大阪の菱垣廻船〈浪速丸〉、「たたき壊して捨てればいい」か?
大阪の 海洋博物館〈なにわの海の時空館〉(総工費176億円)が、橋本市長の逆鱗に触れて3月閉館が決まり、民間貸し出しを模索中だが、ひどい建築物は借り手がいないらしい。同館に展示している実物復元された菱垣廻船(北前船で知られる弁財船型の和式帆船)〈浪速丸〉は切り刻んで捨てればいいと検討会議で一刀両断されたという連絡が姫路のヨット愛好家から届いた。この施設には、菱垣廻船だけでなく、古代クリ舟や奈良時代より前の古墳時代の船も実物復元されているが、これらも同じ運命か。写真は、建造して試験航海したときの〈浪速丸〉。この短い航海がたった一度の帆走だったらしい。
たしかに海の時空館はくだらない役人の天下りハコモノの典型だ
問題は、全長30mの弁財船をフロアに固定した後で、ドーム型ガラス体を組み立てて、二度と船が海に浮かべられないように閉じ込めてしまった建築計画にある。大阪行政府の文化程度がこの一事ですべて暴露された。
博物館とは収納品の搬入搬出口が基本中の基本である。本来博物館で展示される文化財、芸術品などは収蔵リストのせいぜい20~30%どまりとするのが良識ある博物館の基本である。それらを交換展示しながら、次々にテーマを深めていくのが博物館であり美術館なのである。
ところが多くの時流にのっただけの地方自治体の博物館は、博物館学のイロハも知らないままなにか目玉を展示すればそれで事足れりとするからおかしなことになるし、一度訪ねれば二度と行こうと思わない施設に堕してしまう。だから開館二年目からは入館者数が低下の一途を辿ったりする。
かけがえのない弁財船を復元建造、展示するなら搬入口を船が入るだけの開口部に作っておけば済む。もちろん帆柱や舵は往事もすぐ取り外しできたのだから、はずして行える。それが無理なら屋外展示にするのが常道でもある。もちろん風波をさける措置をとって。
次善の策とは何か
ところが独裁者橋本市長は銭勘定しか思いつかない人だから、簿価の高い建物をいかに金に換えるかという発想しか持てない、ここに大阪がいつまでも冷笑される根本がある。もともと文化遺産に貨幣価値などないし、そういう勘定しか発想できないことが間違いだ。
どうしてもダメなら、できるかどうかしらないがいくら金をかけてでも、弁財船をきちんと解体して再組み上げできる形にして運びだすしかない。写真は、古墳時代の船を埴輪を元に復元し、試験航海のときのもの。この船で大阪から韓国まで一ヶ月がかりの航海もおこなった。
文化の判断ができない独裁者
市の検討会では、「船の価値を調べて、ゼロなら切り刻んでくずにすればいい」と判定されたようであるが、そもそもその〈価値〉とは、何を基準にした価値であるか。
大阪の橋本市長は、大なたを振るって市の財政改革に道筋をつけ圧倒的な支持を得てきたようだが、その一方で思い出すのは、大阪の文化財の最右翼である文楽の取りつぶし画策の一件だった。権力を背景に立ちはだかり、文楽に携わる人間国宝の老芸能者一同を市長の前にひれ伏させ、かぼそい支援金の存続を懇願させた。この様子が大々的にメディアで報じられ、批判の高まりを受けるとあわててお茶を濁して辛くも文楽の存続だけは守られた。
行政は民間事業ではないからソロバンに乗らないものにこそ、文化行政が力を注がねばならない。だから目利きが大切になるのでもある。
もともと日本には海の文化がないからだ
なぜ、江戸時代を通して物流のほとんどを担った弁財船が一隻すら残されず、いま大阪で復元された一隻だけが唯一の船になっているか。
また、それをたたき壊して捨てればよいと市長の言いなり検討会議構成員がうそぶくのだろうか。
過去の遺物のもう一つの代表、SL(蒸気機関車)を思い出していただきたい。SLも次々に解体されていったが、あるときから保存運動が高まり、いまでは埼玉県大宮の鉄道博物館を中心に“動態保存”が当然視されて多額の費用を費やして守られている。そして、年に何度かは各地のローカル線に運ばれて、乗客を乗せて走らせる。
いま大阪でたたき壊して捨てられようとしている弁財船は、SLどころではない。後にも先にもこれ一隻しかない存在なのだ。それでも平気でたたき壊せの大合唱が弁財船の古里とさえいえる大阪で叫ばれ、保存を訴える声も聞こえてこない。
もしSLに対して同じ結論を行政府がだしたらどうだろう。その無定見さと知性の欠落は厳しく論難されるだろうし、多くの市民が黙っていないだろう。それはSLが陸の乗り物であり、陸の文化の伝承だからではないかと私は考える。
日本は四周を海で囲まれているから海国だと、疑問も抱かず多くの人は思い込んでいるが、海に囲まれているだけで海洋国になれるわけではない。海の文化がなく、海の文化が継承されず、海に関心が抱かれない社会は海洋文化社会にはなれないのだ。
それを私は鎖国文化がはびこる日本と呼んでいる。江戸時代260年続いた鎖国の結果、海の文化が根絶やしにされ、鎖国が解けてももう二度と海の文化が復興されることなく現代になっている負の状況をそう呼んでいる。
まさしく日本の現状は、海洋文化がまるでない社会だ。それが弁財船〈浪速丸〉粗大ゴミ論を生み出した。江戸時代の大坂は日本の経済の、物流の圧倒的中心であった。そしてその大半を担ったのが海運であり、数千隻あるいは万を超える弁財船群だったのである。江戸時代大坂を支えた弁財船の行方は大坂文化が復権できるかどうかの試金石にもなることだろう。
この記事へのコメント
『あこがれ』も廃止になる。 この市長は金しか頭に無く歴史・文化などには興味も意義も考えないのだろう。
サンフランシスコと姉妹都市でありながら港にも海にも感心がないようだ。 海遊館の近くにでも持ってきたら都思う。