私が遊戯王の過去作キャラ使用にキレる理由
改めましてみかみと申します。どこに書いていいか分からないので大昔に使っていたブログを引っ張ってきました。他の記事は全部嵐なので「突然の遊戯王!」という感じですが、遊戯王ARC-Vの話です。
2月のWJで明日香・カイト、後日イベントでエドのARC-V登場が告知されましたね。この記事はその話がメインです。
正直「多くの人がキレているあまり、自分が怒る理由を言語化しそこねている」現象が起きつつあるのではないか、自省と備忘の意味を込めてこの怒りを文章化しておこうではないかと思い立った次第です。
※本題の前に注意事項
私はデニス退場以降の約1クール分ARC-Vを見ていません(理由はEDの沢渡とセレナの本編エピソードと関係のない描写に耐えられなかったからです…)。その後は遊矢VSクロウはとりあえず見て、エドが出ると聞いてから真面目に視聴を再開した出戻り野郎です。
あくまで「GXないし過去シリーズファンとして」の記事に留めたいと思っていますし、もちろん未視聴エピソードを聞いた話で語るようなことはしません。ですがシンクロ次元編の大筋やジャックとクロウの役割には触れます。「全部見てない奴に何も言われたくない」という野次はご遠慮いただきたいので、そう思われる方はここでお帰りください。
<私が遊戯王の過去作キャラ使用にキレる理由/目次>
①本当にそのキャラである必要があるのか?
②そんなことをしている場合なのか?
③まとめと遊戯王のこれから
④おまけの雑談
【①本当にそのキャラである必要があるのか?】
ジャックとクロウはあくまで前例ですが、彼らの話。詳細は割愛しますが、諸々の設定が大きく違います。
ざっくり「見た目と名前と声は同じで、性格や設定はぼんやり面影を拾った程度の別人」といった具合です。
その設定の差異が「ジャックは“2周目”なのではないか」(まどマギのほむらのようなタイムリープをしているのではないかということ)「遊星が存在し得ないIF世界なのではないか」などと想像の余地を与えている側面もあるようです。そのような考察を楽しんでいらっしゃる方々のことは素直に尊敬します。私は好きだった5D'sのキャラと乖離している時点でぶっちゃけ全く興味がわきません。「もしクロウがアキと出会わなかったら…」なんて、私はアキと出会ったクロウが好きだったんです。話が終わります。
…楽しめるか楽しめないかはとりあえず置いておきますね。
いずれにせよ何の説明もなく愛着あるキャラとよく似た人たちを引っ張り出してきて、その背景は「ご想像にお任せします」というのはあまりに不誠実、というのが現在の印象。
二次創作だったら間違いなく「オリジナルでやれ」と叩かれるレベルの設定改変です。過去作本編と設定を違えたARCクロウ・ARCジャックの存在が一体どういう設定なのかということも作中で解説・示唆されておらず、「ARC-Vという物語的文脈」における「過去作キャラ再登場の説得性・必然性」は今のところ無い状態と言えます。
例えば超融合だったら、「精霊が実体化している事件の調査をする十代」「じーちゃんを救いたい遊戯」「スターダストを奪還したい遊星」と、3人の主人公が共闘する動機がきちんと描かれているのです。他でもないこの3人が時空を超える説得性が物語の中にあります。何の説明もなしにただ設定が違うだけのARCジャックとARCクロウにはそれがない、ということです。
「完結している5D'sの世界をいじくるのは難儀だった」という大人の事情は想像できますし、「本人として出したキャラを本編と矛盾なく似せて描くのを試みるよりは最初から別人設定のほうが安全牌である」=「下手に描かれるよりは別人という逃げ道があるほうがマシ」というなんとも消極的な製作側と視聴側の利害の一致も分かります。
ですが、それら全ての説が「わざわざ別人にするくらいなら過去キャラ(の見た目)使う必要あったのか?」という疑問に行き着くのです。
じゃあオリジナルキャラでよかったよね?
なぜARCのオリジナルキャラに今のジャックとクロウと同じ役割をそれぞれ課さなかったのか。
(遊矢を諭す役は赤馬でもよかったのではないか)
物語上で「ジャックとクロウ(の見た目)である必然性」が描写されてない以上、
彼らの登場が「話題性」のためでしかないというメタ視線の結論で納得せざるを得ないのです…。
BF、売れたのかな。
【②そんなことをしている場合なのか?】
肝心なはずのARC-Vオリジナルキャラたちの話がいっこおおおおおおおおおうに進んでいない!!!!!!
遊矢シリーズの謎に関しても言ってしまえば放送開始数話目の「オレとそっくりの顔のやつがいる!」というところで未だにアイドリング状態。ただし人数は増えてる。
「長期アニメなんだから…」「長い目で見れば…」という気の長い方もいらっしゃるかも分かりませんが、「1話」「1エピソード」「1クール」「1編」スパンのテンポの良さや爽快さも長期アニメの評価の対象であることに間違いはないと思います。肝心の主人公視点での爽快さ=カタルシスに欠けること、それが最近のARC-Vにおいてもっとも気になる点です。
放送3年目に突入しようという今、ARC-Vの中心となる話を、小気味良いテンポを意識して、集中して描き進めるべきだと強く強く感じます。
■遊矢シリーズ・柚子シリーズの謎
■遊矢自身の成長
■次元戦争
主軸と思われるのはおそらくこの3トピックです。上手く料理すれば絶対に面白い要素なはずです。ARCキャラは可愛らしいキャラデザに恵まれ磨けば光る原石ばかりです。まずそちらに重きを置いて、もっと既存キャラを大事に描写していってほしい!1分1秒惜しんで愛されるキャラを描き出してほしい!
【③まとめと遊戯王のこれから】
怒りポイントをまとめます。
・別人にするくらいならオリジナルキャラでよかったのでは?
・話題性のためだけに好きなキャラの見た目を使われているのではないか?
(=自分の好きなキャラの性格・人間性・生い立ちを軽んじられている気がする)
・過去キャラより他に描くべきことがたくさんあるだろ
大きくこの3つです。
日々のツイート検索において、過去キャラ再登場批判への反論で一番多く見かけたのは「別人設定なんだからキャラが違うと言って怒るのはお門違い」というご意見でした。「別人だからこそムカつく」ということもあります。ARC自体の展開を見て「設定がどうとかいう問題ではない」という怒りもあります。
しかし、過去キャラ再登場に怒っている視聴者はほんと~~~~に多いです(あくまで主観、見えた範囲の話ですが)
では、この展開は誰のためなのか?
カード勢ですね。
過去OCGテーマの強化です。それでしかないと思います。
数年前から思い出したようにサイバー、E・HERO、ジャンク、と立て続けに過去テーマが強化され、歴代キャラがストラクのCMを飾り、コレクターズパックでも過去テーマカードが細々と新規追加されていました。
D-HEROと機械天使は、まさにその「穴」、伸びしろありまくりです。銀河眼も根強い人気テーマですね。GXの二人が本編と同じテーマデッキを使うかは未確定ですが、デュエリスト界隈ではD-HEROの高騰が話題になっています。
無論、遊戯王はホビーアニメです。玩具―カードが売れなきゃどうしようもないアニメです。
ですが、今まで遊戯王シリーズアニメがそのテーマ性、物語性、その味わい深さで人気を博してきたことは疑いようがないと思います。DMの王の記憶編はほとんどデュエルをやらない(カードの販促にならない)のに、2クールかけて完走。GXはストラクチャーデッキを引っさげたゲストキャラが何故か発売から数ヵ月後に出てきてアッサリ負けるという商売根性の薄さを見せ、それが愛らしかったりもしたものです。
「ホビアニでありながら商業的要素に物語が左右されない安心感、本筋の展開を第一にしてくれる信頼感」がかつての遊戯王にはありました。
(他の不安要素があった話は今は関係ないぞ!)
その信頼を、20周年の今、ドブに捨てようとしている…!私はそう感じています。
ツイート検索をしていると、「昔D-HERO使っていたから、エドが出るなら見ようかな」「再登場なら強化くるな、D-HERO買い集めよう」という人がものすごく多いことに気付きます。こういう方がたくさんOCG現役に復帰してくれたら、さぞ儲かるでしょうなぁ。
カードを買う人を大事にしていかなければならないのは当然です。
ですが、それは「キャラや物語が好きだった人」を蔑ろにしていい理由にはなりません。
とりあえず過去キャラの見た目だけ出して、話題になって、現環境でも実用的な新規を出して、カードが売れればよい。
今の過去キャラの使い方を見ていると、そういう商業戦略に見えても仕方が無いのです。
「物語が面白ければ・キャラがかっこよければカードが売れる」はずが
「カードが売れれば物語・キャラは二の次」になっている現実が否めません。
なんだかお先真っ暗みたいなまとめになってしまいましたが、立て直すチャンスはあると思います。
エドや明日香やカイトが出てしまうのはもう仕方ないので、その登場に説得性を持たせること、そして何より遊矢たちがしっかり活躍してARCの話がきちんと進むこと、ARCの物語、遊矢の物語を大事にすること、それが第一だと思います。
私は遊戯王が大好きです。物語も、キャラも、OCGも大事にしていたそこそこいいファンだったと思います。
そして私以上に根強く熱心なファンが遊戯王にたくさん付いていることもよ~~く知っています。
長年コンテンツを支えた人の情熱を、安易なキャラの再利用によって無碍にしないでほしい。
この件はそれを願うあまりの怒りなのです。
こんなクソ長ったらしい文章をここまで読んでくださった方にとって、ご理解や更なる思考、その整理に少しでも繋がれば幸いに思います。ありがとうございました。
続きはおまけの雑談です~
2月のWJで明日香・カイト、後日イベントでエドのARC-V登場が告知されましたね。この記事はその話がメインです。
正直「多くの人がキレているあまり、自分が怒る理由を言語化しそこねている」現象が起きつつあるのではないか、自省と備忘の意味を込めてこの怒りを文章化しておこうではないかと思い立った次第です。
※本題の前に注意事項
私はデニス退場以降の約1クール分ARC-Vを見ていません(理由はEDの沢渡とセレナの本編エピソードと関係のない描写に耐えられなかったからです…)。その後は遊矢VSクロウはとりあえず見て、エドが出ると聞いてから真面目に視聴を再開した出戻り野郎です。
あくまで「GXないし過去シリーズファンとして」の記事に留めたいと思っていますし、もちろん未視聴エピソードを聞いた話で語るようなことはしません。ですがシンクロ次元編の大筋やジャックとクロウの役割には触れます。「全部見てない奴に何も言われたくない」という野次はご遠慮いただきたいので、そう思われる方はここでお帰りください。
<私が遊戯王の過去作キャラ使用にキレる理由/目次>
①本当にそのキャラである必要があるのか?
②そんなことをしている場合なのか?
③まとめと遊戯王のこれから
④おまけの雑談
【①本当にそのキャラである必要があるのか?】
ジャックとクロウはあくまで前例ですが、彼らの話。詳細は割愛しますが、諸々の設定が大きく違います。
ざっくり「見た目と名前と声は同じで、性格や設定はぼんやり面影を拾った程度の別人」といった具合です。
その設定の差異が「ジャックは“2周目”なのではないか」(まどマギのほむらのようなタイムリープをしているのではないかということ)「遊星が存在し得ないIF世界なのではないか」などと想像の余地を与えている側面もあるようです。そのような考察を楽しんでいらっしゃる方々のことは素直に尊敬します。私は好きだった5D'sのキャラと乖離している時点でぶっちゃけ全く興味がわきません。「もしクロウがアキと出会わなかったら…」なんて、私はアキと出会ったクロウが好きだったんです。話が終わります。
…楽しめるか楽しめないかはとりあえず置いておきますね。
いずれにせよ何の説明もなく愛着あるキャラとよく似た人たちを引っ張り出してきて、その背景は「ご想像にお任せします」というのはあまりに不誠実、というのが現在の印象。
二次創作だったら間違いなく「オリジナルでやれ」と叩かれるレベルの設定改変です。過去作本編と設定を違えたARCクロウ・ARCジャックの存在が一体どういう設定なのかということも作中で解説・示唆されておらず、「ARC-Vという物語的文脈」における「過去作キャラ再登場の説得性・必然性」は今のところ無い状態と言えます。
例えば超融合だったら、「精霊が実体化している事件の調査をする十代」「じーちゃんを救いたい遊戯」「スターダストを奪還したい遊星」と、3人の主人公が共闘する動機がきちんと描かれているのです。他でもないこの3人が時空を超える説得性が物語の中にあります。何の説明もなしにただ設定が違うだけのARCジャックとARCクロウにはそれがない、ということです。
「完結している5D'sの世界をいじくるのは難儀だった」という大人の事情は想像できますし、「本人として出したキャラを本編と矛盾なく似せて描くのを試みるよりは最初から別人設定のほうが安全牌である」=「下手に描かれるよりは別人という逃げ道があるほうがマシ」というなんとも消極的な製作側と視聴側の利害の一致も分かります。
ですが、それら全ての説が「わざわざ別人にするくらいなら過去キャラ(の見た目)使う必要あったのか?」という疑問に行き着くのです。
じゃあオリジナルキャラでよかったよね?
なぜARCのオリジナルキャラに今のジャックとクロウと同じ役割をそれぞれ課さなかったのか。
(遊矢を諭す役は赤馬でもよかったのではないか)
物語上で「ジャックとクロウ(の見た目)である必然性」が描写されてない以上、
彼らの登場が「話題性」のためでしかないというメタ視線の結論で納得せざるを得ないのです…。
BF、売れたのかな。
【②そんなことをしている場合なのか?】
肝心なはずのARC-Vオリジナルキャラたちの話がいっこおおおおおおおおおうに進んでいない!!!!!!
遊矢シリーズの謎に関しても言ってしまえば放送開始数話目の「オレとそっくりの顔のやつがいる!」というところで未だにアイドリング状態。ただし人数は増えてる。
「長期アニメなんだから…」「長い目で見れば…」という気の長い方もいらっしゃるかも分かりませんが、「1話」「1エピソード」「1クール」「1編」スパンのテンポの良さや爽快さも長期アニメの評価の対象であることに間違いはないと思います。肝心の主人公視点での爽快さ=カタルシスに欠けること、それが最近のARC-Vにおいてもっとも気になる点です。
放送3年目に突入しようという今、ARC-Vの中心となる話を、小気味良いテンポを意識して、集中して描き進めるべきだと強く強く感じます。
■遊矢シリーズ・柚子シリーズの謎
■遊矢自身の成長
■次元戦争
主軸と思われるのはおそらくこの3トピックです。上手く料理すれば絶対に面白い要素なはずです。ARCキャラは可愛らしいキャラデザに恵まれ磨けば光る原石ばかりです。まずそちらに重きを置いて、もっと既存キャラを大事に描写していってほしい!1分1秒惜しんで愛されるキャラを描き出してほしい!
【③まとめと遊戯王のこれから】
怒りポイントをまとめます。
・別人にするくらいならオリジナルキャラでよかったのでは?
・話題性のためだけに好きなキャラの見た目を使われているのではないか?
(=自分の好きなキャラの性格・人間性・生い立ちを軽んじられている気がする)
・過去キャラより他に描くべきことがたくさんあるだろ
大きくこの3つです。
日々のツイート検索において、過去キャラ再登場批判への反論で一番多く見かけたのは「別人設定なんだからキャラが違うと言って怒るのはお門違い」というご意見でした。「別人だからこそムカつく」ということもあります。ARC自体の展開を見て「設定がどうとかいう問題ではない」という怒りもあります。
しかし、過去キャラ再登場に怒っている視聴者はほんと~~~~に多いです(あくまで主観、見えた範囲の話ですが)
では、この展開は誰のためなのか?
カード勢ですね。
過去OCGテーマの強化です。それでしかないと思います。
数年前から思い出したようにサイバー、E・HERO、ジャンク、と立て続けに過去テーマが強化され、歴代キャラがストラクのCMを飾り、コレクターズパックでも過去テーマカードが細々と新規追加されていました。
D-HEROと機械天使は、まさにその「穴」、伸びしろありまくりです。銀河眼も根強い人気テーマですね。GXの二人が本編と同じテーマデッキを使うかは未確定ですが、デュエリスト界隈ではD-HEROの高騰が話題になっています。
無論、遊戯王はホビーアニメです。玩具―カードが売れなきゃどうしようもないアニメです。
ですが、今まで遊戯王シリーズアニメがそのテーマ性、物語性、その味わい深さで人気を博してきたことは疑いようがないと思います。DMの王の記憶編はほとんどデュエルをやらない(カードの販促にならない)のに、2クールかけて完走。GXはストラクチャーデッキを引っさげたゲストキャラが何故か発売から数ヵ月後に出てきてアッサリ負けるという商売根性の薄さを見せ、それが愛らしかったりもしたものです。
「ホビアニでありながら商業的要素に物語が左右されない安心感、本筋の展開を第一にしてくれる信頼感」がかつての遊戯王にはありました。
(他の不安要素があった話は今は関係ないぞ!)
その信頼を、20周年の今、ドブに捨てようとしている…!私はそう感じています。
ツイート検索をしていると、「昔D-HERO使っていたから、エドが出るなら見ようかな」「再登場なら強化くるな、D-HERO買い集めよう」という人がものすごく多いことに気付きます。こういう方がたくさんOCG現役に復帰してくれたら、さぞ儲かるでしょうなぁ。
カードを買う人を大事にしていかなければならないのは当然です。
ですが、それは「キャラや物語が好きだった人」を蔑ろにしていい理由にはなりません。
とりあえず過去キャラの見た目だけ出して、話題になって、現環境でも実用的な新規を出して、カードが売れればよい。
今の過去キャラの使い方を見ていると、そういう商業戦略に見えても仕方が無いのです。
「物語が面白ければ・キャラがかっこよければカードが売れる」はずが
「カードが売れれば物語・キャラは二の次」になっている現実が否めません。
なんだかお先真っ暗みたいなまとめになってしまいましたが、立て直すチャンスはあると思います。
エドや明日香やカイトが出てしまうのはもう仕方ないので、その登場に説得性を持たせること、そして何より遊矢たちがしっかり活躍してARCの話がきちんと進むこと、ARCの物語、遊矢の物語を大事にすること、それが第一だと思います。
私は遊戯王が大好きです。物語も、キャラも、OCGも大事にしていたそこそこいいファンだったと思います。
そして私以上に根強く熱心なファンが遊戯王にたくさん付いていることもよ~~く知っています。
長年コンテンツを支えた人の情熱を、安易なキャラの再利用によって無碍にしないでほしい。
この件はそれを願うあまりの怒りなのです。
こんなクソ長ったらしい文章をここまで読んでくださった方にとって、ご理解や更なる思考、その整理に少しでも繋がれば幸いに思います。ありがとうございました。
続きはおまけの雑談です~
【④おまけの雑談】
とりとめもないです。ごめんね。
「なぜ明日香とエドなのか」「なぜカイトなのか」を、OCG以外の文脈から予測。
ある程度根拠提示しますがそんなに論理的でもないです。
■前提(仮):「主人公は出せない」
ソースは増田くんのBDイベント2015年昼公演。このイベントのゲストが前野さん、けんくん、はたなかくんというメンツで、「全員遊戯王出演者だね」というトークから、けんくんが「オレだけZEXAL出てない(中略)でも主人公やったら他のシリーズ出られないよって言われた」と発言し、はたなかくんも「僕もです」と同調。
どのタイミングで誰になぜ言われたのか分からないのですが…(なんか他事務所の若手男性アイドルと共演しないかつてのジャ○ーズみたいな…?内輪で…???)
何らかのイメージ戦略ゆえなのでしょうか。とりあえずそういうことらしいです。
恐ろしい推測が、「主人公を出せるなら出していたのではないだろうか」という点。
「誰でも良かった説」の背中を押します。おっかないですね。
そして、ジャックが多少言われていたことですが「主人公的役割を付与されている」という主人公の代替扱いを受ける可能性もあります。
「ARCスタッフが解釈した十代っぽさ・遊馬っぽさ」を彼らが担うということです。
ちょ~~~~~~~~~~~こえ~~~~~~~~~~~~~~~~~
■理由1:「主人公の人格干渉度」
明日香・エド・カイト、3人の共通点は「人格の形成が主人公との関わりからある程度乖離している(ように思われることが多い)」こと。同じ物語に居る以上無関係なわけないのですが、ほんとそんなわけないだろって感じなんですが、万丈目や凌牙と比べれば相対的に「主人公の影響度が低いキャラ」と言うことはできるのではないなかぁと思います。
主人公を出せない(仮定)条件下での「このメンツなら大丈夫だろう」という舐めた感じ、ムカつきます。
私はエドと十代のカップリングが大好きです。(理由を説明したつもり)
■理由2:「物語を乱さない」
明日香・エド・カイト、物分りがよさそうで結構ですね。
決めた筋道を妨害しなさそうですね。物語の歯車になる可能性が高いです、覚悟しましょう。
■理由3:「指導者としての説得性」
ジャックが遊矢に高説を垂れているのがどうにも癪な最新話、もし過去作キャラに「遊矢の成長エピソードのトリガー」の役割が付与されるとしたら。デュエリストとしての実力が申し分ない3人ですね。
GXやZEXALが説教くささとは程遠い作品かつそれが大好きな理由の一つなので、正直これがいちばん心配です。勘弁してほしい。
■だから何だ
危機管理です。ありとあらゆる可能性を想定して来る日に備えましょう。
おそまつさまでした。
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