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cutting edge
国連再考 第4部 (09) ‐ 事務総長
2003年10月31日
 国連の顔はやはり事務総長だろう。 いまも国連といえば、すぐコフィ・アナン現総長の姿を連想させるほど、国連全体のイメージが事務総長のそれと重なりあっている。

 国連憲章が決めた事務総長の任務や権限はそうしたイメージにともなう重要性を明示する。 事務局の行政職員の長であるだけでなく、国連の総会や安全保障理事会の事務を取り仕切るとともに、国際の平和や安全を脅かす事柄については事務総長が直接に安保理の注意を促すことが出来る、というのだ。 こうした機能だけ見れば、事務総長はまさにスーパーマンふうのミスター国連として映る。

 実際にマンハッタンにそびえる国連ビルでは最上階の三十八階に事務総長のオフィスが帝王の執務室のごとく、ゆったりと広がる。 ブルーの国連旗を背後にした執務室の森閑たる雰囲気は世俗を超えているという。

 ところがそんな権威の空気に満ちた執務室におさまる事務総長も現実には安保理の常任理事国に対しては弱い立場にある。 そもそも総長人事は安保理が推薦しなければ、一歩も進まない。 そのうえで総会が事後承諾で決めるのだ。 安保理では常任理事国五カ国の拒否権が効くため、総長候補は五カ国の同意をまず得ることが欠かせない。

 「米国と国連の関係を改善するにはブトロス・ブトロス・ガリ総長を除去せねばならないとの結論に達した。 それは戦いを意味していた」

 クリントン政権下で初の女性の国務長官となったマドレーン・オルブライト氏は新刊の回顧録「マダム長官」でこんなどぎつい回想を述べる。 同氏は国連大使だった九六年、元エジプト外交担当副首相のガリ総長がソマリア、ルワンダ、ボスニアの各紛争でいずれも米国の利益を害する行動をとり、九一年に総長に選ばれた際は一期五年のみ在任と宣言していたのに、再選を目指すと述べはじめたことはクリントン政権として容認できなくなった、というのだった。

 ガリ氏の側も「負けずに」という意味ありげな題の回顧録で国連事務総長として冒したミスは五年間でただの一度だけ、と誇っていた。 そのガリ氏がオルブライト氏にじわじわと追い詰められ、再選を断念する経緯は後者の回顧録に詳しい。 ガリ氏を葬った米国は国連事務局たたきあげのガーナ人のアナン氏を新事務総長に推したのだった。

 事務総長と大国のこのようなぴりぴりとした駆け引きは国連のスタート時から続いてきた。 東西冷戦時代は特に米国にもソ連にもある程度の距離を置くとみえる人物しか総長にはなれなかった。 ノルウェー外相から就任した初代のトリグブ・リー総長も当初は東西両陣営とうまく接したが、一九五〇年の朝鮮戦争で北朝鮮やその背後のソ連、中国をはっきり非難したため、ソ連からは敵扱いされるようになった。

 スウェーデンの外務次官から就任したダグ・ハマーショルド二代目総長も実績をあげたが、コンゴ問題ではソ連側に激しく反発されるようになった。 ソ連はニキータ・フルシチョフ首相の「中立国は存在しても中立人は存在しない」という言葉に集約されるように、ハマーショルド総長は結局は西側寄りとみなしたのだった。

 ハマーショルド総長は六一年、アフリカでの航空機事故で死亡した。 その後はビルマ出身のウ・タント、オーストリア出身のクルト・ワルトハイム、ペルー出身のハビレル・ペレス・デクエヤルという歴代総長が続く。

 だが冷戦下での国連は機能が大幅に制約され、東西の超大国を刺激しないことが最重要とされただけに、「傑出した指導力を理由に選ばれた事務総長は一人も居なかった」(国連研究家のローズマリー・ライター氏)というのが定評だった。

 ワルトハイム、デクエヤル両総長はいずれも公式の場での発言は事務局が用意した草稿を読み上げるのが常だった。 デクエヤル氏は草稿の脇に記された振り付け用の注意書きまで演説の一部として頻繁に読んでしまうので笑われていたという。 ワルトハイム氏は第二次大戦時のナチスとのかかわりの疑惑を追及され、八一年には辞任に追いこまれた。 デクエヤル氏の後に登場したのが第六代総長のガリ氏だった。

 現在のアナン総長は二〇〇一年には国連自体とともにノーベル平和賞を受け、名声を高めた。 だがイラク戦争で実証されたように、その権限はあくまで個別の主権国家の間に立つ仲介や調停の範囲を出ないのである。


古森義久氏 産経新聞2003年10月31日付朝刊記事

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