【51】
「カンエ…」
リュークの顔が、情けなく歪む。
英雄を目指す男には似合わない表情に、思わず小さく噴き出した。
「そんな情けない顔をするな、リューク。お前は英雄を目指すのだろ?ならば王という立場は、英雄を極めるには一番相応しい地位じゃないか」
英雄の王。
きっと、それは魔王の侵略に疲弊し、魔物に怯える民にとって、救いになるだろう。
人は弱いから、脆弱な自身の心を守る為、何かに縋り、崇めずにはいられない。
きっとリュークの存在は、まるで宗教のように、グレーヒエルの民の心に絶対的信仰対象として宿ることだろう。
「お前は今まで通り、英雄であることに、ただ固執し続ければいい…お前の理想から外れる汚いことも、お前が苦手な頭を使うようなことも、私が引き受けてやる」
リュークは潔癖な理想主義者だ。武官である今はまだいいが、王になれば、今以上にリュークを取り巻く環境は、過酷で謀略に満ちたものへと変わっていく。リュークをただそのままにしておけば、あっという間に周囲に潰されるか、さもなくば取り巻く環境に耐えきれずに自滅するかの未来しか考えられない。
しかし、物心ついた時からそんな環境に慣れていたカンエなら、うまくやれる。うまくリュークを、潰れないように、導ける。その為には、状況次第では汚いことに手を染める必要も、当然出てくるだろうが、そんなものカンエにはとっくに慣れっこだ。今さら罪悪感も感じない。
「私にそんな役割をさせることに、お前は罪悪感を感じる必要はない。私が好きでやることだ。…ただ、見ていろ。目を逸らさずに、汚い現実をきちんと把握しろ。そして、お前の為にそんな行動をした人間がいることを、その胸で受け入れろ。例え、成したのが私ではない、他の誰かでも」
「……」
「それが、王の役目だと私は思う。国の為に成された事から派生する責任を、全て背負って生きていくのが、王だ。背負って、それでもなお国の為に人を動かすことが、王の役割だ」
リュークは、暫く目を伏せた。
眼を伏せて、黙って一人、カンエの言葉を反芻した後、確かな決意が宿った目をカンエに向けた。
「…あぁ、そうだな。お前が俺の為に成すことは、間違っていることであれ正しいことであれ、王として全て俺が背負うと誓おう。だが、お前がことを成す前に、それが間違っていると思ったら、俺は全力で止めるぞ」
「当たり前だ。お前は傀儡の王にでもなるつもりか。私はお前を俺の言うことにうなずくだけの、首振り人形になぞする気はない。極力は私が引き受けてやるが、最終的にはちゃんとお前も頭を使え。最終的な決断は、全て王であるお前が下すのだから」
「…苦手だな、頭を使うのは…」
「お前が脳みそを鍛えないなら、そのうち私が王家を乗っ取るぞ。なんせ俺は王の右腕となる身だ。内側から崩壊させる工作なぞ簡単だ」
「それは怖いな…うむ。お前を敵に回さないように、鍛練せねば…」
「教師が必要なら、それも私が引き受けてやる。ただ、側近としての給金にちゃんと上乗せしろよ。給金の数字で、教え方は変えるからな」
リュークとカンエは軽口を交わしながらにらみ合い、やがて同時に噴き出した。
ひとしきり笑った後、リュークはわざとらしい咳払いを一つこぼす。
「――それでは、王となるものとして、臣下であるお前に最初の命令だ」
口調は重々しいが、向けられるリュークの眼は愉しげに笑っていた。
「俺の傍で、王となる俺を支えてくれ」
リュークの言葉に、カンエもまた笑みを返しながら、即座に臣下の礼をとった。
「御意――リューク様の、お言葉の通りに」
「――…あれから、もう40年もの月日が経つのか」
過去に思いを馳せていたカンエは、小さく嘆息する。
国の為に、リュークとジーベルトと奮闘した日々は、今や遠い昔の話だ。
老いる、筈である。
カンエは老いた。
共に力を合わせた友も、もういない。
昔のような頭の回転の速さも、記憶力も、行動力も、何も持ち合わせていない。
崩壊へと向かう祖国を守り、食い止める術ですら。
(きっと、この国は、亡ぶだろう)
それは、予想ではなく、確信だった。
国を苛む災厄は、範囲を広げて、この地に侵攻している。そして、今の自身の力量では、その災厄を止めることはまず不可能だと、カンエは悟っていた。
例えカンエが諌死たところで、きっと未来は変わらない。
それでもカンエはリーシェルにラミアの処刑の延期を訴える為、今日、毒杯を煽る。
一縷の望みを託して…と言いたいところだが、本当は違う。
カンエはこの国が滅び行く様を、見たくないのだ。
ジーベルトとリュークと、三人で支えてきた、愛する祖国が滅び行く様が見たくない故に、カンエは「死」を選ぶのだ。
諌死と言えば聞こえがいいが、結局カンエは「死」を持ってして、辛い現実から逃げる道を選択したに過ぎない。