[4a-23] 二ノ獄 道標③
ウィルフレッドは息を呑み、無礼にならないようカタナの切っ先を下げた。何者か不明だがキャサリンの姿をしたものに剣を向けるのは憚られる。
傍らを見ればキャサリンも防寒着の胸元を握りしめ、零れ落ちそうな程に目を剥いていた。
――ドッペルゲンガー?
いや、あれは姿を真似るだけで、子ども時代の姿に化けるなんて芸当は普通持ってないはずだが……
あまりに特徴的すぎて実際に冒険で出会う頻度以上に有名な魔物なのだが、この世には『ドッペルゲンガー』なる魔物が存在する。
人の姿を写し取る能力があり、冒険者の姿に化け同士討ちを誘ったり、旅人に化けて人族の街を偵察したりするのだ。
だが、それとは何かが違うような気がする。
小さなキャサリンの姿をしたそれは、ウィルフレッドとキャサリンを見ると、黙って右斜め前方のどこかを指差した。
天井の隅……いや、もっと先の、地上のどこかを指差しているのだろうか。
「あっち? あっちが何……」
ウィルフレッドが声を掛けると、『用は済んだ』とばかりに小さなキャサリンはくるりと踵を返し、元来た方へ走り去った。
いや、走り去ろうとしたときだった。
「待ちなさい、
「えっ?」
悪戯を咎め立てるかのように鋭く静かに、キャサリンは言った。
小さなキャサリンのような姿をした少女は、縫いとめられたように足を止める。
「ルネ?」
「……離ればなれになっている間にあなたも努力したのだとは分かりますわ。
ですがそれで
あなたの振る舞いには武人の色が出すぎているのです。効率的で隙が無い……いえ、余裕が無いと言い換えるのが適切なのかしら。
贅沢にして華麗なる『無駄』こそ貴婦人の美しさ。
優美であることも義務、そして武器であると心得なさい!」
キャサリンが口にしたのは、常には無いほど刺々しい指弾だった。
まるでそれは子どもっぽい意地のような。
だというのに、不思議と熱を帯びた声で。
『ルネ』は、キャサリンの言葉を背中で聞いていた。
しかし彼女はやがて、逃げるように駆けだして、曲がり角の奥の闇に消えてしまう。
「あっ……ちょっと待っ」
ウィルフレッドは思わずその背中を追って角を曲がった。
そこに、青白く血まみれの崩れた顔があった。
『アアアアアアアアアアア!!』
「な!?」
そこに居たのはキャサリンに似た少女ではない!
巨大な鎚で殴り飛ばされたように半面の潰れた兜を被った、鎧の騎士が剣を振りかざしてウィルフレッドに襲いかかってきた。
足を止められたのはサムライ修行の賜物、武人の反射神経あってこそだ。
大雑把ながら力強い斬撃を、ウィルフレッドはカタナで捌きかけた。
だが、咄嗟に昨夜のことを思い出し、身をよじって回避した。
結果的にそれは正解で、騎士の振るった剣はウィルフレッドのカタナを通り抜け、その肉体を両断せんとしたが腹を撫でるようなギリギリの軌道で回避された。
直後、ウィルフレッドは腰帯にたばさんでいた照明器を抜き放ち亡霊騎士の顔目がけ照射する。
『うアああッ!?』
歪んだ悲鳴を上げて騎士はたじろいだ。
だがその後ろに、さらに。
闇の中に光る邪悪な眼光がある。
蠢く影がある。
「ウィルフレッドさん!」
「悪霊っ! 悪霊だ! 侵入された!」
ウィルフレッドが声を上げるなり、通路の両端に居た者らが反応した。
もはやこの場所は安全ではない。それどころか迷路のような暗い下水の片隅、既に袋の鼠となっているやも知れぬのだ。
行き止まりだったはずの脇道から、騎士の姿をした悪霊たちがゾロゾロと姿を現した。
一人でも厄介な悪霊が道を埋め尽くし、それこそ芋でも洗うかのように。
ウィルフレッドはキャサリンの手を引き、冬黎らの居る方向へ退いた。
すぐに悪霊たちが流れ込み、帝国兵の半分とニールは、異形の軍勢の向こうに消えた。
「逃げろ!」
「どっちへだ!?」
「ひええええ、助けてくれえっ!」
「おいこら、勝手に道を開けるんじゃない!」
騎士たちの向こうから混乱した声が上がる。
『ノームの左手の杖』を持つニールが、封じていた壁をこじ開けて脱出を図ったようだ。
石壁の崩れる音がして、数人分の足音が遠のいていく。
実際、逃げるしかない状態だろう。そのせいでウィルフレッドや冬黎らとはぐれてしまうとしても。
「分断されたか……!」
「向こうを案ずるのは後じゃ。わしらも逃げるぞ」
「合図をお願いします。
騎士たちは緩慢な動作で徐々に迫り来る。
≪
「1,2の……」
ウィルフレッドは照明を消し、空いた手をポーチに差し入れる。
「3!」
冬黎の合図と同時、ウィルフレッドは目をつむりながら、騎士たち目がけて石片を投じた。
冬黎も同じものを放り投げる。
刹那、淀んだ空気の中を二つの石ころがゆっくり泳いでいくような……間延びして感じられるほどの空白時間。
そして。
白!
ただ白としか言えない、太陽が降って湧いたかのような圧倒的な光が、下水道の闇を焼き尽くす!
ウィルフレッドと冬黎が投じた石片、これは『太陽神の眼差し』なる大仰な名前のマジックアイテムである。
投げれば弾けて光って目眩ましをする。効果は一瞬で、しかも使い捨てだが、その光量はタイミングを合わせて目を閉じなければ味方すら行動不能にするほど鋭い!
『グうっ!?』
『うアアあ!』
「今だ!」
「≪
騎士の亡霊たちが唸るような悲鳴を上げる中、ウィルフレッドらの背後の壁は溶け落ちるように開かれた。
幸いにも、壁の向こうにまで悪霊がうろついているということはなく、ウィルフレッドを先頭に一行は走り出す。
「この先を右へ……」
「ダメだ、何か居る!」
キャサリンは下水道の地図を完璧に頭に入れている様子でナビゲートするが、しかし。
乱れた足音が、喘鳴のような息づかいが、そこに居る何者かの存在をウィルフレッドに伝える。
果たして、先程現れたのと同じような騎士姿の悪霊たちが、行く手の通路からぬうっと姿を現したではないか。
「新手だ、くそっ!」
「突っ切るのは無理じゃな。回るぞ」
「向こうにも!」
手前の通路へ折れて逃げようとした矢先、キャサリンが警戒の声を上げる。
通路の奥には闇が蠢いていた。明かりを向ければ、そこにはやはり悪霊の姿があった。
「どれだけ入り込んでるんだ!」
「くそ、囲まれる……」
迷路のように入り組んだ下水道の中だ、ただでさえ状況が見通せない。
そして回り道をしたところでさらに敵中に飛び込んで行ってしまう危険は否めないのだ。
絶体絶命……
そんな言葉がウィルフレッドの脳裏をよぎる。
「目眩ましで時間を稼いでいる間に、≪
「待って、あそこ!」
ふとキャサリンが、水路に架かる小さな橋の向こうを指差す。
小さなキャサリンの姿をした少女が、『ルネ』が、そこに居た。
彼女は、先程は持っていなかったはずの油のランプを掲げてこちらを見ていたが、ウィルフレッドらと目が合うと身を翻して走り出す。
温かな灯火が通路の奥へ遠のいていった。
「何じゃ? あれは」
「誘導……してるんです、きっと!」
キャサリンの言葉は確信に満ちていた。
糸を引かれるようにキャサリンは『ルネ』の後を追い、ウィルフレッドは是非の判断も付かぬまま、キャサリンに続くこととなる。
一行は小さな明かりを追いかけた。
複雑に何度も道を折れるが、不思議と、行く先に悪霊の姿は無い。
全くもって、サイコタヌキに化かされたような気分だった。
皆が付いてきていることを分かっているのか、『ルネ』は振り返りもせず走り続けたが、交差点で一瞬立ち止まり、脇道の方をチラリと見て、それからウィルフレッドの方に振り返り、脇道に向かってパッと手を開いた。
「分かった、そこに……」
駆け足に追いかけながら、ウィルフレッドは『太陽神の眼差し』を手に取る。
そして交差点に駆け込んだその時。
「居るんだな!」
『ギああああっ!?』
敵を視認するより早く、『ルネ』が指示した方向へ、ウィルフレッドは石片を投じた。
溢れ出す閃光が異形の軍勢の目を焼き尽くす!
「あった、出口だ!」
行く手に青白い月光が差し込む上り階段を認め、帝国兵の一人が泣き笑いのような声を漏らす。
出口は鉄柵によって封じられていたが、走りながらウィルフレッドは抜刀。
そして一足飛びに階段を駆け上がるとカタナを一閃。
真っ二つになった鉄柵を蹴り飛ばし、ウィルフレッドは月下へまろび出た。
「急げ!」
背後からは邪悪なる気配が迫る。
『ルネ』は灯火を掲げて走り、他の者はそれを追いかけた。
黒々と暗く沈んだ街の中、やがて走る者の息づかいと足音だけが聞こえるようになり、おぞましいうめき声は徐々に遠ざかって聞こえなくなったところで、『ルネ』はようやく足を止めた。
「助かった……」
枯れ果てた噴水の縁にもたれるように、誰からともなく座り込む。
荒い呼吸音だけがコーラスのように響いていた。ウィルフレッドさえ疲労を感じていたし、キャサリンと冬黎は途中から≪
くたびれ果てた者らと対照的に、一行を引っ張ってきた『ルネ』は涼しい顔だ。
彼女は明かりを吹き消すと、キャサリンと同じ色の目で……否、違う。赤と灰の色だった双眸が、いつの間にやら神秘的な銀色に変じていた。
「……君は、一体……」
呆然とウィルフレッドが呟くと、彼女はそれには答えず、黙って遠くを指差した。
「あっち?」
建物を透かすように、ウィルフレッドは『ルネ』が指差す方を見た。
『ルネ』がどこか遠くの何かを指差しているのだとは分かったが、建物が沢山重なっていて、何があるやら見通すことはできない。
意図を尋ねようかとウィルフレッドは『ルネ』に視線を戻す。
だが、ほんの一瞬視線を切るまで『ルネ』はそこに居たはずなのに、改めて見てみれば彼女は忽然と消えていた。
ウィルフレッドは首をかしげざるをえなかった。
何が起こっているのか全く分からない。
「……あの、キャサリンさん」
「行きましょう」
彼女は既に全ての結論を出していた。
疲労困憊しているだろうに、信念と気力が全てを超克したかのように彼女は立ち上がる。
「何か、事態を解決する手掛かりがあるのかも知れません。
いずれにしても、このまま隠れ続けるのは不可能でしょう」
ウィルフレッドは頷いた。
未だに分からない事だらけだが、何が起きているやら分からぬまでも、こちらから動かなければやがて死ぬだろう。
夜闇は徐々に薄れはじめ、朝が近づいていた。
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