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cutting edge
国連再考 第5部 (02) ‐ 我が内なる信仰
2003年11月25日
 批判をこめて「国連信仰」と評される日本での傾向も自分自身の体験を思うと、十分に理解できる。 初めて国連を訪れたときの畏怖のような実感をよく覚えているからだ。 ニューヨークの国連本部の摩天楼の輝きと迫力に圧倒され、体をちじこませて、はるか上方を見上げたものだった。 同時にこの国際機関こそが日本を外部社会につなげる唯一の貴重な絆だと感じたのだった。

 私が国連に初めて足を踏み入れたのは一九七〇年の秋だった。 マンハッタンにそびえる国連事務局本部ビルは創設二十五周年記念総会をちょうど終えたところだった。 イーストリバーから吹き付ける風はすでに冷たかったが、国連内部は記念総会のにぎわいをまだ残し、熱気を感じさせた。

 私の国連訪問の主目的はそこで働く日本人職員の実態を取材して報道する事だった。 当時は三十六人だった日本人の国連職員は外国で働く国際公務員というだけで国内からはあこがれで見られていた。 私の目にも国連ビル各所で外国人に混じって活躍する日本人男女の姿はまぶしく映った。

 見物客を案内するガイド係の小川美枝さんが優雅な和服姿で、各国からの老若男女に流暢な英語で語る様子につい見とれた。 国連本部図書館で多様な書籍をスムーズに扱い、各国職員の問い合わせにきびきびと応じる新川雅子さんの姿に感嘆した。

 財務局で国連全体の予算と取り組む河内朗氏が外国人の部下や同僚に取り囲まれて、予算の質問を受け、てきぱきと答える情景にも感心した。

 みな狭くて込んだ日本列島を離れて、広大な国際社会を自由に泳ぎ回るきらきらしたスーパー国際人に見えた。

 当時からすでに知名度の高かった明石康氏には密着取材までした。 同氏は国連事務総長官房の政治担当官としてインド人の事務次長を補佐していた。 私はニューヨーク近郊の同氏の自宅まで訪れ、家庭生活にも触れて、朝の通勤をともにした。 明石市が国際官僚の要件として「英語力は当然として、まず日本人風の謙譲の美徳を捨てる事」などと語るのに深くうなずいたものだった。

 私にとってこの体験のインパクトは大きかった。 国連は世界を導き動かす神聖不可侵の殿堂であり、そこで働く国連人は時代の先端を行く新リーダー達のように見えた。 国連は日本にとってもかけがえのない存在に思えた。 まぎれもない国連信仰だった。

 しかしそれから三十三年後、回顧してみると、自分の認識の的外れやナイーブさの構造がよくわかる。 当時の私は二十代の新聞記者であり、米国での留学経験はあっても、外国での取材はこの時が初めてだった。 しかも国際問題の報道に関わった事がまだなかった。 いわゆる「国際」とされる事象には無知だった。

 当時の日本全体が外国からは遠い距離にあった。 一般国民の海外旅行が認められたのはそのわずか六年前の一九六四年である。

 英語で実務がこなせる能力だけでも希少とされた。 終戦から二十五年が過ぎていたとはいえ、日本と外部社会とを結ぶチャンネルはまだごく限られていた。

 国際社会のそうした辺地から来た未経験の記者が見上げた国連が実態を遙かに超えたオールマイティーの巨大な殿堂として映ったのは当然だろう。 「国連信仰」と呼べる過度の期待や評価を抱いたのも不自然ではなかったといえる。 だがその後の三十余年に日本の国際度は飛躍的に高まり、私自身の記者としての体験や知識も広まり、その結果、国連への認識もすっかり現実的となった。

 だから国連という存在はそれを見る側の視線がどんな国際水準にあるかで印象は「全能」にも「無力」にも変わってくる。 「国際秩序の担い手」にも「単なる国際調整の場」にも変わってくる。 我が内なる国連信仰の変遷を振り返るとき、そんな摂理を改めて実感するわけである。

 だが三十三年前の自分の稚拙な国連紹介報道にもささやかな救いはある。 国連勤務十数年のある日本人職員の次のような述懐を記していたからだ。

 「同じ海外にいても日本製の電気製品を日本企業のために売っていた方が今の仕事より充実感を得られるのではないかと最近、思うようになった。 国家、民族あっての個人、日本あっての自分という事を長い国連生活の末に初めて痛感するようになった。 当初は国連の理想に共鳴し、真の国際人になろう、日本だけが国ではないと決意したのだが-」


古森義久氏 産経新聞2003年11月25日付朝刊記事

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