!!」


 ファウステリアは背後から聞こえてくる言葉に、一度も振り返ることも、足取りを緩めることもないまま、部屋を後にした。




 生まれつき虚弱だった第19代国王リーシェル・ソーゲルは、齢30にも届かぬ若さで病死する。

 第20代国王は、まだ幼い彼の息子が就任することになった。

 しかしその実権は、王母であるファウステリア正妃が握ることとなる。

 ファウステリアは徐々にその邪悪な本性を露わにし、グレーヒエルを絶対王政の国へと変貌させていく。

 彼女の本当の姿に人々が気が付いた頃には、もう既に手遅れだった。グレーヒエルの地は、もう完全に悪女の手の中に堕ちてしまっていた。


 そして300年にもわたる「暗黒時代」が、幕を開ける。


 逆らうものには、粛清を。

 従順さの対価は、その命の保障。


 ファウステリアは、その圧倒的力を民に見せつけることで、「恐怖」によって人々を統治した。

 反抗的で力あるものには、惨たらしい死を与えて、見せしめにし、その財産を奪った。

 一方で従順で力あるものには、元の身分がどうであれ、特権的身分を与え、傍に侍ることを許した。

 力なき民たちは、まるで家畜のように扱った。弱き民は、家畜同様、一種の財産であったといえた。

 生かさず、殺さず。まさにその表現が正しい。ファウステリアはその境をうまく見極めていた。

 従順であれば、最低限生きていける程度の搾取を意識し、足りない分は他国を攻めて奪うことで補った。

 密告を推奨し、正しく有益な情報をもたらしたものには褒賞を与えたことで、民は疑心暗鬼に陥り、互いで互いを監視するようになった。誰かの監視の目は人を縛り、反乱などと言った滅多な行動を起こしにくくなる。


 暗黒時代と呼ばれる300年間は、その実、奇妙に安定した時代でもあった。



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