2003年11月28日
日本にとって国連とは何かを考える際に常につきまとう黒い影のような要因が敵国条項である。 国連憲章が第五三条や第一〇七条でうたう「敵国」という差別は、日本人識者の国連に対する心理的障害となってきたともいえよう。 第二次世界大戦の勝者たる連合国が結成した国連は、連合国の敵だった日本やドイツをはっきりと別扱いしてきたからだ。 しかも国連発足から五十八年後の今も、検証が記すその差別の枠組みは文字の上では変わらない。
では、今この敵国条項をどう考えるべきか。 この点での日本側の反応は一枚岩ではない。
「一九九五年の国連総会決議の採択によりこの敵国条項問題は日本にとって実態上、解決したとみなすべきだろう。 同決議は敵国条項の死文化を明記しているからだ。 その結果、日本国民の一部にあった国連への心理的抵抗感も除かれたと思う」
九五年当時、外務省国連政策課長としてこの決議の推進に努めた吉川元偉氏(現同省経済協力局審議官)は語る。
確かに九五年十二月に国連総会は「旧敵国条項の削除を検討する報告書承認」決議案を採択した。 同決議は「国連憲章第五三条、第七七条、第一〇七条における『敵国』条項は死文化している」と記していた。
しかし、いくら決議がそううたっても現実には国連憲章の敵国条項はなお厳存する。 同決議も『次の憲章改正の機会に敵国条項の文言を削除する手続きを開始する』という意図を表明し、実際に敵国条項が消えていないことをも明示しているのだ。 「加盟国の地位はすべての平和愛好国に開放される」とする憲章第四条との矛盾もなお残るのである。
同じ外務省関係者でもこういう側面を重視して、日本にとっての国連敵国条項問題はまだ解決していないという立場をとり、あくまで憲章の同条項削除を目指すことを主張する向きもある。 昨年まで国連大使を務めた佐藤行雄氏が述べる。
「二〇〇六年十二月の国連加盟五十周年は是非とも敵国条項を憲章から削除したうえで迎えたい。 五十周年という節目は日本が二十一世紀を展望して、今後世界でどういう役割を果たすべきかを考える好機であり、その際に過去の問題を整理しておくことが必要だと思う」
佐藤氏は敵国条項が今日的意味を持たないということは九五年の決議で国連加盟国の創意とされたのだから、その削除も日本にとってのもう一つの大課題の安全保障理事会の改革と切り離せば、難しくはない、と説く。
ところが外務省国連局社会課長やチリ大使を歴任した色摩力夫氏は敵国条項を法的に削除することは難しく、日本はそんな条項と未来永劫に共存するほかない、と論じる。
「敵国条項が示すような国連と日本との関係は徳川幕府と外様大名の関係と同じだといえる。 外様はいくら強大でも繁栄しても幕閣には入れないから、あくまで外様らしく矜持をもって、国連にはつかず離れず、常に批判的態度を堅持しながら国際平和に貢献した方が筋は通るだろう」
この点での最終決定はやはり日本の政治指導部レベルでの高度の判断に委ねられるべきだろう。
しかし、日本の外では、この敵国条項問題も日本側とは全く異なる認識でとらえられる場合があることも注視すべきである。 九五年の敵国条項死文化扱いの決議が審議された際、国連の委員会段階での討議で北朝鮮代表が次のような見解を表明したのだった。
「我が国は敵国条項の削除自体に反対するわけではなく、国連憲章での『敵国』に名を連ねていても比較的、誠実な態度で過去を清算したドイツのような国と日本とを同等に扱ってはならない、と主張するのだ」
つまり国連の敵国条項も日本に関しては過去の軍事行動や外国統治をどう受け止めるのか、日本のいわゆる『歴史認識』と一体となった案件だというのである。 日本側としてはまず考えもしない視点だといえよう。
だが日本研究を専門とするドイツ人の国際政治学者ラインハルト・ドリフテ氏も「国連安保理と日本」という著書の中で以下のように述べる。
「敵国条項の削除は日本の過去の侵略行為が許されたという明確な象徴ともなりうる」
こうした見解は国際的にはあくまで少数派だろうが、日本にとっては敵国条項削除の必要性を改めて認識させる視点だといえよう。
古森義久氏 産経新聞2003年11月28日付朝刊記事
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