2003年10月30日
いかに崇高な国連の活動も資金がなければ、前に進まない。 ではその資金は誰が、どう、どれほど払うのか。 その国連の資金支払いの問題は国連の発足以来、加盟国の間のトラブルのもととなってきた。
民主主義の国家では国民の納税という義務が国政への参加という権利を生む。 納税がなければ、政治への参加はない。 ところが国連では個々の国ごとに納税という義務の度合いがあまりにかけ離れ、不平等な状態を作り出しているのだ。
国連の資金はいくつかの種類に分けられる。 まず第一の主体は国連の通常予算への分担金である。 国連本体などの活動の経費にあてられるこの予算は二〇〇二、三年の二年間分あわせて二十六億ドルとなった。 一年間の予算は約十三億ドルである。
この通常予算は手続き上、二年ごとに一括され、加盟国が義務として支払う分担金で構成される。 その義務としての支払いの額は各国別の分担率で決められる。
第二は国連本体や主要関連機関の運営への自発的拠出金である。 各国が自発的に出す寄付だといえる。 この分が意外と多く、九十三年には十三億ドル、九九年には四億五千万ドルだった。
第三は国連専門機関への自発的拠出金である。 国際労働機関(ILO)や世界保健機構(WHO)という組織の経費にあてられる資金で、九九年には約五億ドルとなった。
第四は平和維持活動(PKO)にあてられる分担金である。 この額は年ごとに大きく変動し、九五年には三十二億ドル、九九年には八億ドルとなった。
さて年来、議論を呼んできたのはこの分担金の国別による比率、つまり分担率である。 この分担率は各国の国民所得基準によって決められる。 国民所得の総額が多い国ほど分担率の高い、つまり金額の多い分担金を支払うというわけだ。
この結果、米国や日本のように国民所得の総額が巨大な国と、ルワンダやハイチのように国民所得のきわめて少ない国とでは、国連に払う分担金の額は天と地ほどの差がついてしまう。 だがそれでも国連総会ではどの国も全く平等、一票の投票の重さは変わらない。
米国は国連の発足直後は全世界の分担金の約40%を納めたこともあった。 その後は30%、25%と下がり、今では22%となった。 第二位の日本は19%である。
一方、国民所得の小さい諸国では分担金の額も果てしなく少なくなっていく。 あまり小額だと政治的にもトラブルとなりうるため、下限が設けられた。 この最低分担率は当初は0.94%だったのが、0.92、0.01と下がり、今では0.001%にまで落とされた。
この最低分担の額を1円とすれば、米国が払う最大の分担金は二万二千円、二位の日本は一万九千円となる。
しかし、国連総会は分担金をほんの少ししか納めない第三世界の諸国により支配された。 第三世界の諸国は合計して分担金は全体の3%ほどしか払わないのに国の数では全体の三分の二の圧倒的多数を占めるから、総会を意のままに動かせるのである。 米国を含む先進十六カ国は、分担金全体の80%を払っているが、国連総会を動かす多数の権限はない。
この点は最大の分担金支払い国の米国で特に問題とされてきた。 議会では長年の歳月、不満が渦巻き続けた。 この不満はレーガン政権時代の一九八五年にクライマックスに達した。
エチオピアで大飢餓が起きているとき、国連は地元の共産主義政党の元首メンギスツ議長の要望を入れて、首都アディスアベバに二十九階建ての巨大な国際会議センター・ビルを建てる計画を決めた。 総額七千三百万ドルの国連予算を投入する事になった。 米国、イギリス、オランダなどは激しく反対した。
「このような施設の建造はアフリカ各国の元首を二十九階に招き、エチオピア国民が餓死するのをその高所から見物させる事が目的だろう」
米国上院でナンシー・カッセバウム議員(共和党)がこんな演説をした。 そして国連での予算がらみの表決では各国が分担金の額により票の数が増える「加重投票制」を採用する事を求める法案を出したのだった。 同法案はこの加重投票制が採用されない限り、米国の分担金を減らすことを提案していた。 法案は上院では七十一対十三で可決された。
この米国議会の動きは国連に衝撃波を与えた。
古森義久氏 産経新聞2003年10月30日付朝刊記事
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